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第2.5話 間章

オレはなんにも分かってなかった【藤方広平の場合】 その2

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 その子に初めて会った時のことは、今でもよく覚えている。


 あの頃オレ達はまだ二十五とかそこらだった。ようやく社会人である自分に慣れてきた頃。
 その年、征哉はお姉さんを亡くしていた。事故で、旦那さんも一緒に亡くなったのだと聞いた。


 葬儀には、オレも行った。直接口をきく機会はなかったけど、遠目に見た征哉は、当然のことだがひどく沈痛な表情をしていた。
 かける言葉なんて持っていなかったから、話しかける機会がなかったのは、それで良かったと思った。不用意なことを口にしてしまうくらいなら、黙っておきたい。
 ただ、少し時間を置いたら、いつもみたいに飲みに誘おうかと思った。励ましたいとかそういうご大層なことは考えていなかったけど、気分転換ぐらいにはなればいいと思った。
 無理矢理は良くないけど、誘って出て来てくれるなら、そうしたい。それくらいのことなら、きっとオレにでもできる。


 姉弟仲は良いと聞いていた。お姉さんは既に結婚していて、征哉も家を出ているからそう顔を合わせることもないようだけど、たまに聞く昔のエピソードも仲の良さを窺わせた。
 オレと征哉も十年近い付き合いだから、お互いのことはそこそこ知っている。



 訃報から二か月くらい経った頃、いつものように連絡をしてみた。


“最近忙しいか? 時間合うなら週末飲みに行こう”


 でも帰って来たのは断りのメール。


“悪い。バタバタしててちょっと時間が取れそうにない”


 本当に忙しいのかもしれないし、やはりまだそんな気になれないのかもしれない。もうしばらく様子を見てから連絡をしてみようと思った。そのうちに、征哉の方から連絡が来るかもしれない。



 けれどそうこうしている内に、また二か月程の時間が過ぎた。向こうから連絡はなかった。


 前回と同じような感じで、もう一度飲みに誘ってみた。
 けれど、征哉からはまたもお断りのメールが来た。


“連続で断ったりして悪いが、暫く無理そうだ。余裕が出て来たらこっちから連絡する”


 余裕。
 余裕とは何の余裕だろう。時間の余裕か? それとも心の?


 だけど余裕がないと言っている相手にあれこれ聞いて時間を取らせてしまうのも気が引ける。オレはこの時も、もう少し様子を見ようと引き下がった。



 けれど半年を過ぎた頃、さすがに心配になってきた。
 征哉からは一向に連絡が来ない。このままでは一生来ないのではと思うほどだった。そんな不義理なヤツではないのだけど、だからこそこの音信不通っぷりが気がかりだった。


 事故だったのだ。急なことだった。死に目にも会えなかったのだ。
 加害者の方もまたその事故で命を落としており、刑罰とか責任とかそういうことを要求する相手もいない。
 消化しきれない感情があるだろう。向こうの遺族とのやり取りだってあるだろうし、その複雑さは計り知れない。


 ――――生活が荒れていたりしないだろうか。大丈夫だろか。


 オレの知る征哉はとても理性的でしっかりしたヤツだけど、同時に情に厚くて優しいのだ。
 精神的に参っているのかもしれない。


「様子、見に行くか……」
 ここは多少強引にでも状態を確認した方がいいかもしれない。
 そう思ったオレは、直接征哉が住むマンションに乗り込むことを決めた。


 酒と、デパ地下で美味しそうな惣菜を買い込んで装備を整えた。何度か訪れたことのあるマンションを目指す。
 土曜日の夕方。連絡をしたらまた断りを入れられそうな気がしたので、アポなし訪問だった。
「駄目だったら、ほら、家で一人で食べればいいし」
 多少寂しい感じにはなるだろうが、デパ地下の凝った惣菜ならきっとそういう気分を紛らわせてくれるだろう、うん。


 ピンポーン――――――――


 インターホンを押す。どうかな、と思ったが、数秒後には反応があった。


“はい”
“征哉?”
“……広平か?”


 短い単語が聞こえてきただけだが、声にはちゃんと張りがあった。最低限元気そうだと、それは分かる。


“おう、征哉。晩飯にしようぜ”


 だけど姿を見るまでは、安心できない。もしかしたらものすごくやつれているかもしれないし。


“――――――――”
 征哉からは沈黙だけが返された。そしてそのうちに、インターホンがふつりと切れる音がする。


 しまった、強引過ぎたか? ってか、こんな感じで、本当にまともに暮らしてるのか? 大丈夫か?


 自分の行動と相手の状況に俄かに不安が走る。けれど、数呼吸の間にカチャリと目の前のドアから鍵の開く音がした。


「征哉」
 ドアの向こうから覗いた半年ぶりの顔。
「急にごめん。でもなかなか顔合わす機会がなかったからさ」
「あぁ、そうだな。悪い……」
 半年ぶりに拝んだ顔は、ちゃんとよく知る顔だった。特別やつれているところもないし、変に痩せたりもしていない。
「デパ地下で色々買って来た。夕飯、まだだろ。酒もあるよ。明日は休みだろ? 久しぶりにゆっくり飲もう」
 けれどそう言うと、気まずそうな顔をされた。視線が不自然に泳ぐ。


「いや、それがな、広平」


 やはり急に押しかけて迷惑だっただろうか。人と話すような気分ではないのか。
 見た感じは大丈夫そうだけど、実は部屋がすんごく荒れてるとか。
 そんなことを想像してしまう。ひょいと征哉の肩越しに部屋の方へと首を向けると――――――――


「パパ…………?」



 オレの瞳に、幻が現れた。



「――――ん?」


 何だろう、気のせいだろうか。
 征哉の背後、廊下の向こうから、可愛い声が聞こえた。そしてその声に相応しい、えらく可愛らしい少女が顔を覗かせた。


 長めの黒髪をツインテールにした少女。
 子どもの年齢なんか、パッと見じゃよく分からない。でも、ランドセルを背負う年頃だろうということは想像できた。


「え……」
 幻覚。幻覚だよな。じゃなきゃおかしい。なんでオレと同じく独身貴族のはずの征哉の暮らす部屋に、こんな幼い女の子がいるんだ。


「香凛」


 なのに。幻覚のはずなのに、その幻覚に向かって征哉が声をかけた。


 何てことだ! 征哉にも見えてしまっている!


「パパ」
 少女は征哉に呼ばれてパタパタとこちらに寄って来る。そうして近くまで来たと思ったら、征哉の服の裾を握りながら、その背に半分姿を隠した。可愛い。
「…………おともだち?」
「そうだな」
 そして、その陰からおずおずと顔を覗かせ、小さくこちらに会釈する。


 少女が征哉と会話を成立させこちらと視線を合わせた辺りで、オレは自分が現実逃避をしていることに気が付き始めた。いや、逃避してることには初めから気付いていたけど、その逃避もここらが潮時だと観念することにした。


 この少女は、実在している。征哉の暮らすこの部屋に、ちゃんと実在している。認めます。


 ――――って待て待て、いやホント待って?


「広平、説明が遅くなって悪い。なかなかこっちも落ち着かなくてな」
 さっきも言ったが、征哉は独身だ。そのはずだ。間違いない。


 なのに、この少女はさっき何て言った? 征哉に何て呼びかけた?


「パ」
「?」


「パ、パパぁっ!?」


 いつのまに、こさえたんだ! オレにも秘密か!
 そんなまさか、征哉に隠し子がいたなんて、そんな!!




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