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第62話 恋愛経験値ゼロの男、手練れのナンパ男の手中に落ちる 

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 男の呼び名は仮にAとしておこう。Aは緊張している俺に絶妙な距離を取りながら、当たり障りのない話をしてきた。そうしているうちに俺も気持ちが楽になり、スムーズに言葉を交わせるようになった。もちろん花壇用の『被り物』を装備しての対応だけどな。
 会話が進むにつれて水割りの味もわかるようになり、気分良く酔えてきた。店のルールに従い、互いのプライベートな部分は明かさないが、Aの言葉の端々から、大手の金融機関に勤めているようだった。
 俺はこの通り、技術者だ。毎日、作業服姿で泥にまみれ、建設資材に囲まれて働いている。もちろん誇りに思っているけどな。で、そのせいか、自分とは対極の世界にいるであろう背広組のAが妙に新鮮に見えたんだ。ものめずらしさってやつだろうな。
 同時に、何かの拍子で互いの膝と膝とがかすかに触れあう瞬間、疼きにも似た甘い痺れが全身を駆け巡る。
 今思えば、あれはAが意図的にしていたんだ。何もかも見抜いたうえでな。俺が初めてゲイバーに来ていることも、誰とも付き合った経験がないのも瞬時に鋭く察知してナンパしてきたんだ。なかなかの手練れだよ。そうでなければあんなに自然に話しかけてきて、しかも偶然を装ったボディータッチなんかできるはずがない。
 しかし、恋愛経験値ゼロの当時の俺には知る由もない。初めての体験が怒濤のごとく押し寄せて、ただ圧倒されるばかり。驚愕と興奮と官能、そして未知の世界に翻弄されてしまった俺の心は、Aにあっという間に引き寄せられた。
 こうして、状況を冷静に把握する余裕もないまま、唐突にAと付き合う流れとなった。
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