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番外編
番外編 ユディール君の秘密 3
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ここに来てもう3ヶ月が過ぎた。
少し広過ぎる家に僕らはたった二人で住んでいる。
一応、僕が越して来る時に使用人の一人や二人必要かも知れない、と考えはしたそうだ。
けれど、僕の夫はそもそもが少しおかしい。
家に君以外の他人がいると寛げない、だとか。
君に僕以外の召使いは要らない、だとか。
君の肌を見て良いのは僕だけで良いとか言う。
挙げればキリがない程に、頭がおかしい頓珍漢だ。
例えば、初めて身体を合わせた朝、僕が自分で起床し身支度を済ませて紅茶を飲んでいるのを見つけた時、ダイニングで膝を着いて小一時間嘆き通していた。
「私の…楽しみが、“初めての後に訪れる朝の照れた微笑み”が見たかったのに…っ、くぅう無情だ!」
そら見たことか、と思う。
前の晩はカッコよくても常がこれなのだ。
「それよりお腹すいた。」
「良いよ、どこに行こうか。」
この男、基本自炊しない。
僕の世話係は要らないと行った手前、料理人は雇っているのかと思ったらそうじゃ無いらしい。
毎朝決まったカフェで、モーニングを食べていたらしいが、結婚を機に色んな店のモーニングを巡るようになった。
「まだ慣れない?」
「場違いな所に住んでる気がして肩身が狭い。」
この国も変わってる。
国政を行う建物の敷地に、そこで働く者たち全ての家を設けてある。
勿論、独身寮が有って、個人宅がある。
大統領や大統領補佐官、以下大臣などが個人宅に住んでおり、僕たちもその敷地の一端に住まいを借りている。
借りているとは言っても家賃は無い。
免除されているらしい。
リフォームも可能だと言うが、やる人は殆ど居ないそう。
「そんな暇が有ったら皆、寝てるだろうね。」
「随分、ぐうたらなんだな。」
この国の人は、休みの日は一日寝て過ごすのかと思ったがどうやら違うらしい。
「公園にベンチが有るでしょ。」
「うん。」
「家に辿り着けずにあそこで寝てる人を、何回も見たことあるよ、私。」
「... ... 敷地内に家があるのに!?」
「そう。あと1ブロックが遠いんだよ。というかシャワールームも仮眠室も有るから、むしろ帰る方が億劫になるんだろうね。」
「い、忙しいんだなこの国は。」
「僕の事も心配してくれてるの?」
ひょい、と顔を覗き込んできた夫はニコニコ笑っている。
何がそんなに嬉しいのか。
でも、昨日の今日だから当たり前か。
ーーーベットがあんなに軋むなんて、知らなかった。
「どうしたの?行こう、ユディール君。」
爽やかに笑ってさりげなく手を引く。
…そういうのははっきり言って、嫌いじゃない。
連れて来てくれたのは、ホテルでもカフェでもない。
素朴な造りのお店。
ガラス張りの店は外からでも分かる様に、棚一杯にぎっしりと商品が並んでいる。
焼き立ての香ばしい匂いまで漂っている。
「凄い。美味しそう」
僕はガラスに張り付きそうな程、パンを見ていた。
実は好物なんだ。
食パン、ブリオーシュ、パン・オ・ショコラ、まだまだ沢山のパンが有る。
「気に入ったみたいだね。どれにしようか。」
彼は実にスマートに僕をエスコートした。
何一つ不快になる事も、不安になることも無く、欲しいものを欲しいと言うと心得た様に美しい造形のパンを取り上げてくれる。
どれも美味しそうで、ふかふかで美しい。
つい多めに頼んでしまった。
やっぱり止めようか、と悩んでいても夫がどんどん選んでいくのだから止めるわけにもいかなくなった。
そうしてあれもこれもと欲張る僕を、夫は少しも諌めたりしなかった。
ただ楽しそうに会計を済ませ、どれから食べようかと聞いてくる。
繋いだ手はそのままに、僕たちは良い匂いのするパンを下げて家に帰った。
案の定、朝食だけじゃ食べきれないパンが幾つかテーブルに残ってしまった。
お昼に食べればいいよ、と何でも無い事の様に言う。
「そんな事、」
マナー違反だ。
僕はハッとした。
必要なものは必要な分だけ、不容易に有してはいけない。
欲張って得るのは“はしたない”と言われる行為。、
実家では、パンが余ることなんてなかった。
家族の誰かが食べるので安心して好きなだけ食べられた。
でも今はどうしよう。
夫は事もなげに言うが、どの程度までの無作法なら許されるのだろうか。
もう夫なのだからこの程度なら。嫌われないだろうか。
一昨日のサンドイッチはナイフとフォークを用意されたから、一応使わせて貰った。
本当は手で食べても良かったんだけど、マナーだけは完璧にこなして悪い事は無い筈だ。
だが、こんな体たらくでこれからは...今はどうすれば良い。
思い悩む僕の耳に、
ふと、クスクス笑う声が聞こえた。
「良いんだよ。君の好きな様にして見せて欲しいな。」
本当に美味しくて自分でも食べ切れると思ったんだ。
選んでる間も楽しかったし。
だから、誓って僕は今まで絶対に食事を残したりしなかったのに。
「良いの?」
「良いよ。またお昼に食べようね。」
至極当たり前のように、言う。
でもそれが今は少し怖い。
僕は僕だけが異文化に放り込まれたように感じた。
未知の世界に落ちた様な。
僕だけが異常なのか、と錯覚する世界。
押し黙る僕に、察した夫が言う。
「そうだね。貴族はそういうのを気にするようだけど、僕はただの公務員だよ。気にしないさ。それより君がパンを頬張る姿が昼にも見れるなんて最高に嬉しいよ。また口いっぱいに食べて目をキラキラさせてくれるんだから、夜にも食べて欲しいくらいだし、何なら仕事終わりに帰宅する僕を君が出迎えてくれてそのまま、また二人でパン屋に行っても良いくらいだよ。」
「… … …。」
獣人の国の神よ、答えて欲しい。
これが僕の夫で本当に間違いないのだろうか。
僕のマナー違反の悩みは呆気なく無惨してしまった。
僕の夫は頓珍漢だ。
この程度のマナー違反、気にする男じゃ無かった。
朝食を済ませ、少ししてから夫は身支度を済ませ警察庁という庁舎へと出勤していく。
庁舎は家の前の道をまっすぐ行って、8つ目の角を右へ曲がると見えて来る。
敷地内に職場が有るのは覚えやすくて良い。
警察というのは衛兵の様な組織で、国中に小さな詰め所が敷いてあり、その一番上の"警察庁長官"という御役目をいただいているのがマルロイ・コールマンであって。
間違いなく僕の夫だ。
ヨレヨレのシャツ、デレデレの顔をした夫でも、玄関を出る時だけは違う人のように見える。
ピシッとした襟と、強靭そうな軍服がそうさせるのか。
「カッコ良い?」
ニッと笑うその唇にすら見惚れてしまう。
「良いからっ、遅刻したらどうするんだよ。」
「うん。行って来るねディー。」
「な…っ、!」
「じゃあ、お昼はパンを温めてたべるんだよ。」
「分かったからっ、早く行け!」
顔が熱い。
耳と、首もだ。くそーーーっ。
その“呼び方”はベットの時だけじゃなかったのか。
アイツっ、昨日はそう言ったのに、!
僕は。
僕の秘密は一つだけ
誰にも言えない、言いたくない恥ずかしい秘密がある。
それを夫はベットで暴いた。
豪華すぎる馬車で迎えに来てその日の内に結婚の届を出して、部屋を充てがわれたと言うのにこの男は待った。
僕が慣れるのに3ヶ月も待った忍耐のある男だと思ったのに。
誰にも内緒の秘密だと言ったのに。
ベットだけの秘密だと思ったのにっ、!!
「ディーは恥ずかしがり屋さんだね。」
「とっても可愛い。」
「でも可愛いから僕との秘密にしようね、良いでしょディー?」
熱く甘く蕩けた身体を穿ちながら、耳に吹き込むようにして囁かれた。
僕は、喘ぐ合間に何度も頷いて身体を震わせた。
僕は、
好きな人に甘えたい。
僕は、
好きな人にはとことん甘い。
それが例え頓珍漢であっても。
これは。
これだけは絶対に
僕と僕の夫だけの秘密。
僕をディーと呼ばせるのは、二人きりの時だけにしよう。
これは絶対だ。
ここに来てもう3ヶ月が過ぎた。
少し広過ぎる家に僕らはたった二人で住んでいる。
一応、僕が越して来る時に使用人の一人や二人必要かも知れない、と考えはしたそうだ。
けれど、僕の夫はそもそもが少しおかしい。
家に君以外の他人がいると寛げない、だとか。
君に僕以外の召使いは要らない、だとか。
君の肌を見て良いのは僕だけで良いとか言う。
挙げればキリがない程に、頭がおかしい頓珍漢だ。
例えば、初めて身体を合わせた朝、僕が自分で起床し身支度を済ませて紅茶を飲んでいるのを見つけた時、ダイニングで膝を着いて小一時間嘆き通していた。
「私の…楽しみが、“初めての後に訪れる朝の照れた微笑み”が見たかったのに…っ、くぅう無情だ!」
そら見たことか、と思う。
前の晩はカッコよくても常がこれなのだ。
「それよりお腹すいた。」
「良いよ、どこに行こうか。」
この男、基本自炊しない。
僕の世話係は要らないと行った手前、料理人は雇っているのかと思ったらそうじゃ無いらしい。
毎朝決まったカフェで、モーニングを食べていたらしいが、結婚を機に色んな店のモーニングを巡るようになった。
「まだ慣れない?」
「場違いな所に住んでる気がして肩身が狭い。」
この国も変わってる。
国政を行う建物の敷地に、そこで働く者たち全ての家を設けてある。
勿論、独身寮が有って、個人宅がある。
大統領や大統領補佐官、以下大臣などが個人宅に住んでおり、僕たちもその敷地の一端に住まいを借りている。
借りているとは言っても家賃は無い。
免除されているらしい。
リフォームも可能だと言うが、やる人は殆ど居ないそう。
「そんな暇が有ったら皆、寝てるだろうね。」
「随分、ぐうたらなんだな。」
この国の人は、休みの日は一日寝て過ごすのかと思ったがどうやら違うらしい。
「公園にベンチが有るでしょ。」
「うん。」
「家に辿り着けずにあそこで寝てる人を、何回も見たことあるよ、私。」
「... ... 敷地内に家があるのに!?」
「そう。あと1ブロックが遠いんだよ。というかシャワールームも仮眠室も有るから、むしろ帰る方が億劫になるんだろうね。」
「い、忙しいんだなこの国は。」
「僕の事も心配してくれてるの?」
ひょい、と顔を覗き込んできた夫はニコニコ笑っている。
何がそんなに嬉しいのか。
でも、昨日の今日だから当たり前か。
ーーーベットがあんなに軋むなんて、知らなかった。
「どうしたの?行こう、ユディール君。」
爽やかに笑ってさりげなく手を引く。
…そういうのははっきり言って、嫌いじゃない。
連れて来てくれたのは、ホテルでもカフェでもない。
素朴な造りのお店。
ガラス張りの店は外からでも分かる様に、棚一杯にぎっしりと商品が並んでいる。
焼き立ての香ばしい匂いまで漂っている。
「凄い。美味しそう」
僕はガラスに張り付きそうな程、パンを見ていた。
実は好物なんだ。
食パン、ブリオーシュ、パン・オ・ショコラ、まだまだ沢山のパンが有る。
「気に入ったみたいだね。どれにしようか。」
彼は実にスマートに僕をエスコートした。
何一つ不快になる事も、不安になることも無く、欲しいものを欲しいと言うと心得た様に美しい造形のパンを取り上げてくれる。
どれも美味しそうで、ふかふかで美しい。
つい多めに頼んでしまった。
やっぱり止めようか、と悩んでいても夫がどんどん選んでいくのだから止めるわけにもいかなくなった。
そうしてあれもこれもと欲張る僕を、夫は少しも諌めたりしなかった。
ただ楽しそうに会計を済ませ、どれから食べようかと聞いてくる。
繋いだ手はそのままに、僕たちは良い匂いのするパンを下げて家に帰った。
案の定、朝食だけじゃ食べきれないパンが幾つかテーブルに残ってしまった。
お昼に食べればいいよ、と何でも無い事の様に言う。
「そんな事、」
マナー違反だ。
僕はハッとした。
必要なものは必要な分だけ、不容易に有してはいけない。
欲張って得るのは“はしたない”と言われる行為。、
実家では、パンが余ることなんてなかった。
家族の誰かが食べるので安心して好きなだけ食べられた。
でも今はどうしよう。
夫は事もなげに言うが、どの程度までの無作法なら許されるのだろうか。
もう夫なのだからこの程度なら。嫌われないだろうか。
一昨日のサンドイッチはナイフとフォークを用意されたから、一応使わせて貰った。
本当は手で食べても良かったんだけど、マナーだけは完璧にこなして悪い事は無い筈だ。
だが、こんな体たらくでこれからは...今はどうすれば良い。
思い悩む僕の耳に、
ふと、クスクス笑う声が聞こえた。
「良いんだよ。君の好きな様にして見せて欲しいな。」
本当に美味しくて自分でも食べ切れると思ったんだ。
選んでる間も楽しかったし。
だから、誓って僕は今まで絶対に食事を残したりしなかったのに。
「良いの?」
「良いよ。またお昼に食べようね。」
至極当たり前のように、言う。
でもそれが今は少し怖い。
僕は僕だけが異文化に放り込まれたように感じた。
未知の世界に落ちた様な。
僕だけが異常なのか、と錯覚する世界。
押し黙る僕に、察した夫が言う。
「そうだね。貴族はそういうのを気にするようだけど、僕はただの公務員だよ。気にしないさ。それより君がパンを頬張る姿が昼にも見れるなんて最高に嬉しいよ。また口いっぱいに食べて目をキラキラさせてくれるんだから、夜にも食べて欲しいくらいだし、何なら仕事終わりに帰宅する僕を君が出迎えてくれてそのまま、また二人でパン屋に行っても良いくらいだよ。」
「… … …。」
獣人の国の神よ、答えて欲しい。
これが僕の夫で本当に間違いないのだろうか。
僕のマナー違反の悩みは呆気なく無惨してしまった。
僕の夫は頓珍漢だ。
この程度のマナー違反、気にする男じゃ無かった。
朝食を済ませ、少ししてから夫は身支度を済ませ警察庁という庁舎へと出勤していく。
庁舎は家の前の道をまっすぐ行って、8つ目の角を右へ曲がると見えて来る。
敷地内に職場が有るのは覚えやすくて良い。
警察というのは衛兵の様な組織で、国中に小さな詰め所が敷いてあり、その一番上の"警察庁長官"という御役目をいただいているのがマルロイ・コールマンであって。
間違いなく僕の夫だ。
ヨレヨレのシャツ、デレデレの顔をした夫でも、玄関を出る時だけは違う人のように見える。
ピシッとした襟と、強靭そうな軍服がそうさせるのか。
「カッコ良い?」
ニッと笑うその唇にすら見惚れてしまう。
「良いからっ、遅刻したらどうするんだよ。」
「うん。行って来るねディー。」
「な…っ、!」
「じゃあ、お昼はパンを温めてたべるんだよ。」
「分かったからっ、早く行け!」
顔が熱い。
耳と、首もだ。くそーーーっ。
その“呼び方”はベットの時だけじゃなかったのか。
アイツっ、昨日はそう言ったのに、!
僕は。
僕の秘密は一つだけ
誰にも言えない、言いたくない恥ずかしい秘密がある。
それを夫はベットで暴いた。
豪華すぎる馬車で迎えに来てその日の内に結婚の届を出して、部屋を充てがわれたと言うのにこの男は待った。
僕が慣れるのに3ヶ月も待った忍耐のある男だと思ったのに。
誰にも内緒の秘密だと言ったのに。
ベットだけの秘密だと思ったのにっ、!!
「ディーは恥ずかしがり屋さんだね。」
「とっても可愛い。」
「でも可愛いから僕との秘密にしようね、良いでしょディー?」
熱く甘く蕩けた身体を穿ちながら、耳に吹き込むようにして囁かれた。
僕は、喘ぐ合間に何度も頷いて身体を震わせた。
僕は、
好きな人に甘えたい。
僕は、
好きな人にはとことん甘い。
それが例え頓珍漢であっても。
これは。
これだけは絶対に
僕と僕の夫だけの秘密。
僕をディーと呼ばせるのは、二人きりの時だけにしよう。
これは絶対だ。
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