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反省

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 よく晴れた日の正午過ぎ、二人はトリスタンの両親が眠る霊園を訪れていた。

「父上、母上、今日は公式訪問ではありません。僕たち二人、夫婦として二人に話したいことがあって参りました」

 黒い服に身を包み、立派な墓の前で目を閉じ、胸に手を当てるトリスタンの横でユーフェミアも同じように目を閉じる。

「先日、ついに父上と同じ歳になりました。来年は父上より年上になります。ユーフェミアも同じです」

 三十五歳と三十四歳の若さでこの世を去った愛しい人。成人の儀も終えていない一人息子を残して逝ってしまった二人の心残りは想像もできない。
 自分が彼らと同じ立場であればきっといつまでも現世に留まり続けているはず。そんなことは望んでいない。二人一緒なのだからどうか天国で笑っていてくれと願っている。

「僕は二人が僕に惜しみなく愛を注いでくれたように、我が子にも惜しみなく愛を注ぎたかった。僕に似ている、ユーフェミアに似ていると言いながら我が子を眺めて、愛して……。今、僕たち二人に子がいないのはユーフェミアが入城する際に検査をしていれば避けられたことかもしれません。でも、後悔はしていないんです。王としては失格なのかもしれないけど、彼女だからここまでやってこれた。こんなに美しい女性が僕のようなちんちくりんな男の妻となってくれたのですから頑張らないわけにはいかない」

 トリスタンの言葉にユーフェミアは苦笑する。
 お世辞にも美男子とは言えない男であることは自覚があるらしいトリスタンが自虐するのは初めてで、どういう面持ちでいればいいのかわからないのだ。

「王妃としても妻としても完璧な女性なんです。母上が生きていればそれはそれは可愛がったことでしょう。きっと着せ替え人形にしていたと思います」

 ずっと娘が欲しかったと言っていた母親の喜ぶ顔は今も鮮明に思い出せる。これが王妃かと息子ながらに神々しくさえ見えた彼女の慈愛に満ちた笑顔には誰もが魅了され、ユーフェミアもその一人だった。
 憧れていた王妃マリアの跡を自分が継いだ今、自分が同じようになれているかと言えば絶対にありえないと嫌な自信を持っている。そんな答えはあってはならないのだろうが、マリアを嫌っていた者はいないとこれも自信を持って言えるほど彼女は絶大な人気を得ていた。
 マリアになれるとは思っていないが、近付きたいとは思っている。でも、日々遠くなるばかりだと感じている。追いついたのは年齢だけで、他は何も追いつけてはいない。まだまだ未熟な王妃だと自覚がある。

「でも僕は愚かにも彼女を悲しませ、泣かせてしまいました。一週間や一ヵ月なんて期間じゃない。何年もの間ずっと我慢をさせ、泣かせていたのです。全て……見ておられましたよね、きっと」

 天国からでも見ていただろうと苦笑するトリスタンの腕に軽く手を添えるも苦笑は消えず、トリスタンは小さく頷いて空を見上げる。

「二人は、今の僕を見てどう思っているだろうな。きっと恥ずかしいと思っているだろう……」
「馬鹿息子と思っていても、恥だとは思っていないはずです」
「一人で暴走していた愚かな息子を恥ずかしいと思わない親はいない」
「自分に息子が生まれてもそう言えますか?」
「……どうだろう……」

 親にならなければ親の気持ちなどわかるはずがない。理解したつもりでもそれはあくまでも〝つもり〟であって理解できているわけではないのだ。
 自分に息子が生まれて暴走しているとわかったら自分は親として何と声をかけるだろうか──想像しても答えが出ないことにトリスタンは黙り込む。

「妻のためにと始めた精力増幅も結局は愛人を妊娠させる事態になり、愛人は妻に真実を暴露した。これは全て僕が愚かなせいだ。愛人を性処理としか思わず、妻に隠し事をしたせいだ。自分を愛すな、人を愛せと父上に教えていただいたことを何一つ学ばず理解もせず、僕は自分だけを愛していた。両親の誇りになりたかったのに僕は……誇りどころか恥になってしまったのだ」

 自由奔放に生きていた年頃に両親を失い、なんの覚悟もないまま王についた男は目標とする背中もないまま空白の中を手探りで進んでいった。
 何が間違っている、何が正しい。王としての心得や必要なことについて教えてくれる者はいても、トリスタンの個人的な性格や考え方について正解不正解を教えてくれる者はいなかった。あくまでも王として生きる。それを基準に教育されるばかり。

「人のせいにするつもりはない。僕はもう二十歳そこいらの若造ではない。三十五歳の立派な大人だ。自分で気付き、自分で修正しなければならなかったのに、自分しか見ていなかったせいでそれができなかった。だからこそ恥なのだ」

 誰もそんなこと教えてくれなかったと言い出しそうなものだが、トリスタンは少し変わった。
 昨夜、ユーフェミアと夫婦としての時間を過ごして、自分が考えなければならないことがなんなのかわかったらしい。
 反省すべきこと、これからのこと。それを踏まえて両親に報告に来たのだ。

「何が国にとって、民にとって最善なのか。僕たちにとっての正解なのかを考えながら進んでいきたいと思います」

 ユーフェミアが差し出した花束を受け取って墓に添え、二人で軽く頭を下げてそっと場を後にする。
 馬車に向かうまでの間、馬車に乗っている間もトリスタンは口を開かず黙ったまま外の景色を眺めているだけ。

「陛下」
「ん?」

 人が変わってしまったのだろうかと思うような態度にユーフェミアは少し困惑していた。
 今までなら声をかけようものなら『なんだ!? どうした!? ユーフェミア、僕に愛の告白か!?』と笑いながら大袈裟な反応を見せていたのが嘘のように大人しいトリスタンが何を考えているのかわからず、ユーフェミは手を伸ばしてトリスタンの膝に手を置いた。

「何を考えておられるのですか?」

 何を考えているのだろうと心の中で問いかけるばかりだった今までの自分を反省して問いかけるユーフェミアにトリスタンは膝にある手を握って馬車の床を見つめる。
 墓参りに行ったせいなのか、考えていることが重いからなのか、トリスタンの表情は明るくならない。

「子供をどうするべきか考えているのだ」
「ティーナの子を育てるわけにはいかないのですか? 正統な世継ぎですよ?」

 トリスタンは首を縦には振らない。

「別の手を考えよう。もちろん、君が身ごもる可能性を僕は捨てない。奇跡という言葉を僕は信じているからな」
「それは……わたくしもですが……」

 奇跡が起こればと、二十年間ずっと祈り続けていることをやめるつもりはない。だが、それに賭けてこのまま子を迎えないという決断を下すわけにはいかない。もうタイムリミットは近い。それをわかっているからトリスタンの表情も暗かった。
 できればユーフェミアとの子供が欲しい。でもユーフェミアの身体がそれを拒んでいる以上、他の手を考えるしかない現実に直面している。

「ルークに……」
「陛下、陛下の身体は健康です。陛下御自身のお子を作られるべきです」
「ユーフェミア」
「わかっています。王家が養子を迎え入れるのは珍しい話ではありません。ですが、それは王に問題があったときだけです。王に問題がないのであれば王が子を作るべきなのです」

 世界中の王家の世継ぎが実子なわけではない。本当に王が種無しの場合、他国の王室から養子を迎え入れることもある。だが、トリスタンは種無しではない。子供をつくることができる健康体なのだ。それなのに養子を迎え入れようと考えるトリスタンにユーフェミアは待ったをかけた。

「僕はもう君以外を抱くつもりはない」
「陛下、これについては不倫にはなりません。世継ぎを残すために必要なことなのです。契約を結び、世継ぎを産んでもらいましょう。受け入れてくる者は必ずいるはずです」

 産んだ子供は自分の子ではなく王家で引き取る契約で身体を貸す女性は少なくない。口外しない、産むまでは離宮で過ごすという条件を満たした後は一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入る。もちろん妊娠中も世継ぎに何かあっては困るため妊婦の希望は最大限叶えることに尽力し、体調管理も全て王室ですることになっている。
 たった十ヶ月、身体を貸すだけで遊んで暮らせるようになるのだから見つけるのは難しい話ではない。
 トリスタンの血が入った子供を産めば反王政派の貴族たちも文句は言えなくなる。
 二人にとって一番良いのはそれだとユーフェミアは主張するが、トリスタンは違った。

「ユーフェミア、これは僕の最後のワガママだと思ってどうか許してほしい。僕は君との子でなければ実子はいらない」
「陛下……」

 トリスタンの気持ちは既に決まっていて、ユーフェミアの言葉を受け入れるつもりはない。ハッキリと言いきったトリスタンに困った顔を見せるユーフェミアだが、一度俯いたあと、上げた表情は苦笑ではあるものの「しょうがない」と思っているような、どこか諦めたような笑みでもあった。

「では、その方向で考えましょう」
「僕はやはり王失格だな」
「大切なのは血筋ではなく愛。そうでしょう?」

 トリスタンの言葉だ。

「ああ、そうだ」

 ようやく笑顔を見せたトリスタンにつられてユーフェミアも笑みを浮かべ、向かいから隣に腰かけて手を繋ぎながら城へ戻った。

「また夜にな、ユーフェミア」
「はい」

 トリスタンは仕事があり、話し合いの時間は夜に作ることにして二人はホールで別れた。

「おかえりなさいませ! お疲れ様でございました!」

 ラモーナの元気な声に微笑みながらそのまま奥の部屋に入って着替えを始めるユーフェミアは姿見で自分の身体を見て溜息をつく。

「美しい体型に溜息がこぼれますね。わかります、わかりますよその気持ち! ユーフェミア様のプロポーションは抜群です!」
「若い肌を持つあなたに言われると悲しくなっちゃう」
「私のお肌なんてガビガビですよ!」
「お手入れしてなくてその肌でしょう? 嫌味かしら?」

 見るからにスベスベしている肌は若さの証。使用人であるラモーナがユーフェミアと同等の手入れができるはずもなく、化粧品も少ない生活の中で潤いのある肌は羨ましい以外の何物でもない。

「子供を宿してみたかったな……」
「きっとできますよ」

 間髪入れずに口にした励ましにユーフェミアは驚いた。
 鏡越しに見えるラモーナの表情に嘘はなく、本当にそう思っているかのような明るい笑顔に目を瞬かせていると腹部に手が当てられる。

「ユーフェミア様がこんなにも来てほしいと願っているんですから、きっと来てくれます。たぶんまだ争ってるんだと思いますよ?」
「争う?」
「ほら、言うじゃないですか。神様のもとにいる赤ん坊はお母さんのお腹に行くための滑り台を選んでるって。赤ん坊が自ら親を選んで滑り降りてくるそうです。皆がユーフェミア様のお腹に続いてる滑り台に乗りたくて争ってるんですよ、きっと」

 はじめて聞く話ではあるが、ラモーナの話にユーフェミアは救われた気がした。窓から差し込む光が本当に空から続いている滑り台のようで、ユーフェミアは思わずそこに手を伸ばす。

「昨日までダメでも、今日はわからない。今日がダメでも明日は良いかも。私は両親にそう教わりました。ラモーナ、今日が辛いからって明日も辛いなんて決めつけるな。今日と明日は全く別の日だ。何もかも同じ日なんて存在しないんだから下を向くな、前を向けって」
「立派なご両親ね」
「メソメソしてるとすごく怒られました。この世界は変わらない。でもお前が変わればお前の世界は変わる。お前の世界はお前の力で変えていけ。耳にたこができるほど聞かされて……。でもそのおかげで私はいつだって前を向いていようって思えるようになったんです。その結果にほら、今じゃ王妃様の侍女ですよ? すごくないですか?」
「ふふっ、そうね。すごいわ」

 光を掴むように拳を握ってそれを腹部に当てると目を閉じた。二十年待ったのだから今更待てないなんて感情が出てくるはずがない。
 養子を迎えてから実子ができた国だってある。実子だから偉いのではない。この国を、民を愛せる者こそ王に相応しい。
 トリスタンの気持ちが固まっているのならそれについていこう。
 ユーフェミアはトリスタンが変わったのならもう一度信じることにした。

「さ、できましたよ! 今日もいつも通り美しいユーフェミア様の完成です!」
「ありがとう」

 鏡を見るといつも通りの自分だと自分に微笑んでドアの前に立つとエリオットがそれに合わせてドアを開ける。

「疲れておいででは?」
「いいえ、むしろスッキリしてるぐらいよ」

 自分でも驚くほど気持ちはスッキリしていて、愛人がいた頃はずっと霧がかったようにモヤついていた胸が嘘のように軽い。

「皆でお茶にしましょうか」
「いいんですか!? 今日のおやつはシェフ特性の蜂蜜パンなんです! 朝からすっごく良い匂いがしてて食べたくて食べたくて!」
「ラモーナ、黙れ」
「ふふふっ、いいのよ。皆で食べましょう」
「準備しますね!」

 準備のために走って出ていったラモーナに眉を寄せながら溜息をつくエリオットを笑うユーフェミア。

「エリオット、座って」
「はい」

 向かいのソファーを手で指せば命令に従って腰かけるエリオットがラモーナに向けるのとは違う心配げな表情を浮かべているのを見てユーフェミアは自分のお腹に手を当てて見せた。

「もし、子供が生まれたら……あなたに守ってほしいの」
「え?」
「一番信頼できる騎士に、一番大切な子を任せたい。ダメかしら?」
「そ、そういうわけではありませんが……」

 エリオットは戸惑っていた。
 自分は命に代えてもユーフェミアを守ると誓い、それは今も変わっていない。ユーフェミアが廃妃になるのなら自分は騎士をやめてユーフェミアについて行くと決めていた。
 若い自分を引き抜いてくれたユーフェミアには感謝してもしきれず、自分の人生全てを捧げようと決めていたのに役割を変えられるとなると驚きと困惑を隠せないでいる。

「不満?」
「い、いえ! 不満など……あるはずがありません」

 とてもそうは見えない様子にユーフェミアは首を傾げる。

「俺は、一生ユーフェミア様をお守りするものだと思っていたので……驚いただけです」
「ありがとう、エリオット。だからこそあなたに守ってほしいの。あなたが一番信頼できる騎士だから」

 心意気を知っているからこそユーフェミアは任せるならエリオットと思っていた。一生かけて守ると誓ってくれた時の瞳は今も鮮明に思い出せるほど強烈で、一年二年と年月が流れようと変わらないその瞳に懸けてエリオットに任せたい思いがユーフェミアにはある。

「受けてくれる?」
「ユーフェミア様の願いとあらば」

 胸に手を当て頭を下げるエリオットにユーフェミアは嬉しそうに笑って微笑んだ。

「でもこれはわたくしの一存では決められないので、陛下とご相談して決めますね」
「はい」

 力強く頷いて見せたエリオットだが、内心は自分でなければいいのにと騎士としての誇りよりも勝る思いが強かった。

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