【R18】Life Like a Ring

深山瀬怜

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第7話 鑢・2

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 再び乾燥しなければならなくなったので、今日の作業はここで打ち止めになった。やることがなければ帰ってもいいのだが、何となく去り難いものを私は感じていた。
「……そういえば、昼とかどうするか考えてる?」
「あんまり考えてませんでした。抜いてもいいかなって」
「簡単なものなら、二人分作るけど」
 お昼抜くのはあんまり良くないよ、と言われ、私は遼の言葉に甘えることにした。遼の手料理を食べてみたかったというのもある。私が台所に向かった彼を見ていると、彼は手を洗いながら少し困ったように笑った。
「そんな期待した目をされると、ちょっとプレッシャーだな。一人暮らしする前は全然料理とか作ったことなかったからさ」
「そうなんですね」
「家を出る前に一応練習したんだよ。でも、結局一人になると適当になるな」
 野菜を切る手付きは、全く料理ができない私から見ても危なっかしい。でも遼が作ってくれるというだけで、私は満足だった。遼は野菜を切って、ハムを切って、冷凍していたご飯とチャーハンの素(もと)を用意している。
「味は、素の力で何とかなるから。詩乃に言われたんだよな。『初心者は余計なことを考えずに素を使え』って」
 遼は自覚しているのだろうか。妹の話をするときだけ、彼の表情がいつもと違うことを。私はそれを知っている。だからこそ、私は彼の真の目的に対しても、所詮保険でしかないことを理解していた。彼は詩乃に殺されたいのだ。私は二番手だ。
 一番でなければ意味がないのよ、と母が言ったことを思い出す。
 私は別に二番でも良かった。二番だって、順位もつかない他の人たちに比べれば特別だ。代わりでいい。ただ、好きな人の目に私が映る瞬間が一瞬でもあれば。
 先日のことを思い出す。私は強引に遼を誘ってホテルに行った。そして自分の初めてを彼に捧げた。彼にしてみれば迷惑な話だったのかもしれない。けれど、遼は優しかった。そしてとても綺麗だった。その日のことを考えるだけで、未だに体が熱くなる。でも私はそれを隠したまま、遼が作ったチャーハンを一緒に食べる。
「すごく美味しいです」
「素の力だな。企業努力ってすごい」
「ふふ。確かにそうですね」
 私達はそれから、他愛のない話をしながら昼食を摂った。話をしているうちに、私は遼の様子がいつもと少し違うことに気がついた。会うの自体が久しぶりだったし、そもそもその前も何度も会っているわけではないから勘違いかもしれない。でも、その瞳の奥に静かに何か良くないものが蠢いているような気がした。
「あの……遼さん」
「ん?」
「……何かありました?」
 遼がレンゲを置いた音が響く。勘違いだったらそれでもいい。けれど――この態度は、勘違いではないのかもしれない。詩乃との間にあったことは詩乃から聞いている。けれどそれとは違う何かが起きているのではないかと直感で思っていた。
「何かってわけじゃないんだけど……最近、一人でいるとどうにも……。ホームシックとかではないと思うんだけど」
 一人でいると余計なことを考えてしまう、のようなことだろうか。一人暮らしをしたことがないからわからないが、家に人がいなければいなかったで、寂しさなどを感じたりするものなのかもしれない。いや、もしかしたら遼の場合はそれとは少し違う可能性もある。
 遼はどうして誰かに殺されたいと思うようになったのだろう。答えられるようなものではないかもしれない。私も猫を殺したきっかけをきっかけを聞かれたら困るだろうから。日々のストレス、なんて言ってしまえば簡単だけれど、それが猫とどう結びつくのかと聞かれたら答えに窮する。
「ごちそうさま」
 遼が食べ終わった皿を流しに入れる。その後に食べ終わった私は、すぐに二人分の食器と調理に使った道具を洗い始めた。部屋を使わせてもらっているのだから、このくらいはしたい。皿を洗っている私を見て、遼が微笑んだ。
「ありがとう。そこまでしてくれなくていいのに」
「いや、ここを使わせてもらっているし、料理も作ってもらっているから、このくらいは」
 皿洗いを終えてソファーのところに戻ると遼はぼんやりとしながら筆立ての中のカッターナイフをいじっていた。刃は出ていない。けれど明らかに心ここにあらずで、危ないと思った。私はその手に自分の手を重ねる。
「絵美……っ?」
 強引に唇を奪うと、遼は戸惑いの表情を浮かべた。けれど気にせず、そのまま彼の体をソファーに倒す。身勝手なのはわかっている。彼が本当に殺されることを望んでいるなら、私の気持ちはそれと真っ向からぶつかるものになってしまう。
 それでも、私は彼のことが好きだった。
 もし、何もかもを忘れられる薬があるのなら、今すぐそれが欲しい。誰かに殺されたいなんて考えられないように、頭が真っ白になってしまえばいい。彼の行動全てを支配するその願望を殺してしまえればいいのに。
 結局私が思いつくのは、月並みで、そのくせ慣れていない私にはできるかどうかもわからない方法だけで。
 キスをしたまま遼のスウェットの中に手を潜り込ませる。適度に筋肉がついた均整の取れた体。触れるだけで甘さを感じる滑らかな肌。私の手の冷たさに、遼が体を震わせた。私は自分の手と舌でその体を慈しむ。
「っ……絵美……」
「気持ちいいですか?」
「な、んで……こんなこと」
「遼さんのことが好きだからですよ」
 それ以外に理由はない。強いて言うなら、乱れる呼吸も、歪む表情も全部自分のものにしてしまいたいというのは、独占欲のようなものなのかもしれないけれど。でもわかっている。遼は私のことを少なくとも恋愛対象としては見ていないだろう。詩乃との間に漂っている空気を思えば、妹扱いですらない。路傍の石よりは少し上、保険には使えるかもしれない程度。それでも構わない。私にとっては特別なのだから、それでいい。
「……絵美」
「何ですか?」
「好きだって言ってくれるのは嬉しいけど……それほどの価値は俺にはない」
「余計なこと考えないでください」
 手を下に持っていって、ズボン越しに張り詰めたものをなぞる。私の拙い愛撫に反応しているその部分が何よりも愛しいと思った。派手なクラスメイトたちが話している行為と同じようで全く違うもの。これはもっと神聖なものだ。この世界の塵芥に汚れたものではない、深く暗い海の底で見つけた宝石だ。
 ベルトを外して、下着の中に手を入れる。触れているうちに溢れ出したものが少しずつ私の手を汚していく。抑えているけれど漏れる遼の声が、私の興奮を更に高めていった。私は自分の下着を引き下ろす。自分の体には触れていないのに、既に糸を引くほどに濡れていた。
「絵美、それは……」
「こんなこと、しちゃいけないのはわかってるんです。でも、血よりも濃いものが欲しいんです」
 遼と出会う前、私の世界は灰色だった。
 勉強漬けで、少しでも失点をすれば叱られる日々。両親はいい高校に合格すれば、いい大学に合格すれば、努力は必ず報われるはずだと言う。でも、そのために積み重ねる現在は砂を噛むようなものだった。それにたとえいい大学に入ったって、今度は就職活動が待っていて、そこで仮にいい仕事に就けたとしても、その後は仕事に追われる生活だろう。いや、順調に仕事を続けていけるかさえ誰にもわからない。私はいつまで頑張ればいいのだろう。灰色の日々は生きていく限り永遠に続くように思えた。
 その中で私を惹きつけたのは血の赤だった。いや、赤だけではない。本当は煌めく全ての色が好きだった。でもそれを追い求めて何かを作ることは許されなかった。残された赤だけが私の頭の中にずっとあって、徐々に空想のものだけでは足りなくなって、一度実行してしまった後は歯止めが利かなくなった。
 遼がくれたものは赤よりも鮮やかな色だった。でも明るい色ではない。遼を色で表すなら、それは黒だ。黒いのにどこか透明さも感じる、不思議な色合い。彼の黒で私の全てを染めてしまいたかった。
「……もし、このまましてくれたら」
 今すぐに彼が欲しい。だから私は出来ない約束を口にする。
「私が、あなたを殺してあげる」
 遼が笑みを溢す。けれどどこか寂しそうな表情が気に掛かった。だからこそわからなくなる。殺されたいという思いは、間違いなく本心なのだろう。けれど殺したいという気持ちと殺したくない気持ちが両立することがあるように、その願望に反する感情が少しでもあるのなら、私は。
 自分の中心が、遼を呑み込んでいく。私の体重で奥まで入り込んでいく最中には、内臓を押し上げられているような痛みがあった。それでも、遼に与えられているものなら痛みすら愛おしい。
「気持ちいい、ですか……?」
 吐息を漏らしながら、遼は頷いた。けれどその目は私を突き抜けて、別のものを見ているような気がした。乱れた呼吸とともに溢された言葉に、心の表面が粗い鑢(やすり)でなぞられたように痛む。遼が黒なら、あの人は――詩乃は透明だ。けれど奥底に黒い何かがある。二人はきっと鍵と鍵穴のように噛み合っているのだ。おそらく、本人たちが思っている以上に。
「絵美……?」
 視界が滲んでいく。遼の体に透明な雫が落ちていった。
「ごめんなさい」
 私は血よりも濃いものが欲しいと思った。
 けれど、血も、それよりも濃いものも、両方持っている人がいる。
「……私は、遼さんに死んでほしくないです」
 遼がこれで私との関係を終わりにするなら、それでもいい。保険にもならない私は必要ないのだと言うなら、私はそれを受け入れる。でも私の本当の心だけは彼に知っていてほしかった。
 私は詩乃の代わりにはなれない。私では足りない。だったら、私は私として捨てられたい。いや、本当は――愛されたい。
 遼の腕が私に伸ばされる。抱きしめられながら、私は彼の胸に顔を埋めて泣いた。
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