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一章 勇者と聖女と妖精種
2.育つ天使
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青慈が少しずつ喋るようになってきてから、朱雀は悩んでいたことがあった。青慈に自分のことを何と呼ばせるかについてだ。
朱雀は青慈と年の差があるので「お兄ちゃん」は何か違う気がする。「朱雀」と呼ばせるのも何となくよそよそしい。「朱雀さん」なんて他人行儀過ぎて、青慈に呼ばれたら朱雀は泣いてしまいそうな気がする。
「青慈は私のことをなんて呼んでくれるだろう」
「おいち!」
「そのお魚美味しい? お代わりする?」
「あい!」
離乳食を匙で掬って口に運ぶと、青慈は自分の丸い薔薇色のほっぺたを押さえて「美味しい」と全身で伝えてくれる。よく食べる青慈に朱雀は安心していた。食べているので青慈はむちむちと肉付きがよく育っている。幼児特有の丸いフォルムが愛らしくてならない。
「朱雀お兄さん……いや、お兄さんはないか。お父さんかな?」
「とーた?」
「そうだよ、青慈。とっても上手」
「じょーじゅ!」
少しずつ意思疎通ができるようになると尚更朱雀は青慈が可愛くて堪らなくなってしまう。
「とーた、らっこ!」
「抱っこしてねんねしようね」
「ねんね、やっ!」
「嫌じゃないよ。ねんねしないと、青慈は大きくなれないよ」
嫌がっていても抱っこしてしばらく揺らしていると青慈は眠ってしまう。最近はお昼寝は落ちないように保護の柵を付けた寝台にもなる長椅子でさせていた。その方が目が届くし、青慈も安心してよく眠るのだ。泣いたらすぐに駆け付けられるのもよかった。
台所で薬の調合をしていると、珍しく来客があった。
年に何度か、朱雀の家には噂を聞きつけたひとがやってくることがある。朱雀は魔法は得意ではなかったが、魔法薬の調合に関しては才能があった。特別な魔法薬を求めて、客がやってくるのだ。
覆い付きの外套を目深に被って顔を隠した人物は女性のようだった。
「意中の方にどうしても振り向いて欲しいのです」
「惚れ薬は取り扱っていません」
「一度だけでいいのです。結婚させられる前に、あの方と二人きりで話がしたいのです」
惚れ薬が欲しいわけではなく、誰にも見られることなく意中の相手と二人きりで会いたい。その依頼に朱雀は応えることにした。薬草を数種類混ぜ合わせて調合する。
「この薬は、あなたの姿を別人に変えるものです。これを飲んで意中の方のところに行ってください。意中の方があなたのことを愛していれば、気付いてもらえるはずです」
「ありがとうございます」
薬の謝礼として多額の金を置いて女性は去っていった。金の入った袋を確認すると、朱雀は眠っている青慈の頬を突く。
「これで美味しいお魚を買おうか? 青慈はお魚が大好きだよね」
寝ぼけて朱雀の指を吸い始めた青慈の可愛さに指をお口から引き抜けず、朱雀はしばらくその場に留まっていた。
子どもの成長は早い。
青慈はミルクを飲まなくなって、朱雀と同じものを小さく切れば食べられるように成長していた。手掴みでお口にリスのようにパンパンに詰めてしまう青慈は、何度かのどに詰まらせているので、朱雀は少しずつ食べることを教えていた。
お皿の上に食べ物が乗せられるとすぐに全部お口に入れてしまうので、青慈の前のお皿の上には少ししか置かず、注ぎ足してお腹いっぱいになるまで食べさせる方式にした。
「ちょーあい! ちょーあい!」
「お口の中のものを、もぐもぐごっくんしたらね?」
「もうもう、ごっく!」
「お口で言っても駄目だよ。ほら、まだ入ってる」
これだけ食い気があるのに、少し走れるようになってきた青慈は起きている間中、朱雀の周りを走り回っているので、少し体が細くなってきていた。朱雀が台所で調合している間、入ってはいけないとどれだけ言っても聞かずに、朱雀の足元におままごとセットを持って来て、自分も調合している気分になっている。
火や薬草を使うので、危ないから柵を取り付けたら、柵に縋り付いてひき付けを起こしそうになるまで泣き喚いていたので、可哀想になって朱雀は青慈を台所に入れてしまう。
「こえをーこちてー」
「私の真似をしてるのかな?」
「おくつり、つくう」
「青慈は大きくなったらどんな子に育つんだろうね」
まだまだ小さいので考えたことがなかったが、青慈が6歳ごろになれば麓の街の学校に通わせた方がいいのかもしれない。朱雀は読み書きもできるし、魔法も少しだけなら使えるが、一人で青慈に勉強と常識を教えるのは無理があった。
毎日送って行くつもりではあるが、青慈のいない時間を過ごすのは寂しいだろう。
もっと大きくなったら、青慈はこの家を出て行くかもしれない。妖精種の朱雀と人間の青慈は生きる時間が違う。青慈が大人になっても青年の姿のままであろう朱雀は、青慈が中年や壮年になっても、今と変わらない姿であろうことが分かっていた。大人になった青慈が家を出て行けば朱雀はまた一人になる。
「青慈、私を置いて行かないで……」
どれだけ願ったとしても、妖精種の朱雀より寿命の短い青慈は先に逝ってしまう。その日を想像するだけで朱雀は心臓を冷たい手で握られたような気分になった。
「とーた、いっと」
「私と青慈はずっと一緒だよね」
「じゅっと、いっと」
「とーた」と朱雀を慕ってくれる青慈も、成長するにつれて朱雀と種族が違うことに気付いてしまうのではないだろうか。朱雀が父親ではないことを知ってしまう日が来る。無邪気に足元でおままごとの鍋に具材を入れてかき回している青慈に、今から朱雀は涙が出そうだった。
青慈は元気に育っていく。
麓の街に買い物に行くときにおんぶ紐に入れようとしたら、朱雀は青慈に拒まれた。
「あんよすゆ!」
「疲れてしまうかもしれないよ?」
「あんよ、すゆ!」
疲れて眠ってしまったときように中の広さを魔法で拡張している小さな鞄におんぶ紐を入れて持って山道を降りて行くと、鼻歌を歌いながら青慈は横道に反れたり、地面に生えている花を摘んだりしていた。
「とーた、こえ!」
「綺麗なお花だね」
「あげう!」
小さな野の花を摘んだ青慈に渡されて、朱雀はその花をどうすればいいのか分からなかった。折角もらった花なので枯らしたくないが、小さな鞄に入れてしまうと花を見ることができない。
「どうしよう。永久保存したいけど、そういう魔法は得意じゃないし……」
「いやない?」
「ううん、嬉しいよ。ありがとう」
お礼を言えば青慈がにぱっと笑ってもじもじとお尻を振る。
「またあげう」
「またくれるの?」
「あげう!」
枯れても何度でも花をくれるという青慈に朱雀は嬉しくて、その花を胸に飾って麓の街で買い物をした。最後に寄った雑貨屋では、子どもを持つ母親の店主が青慈を見て驚いていた。
「立派に育てたね。ここまで大変だったでしょう」
「青慈はいい子だったから大変じゃなかったですよ。天使のように可愛いし」
「うちの子も次の春から学校に入学するのよ。大きくなったものだわ」
朱雀が青慈を拾った頃には店主の母親のスカートの裾を握って親指をしゃぶっていた小さな娘は、次の春には学校に入学する年になっていた。人間の成長とは早いものだと朱雀はしみじみしてしまう。
「青慈が学校に入学する頃には、何が必要かまた教えてくれますか?」
「まだまだ先だよね。でも、妖精種のあなたには一瞬なのかもしれないわね」
二百年以上の年月を生きて来た朱雀にとっては、人間の一生というものがどれだけ儚いものなのかが分かりかけていた。時を止めたいほどに青慈は可愛いのに、毎日は飛び去るように過ぎていって青慈は大きくなっていってしまう。
その成長を喜ぶ気持ちと同時に朱雀には寂しさもあった。
「大きくなったら、青慈は私の元を離れていってしまうんでしょうね」
「親ってそんなものよ。私も覚悟はしてるわ」
雑貨屋の店主の母親に言われて、人間も妖精種も変わりなく、子どもが大人になれば自分の元を離れていくのだと覚悟しなければいけないことを朱雀は学んだ。
帰り道は青慈は疲れ切っていて、朱雀のおんぶ紐で背中に背負われていた。朱雀の背中に頭をくっ付けて、すぴすぴと寝息を立てているのが分かる。
胸に飾っていた青慈がくれた花は萎れていた。
帰ってから今日使う分だけを残して食料品を氷室に入れて、朱雀は胸に飾っていた花を水の入ったカップに挿した。萎れてしまった花は、カップの水を吸うことなく、そのまま枯れてしまった。
「とーた、おとと!」
「お外に行く?」
「あい!」
朱雀の手を握って青慈は毎日のように山の中をお散歩したがるようになった。そのたびに花を摘んで朱雀にくれる。
何度枯れても青慈は朱雀に新しい花を摘んで来た。
季節が秋を越して冬になるまで、青慈から朱雀への花の贈り物は続いた。
朱雀は青慈と年の差があるので「お兄ちゃん」は何か違う気がする。「朱雀」と呼ばせるのも何となくよそよそしい。「朱雀さん」なんて他人行儀過ぎて、青慈に呼ばれたら朱雀は泣いてしまいそうな気がする。
「青慈は私のことをなんて呼んでくれるだろう」
「おいち!」
「そのお魚美味しい? お代わりする?」
「あい!」
離乳食を匙で掬って口に運ぶと、青慈は自分の丸い薔薇色のほっぺたを押さえて「美味しい」と全身で伝えてくれる。よく食べる青慈に朱雀は安心していた。食べているので青慈はむちむちと肉付きがよく育っている。幼児特有の丸いフォルムが愛らしくてならない。
「朱雀お兄さん……いや、お兄さんはないか。お父さんかな?」
「とーた?」
「そうだよ、青慈。とっても上手」
「じょーじゅ!」
少しずつ意思疎通ができるようになると尚更朱雀は青慈が可愛くて堪らなくなってしまう。
「とーた、らっこ!」
「抱っこしてねんねしようね」
「ねんね、やっ!」
「嫌じゃないよ。ねんねしないと、青慈は大きくなれないよ」
嫌がっていても抱っこしてしばらく揺らしていると青慈は眠ってしまう。最近はお昼寝は落ちないように保護の柵を付けた寝台にもなる長椅子でさせていた。その方が目が届くし、青慈も安心してよく眠るのだ。泣いたらすぐに駆け付けられるのもよかった。
台所で薬の調合をしていると、珍しく来客があった。
年に何度か、朱雀の家には噂を聞きつけたひとがやってくることがある。朱雀は魔法は得意ではなかったが、魔法薬の調合に関しては才能があった。特別な魔法薬を求めて、客がやってくるのだ。
覆い付きの外套を目深に被って顔を隠した人物は女性のようだった。
「意中の方にどうしても振り向いて欲しいのです」
「惚れ薬は取り扱っていません」
「一度だけでいいのです。結婚させられる前に、あの方と二人きりで話がしたいのです」
惚れ薬が欲しいわけではなく、誰にも見られることなく意中の相手と二人きりで会いたい。その依頼に朱雀は応えることにした。薬草を数種類混ぜ合わせて調合する。
「この薬は、あなたの姿を別人に変えるものです。これを飲んで意中の方のところに行ってください。意中の方があなたのことを愛していれば、気付いてもらえるはずです」
「ありがとうございます」
薬の謝礼として多額の金を置いて女性は去っていった。金の入った袋を確認すると、朱雀は眠っている青慈の頬を突く。
「これで美味しいお魚を買おうか? 青慈はお魚が大好きだよね」
寝ぼけて朱雀の指を吸い始めた青慈の可愛さに指をお口から引き抜けず、朱雀はしばらくその場に留まっていた。
子どもの成長は早い。
青慈はミルクを飲まなくなって、朱雀と同じものを小さく切れば食べられるように成長していた。手掴みでお口にリスのようにパンパンに詰めてしまう青慈は、何度かのどに詰まらせているので、朱雀は少しずつ食べることを教えていた。
お皿の上に食べ物が乗せられるとすぐに全部お口に入れてしまうので、青慈の前のお皿の上には少ししか置かず、注ぎ足してお腹いっぱいになるまで食べさせる方式にした。
「ちょーあい! ちょーあい!」
「お口の中のものを、もぐもぐごっくんしたらね?」
「もうもう、ごっく!」
「お口で言っても駄目だよ。ほら、まだ入ってる」
これだけ食い気があるのに、少し走れるようになってきた青慈は起きている間中、朱雀の周りを走り回っているので、少し体が細くなってきていた。朱雀が台所で調合している間、入ってはいけないとどれだけ言っても聞かずに、朱雀の足元におままごとセットを持って来て、自分も調合している気分になっている。
火や薬草を使うので、危ないから柵を取り付けたら、柵に縋り付いてひき付けを起こしそうになるまで泣き喚いていたので、可哀想になって朱雀は青慈を台所に入れてしまう。
「こえをーこちてー」
「私の真似をしてるのかな?」
「おくつり、つくう」
「青慈は大きくなったらどんな子に育つんだろうね」
まだまだ小さいので考えたことがなかったが、青慈が6歳ごろになれば麓の街の学校に通わせた方がいいのかもしれない。朱雀は読み書きもできるし、魔法も少しだけなら使えるが、一人で青慈に勉強と常識を教えるのは無理があった。
毎日送って行くつもりではあるが、青慈のいない時間を過ごすのは寂しいだろう。
もっと大きくなったら、青慈はこの家を出て行くかもしれない。妖精種の朱雀と人間の青慈は生きる時間が違う。青慈が大人になっても青年の姿のままであろう朱雀は、青慈が中年や壮年になっても、今と変わらない姿であろうことが分かっていた。大人になった青慈が家を出て行けば朱雀はまた一人になる。
「青慈、私を置いて行かないで……」
どれだけ願ったとしても、妖精種の朱雀より寿命の短い青慈は先に逝ってしまう。その日を想像するだけで朱雀は心臓を冷たい手で握られたような気分になった。
「とーた、いっと」
「私と青慈はずっと一緒だよね」
「じゅっと、いっと」
「とーた」と朱雀を慕ってくれる青慈も、成長するにつれて朱雀と種族が違うことに気付いてしまうのではないだろうか。朱雀が父親ではないことを知ってしまう日が来る。無邪気に足元でおままごとの鍋に具材を入れてかき回している青慈に、今から朱雀は涙が出そうだった。
青慈は元気に育っていく。
麓の街に買い物に行くときにおんぶ紐に入れようとしたら、朱雀は青慈に拒まれた。
「あんよすゆ!」
「疲れてしまうかもしれないよ?」
「あんよ、すゆ!」
疲れて眠ってしまったときように中の広さを魔法で拡張している小さな鞄におんぶ紐を入れて持って山道を降りて行くと、鼻歌を歌いながら青慈は横道に反れたり、地面に生えている花を摘んだりしていた。
「とーた、こえ!」
「綺麗なお花だね」
「あげう!」
小さな野の花を摘んだ青慈に渡されて、朱雀はその花をどうすればいいのか分からなかった。折角もらった花なので枯らしたくないが、小さな鞄に入れてしまうと花を見ることができない。
「どうしよう。永久保存したいけど、そういう魔法は得意じゃないし……」
「いやない?」
「ううん、嬉しいよ。ありがとう」
お礼を言えば青慈がにぱっと笑ってもじもじとお尻を振る。
「またあげう」
「またくれるの?」
「あげう!」
枯れても何度でも花をくれるという青慈に朱雀は嬉しくて、その花を胸に飾って麓の街で買い物をした。最後に寄った雑貨屋では、子どもを持つ母親の店主が青慈を見て驚いていた。
「立派に育てたね。ここまで大変だったでしょう」
「青慈はいい子だったから大変じゃなかったですよ。天使のように可愛いし」
「うちの子も次の春から学校に入学するのよ。大きくなったものだわ」
朱雀が青慈を拾った頃には店主の母親のスカートの裾を握って親指をしゃぶっていた小さな娘は、次の春には学校に入学する年になっていた。人間の成長とは早いものだと朱雀はしみじみしてしまう。
「青慈が学校に入学する頃には、何が必要かまた教えてくれますか?」
「まだまだ先だよね。でも、妖精種のあなたには一瞬なのかもしれないわね」
二百年以上の年月を生きて来た朱雀にとっては、人間の一生というものがどれだけ儚いものなのかが分かりかけていた。時を止めたいほどに青慈は可愛いのに、毎日は飛び去るように過ぎていって青慈は大きくなっていってしまう。
その成長を喜ぶ気持ちと同時に朱雀には寂しさもあった。
「大きくなったら、青慈は私の元を離れていってしまうんでしょうね」
「親ってそんなものよ。私も覚悟はしてるわ」
雑貨屋の店主の母親に言われて、人間も妖精種も変わりなく、子どもが大人になれば自分の元を離れていくのだと覚悟しなければいけないことを朱雀は学んだ。
帰り道は青慈は疲れ切っていて、朱雀のおんぶ紐で背中に背負われていた。朱雀の背中に頭をくっ付けて、すぴすぴと寝息を立てているのが分かる。
胸に飾っていた青慈がくれた花は萎れていた。
帰ってから今日使う分だけを残して食料品を氷室に入れて、朱雀は胸に飾っていた花を水の入ったカップに挿した。萎れてしまった花は、カップの水を吸うことなく、そのまま枯れてしまった。
「とーた、おとと!」
「お外に行く?」
「あい!」
朱雀の手を握って青慈は毎日のように山の中をお散歩したがるようになった。そのたびに花を摘んで朱雀にくれる。
何度枯れても青慈は朱雀に新しい花を摘んで来た。
季節が秋を越して冬になるまで、青慈から朱雀への花の贈り物は続いた。
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