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アルキュミア訪問

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 アーサーは朝から落ち着かない様子で廊下を端から端まで歩き続けている。もう何往復したかわからないが、疲れは微塵も感じず、かれこれ三十分はこうしている。

「馬車が事故に遭ったということはないだろうか?」
「そういう報告はありませんね」
「心配だな……」

 ニ十分前までは『落ち着いてはいかがですか?』とか『到着されましたら知らせに来ます』と言っていたハンネスも既に呆れた様子で、声をかけるのもやめた。
 マリーのことになると周りが見えなくなる盲目状態の主に何を言おうと右から左で返事さえ返ってこなくなる。そんな人間を相手にし続けるほどハンネスはお人好しでもなければ暇でもない。使用人達に指示を出したり確認し回らなければならないことが多い。
 廊下から門が見えるため廊下から離れない。
 一ヵ月前、夜に届いたマリーの手紙には『アルキュミアに訪問したいと思っています』と書かれていた。〝訪問したい〟と言葉を選んで書いてあったが、実際はマリーもアーサーと同じで会いたかったのだ。だがアーサーは忙しい。会いたいという手紙を書くしかできないことをもどかしがっていた。それを読むマリーも同じで、自分は暇なのだからと自分が動くことにしたのだろうとハンネスはマリーの判断を賢いと思った。
 女は男性に自分から会いに行ってはならない。淑女は奥ゆかしく待つだけ。それを打ち破るのは淑女のマナーには反するが、ハンネスはそれを間違いだとは思わなかった。会いたいなら会えばいい。そう思っている。
 当然のことかもしれないが『アーサー様の都合が良い日を教えてください』と書いてあった。いつ会いに行く、というものではなかった。
 相手がどういう立場にいて、どれほど忙しいのか理解している証拠であり、ちゃんと考えている証拠。
 アーサーは『明日にでも来てもらう!』と言っていたが、ハンネスが『仕事が溜まったままお招きするということは仕事をする間、彼女を一人にするということになりますが、よろしいのですね?』と脅したことで仕事が落ち着く一ヵ月後ということになった。
 それが今日。
 全ての仕事を終わらせて三日は時間を取れるとハンネスの許可を得たことでマリーに三日泊まるよう手紙を送った。

(泊まりというのは少し大胆だったかな? でも日帰りはさせられない。一泊というのも案内して終わってしまう気がするし、話したいことがたくさんある。三日でも少ないくらいなのに)

 本当はもうずっとここで暮らしてほしい。でもマリーにも都合がある。それは手紙にも書いてあった。傍にいたい。でも祖父母の傍にもいたいのだと。だからアーサーは一緒に来てもらってもかまわないと書いたのだが、祖父母がそれを拒んでいると書いてあった。だから結婚までは彼らの傍にいたいと。

(結婚したら傍にいられる。急かす必要はない)

 マリーのことを考えない日はない。名前を呼ばない日はない。それだけマリーを恋しがっているが、我慢することができないわけではない。会いに行こうと思えば馬車を飛ばせばいい。そうやって自分を楽にする。
 だが今日はその必要はない。妄想ではない、本物のマリーが来るのだから。

(僕の婚約者だ)

 想い人ではない。妻でもないが、婚約者。誰にでも胸を張って紹介できる関係。それだけでアーサーは嬉しかった。

「ご主人様、馬車が到着なさ──」
「マリーが来た! 出迎えてくる!」

 ハンネスの報告は必要ない。ビュンッと突風のように横を猛スピードで通り過ぎたアーサーに何度か目を瞬かせるが、ハンネスは笑ってしまう。まるで親戚から送られてくる誕生日のプレゼントを待っていた子供のよう。
 背筋を正したまま腰に手を回してゆっくりとした足取りで後を追った。

「僕、変なとこはないかな?」

 玄関のドアまで勢いを止めずに走ってきたアーサーはドア前でピタッと立ち止まり、開ける前にドアの傍に立っている使用人に乱れがないか確認してチェックしてもらう。大丈夫、完璧、マリーも惚れ直すと両手の親指を立てて褒める使用人達の言葉を信じ、深呼吸をしてから前を向いた。
 頑張れとエールを送るように笑顔を見せる使用人がドアを開けると晴れた空から降り注ぐ太陽の眩しさに目を細めるが、それでもハッキリ見える。馬車から降りてきたマリーの姿。

「マリー、よく来たね」

 本当は今すぐにでも駆け寄って抱きしめたい。抱きあげてクルクルと回ってもう一度抱きしめる。父親が娘にするような行動に出たい気持ちでいっぱいだが、親子でもない自分達がすることではなく、必死に余裕ある態度で歩いて寄っていく。

「アーサー様、お忙しいところ、ワガママを言ってしまい申し訳ありません」
「君が思うより大公は暇なんだよ」

 それがアーサーの優しい嘘であることはわかっているためマリーはそれを否定せず微笑むだけにしてカーテシーで改めて挨拶をした。

「長旅で疲れただろう? アルキュミアを案内する前に部屋に案内するから少し休もう」
「はい」
「あ、荷物を……」
「ゲストにそんなことさせられないよ。ここはアーネットじゃないから人に任せて」
「で、でも……」

 五年前までは使用人がいた生活をしていたが、それでも自分のことは自分でしていたのだろう。荷物を自分で運ぶと手を伸ばすマリーの手を握って中へとゆっくり進んでいく。

「おいで、マリー」

 笑顔で名前を呼ぶアーサーに眉を下げながら頷けば先へと進んでいく。
一歩一歩踏み占めるように足を進めるマリーは、結婚したら自分は彼と一緒にここで暮らすのだと思い、胸が甘く締め付けられる感覚に口元が柔らかく緩んでいく。

「素敵なお屋敷ですね」
「ありがとう。ここで暮らす想像はつく?」
「こんなすごいお屋敷で暮らす想像はまだ……」

 暮らすのだという想像はついても、自分がそこに馴染んで暮らしている想像はつかない。
 すれ違う前から立ち止まって笑顔で挨拶をしてくれる使用人の多さに驚いていた。一人二人と一瞬では数えられない。どこを見ても使用人がいる。
 五年前まで自分の家にも使用人がいたといえど数人。花瓶を磨いたり窓拭きをしたり買い物に行ったりとそれぐらい。ホリデーなどに暇を出したことで自分達のことは完全に自分達ですることになり、なんら問題なかったことから解雇とした。そして三人で暮らすのが当たり前となったマリーにとってこれだけの使用人とどう暮らしていけばいいのか想像がつかないのは少し不安だった。
 一人一人に挨拶を返して進んでいくマリーの手には少し力が入り、握っているアーサーはそれを直に感じ取っている。だから部屋に入ってすぐ、マリーに提案した。

「マリー、これは君と結婚してから提案しようと思ってたことなんだけど、聞いてくれるかい?」
「はい」

 先にソファーに腰かけてそのままそっと手を引き、隣に座るよう促せばマリーは素直に腰かける。

「マリーはベンジャミン達と三人で暮らしてきたよね? だから使用人がいる生活は気を遣うと思うんだ」

 静かに頷くマリー。

「だからね、この敷地内にもう一つ家を建てようと思ってるんだ。私とマリーで暮らす小さめの家を」
「二人で?」

 そんなことが可能なのかと言いたげなマリーにアーサーは頷く。

「ハンネスには反対されたんだ。正直に言えば、私は自立した大人とは言えないからって。寝起きが悪くて、毎日ハンネスに起こしてもらわなければ起きられない。洗濯をしたことも洗い物をしたこともない。紅茶の淹れ方だって知らないんだ」
「そんなこと、貴族なら当たり前です」
「君だって貴族だ。でも知ってる」
「だってそれは、アーサーは──」
「身分が違うんだから当たり前だよね。わかってる。でも、自立できてないっていう事実は変わらない」

 男性貴族は紅茶は飲んでも淹れたりはしない。それは当然のことであっておかしなことではないが、二人で暮らすならそれも必要なことだとアーサーは考えていた。
 ベンジャミンは貴族だが淹れられる。それは自分が酒を飲まなくなって紅茶を飲むようになったからだと言っていた。カサンドラが出かけているときに飲みたくなるから自分で淹れるようになったと。アーサーはそのまま受け取らず、きっとカサンドラに紅茶を淹れてやりたいからだろうと推測している。自分が淹れた紅茶を愛する人が美味しいと言って飲んでくれたら嬉しいと思ったからと言っているように感じたから。
 だから想像した。自分が淹れた紅茶をマリーに飲んでもらって、それをマリーが美味しいと喜んでくれたらどうだろうかと。するとすごく嬉しかった。ただの想像の中の、いわば妄想でしかないのに嬉しかったのだ。だから、自分は何もできない男ではいたくない。そう思った。しかし、今現在は何もできない男のまま。ちゃんと伝えておきたかった。

「何もできない男と暮らすことは君に負担がかかる。君は妻としてこのアルキュミアに来てくれるのであって、使用人として来てくれるわけじゃないって注意されたよ」

 アーサーの言葉にマリーはすぐに答えなかった。頭にはいくつも返事が浮かんでいる。『私は気にしません』とか『二人で暮らせるなんて夢のようだ』とか『洗濯も洗い物も好きだから苦じゃない』とか……。でも、マリーはそれは言わなかった。
 使用人がいないこの五年間はとても楽だった。気を遣う必要もないし、大好きな祖父母と三人で気ままに暮らす生活が好きだったから。だからこれだけの使用人がいる屋敷で自分のことは全て使用人がしてくれる生活はあまりにも贅沢だし、気を遣う。
アーネット家では足が悪いベンジャミンがスプーンを落とすと『取ってらっしゃい』とカサンドラが言う。足が悪いのにと訴えても『行けるでしょ?』と言って強制的に行かせる。そのやり取りが面白くて好きだった。マリーにとって二人は目標で理想の夫婦。アーサーとこんな夫婦になれたらどんなに幸せだろうと何度も想像した。だが、こうして実際にアーサーが暮らす屋敷に来て、それが難しいとわかった。
 アーサーは大公である。外での交流も多いだろう。貴族達との話題の中で『夫婦生活はいかがですか?』と聞かれたときに『二人で暮らしています』では笑われてしまう。あのアーサー・アーチボルトが使用人も雇わずに妻と二人で小さな家に暮らしているなど、笑いのタネになってしまうかもしれない。

「君の意見を尊重したい」

 こんなに優しい人だから自分が『二人で暮らしたい』と言えばきっと叶えてくれる。アーネット邸よりも少し小さな家かもしれない。マリーの希望する間取りを聞いて、家具もマリーの好みに合わせてくれるだろう。カーテンの色や素材からクッションの柄、食器の種類まで何もかも。
 自分にはもったいないほど優しくて素敵な人が笑い者になるのは嫌だと、マリーは笑顔で首を振った。

「私は、ここでじゅうぶんです」
「そうかい?」

 アーサーは少し期待していた。マリーが喜んでくれるのではないかと。素敵な案だと言ってくれるような気がしていたのに、マリーは喜んではくれなかった。

「マリー。これは私の自惚れかもしれないが、もし私のことを考えてそう言ってくれているのならやめてほしい」
「アーサー様……」

 マリーは立場を弁えている人間だから、本心ではないような気がしたアーサーはそれが本心であるか直接聞くことにした。本心であれば受け入れるし、本心でなければとことん話し合うつもりだった。

「私はね、君と二人で暮らしたいんだ。ここにいる使用人達は皆、気の良い者ばかりでどこに出しても恥ずかしくない者達ばかりだ。よく働き、仕事ができ、気が利く。私の自慢の一つだよ。でも、彼らがいると好きなときに君とキスができない」
「ア、 アーサー様」

 何を言いだすんだと焦るマリーが想像から恥ずかしさを込みあげさせて顔を伏せる。頬に両手を添えて顔を上げさせるとマリーの手がアーサーの腕に添えられるがムリに外そうとはしない。それに安堵して微笑むと一瞬触れるだけのキスをした。

「こんな風に部屋ですることはできるけど、部屋を一歩出たら気軽にはできないよね。私はできるけど、君は恥ずかしいだろう?」

 こくんと頷くマリーにアーサーも頷く。

「だから二人で暮らしたいって思ったんだ。スケベですまない」
「そんなこと……思っていません」

 嬉しいと思っているが、それを言葉にしてしまうのは少しはしたない気がして言えなかった。でもアーサーにはちゃんと伝わっている。耳まで赤くしている様子だけでじゅうぶんすぎるほどに。

「私はね、君の家におじゃまして思ったんだ。こういう家が理想だって。使用人がいなくても自分達のペースで生きている幸せな家族が羨ましくなった」
「アーサー様が、うちを羨ましいと?」
「使用人を雇わない貴族なんてと嘲笑う者もいるだろう。でも私はそうは思わない。本人達が幸せなら暮らし方なんてどうだっていいじゃないか。本人達が望んでその生活をしているのにおかしいと笑うなんて、そっちのほうがおかしいと私は思う」

 アーサーの言葉にファーナビー夫妻の言葉を思い出した。
『使用人の数で家名に箔をつける』

 それは間違いではない。使用人が多ければ多いほど裕福であるという証拠。あれから街で貴族に会うと『アーネット家は使用人も雇えないほど貧乏なのか』と笑われたこともあった。それにカサンドラは『自分達は使用人が雇えないのではない。必要ないから雇っていないだけだと胸を張ればいい』と笑っていたが、マリーは悔しかった。
 貴族は良くも悪くも噂を信じるのが早い。マリーがアーサーと婚約するという話もあっという間に広がったし、それに関しての悪い噂も同時に広まった。
 自分が笑われるのはいい。親がいないと笑われても祖父母との暮らしが幸せだったから気にもならなかった。だが、祖父母をバカにされるのだけは許せない。でも彼らは自分達のことでマリーが怒りを露にすることは望んでいない。だから我慢してきた。
アーサーにも同じ目には遭ってほしくないからこそ、マリーはこの家でいいと言った。しかし、それはアーサーの望みではないと気付いた。

「大公様が使用人を雇わずに妻と二人で暮らすのですか?」
「ダメかい? なんでも妻と二人でするんだ。料理も洗濯物も庭いじりも全部。夫婦なんだからおかしくないだろう?」

 彼ならきっと他の貴族達にも笑顔でそう言ってしまうのだろう。笑われたからなんだというのか。使用人の手を必要としないことは恥ではなく、むしろ誇るべきこと。そう言い聞かせてマリーはアーサーの腕に置いていた手をズラして頬に添えられている手に添えた。

「お洗濯干すの、手伝ってくださるのですか?」
「背があるからどこにだって干せるよ」
「たくさん干せそうですね」

 それがマリーの答えだと嬉しそうに笑うアーサーは頬から手を離してマリーの両手を握り、そのまま手首に口付けを落とす。

「知ってる? 手首へのキスは強い好意を表すんだって。私が君をたまらなく好きだと思っている証のキスだよ」

 ゆっくり唇を離したアーサーがマリーの目をジッと見つめて手首へのキスの意味を説明するとまたマリーの顔が赤くなる。優しい顔は急に色気を含んだ表情へと変わり、声は少し低くなって言葉は囁くように吐きだす。
 アーサーが家に来てくれるまで待てないほどマリーもアーサーが好きだと自覚している。そんな相手から手首にキスを贈られて、その意味まで囁かれるとそれこそたまらなくなってしまう。キュウッと締め付ける胸は大きく息を吸わなければ窒息してしまいそうで、震えた吐息がマリーの唇から漏れた。その吐息さえ自分のものにしてしまいたいと両手を握ったままマリーと唇を重ねる。
 マリーの手がピクッと反応するが、アーサーが握っているせいでそれ以上動かせない。

「ご主人様、お車のご用意ができました」

 マリーが目を閉じてこれからというときにノックの音とハンネスの声に二人の意識がキスから覚める。

「続きは夜に。いいかい?」
「は、はい」

 わざわざ確認してくる辺りがズルいと顔の赤みが消えないマリーはアーサーが手を解放してドアに向かったことで慌てて顔を手で扇いだ。こんな顔でハンネスの前に出るわけにはいかないと思うのに意識してしまう。

「ご主人様、本日回られる観光名所のことでお話があります。少しよろしいですか?」
「ああ。マリー、少し待っててくれるかい?」
「はい」

 背を向けたまま問いかけるアーサーがマリーの返事を聞いてそのまま出ていく。

「ふう……」

 アーサーが戻ってくるまでになんとか普通に戻らなければとマリーは顔を扇ぎ続ける。

「ハンネス……」
「なんという顔をしておられるのですか」
「だって……」

 廊下に出たアーサーの顔は赤く染まっていた。ドアを開けたときには既に赤く、本当は観光地の話など何もないが気を聞かせてワザと廊下に連れだした。
 アーサーの肩越しに見えたマリーの衣服に乱れが見えなかったことから獣になったわけではないことを確認して安堵するも、だとすればキスをしたのだろうと想像して笑っていいのか呆れていいのかわからなくなった。
 マリーが顔を赤くするのはわかる。まだ若く、経験も少ない。経験の数ではアーサーも同じだが、もう若くはない。マリーとの前にキスした経験はあるし、友人のキスだって何度も見てきた。キスだけでそこまで赤くなるだろうかと不思議に思うが、現にアーサーの顔は赤い。

「マリーが可愛い……」

 声を震わせながらしゃがみこむアーサーはよく持ちこたえていると考え直して目を閉じたハンネスは鼻から息を吐きだして咳払いをした。

「どうしよう。僕、抑えきれないかもしれない」
「婚前性交は禁止ですからね」
「わかってるよ。わかってるけど……あー……自信ない」

 今日から三日、マリーはアーチボルト邸に滞在する。マリーはアーサーの部屋ではなくゲストルームに宿泊するのだが、当然アーサーは夜、この部屋を訪ねる。結婚するのだから婚約者がいる部屋を訪ねるのは何もおかしな話ではない。おかしな話ではないが、夜、二人だけの空間というのは初めてで、アーサーは自分が暴走してしまうのではないかと不安視していた。だからといって訪ねないという選択肢は彼の中にはない。

「では、こうお考えください。ご主人様が今日なり明日なり、獣になられてマリー様を抱いてしまったとします。彼女は祖父母にそれを言えるでしょうか?」
「うぐっ……」
「初夜は式を挙げた日の夜。貴族令嬢の暗黙の了解と言われている淑女のルールを破って婚約者を受け入れた自分をお許しになるでしょうか?」
「ぐぅっ!」
「いかがですか? 少しは理性が働くお手伝いができましたか?」
「ありがとう……」

 欲望をぶつけるのは簡単だ。ソファーではなくベッドに腰かけてキスをし、マリーが蕩けたところでそのままそっと押し倒してしまえばいいのだから。何度も想像し、妄想し、シミュレーションを繰り返して完璧にこなせる自信があろうと、結婚前に襲った後悔は失敗したときとは比べ物にならないほど大きいはず。なにより、マリーが泣きながら自分を責めるのは目に見えている。それだけではない。ここまでマリーを単身で向かわせてくれたのはベンジャミンとカサンドラが信頼してくれているからで、その信頼を裏切ることになる。
 絶対に避けなければならないことだと立ち上がったアーサーの顔はスッと赤みが引いていつも通りの表情になっていた。

「さ、マリー様をお呼びになって車へ向かわれてください」
「僕が運転するよ」
「ええ、お邪魔するつもりはございませんよ」

 最初からそのつもりだと笑って頭を下げて去っていくハンネスを見送ってから深呼吸をしてドアを開ける。

「お話、終わりましたか?」
「うん。待たせたね、行こうか」
「はい」

 再びドアが開く頃にはマリーの顔もちゃんと戻っていた。
マリーを先に出して、アーサーがドアを閉める。門まで歩く二人は来たときと変わらない様子なのに、誰にも見えない心臓だけは来たときよりずっと速く動いている。

(手を繋ぎたいけど手汗が……)
(手を繋ぎたいけど手袋が湿ってる気がする……)

 互いに気持ちは同じなのに手汗を気にして手を繋ぐことができず、そのまま車まで歩いていった。

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