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第3話 2人はやっぱり分かってない
2人は分かってない【香凛社会人編】 その15
しおりを挟む状況が好転することはなかった。
毎日毎日何かされる訳じゃない。そこまでじゃない。
でも、何かあるかも今日はあるかもと常に心が身構えてる状態は、なかなかに消耗する。
向こうは、私のことを気が弱くて主張のできないヤツだと思っているのかもしれなかった。相変わらず時折他のメンバーもいるからと飲みに誘われることもあって、正直段々とお断りの理由を探すのも辛くなってきた。
だけどそもそもその飲み会も、この間みたいに嘘が混じった話なんじゃないかと疑っている。永田先輩にも確認したのだけど、高山さんと個人的に飲みに行ったことはないんだそうだ。だから、一番最初に声をかけられた時の話は、存分に嘘を含んでいたのだ。その事実が怖い。
帰りの時間が被ることもある。被されているんじゃないかとさえ思う。
声をかけられたら、駅まで一緒に行かなくちゃいけない空気になるのが嫌だ。パーソナルスペースがいやに近いのもしんどい。
乗る電車の方向が反対なことは不幸中の幸いだし、時には買い物があるからと言って、駅の手前で別れることもあるけど、でも常に警戒心マックスで過ごさないといけないのが辛くなってきていた。
もういっそ、例えば二人きりで飲みにいこうと誘ってくれないだろうか。
そうしたら、私も彼氏がいると言ってはっきりお断りできるのに。
会社に行きたくない。でも、行かなくちゃ。
だから最近毎日憂鬱な気持ちで一日中過ごしている。
言い難くても何かあれば言ってと、明日香は言った。私が明日香の立場でも、同じように言っただろう。抱え込むのが一番良くないと。
一般論としてはよく分かる。でも、実際自分がその立場になったら、とてもじゃないがそうおいそれと口にはできなかった。
それに話して、明日香が力になってくれたとして、その明日香にも累が及んだら?
明日香が新たな標的にされる可能性だって十分にある。そんなの駄目だ。
征哉さんとも、相変わらずあまり顔を合わせていない。
きちんと二人の時間が欲しいという気持ちと同時に、気取られたくないという思いもあるから、顔を合わせないこの状況は都合が良いのかもしれなかった。
「そうそう、クリーニング」
嫌な気持ちを追い出すように、私は今やらなくちゃいけないことを口に出してみる。
明日出しに行くつもりだから、何かあれば一緒に持って行くよと征哉さんにも伝えてあった。
クローゼットの右端に分けて掛けてあるものを頼むとメッセージが入っていたから、扉を開けて中を覗く。
ちなみに征哉さんは今日から一週間、海外出張だ。しばらくはほんの僅かな時間でも顔を合わせることすら叶わない。
「これかな」
右端に、他と分けるように隙間を空けて掛けられているスーツがあった。
「よいしょ」
用意していた紙袋に移そうと、手に取った。
その瞬間――――
「ん?」
二の腕の辺りに付いた、キラキラとしたものが目についた。
「これ……」
その部分を手に取って、顔を寄せてまじまじと眺めてみる。
「ラメ……それに」
薄っすらと肌色も付着している。
「ファンデーション」
に思えた。粒子の細かいラメの方はアイシャドウかあるいはチークとか。
え、どうして征哉さんのスーツにこんなものがついてるの?
ドキリと胸が嫌な音を立てた。
瞬時に悪い考えが頭の中染みわたっていく。
え、うそ、何、まさか――――――――浮気?
いやいやまさか、そんなまさか。あり得ない。そんなことする人じゃない。
でも、心の内で悪魔が囁く。
この世に絶対なんてないと。こんな場所に付くなんて、腕を組んだ相手が頬を寄せたようにしか思えないと。
「いやいや、待って待って、憶測は、良くない」
そりゃまたここ最近はすれ違いが多いけど。でも、それは仕事が忙しいからだし。
私達はお互いを大切にできてる。そのはずだ。
顔を合わせる時間は少ないかもだけど、その代わりにこまめに連絡はくれる。用意しておいたご飯が美味しかったとか、お土産机の上に置いてるからおやつにとか、出張先からだって風邪引いてないかとか。
ちゃんと気にかけてくれてる。
「そうだよ、ほら、満員電車でよろめいた女性とぶつかっちゃったとかそういうの、あるある」
大体、この手の不安は何度目だろう。
私が征哉さんに思わず秘めていた思いを吐露してしまった時も、知らない香りがしたからだったし、そもそも恋心を自覚するきっかけの一つになったのも同じような理由だった。
それぞれの真相がどうだったのかなんて知らないけれど、私はちょっと気にし過ぎだ。
「過剰反応し過ぎなんじゃない?」
他の人から見たら、それほど気にすることでもないのかも。
ほら、好きな人のことって、細かなことでも気になってしまう。人より大袈裟に受け取ってしまう。普段と少し違うところがあったら、多分必要以上に反応してしまう。それだけのこと。
「神経質になり過ぎだよ、そう」
今は会社の方にも問題があって、精神的に余裕がないのだ。だから、悪い方にばかり頭が回るのだ。
浮気なんてしない。そんな人じゃない。私が誰より知ってる。
でも、本当に? 慢心じゃないの?
なのにまた悪魔が囁く。
本当は少しずつ心が離れてる可能性はない?
自分はそうじゃなくても、向こうは飽きてきてるのかもよ?
優しいのは、手を出してはいけない相手に手を出した罪悪感から、別れるって選択肢を持てていないだけじゃ?
だって彼は責任感の強い人だから。
「大丈夫、大丈夫」
この間は誘いに乗ってくれたけど、それも趣向を凝らしたのがたまたま効いただけじゃない?
だって思い返してみて。ここ最近のやり取り、数年前のやり取りと変わらないじゃない。
パパと娘だった頃と、何にも。
そう言えば、会いたいとか寂しいとか、そんなこと言われたことないよね。
ご飯食べたかとか、体調は大丈夫かとか、そんなのばっかり。
心配ばっかり。気にされてばっかり。娘として、庇護対象だった頃と全く同じやり取りだよ?
本当に、大丈夫? 同情されてるだけじゃない?
「違う違う違う」
浮気じゃないかもね。
でも例えば、女の人がいるお店に行ったりとか、してないって言い切れる?
接待とか、男同士の付き合いとか、絶対にないって言い切れる?
「仕事の延長なら、仕方がない。本当は嫌だけど、断れないのもきっとあるもん」
仕方ないかもね。うん、仕方ない。
でもそういうのがきっかけで、相手がよそに目を向けちゃうこともあるかも。
若さだけが売りの、子どもっぽさと紙一重の自分より、もっといい人見つけちゃうかも。
でもそれも仕方ないよね。だってリスクはお互い様だもん。
付き合うって、そういうことでしょう?
恋愛に絶対の保証なんてないし。
「考えない」
濁流のように押し寄せる自分自身の声に無理矢理蓋をする。
いくらなんでも悪く考え過ぎだ。暴走し過ぎだ。こういうのは良くない。
思考を押し込めるのに勢いを突けるように、スーツを勢いよく紙袋に詰め込む。
坂を転げ始めたら、不安はもう止められなくなってしまう。気分が沈みがちな時は、どうしても引っ張られてしまうのだ。
だから、もう考えない。考えない。
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