神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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将軍、神と対峙する。

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 ジェレマイアは軍務卿と共に、城の舞踏場の真ん中でぽっかりと口を開ける穴に飛び込んだ。どこまで降るか皆目見当つかないが、瘴気の蛇を辿るには落ちていく他ない。

 瘴気の蛇のぬめりを借りて、ふたりは直滑降の如くすべり降りる。不快感が込み上げるがただ落下して人間ひとが無事でいられるはずもない。

 やがてすり鉢状になった最下部まで辿り着くと、地下だと言うのに仄かに明るい。人工的に積み重ねられた石壁がぼんやりと光っていた。

「蓄光石だな」

 軍務卿は冷静に辺りを観察した。

 希少ではあるが、珍しくはない。火の気を嫌う粉問屋や花火師の工房などにもある。これだけの量を集められるのは、流石は王家と言うべきか。

「それにしても城の地下に、このような封印の祭壇があるとは⋯⋯」

「こんな禍々しいものの上で、夜会だなんだと楽しんでいたわけだな」

 位置的には舞踏場の真下である。

「それ以前に、城自体が暗黒神を封じる重石だなど、誰も知り得ませんでしたよ」

 影の一族は知っていたかもしれないが、上層のほんのひと握りだろう。一族全てが知っていたなら、長い年月の中、どこかで情報が漏れたのだろうから。

 瘴気の蛇がうぞうぞと蠢いて、ときどき蓄光石の光を反射する。心弱い者なら、気が触れてしまいそうだ。

 空間の中央に三メートルほどの真球状の大岩があり、それを囲う東西南北の四点に、装飾を施された鏡が内側を向いて設置されている。飾り紐は色褪せて台座も朽ちかけていることからも、随分古いものだとわかる。

「四精霊結界だな」

 鏡面の裏側に施された紋様は、位置的に北の鏡しか確認できないが、土の精霊紋が刻まれている。となれば、残る三方も水火風の精霊紋を用いた四精霊結界と見ていい。

 その四精霊結界の中心に据えられた大岩の上に、クシュナ王が素裸で腰を下ろしていた。立てた片膝に手のひらと頬を預け、気怠げに見下ろしている。瘴気の蛇はすべて剥がれ落ちて、薄っぺらい色白の肌が蓄光石の光を受けて、仄暗く光っている。

「陛下、まだ意識はあるかい?」

 軍務卿がぞんざいに尋ねた。槍の穂先はクシュナ王に向けられている。

『蠅がうるそうて適わぬな。我が褥にまで入り込みおって。まぁ、良い。あの忌々しい鳥どもも、ここまでは来れまいて。すぐに其方らを始末して、我が妃と戯れようぞ。ふはは、妃のぬかるんだ花洞が楽しみでならぬわ』

「ケーニヒ卿、陛下の意識は殆どありません。もはや、人間ひとにあらず。斟酌しんしゃくは致しませぬ」

 クシュ王、否、暗黒神の言う妃は、ジェレマイアの妻、アリスレアのことを指す。ユレ神の百番の生まれ変わりの身体は、ユレ神を産み直して、女神の憑座に相応しい格を得た。

 母たる女神エレイアに横恋慕する暗黒神は、王族の肉体にくに寄生した上で、アリスレアの身体を使って女神と目合まぐわろうとしている。

 アリスレアはジェレマイアの最愛である。到底許せるものではない。抜き身の神剣がジェレマイアの怒りに呼応する様に、赤く輝いた。双子神の瞳の攻撃色と同じ輝きは、かの二柱ふたはしらの神々の意思をも汲み取って、暗黒神を屠ろうと暴れている。

『神に逆らう愚か者よ。魂すら暗黒に溶けてしまうが良い』

 大岩の下から真っ黒い瘴気が噴き出して、少しばかりおとなしくしていた瘴気の蛇が、肥え太っていく。おぞましく気色の悪い光景を見ながら、ジェレマイアは腰を落として膂力を溜めた。

 瘴気は絡み合って形を変え、ひとつ尾に九つの頭を持つ怪物になった。九つの頭はそれぞれが勝手に動き回り、ジェレマイアと軍務卿に襲いかかった。

『ふははははははッ。蠅どもよ、潰れてしまえ!』

 暗黒神の哄笑は不気味に響き渡り、抜けた天井からは崩れた煉瓦が絶えず落下してくる。神に挑むふたりの英雄は、九頭龍と瓦礫の両方に気を配らなければならなかった。

「身体が軽い!」

「ジェレマイア、イケるぞ!」

 どうと頭から突っ込んでくる瘴気を躱すと、思いがけず身が軽い。ジェレマイアは驚き、軍務卿は喜色を浮かべた。

「槍にだいぶ引っ張られてるな。後で身体がガタガタになりそうだなぁ。だが⋯⋯おもしれぇっ!」

 軍務卿は壁を蹴って跳躍すると、頭のひとつを脳天から突き刺した。大きな頭部がほろほろと解けて小蛇の群れになり、気化してやがて消えた。

 一方のジェレマイアはその場から一歩も動くことなく、次々と襲いかかる九つの頭を薙ぎ払い、切り落とした。やはり神剣に落とされた首は解けて小蛇になって、モヤになって消失する。

 いつもの愛剣では、解けるまではするが再び融合していた。しかし神剣は斬ったぶんだけ瘴気を浄化しているようだ。

「アリスを守護する双子の神に感謝しよう。私はこの手で名付けをされなかった昏き神を屠ることが出来る」

 たとえそれが、神殺しという大それたことだとしても、愛しいひとを狙う輩なら排除せねばならぬ。

『なんだ⋯⋯なんだ、その剣は! その槍は‼︎ あの忌々しい水よりも、我を蝕んで来よる! おのれ、人間ひとの子風情が神に逆らうか‼︎』

 再び瘴気が溢れ出してこごり、九頭龍の失われた頭部を修復して行く。ジェレマイアと軍務卿はそれをひたすら斬り続ける。ひとつしかない尾がのたうち、壁が崩れ、抜けた上階から瓦礫が降ってくる。いしずえがこれほど破壊されては、城の重さを支え切れるはずもない。

 ジェレマイアは無心で斬った。国境くにざかいで魔獣の仔を斬ったときのような憐憫はない。

 ジェレマイアと軍務卿にひたすら向かっていた九頭龍は、次第に形を保てなくなった。数百年かけて蓄えてきた瘴気を次々と浄化され、燃料切れになりつつあるのだろう。ふたりにも疲労が溜まっているが、暗黒神の燃料が切れるのとふたりが力尽きるのと、どちらが早いのだろうか。

『おのれ⋯⋯おのれ⋯⋯』

 大岩の上でクシュナ王の皮を被った暗黒神が、ギリギリと歯軋りをする。

人間ひとを侮るな!」

 ジェレマイアは再生に時間がかかっている九頭龍を飛び越えて、大岩の上へ駆け上がった。

 勢いをつけて下段から剣を振り上げる。

 暗黒神は瘴気の蛇に乗ってぬるりと躱した。

「次は外さぬ」

 神剣の赤い輝きが強まって、熱量が風を生む。ひたと暗黒神を見つめたジェレマイアは、腹の底から声を絞り出した。

『足りぬ。足りぬ、足りぬ、足りぬ‼︎ 贄を、贄を寄越せ! もっと寄越せーーーーッ‼︎』

「なに⁈」

 ジェレマイアと軍務卿を襲っていた瘴気の蛇が、一斉に上を目指して行く。どどと地響きを立てながら天井の穴から上へ上と伸びて行く。下から見上げると、竜巻のように渦を巻いている。

「畜生、餌を喰いに行きやがる‼︎」

「させぬ!」

『贄だ、贄だ、そうだ、我が妃の肉体にくに宿る絶望は美味であった。この身体の妃であったころの絶望を、再現してやれば良いのだ。目合まぐわいながら、絶望を啜ってやろうぞ!』

 消えてしまった百番目のアリスレアの絶望は、暗黒神の糧であったのか。暗黒神の言葉を聞いて、ジェレマイアは目の前が真っ赤になるのを自覚した。

 怒りと絶望が胸に宿る。

 この狂気に支配されるのは、暗黒神に糧を与えることにつながる。わかっていても、はらわたが煮え繰り返る。心臓が引き攣れるような痛みを感じて胸を押さえた。

 そこには。

 一本ずつでごめん。二本しかないんだ。

 そう言って渡された、硬いガラスの小瓶。ジェレマイアの最愛が、彼の身を案じて渡してくれたお守り聖水だった。

 我に返ると暗黒神と目があった。暗黒神は忌々しげに唇を歪めた。

『堕ちなんだか⋯⋯』

「妻の愛が引き戻してくれたよ」

『だが、それもここまでよ。我らの肉体にくの交わりを、見せつけてやろう!』

 どどうと轟音を響かせて、瘴気の蛇が降ってくる。乾涸びた人間ひとの骸と共に。

 そして。

「わぁあああぁぁあああぁあっ‼︎‼︎」

 ジェレマイアの愛しいひとも、叫び声を上げながら落ちてきたのだった。
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