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第66話  優雅なデートは腹が減る

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 本を斜め読みした程度の薄っぺらな情報で肥大させた被り物に、Aは大満足とは言い難いものの、ある程度は喜んでいるようだった。
 その証拠に、Aの知り合いが集う高級クラブへ俺を連れて行ったり、ホテルの喫茶室やカフェでは人目につくような歩道に面した席へ座る。
 俺は努力が報われてとてもうれしかった。
人前に出しても恥ずかしくない『連れ』に昇格したからだ。
 けれどその間、一瞬たりとも気は抜けない。体は常時、背筋を真っ直ぐにキープ。仕草を優雅に見せるため、手足の指先にまで神経を行き渡らせる。頭の中はテーブルマナーや会話の作法でフル回転といった具合に。
 だから自分が食べたいものではなく、綺麗に品良く飲食ができるメニューを選ばなければならない。
 結果、腹の足しにもならないものをオーダーし、緊張しながら口に運んでは咀嚼するのみ。味なんか全然わからない。コーヒーも香りすら感じない。ただの茶色いお湯である。
 なので当然、デートの途中で猛烈に腹がへる。日々、工事現場を忙しく動き回る俺は三食をガッツリ食べるのが基本。胃袋は激しく食べ物を要求する。
 しかしAはデートの最中、コンビニやスーパーマーケットに寄るのをとても嫌う。磨き上げられた高級車の中で飲み食いするのも厳禁だ。
 なので凄まじい空腹に耐えながらスマートに振る舞うという、拷問のようなデートとなる。
 こうしてようやく逢瀬が終わり、自分の部屋へ戻った時には疲労困憊。這うようにして台所へ行き、戸棚を開け、買い置きしていたクラッカーや、ビールのつまみにと用意していたスナック菓子を手当たり次第にがっついて食う。
 そこでちょっとばかり落ち着いたら、床に脱ぎ散らかしていたシャツとジーンズに着替え、近所のラーメン屋へ行く。
 あつあつのチャーシューメンを豪快にすすり、肉汁たっぷりの餃子に舌鼓を打つ。店の隅に置かれたテレビのバラエティー番組を楽しみ、本棚に並ぶ数年前に流行った漫画や半年前の週刊誌をのんびりとめくる――Aといる時にできなかったことを存分にするんだ。
 こんな馬鹿げたことを幾度繰り返しても、あの頃の俺は少しも疑問に思わなかった。
 Aに嫌われることが何よりも恐ろしかったからだ。Aに捨てられたら自分の人生は終わってしまうと、ひどく怯えていたからだ。
 けどな、その『人生の終わり』ってやつは、あっさりと来たんだ。
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