空を泳ぐ夢鯨と僕らの夢

佐武ろく

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雨、嵐、雷

雨、嵐、雷24

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「――儂が絵を描き始めたのは中学の時だった」

 するとおじいちゃんは再び欄干へ腕を乗せては体を凭れさせ、そう話を始めた。

「たまたま兄に連れて行ってもらった美術館で初めて絵画を見たのがきっかけだ。フィンセント・ファン・ゴッホの星月夜。中でも儂はその絵に心奪われその日の内だけで何度も見たのを今でも覚えてる」

 実際に見たことはないけど頭に思い出せるぐらいには知ってる絵だ。でもおじいちゃんの表情を見れば俺が思う以上にその絵は凄かったんだろう。

「最初は見るのが好きでな。それからもよく一人で美術館に行ったもんだ。それから段々と自分でも絵を描くようになった。高校に入ると儂は迷わず美術部に入部し毎日、放課後に絵を描くのが楽しみで仕方なかった。もちろん勉強も怠らずな」

 その付け足したような言葉は割と勉強をサボりがちな俺の胸に意外と鋭く刺さった。

「だが儂は全く絵が上手くなったんだ。昔から成績はそれなりに良かったが、美術だけは低くてな。美術部でも一番下手で、『お前に他は敵わないけど絵だけは負ける気がしない』なんて友人によく言われたもんだ」
「それってその部の人たちが上手かっただけじゃないの?」

 実際におじいちゃんの絵を見て感動した俺にとってそれは俄には信じがたい言葉だった。

「もちろん当時の儂からすれば上手かったが、美術部じゃない友人でも儂より上手い人はいたからな。儂がそれだけ下手だっただけだ」

 若干の嫌味を込めてしまった『そういう人達』におじいちゃんも含めてたつもりだったけど、意外にもそうじゃないことに俺は内心で一驚としていた。

「だが、それでも儂は続けた。大学に進み就職してからもずっと絵は描き続けた。何故だか分かるか?」

 おじいちゃんは顔を俺へ向けるとそんな質問をひとつ。

「上手くなりたかったから?」
「それももちろんあるが――それよりも描くのが楽しくて堪らなかったからだ。儂もコンクールに応募したことはある。だがコンクールも絵の上達も結果が出ない時間なんてもんは山ほどあった。いや、最初の頃はずっと結果なんてものは無かった。それでも止めなかったのは、描くのが好きで仕方なかったからだ」

 するとおじいちゃんは立てた人差し指を俺へ向けた。

「だがコンクールという競争の場に出てお前さんは如何に一番になるかばかりを考えてたんじゃないのか?」

 それは嘘でも否定できない程に図星を突いた指摘だった。
 俺はコンクールに応募し始めてから(厳密には最初のコンクールで惨敗してからだ)次のコンクールではどうしたら賞を取れるかを考え始めた。どんなモノを描けばいいか、どんな風に描けばいいか。段々とコンクールの為に――言ってしまえば審査員の為に、審査員にうけるにはどうしたらいいかばかりを考えるようになっていた。
 それまではよく外に行っては絵の題材を探してたけど、そう考えるようになってからは一日中、頭はそればっか。空を見上げることも無くなり、水溜まりの向こうの世界を覗くことも無くなった。
 それ程までにコンクールの事ばかり考えていた。なのに結果は変わらず。それで、どこか頑張りが否定されたようなそんな気持ちになったのをよく覚えてる。

「結果に囚われすぎだ」

 何も言えずにいた言外の答えにおじいちゃんは一言そういった。でもそれは呆れたようでも説教じみてる訳でも無く――ただ優しく俺を包み込むような声だった。

「確かに数字や順位は視覚的に成長を感じさせてくれる。だが、それに執着しては駄目だ。それを目的にしては駄目だ。あくまでもそれは単なる目標にすぎん。常にそれを始めた頃を――子どもの頃を忘れてはいかん。いつだって原動力はそこにあるのだからな。お前さんも最初は別に画家になる為に絵を描き始めた訳じゃないだろ? 好きで描いているうちに画家になりという夢が出来た。もしくは儂のように憧れからだな。憧憬や好きなどという気持ちがあり、そこから夢が生まれる。ただ楽しいから、最初は単純明快な理由しかなかったはずだ。だが夢を見始めると、段々とそればかりに気を取られてしまう。もちろんそれはより高みを目指す良い事だ。だがその所為で原点を見失っては駄目だ。あくまでも主軸は自分がいかに楽しむか」

 確かにそれはさっきの指摘と同じくらい否定できない言葉だ。
 でも反論って言うほどじゃないけど、俺は言わずにはいられなかった。脳裏で颯汰さんの事を思い出しながらそう訊かずにはいられなかった。

「でも夢を追うんなら楽しいだけっていうのは無理なんじゃない?」
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