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86 聖母
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白い家、そんな言葉がピッタリの孤児院。
壁も建物も真っ白で染み一つない。
綺麗で清潔な院の建物には、ふんだんに自然光が取り込まれており、内部も明るい。夜にも随所に灯りが燈され、幼子が暗闇に怯えることもなく、ここではいつも子供たちの歓声と笑顔が溢れている。
職員たちも子供たちには丁寧に接し、声を荒げることもない。
院長は楚々とした老婦人で、上品で優しく聖母と称えられるほどの人物。
《なんだかカーディガンと紅茶が似合いそうな人だなぁ》
彼女を初めて見たとき、オレが抱いた第一印象がこれ。
これであの鬼婆と子供たちから恐れられている人と同じ施設出身で、同じ人に姉妹のように育てられた人物だとはとても信じられない。それぐらいに二人の院長は対極にあった。
この院の子供たちは実に伸び伸びと育っている。
みんな元気でわんぱく、感情表現も豊かで毎日毎日が楽しそう。もちろん中にはわんぱくが過ぎる子もいるが、それだってたかが知れている。遊びに夢中になるあまり、ちょっと泥だらけになったとか、うっかり花瓶を割ってしまったとか、せいぜいが悪戯の範疇のこと、可愛いもんである。
別に毎日遊び惚けているわけじゃなく、当番制でお手伝いもしているし、勉強だって頑張っている。
もしも貴方なら、あっちとこっち、どっちで生活したいと問われたら、大部分の人がこっちだと答える。もちろんオレもそうだろう。誰だって厳しいのは嫌だからな。
《うーん。これは判断が難しいぞ》
孤児たちは大なり小なり辛い目にあっている。環境によっては人間不信に陥っていたとしてもおかしくない。周囲すべてが敵だと憎んでいることもあるだろう。そんな子らに惜しみない愛情を注いで育てる。どれほど心が救われることであろうか。
鬼婆と聖母、二人の子供たちに対する愛情は本物、それは間違いない。
目指すところは一緒、だが歩むべき道が違う。
袂を分かったきっかけはなんだったのだろうか……。
オレは時間を見つけては二つの院を見学に訪れていた。
もっともボロの方には実際に中までお邪魔して、子供たちと遊んだり手伝いをしたりしているがな。
梯子を使っていた子がバランスを崩して落ちかけたのを助けたのが縁で、招かれたのがきっかけ。「礼には礼を、恩義には恩義を持って報いな」という院長の教えを子供たちが実行した。例え相手が謎生物スーラでも律儀に守る子供たち。院長からも「ありがとよ」と礼を言われた。以来、オレはたまに顔を出している。
対してキレイな方は、あくまで遠目から観察するだけ。たぶん入っていったら子供たちには面白がられて歓迎されるとは思うんだが、どうしてもそうする気にはなれなかった。理由は自分でもわからない。
そんなある日のこと、白い家で事件が起きた。
警備隊に追われていた窃盗犯が院に押し入り、遊んでいた子供の一人を抱えて併設されてある教会に立て篭る。
「無駄な抵抗はやめろ。諦めて出てこい」
「うるさいっ! 黙れ、こっちに来るんじゃねぇ!」
教会の出入り口を固めた警備隊の連中が投降を促すも、犯人はこれを拒否。
すると大人の怒鳴り声に怯えた人質の子が泣き出して、更に立て篭もり犯をイラ立たせる。
「黙れっ、このガキ。ぶっ殺すぞ! クソッ、クソッ、どうしてオレがこんな目に!」
男は興奮状態で軽く恐慌をきたしている。長引かせると子供の身が危ないと判断した警備隊の隊長は、即座に部下に指示を飛ばす。
幸いなことに、この院では内部が暗くならないようにと、自然光を取り込むための窓がたくさん設置されてある。
そこで犯人の位置が狙える場所に隊一番の射手を配置。
隙を見て犯人の肩に矢を射かけさせ、コレに成功。同時に突入し人質も無事に確保。わずか一時間ほどで事件を解決する。
事件の一報を受けて現場にかけつけていた院長は、泣きじゃくる子を抱きしめ、その無事を喜んだ。
後は警備隊が犯人を連行するばかり。
その段になって男が喚き出す。
「助けてくれよ。せんせいよぉ。昔はあんなに可愛がってくれたじゃねぇか。なぁ、頼むよぉ」
「えっ!?」
犯人の発した「先生」という言葉に驚いた院長。
よくよく男の顔を見てみたら、どこか見覚えがある様子で、みるみる表情が驚愕へと変わった。
「……もしかして……ハンス……くん?」
「そうだよぉ。ハンスだよ。なぁ、頼むよぉ。助けてくれよぉ」
濁った目に媚びを浮かべ、歪な笑顔にて先生に縋りつこうとする男。
それがかつて自分が世話をした相手だと気づき、院長は動揺を隠せない。
なにせケチな盗みを繰り返した挙句に、街中を逃げ回り、最後には自分が育った院へと押し入って、自分と同じような境遇の幼子を人質にするという暴挙に出たのだから。しかもそれらをなんら省みることもなく、今度はしゃあしゃあと嘆願してくる始末。
「そんな……あなたが……、どうしてこんな酷いことを」
あまりのことに、クラリと立ち眩みする院長。
彼女を慮り隊長は早く犯人を引っ立てろと部下に命じる。
せめて一言だけでも謝罪の言葉があれば、まだ救いとなったのだろうが、残酷なことにハンスは最後の最後まで院長に縋るばかり。
あまりにも手前勝手な言い草、これに腹を立てた隊員に猿ぐつわをされ、引きずられるように連行されていった。
オレはこの騒動の一部始終を隠れて見ていた。
その夜のことだ。
鬼婆の下を訪ねる聖母の姿があった。
かつての同胞の突然の来訪にも関わらず、黙って受け入れる鬼婆。
聖母はよほど昼間の出来事がショックだったらしく、すっかり打ちひしがれてしまっていた。
「私は間違っていたのでしょうか……」
寂し気に呟くかつての友に婆は言った。
「別に間違っちゃいないよ。それで救われる子もいる。ただソイツに関しちゃあ、やり過ぎたんだな」
「やり過ぎた?」
「花だって水や肥料をやり過ぎたら、根腐れを起こして枯れちまう。それと同じことさ」
言葉の意味を理解出来たのか、白い家の院長は黙り込む。
更に婆は言葉を続ける。
「だからと言って、次から次へと送り込まれてくる子らすべてに、完璧に寄り添うなんて土台無理な話さねぇ。そんなのは実の両親にだって無理だよ。ましてやアタシらは所詮、赤の他人だ。だから自惚れちゃあいけない。驕っちゃあいけない。そして……」
そして絶対に諦めちゃあいけない。
まるで自分に言い聞かせるように、そう言葉を結んだ婆。その瞳には強い光が宿る。
彼女の言葉に、はっと顔を上げる聖母。
「そう……でした。私はいつから勘違いをしていたのでしょう。その手の中のすべてを守れるだなんて」
「アタシたちに出来ることは、せいぜいガキどもがここに居る間は、全力で守ってやることぐらいさ。外に出ちまったら、もう無理さ」
「……だからこそ、貴女は子供たちに厳しく接するのでしたね」
「今を救うことで未来へと繋げるのがあんたのやり方。今に不自由をさせてでも将来に繋げるのがアタシのやり方。そうだったろう?」
「ええ」
その表情には、もう先ほどまでの弱々しさはどこにも見られない。
己の信念を思い出した女性は、再び聖母の顔を取り戻す。
かつては同じ人の世話になり、教えを請うた二人。
同門となり姉妹となり親友となり、そして互いの考え方の違いから道をわかった二人。
でも決別したのではない。その瞬間から二人は真の同志となったのだ。
そのことを理解したオレは、気づかれないようにその場を後にした。
壁も建物も真っ白で染み一つない。
綺麗で清潔な院の建物には、ふんだんに自然光が取り込まれており、内部も明るい。夜にも随所に灯りが燈され、幼子が暗闇に怯えることもなく、ここではいつも子供たちの歓声と笑顔が溢れている。
職員たちも子供たちには丁寧に接し、声を荒げることもない。
院長は楚々とした老婦人で、上品で優しく聖母と称えられるほどの人物。
《なんだかカーディガンと紅茶が似合いそうな人だなぁ》
彼女を初めて見たとき、オレが抱いた第一印象がこれ。
これであの鬼婆と子供たちから恐れられている人と同じ施設出身で、同じ人に姉妹のように育てられた人物だとはとても信じられない。それぐらいに二人の院長は対極にあった。
この院の子供たちは実に伸び伸びと育っている。
みんな元気でわんぱく、感情表現も豊かで毎日毎日が楽しそう。もちろん中にはわんぱくが過ぎる子もいるが、それだってたかが知れている。遊びに夢中になるあまり、ちょっと泥だらけになったとか、うっかり花瓶を割ってしまったとか、せいぜいが悪戯の範疇のこと、可愛いもんである。
別に毎日遊び惚けているわけじゃなく、当番制でお手伝いもしているし、勉強だって頑張っている。
もしも貴方なら、あっちとこっち、どっちで生活したいと問われたら、大部分の人がこっちだと答える。もちろんオレもそうだろう。誰だって厳しいのは嫌だからな。
《うーん。これは判断が難しいぞ》
孤児たちは大なり小なり辛い目にあっている。環境によっては人間不信に陥っていたとしてもおかしくない。周囲すべてが敵だと憎んでいることもあるだろう。そんな子らに惜しみない愛情を注いで育てる。どれほど心が救われることであろうか。
鬼婆と聖母、二人の子供たちに対する愛情は本物、それは間違いない。
目指すところは一緒、だが歩むべき道が違う。
袂を分かったきっかけはなんだったのだろうか……。
オレは時間を見つけては二つの院を見学に訪れていた。
もっともボロの方には実際に中までお邪魔して、子供たちと遊んだり手伝いをしたりしているがな。
梯子を使っていた子がバランスを崩して落ちかけたのを助けたのが縁で、招かれたのがきっかけ。「礼には礼を、恩義には恩義を持って報いな」という院長の教えを子供たちが実行した。例え相手が謎生物スーラでも律儀に守る子供たち。院長からも「ありがとよ」と礼を言われた。以来、オレはたまに顔を出している。
対してキレイな方は、あくまで遠目から観察するだけ。たぶん入っていったら子供たちには面白がられて歓迎されるとは思うんだが、どうしてもそうする気にはなれなかった。理由は自分でもわからない。
そんなある日のこと、白い家で事件が起きた。
警備隊に追われていた窃盗犯が院に押し入り、遊んでいた子供の一人を抱えて併設されてある教会に立て篭る。
「無駄な抵抗はやめろ。諦めて出てこい」
「うるさいっ! 黙れ、こっちに来るんじゃねぇ!」
教会の出入り口を固めた警備隊の連中が投降を促すも、犯人はこれを拒否。
すると大人の怒鳴り声に怯えた人質の子が泣き出して、更に立て篭もり犯をイラ立たせる。
「黙れっ、このガキ。ぶっ殺すぞ! クソッ、クソッ、どうしてオレがこんな目に!」
男は興奮状態で軽く恐慌をきたしている。長引かせると子供の身が危ないと判断した警備隊の隊長は、即座に部下に指示を飛ばす。
幸いなことに、この院では内部が暗くならないようにと、自然光を取り込むための窓がたくさん設置されてある。
そこで犯人の位置が狙える場所に隊一番の射手を配置。
隙を見て犯人の肩に矢を射かけさせ、コレに成功。同時に突入し人質も無事に確保。わずか一時間ほどで事件を解決する。
事件の一報を受けて現場にかけつけていた院長は、泣きじゃくる子を抱きしめ、その無事を喜んだ。
後は警備隊が犯人を連行するばかり。
その段になって男が喚き出す。
「助けてくれよ。せんせいよぉ。昔はあんなに可愛がってくれたじゃねぇか。なぁ、頼むよぉ」
「えっ!?」
犯人の発した「先生」という言葉に驚いた院長。
よくよく男の顔を見てみたら、どこか見覚えがある様子で、みるみる表情が驚愕へと変わった。
「……もしかして……ハンス……くん?」
「そうだよぉ。ハンスだよ。なぁ、頼むよぉ。助けてくれよぉ」
濁った目に媚びを浮かべ、歪な笑顔にて先生に縋りつこうとする男。
それがかつて自分が世話をした相手だと気づき、院長は動揺を隠せない。
なにせケチな盗みを繰り返した挙句に、街中を逃げ回り、最後には自分が育った院へと押し入って、自分と同じような境遇の幼子を人質にするという暴挙に出たのだから。しかもそれらをなんら省みることもなく、今度はしゃあしゃあと嘆願してくる始末。
「そんな……あなたが……、どうしてこんな酷いことを」
あまりのことに、クラリと立ち眩みする院長。
彼女を慮り隊長は早く犯人を引っ立てろと部下に命じる。
せめて一言だけでも謝罪の言葉があれば、まだ救いとなったのだろうが、残酷なことにハンスは最後の最後まで院長に縋るばかり。
あまりにも手前勝手な言い草、これに腹を立てた隊員に猿ぐつわをされ、引きずられるように連行されていった。
オレはこの騒動の一部始終を隠れて見ていた。
その夜のことだ。
鬼婆の下を訪ねる聖母の姿があった。
かつての同胞の突然の来訪にも関わらず、黙って受け入れる鬼婆。
聖母はよほど昼間の出来事がショックだったらしく、すっかり打ちひしがれてしまっていた。
「私は間違っていたのでしょうか……」
寂し気に呟くかつての友に婆は言った。
「別に間違っちゃいないよ。それで救われる子もいる。ただソイツに関しちゃあ、やり過ぎたんだな」
「やり過ぎた?」
「花だって水や肥料をやり過ぎたら、根腐れを起こして枯れちまう。それと同じことさ」
言葉の意味を理解出来たのか、白い家の院長は黙り込む。
更に婆は言葉を続ける。
「だからと言って、次から次へと送り込まれてくる子らすべてに、完璧に寄り添うなんて土台無理な話さねぇ。そんなのは実の両親にだって無理だよ。ましてやアタシらは所詮、赤の他人だ。だから自惚れちゃあいけない。驕っちゃあいけない。そして……」
そして絶対に諦めちゃあいけない。
まるで自分に言い聞かせるように、そう言葉を結んだ婆。その瞳には強い光が宿る。
彼女の言葉に、はっと顔を上げる聖母。
「そう……でした。私はいつから勘違いをしていたのでしょう。その手の中のすべてを守れるだなんて」
「アタシたちに出来ることは、せいぜいガキどもがここに居る間は、全力で守ってやることぐらいさ。外に出ちまったら、もう無理さ」
「……だからこそ、貴女は子供たちに厳しく接するのでしたね」
「今を救うことで未来へと繋げるのがあんたのやり方。今に不自由をさせてでも将来に繋げるのがアタシのやり方。そうだったろう?」
「ええ」
その表情には、もう先ほどまでの弱々しさはどこにも見られない。
己の信念を思い出した女性は、再び聖母の顔を取り戻す。
かつては同じ人の世話になり、教えを請うた二人。
同門となり姉妹となり親友となり、そして互いの考え方の違いから道をわかった二人。
でも決別したのではない。その瞬間から二人は真の同志となったのだ。
そのことを理解したオレは、気づかれないようにその場を後にした。
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