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第一章 HUE
17 もやもや
しおりを挟む「ありがとうノアくん!相談聞いてくれて」
涙目で僕に相談…というか、マシンガンのようにズダダダダと、思いの丈をぶっ放し、いつも通り、そう感謝の言葉を言って、ミズキさんが帰って行った。
そう、あの日、エミル様を目の前に壁になろうと徹して以来、僕はこの三年で、すごく壁役が得意になった。
もう一度、言わせて欲しい。この三年で。
一年くらいの期間で、国王・セドリックに正攻法で迫られて結婚するなり、アルノルト騎士団長に奪われるように結婚するなり、エミル様と…いや、エミル様のエンドは見てないから、わからないのだが、とにかく、なんとかして、ゲーム内では、何かしらのピンク色なエンドを迎えるはずだったミズキさんから、実は、こうして毎週のように、恋愛相談をされているのである。三年間。
そう、三年間。
そうして、僕は「いつ終わんだよ」という心の闇をも抱え、ようやく悟った。
ミズキさんは、見た目は美少年なのだ。
おそらく、十八歳くらいの、いや、もう二十一歳くらいの。だが、僕しか知らないことだが、彼は、あのくたびれた会社員のおじさんなのである。
彼がどんな人生を歩んできたのかは、僕の知るところではない。一体、今までにどんな恋愛をして、どんなことに傷つき、どんなトラウマを抱え、あんなにくたびれていたのかも、僕の知るところではない。
が、これだけはわかる。
僕は、一年が過ぎたあたりから、ずっと、ずっとこれを毎日思っている。
(こじらせたアラフォーの身持ちの固さ…!)
年下(実質)との恋愛に踏み切れない、アラフォーの身持ちの固さ。
せっかく十八歳まで戻ったのだから、十八歳らしく、よくわからないが、パーリーして、エンジョイして、パラダイスしてくれよ、と、僕がどれだけ思っているか。
恥じらいながら、えっと、とか、うんと、とか、てれてれと、セドリックとのアレコレを報告してくるが、正直、とっとと結婚してくれ、と、僕はこの三年間ずっと思っている。
最近はもはや、壁役をやりながら、ミズキマシンガンで穴だらけになった胃が、キリキリと痛むのを感じている。
あれだけ毎日、あの手この手で攻められながら、というか、もはや、ほぼやることやってんのに、なぜ結婚に至らないのか。
そして思う。
(セドリックの粘着性!)
そう、恋愛経験がゼロにも関わらず、アラフォーの相談を聞き続けた僕には、多少の恋愛のアレコレがわかってきていた。その僕が思った。
きっと、セドリックは知っているのだ。
恋愛っていうのは、付き合う前が一番楽しいということを。自分の悪戯で翻弄される美少年を見て、にやにやと楽しんでいるに違いない。
それは構わない。
二人でそういうプレイを楽しんでくれているのは、本当に構わないのだ。ここが日本であるのなら、僕は、一瞥しただけで、関わらないように去ることができる。
が、しかし、聞いて欲しい。
(あなたたちの恋愛が、僕の心の闇に直結しているということを!)
僕は自室の机に、水を飲んでいたコップをドンッと置いた。そして、くっと眉間にしわを寄せながら、叫んだ。
「おい、ハッピーエンドっていうのは一体なんなんだ!結婚なのか!」
「三年付き合った彼氏に振られて、やけ酒しているアラサーのOLみたいだな」
そして、その僕の心の闇は、美味しく邪神に頂かれている。
以前、どうしてブラック企業やその辺の高校で闇を食べないのか、と考えていたことを、邪神に尋ねたのだ。そうしたら、邪神は最低最悪なことを、さらりと言ってのけた。
心の闇というのは、『絶望』とか『葛藤』とかである方が、好みの味らしい。
つまり、葛藤も絶望も入り乱れる僕の心の闇は、邪神にとって、一口で二度美味しい、いちごジャム入りのマシュマロのような存在なのである。
「まあ、今回の転移の場合は、神子の結婚だろうな」
そう、邪神がふわふわふよふよと浮かびながら、しっぽをふって、おかしそうに呟いた。
僕は「結婚…」と意識が遠のくのを感じた。
何故なら、この三年間、いちゃつきまくって、やることはやっているくせに、奴らは未だ恋人ですらないのだ。一体どういう状況だ。アラフォーになればわかる楽しみ方なのか、いや、セドリックは二十代なはずだ。僕も二十代後半に差し掛かれば、わかることなのか。
頼むから、中学生の頃のように、「好きだ」と言われて「YES」か「NO」しかないような、わかりやすい恋愛をして欲しい。
どうして人間は、年を重ねるごとに、プライドだとか、世間体だとか、遊び心だとか、駆け引きだとか、大人の嗜みだとか、よくわからないものをじゃんじゃか積み重ね、恋愛という存在をどんどこ難解なものにしていくのか。
僕は高校生だというのに、恋愛というものに希望が持てなくなるほど、現実を知った。そして、だから独身が増えているのかという、日本の人口変異にすらまでも、考えが及ぶほどに、よくわからない存在へと、なろうとしていた。
「ミズキさんが結婚した日に転移が可能になるっていうこと?」
「まあ、前回、勇者が魔王を倒した日に転移したからな。そういうことになる」
確かに、ゲームでも、勇者のエンドは魔王を倒した日に決まっていた。
邪神のいう『結末』というのは、ヤマダくんの恋愛的なエンドなのか、それとも、その世界を救ったというエンドなのか、よくわからなかった。
が、別にゲームのように本当に『エンド』がある訳ではなく、邪神判定なのだから、その辺は、邪神のさじ加減なのかもしれない。とにかく、結婚だと邪神がいうのだから、結婚なんだろう。
この国にとって、ミズキさんが必要なことは明確なのだから、最終的にセドリックは、ミズキさんと結婚する気に決まっている。ただ、結婚しないで遊んでいるだけなのだ。
(一体、あと何年かかるんだよ…)
僕は内心、盛大にため息をついた。
先ほども思ったことだが、いちごジャム入りのマシュマロのような、二度美味しい僕は、エミル様の実験とミミズという毎日の絶望も抱えているのだ。
なるほど、邪神が僕の側を離れないわけだった。
ちなみにもう1つ邪神が楽しみにしている、僕の逃亡計画であるが、エミル様に誕生日をお祝いしてもらってから、気持ち的に、非常に逃げ出しづらくなった。というか、そんな気が起きなくなった。
それでも、一年くらい経つと限界がきて、どうにか脱走しようとして、この三年の間に、もう二回試みたのだが、一体どうやって気がつくのか、エミル様はひょっこりと現れる。
乗合馬車で隣町までたどり着いたのが、最長記録で、そして、隣町に着いた途端、「おつかれさま」と言って、エミル様に迎えられた。怖い。エミル様の僕の把握っぷりは、まるで、子供がはじめておつかいに行く特番レベルで、僕は全てを把握されている。
←↓←↑→↓←↑→↓←↑→
「え!エミル様も三兄弟の末っ子なんですか」
僕は休憩時間に、セバスさんと一緒にお茶をしていた。
エミル様が、今日は珍しく、実家に顔を出すということで、エミル様の家族の話になったのだった。
セバスさんが言うには、エミル様は、幼い頃から魔法のレベルが強大で、神童と言われるほどの力の持ち主だったんだとか。家族がそれを喜んでいたのは、はじめの頃だけで、エミル様のレベルが異常だと気がついてからは、恐れるようになってしまったらしい。幼い頃から、セバスさんだけが、エミル様の近くにいたのだとか。
ゲーム内で、エミル様の過去が語られることはないが、あ、いや、エミル様ルートは攻略できていないので、もしかすると、後半語られるのかもしれないが、僕は、知らなかった。
僕はそんな生い立ちをしている人間に、もう一人心当たりがあった。
(ヒューも、エミル様も…)
「それで、あんなに人嫌いになられたんですか?」
「いえ、坊ちゃんは、おっと、エミル様は、昔からですね。ご家族のことが原因と思いきや、そうではないんですよ。ご家族のことですら、幼い頃から、あんまり信用していないように、見えましたね」
「そうだったんですか…」
幼い頃から、家族も信用できないというのは、一体どういう状況なんだろう、と僕は不思議に思った。
僕は自分の家族を思い出した。
羽里と同じで、ちょっと夢みがちな母親は、大らかで、いつもにこにこして、話を聞いてくれる。
スーパーの卵半額セールを逃したと言って、まっくろなもやを纏って、ものすごく落ちこむところと、後、庭で害虫が発生したときにバーサーカーの様に、「キシャアアア」と奇声を発し、飛び跳ねながら殺虫剤を噴射している以外は、大方、僕にも理解できる、ごくごく普通の優しい母だと思う。
仕事の都合で出張が多く、留守にしがちな父親だって、帰ってくれば、羽里にも僕にも優しいし、お土産だって買ってきてくれる。
ちょっとぼんやりしているところがあって、不安なところは、確かにある。
先日のお土産が、瓶詰めになった水玉模様の青いカエルと蛍光緑の蛇で、「男の子はこういうの好きでしょ?」と、ものすごく嬉しそうに渡されたので、にこにこしながら受け取ったが、「どこのアマゾンに行ってきたんだ」と、僕は思っていた。
以前も、ミニチュアのトーテムポールのような木彫りの人形を渡されて、「どこの先住民族の村に出張に行ってるんだ」と思ったこともある。仕方なく、本棚に飾っている。とにかく、ちょっとお土産のセンスが、常識の範疇を逸脱してしまってるくらいで、ごくごく普通の優しい父だと思う。
あとは、羽里だ。羽里だって、ちょっと面白おかしなところがあるけど、小さい頃から、兄を頼ってきてくれる姿は、かわいい妹だと思うのだ。
家族のことを思い出したら、僕は少し、寂しくなった。
羽里の持っている漫画や小説では、みんな、異世界に来たら冒険を楽しむけど、もちろん、冒険にわくわくしないこともないが、僕には全てを捨てるということが、やっぱり難しいな、と思ってしまう。ただ、異世界の大切な人たちのことも、本当に大切なのだ。
ヒューは、会いにきてくれると言っていたけど、ーーー
(エミル様も、遊びに来てくれるかな…)
と、考え、エミル様はご多忙だから難しいかな、と思って、余計に寂しくなった。
寂しい。
正直、ものすごく寂しい。
僕は異世界にいれば、家族を恋しがり、地球にいれば、ヒューたちを恋しがる。これから大切な人が増えていくたびに、僕はこうやって泣きそうになるんだろう。
セバスさんは、黙ってしまった僕を見ながらも、にこにこと続けた。
「でも、ノアくんが来てからは、楽しそうですね」
「え……や、やっぱり僕のことからかって、楽しんでますよね、エミル様」
「ほほほ、まあそれでもそうなんでしょうが、随分と丸くなられましたよ」
「……そうですか」
僕のおかげだなんて、自分で思えるほど、エミル様に貢献できているとは思えなかった。
それでも、セバスさんがそう言ってくれたことは、僕も少し、嬉しく思った。あんな、めちゃくちゃなエミル様だけど、本当のところは、恋する男の一人なのだ。いい人が見つかるなり、なんなりして、エミル様に新しい家族ができたらいいな、と僕は思った。それまで見守ることができれば、とも思った。だけど、ーーー多分。
(僕は、いなくなってしまうから…)
なんて薄情なんだろう。こんなによくしてもらっているというのに、ミミズ怖さに、脱走までして、僕は本当にだめな奴隷であった。この世界に、いつまでいるのかはわからないけど、いられる限りは、僕はちゃんとお支えしよう、と、心を入れ替えた。
それを見ていたセバスさんが言った。
「本当は、ずっとそばにいてあげて欲しいと思うのですが、なんだか、だめな雰囲気ですね」
それを聞いて、僕は思った。
(エスパーなの?!)
人間は年を重ねると、何か人の心が手にとるようにわかるみたいな、そんな能力が備わるのか、と、僕は固まった。以前、エミル様の恋愛相談を受けた際に、セバスさんは酸いも甘いも知っていそうだ、と思ったことを思い出した。だが、これは、酸いも甘いもどころではない。
(セバスさんは、す、全てを知っているのかもしれない…)
僕は雷に打たれたような人みたいな顔になった。
そして、そんな面白おかしな顔で固まっているというのに、僕は気の利いた返しの一つも思い浮かばなかった。だが、もしも、セバスさんがエスパーなのだとしたら、この、なんと言っていいかわからない複雑な気持ちを、そのまま読んで欲しい、と、僕は思った。
だが、それはただの甘えであった。
僕は言った。
「僕はエミル様が大好きです。できる限りのことは、したい、です」
「はい。きっとエミル様も、ノアくんのそういうところを、ちゃんとご存知ですよ」
それを聞いて、僕はエミル様のことを思い出しながら、考えてみた。
エミル様は、なぜか僕が食べたいと思っていた水色のドーナツを渡してきた。そこから始まり、ミミズが嫌いだと知っていたかのような態度で、僕をからかってきたり、さらには、星が好きなことも、逃亡計画さえも、全てを知っているかのような態度であったことに、気がついた。
まさか…と、僕は身構えた。
(エミル様もエスパーなの?!)
ここはもしかして、エスパーだけが住んでいる屋敷なのか…と思い、僕はさらに思い至った。料理人のエンリケも、僕がお腹をすかせているときに、さっとドーナツを出してくることを思い出したのだ。
(エンリケも?!)
三人のエスパーに囲まれて生活していたのか!と、考えて、僕は力なく首をふった。本当は、そんなことないって、ちゃんとわかっていた。
僕はただ、この途方もない寂しさから、逃れたいだけだった。
僕だって、エミル様と一緒にいられるのなら、一緒にいたかった。僕が何の役に立つのかは、わからない。それでも、エミル様の気が紛れるのなら、僕は側にいたかった。
僕には大切な人が多すぎた。
それはとても幸せなことで、すごく幸せなことであったけれども、その幸せを、どうそのままに享受できるかという術を、僕は知らなかった。
すっかり項垂れてしまった僕に、セバスさんが言った。
「大丈夫。エミル様は、変わられました。きっと、もう大丈夫ですよ」
僕は、セバスさんが慰めるように、そう優しくそう言ってくれるのを聞いて、泣きそうになった。
だけど、その時、帰ってきたエミル様が、僕を呼ぶ声が聞こえて、僕はぐぐっと、水っぽい目を拭うと、「おかえりなさいませ!」と、元気に言いながら、かけて行った。
走りながらも、僕の心の中はぐちゃぐちゃで、さぞかし邪神が喜んでいることだろうな、と、思った。
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