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喫茶アルカイド

6・アメフラシ2

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「やっぱりここの人たちじゃ簡単に突破されちゃうかぁ」
 教室の中心の机に座り、笑いながら由真たちを品定めするように眺める少年。少年は制服のネクタイに指を入れ、それを緩めながら立ち上がった。少年の足元にはこの学校の生徒たちが折り重なるように倒れている。
「――目的は何?」
「目的? そんなの決まってるじゃないか。せっかくこんな力を持って生まれたんだから、有効活用してやらないとと思ってね。この力があれば何だってできる。能力のことが完全に解明されていない以上、俺がこの力で誰かを殺せって命じて、そいつがそれを実行したとしても俺は絶対に裁かれない」
 藁人形で人を呪ってその相手が死んでしまったとしても、呪いを証明することができないから殺人罪で裁くことができないように、能力による事件は能力によるものだと証明することができずに裁けないという例がかなりある。少年は不敵な笑みを浮かべて由真に近付いた。
「他人にやらせなくても、例えば俺が『自殺しろ』って言ったらそいつは死ぬ。けれど俺が命じたことを証明できなければ、俺は裁かれない。最高の能力だろ?」
「最低の間違いでしょ。他人の命を何だと思ってるの?」
「この世界のすべての命は俺に傅く。この力がある限りね」
 星音は拳を握りしめた。殴れるものなら今すぐ殴ってやりたい。能力者だって生身の人間だ。殴られればそれなりに痛いはずだ。けれど少年の能力の発動条件がわからない以上迂闊に動けないのも事実だった。
「『e3818ae3818de3828de38082e38193e381aee3818ae38293e381aae381b5e3819fe3828ae38292e38193e3828de3819be38082』」
 少年が謎の英数字の羅列を早口で言った瞬間に、倒れていた生徒たちが一斉に起き上がって由真と星音に向かって来る。星音は護身用のスタンガンを構え、由真は剣を構えた。生徒たちに取り囲まれた二人は背中合わせになる。
「多分吹っ飛ばせば命令はキャンセルされる。でも全員一気は無理だから、そっちは任せるよ」
「全員肋骨一本ずつくらいなら治せるんで、そっちも任せるで」
 小声でやり取りをしてから、由真と星音は一歩目を強く踏み込んだ。それほど強い衝撃が必要でないことは先程までの戦闘でわかっている。必要なのは速さだ。向こうが仕掛けてくる前に片付けなければならない。
 由真が剣で空中を薙ぎ払う。剣先が描いた弧に沿って生まれた不可視の力が、その延長線上にいる生徒たちをその衝撃波で吹き飛ばす。星音はその間に、自分に向かってきた生徒の体にスタンガンを押し当てた。攻略法がわかるなら敵になる相手ではない。由真たちは普段から訓練された機動隊や、自分の意志で能力を駆使する人たちを相手にしているのだ。
「流石にこれじゃ敵にもならないか。じゃあこんなのはどうかな?」
 少年が星音に近付く。少年は小ぶりのナイフを星音の目の前にちらつかせながら言った。
「『e38193e381aee3838ae382a4e38395e381a7e38198e38195e38――』」
 耳元で囁かれる命令の意味を理解することはできない。けれど星音は咄嗟に、最後まで聞いてはいけないと思った。だから思い切り、横に立つ少年の股間めがけて蹴りを繰り出した。
「……っ!」
「そのぐらいじゃ死なないから安心しぃや」
「くっ………てめぇ……! 『e38197e381a――』」
 少年が言い終わる前に、今度は由真が少年を腹部を蹴り、床に倒れた少年の首筋を掠めるような位置に剣を突き立てた。
「――残念だけど、もうあんたと遊んでる時間はない」
 由真は少年の緩んだネクタイを引っ張り、強引に上半身を起こさせる。そして逆の手でその背に触れた。
「まさか……!? 嫌だ! やめろ……っ!」
「もう手遅れだよ。自業自得だね」
 由真は冷たく言い放ち、背中に当てた手に力を込めた。由真の手が触れている部分が白い光を放ち、しばらくすると由真の手の中に少年のシードが現れた。その種からは黒い煙のようなものが出ている。星音は目を瞠った。
「ここまで進行してたらもう壊すしかない。あんたはもう力を使えなくなる」
「させるか……! 俺は、この力で……っ!」
 少年の制止を無視して、由真はその手を強く握り締める。手の中で種が壊れて消えるその瞬間に、由真の腕に血が滲んだ。
「あんたらは能力者ブルームのくせに無能力者ノーマの味方をするんだな。この無能力者ノーマの犬が」
 由真は何も答えなかった。少年の背から手を離し、傷ついた腕はそのままに、床に突き立てたままだった剣を手に取る。
「なぁ、そんなに強い力があるならお前だって思ったことくらいあるだろ!? 持って生まれた力を使って何がいけないんだ? 俺たちには力があって、あいつらには何もない。本当に優れているのは俺たち能力者の方だろ!?」
 由真は少年を無視して、手に持った剣を消した。もう少年は力を使えない。どれだけ喚いたとしても、それだけはもう変えられない事実なのだ。
「あんたは能力者のくせに俺たち能力者を裏切ってる。力を持つ人間からそれを奪って、自分は強いままなんて、あんたが一番の悪のくせに正義面しやがって」
「おいあんた、ええ加減にせぇや」
 何も言わない由真に代わって前に出ようとした星音を由真がやんわりと制する。星音は一瞬だけ見えた由真の表情が消えた瞳に気圧されて、それ以上何も言えなくなってしまった。



 校舎の外に待機していた悠子に少年を引き渡す。少年はまだ恨み言を吐いていたが、悠子に問答無用でパトカーに押し込められ、連行されていった。車が校門を出て行くのが見えたところで、星音は由真に声をかける。
「腕、出してください」
「別にいいよ。そんなたいした傷じゃない」
「私的にはたいした傷なんで。ほら、早く」
 由真は渋々といった表情で星音に腕を差し出した。種を壊すときの傷は、相手が壊されることにどれだけ抵抗しているかで大きさと深さが変わる。星音は由真の傷に触れながら溜息を吐いた。
「やっぱりめっちゃ深いやん……私がいるんやからこういうときは素直に治されてください」
 星音は能力で創り出した包帯を由真の腕に巻いていく。どれくらいの期間で治るかは星音が自由に決定できる。今回は傷が深いので三日間。それくらいならケーキ一つくらいのエネルギーで治すことができると踏んだ。
「――あいつ、やっぱぶん殴っときゃよかった」
 星音は包帯を巻き終わった由真の腕をなぞりながら呟く。許されるなら今すぐパトカーを追いかけて、中にいるあの少年を一発殴りたい。由真は星音の言葉を聞いて、小さく笑みを零した。
「由真さんはムカつかないんですか? 助けたのにあんなこと言われて」
「助けたとは思ってないよ、私は」
「でもあのまま放置してたら、暴走状態が進行して死んでたじゃないですか、あいつ。それを止めたのは由真さんなのに」
 能力者なら、暴走状態が進行すれば死んでしまうことくらいは誰でも知っている。だからこそ軽度のうちに鎮静剤を打つなどして食い止める必要があるのだが、進行してしまった場合は、普通なら死を待つしかない。けれど由真の能力で種を壊せば、能力を失う代わりに命までは失わずに済む。そして由真は暴走状態が進行した能力者にしかその力を使わない。やっていることはその命を助ける行為なのに、何故それを理解していない人に「無能力者ノーマの犬」だなんて蔑称で呼ばれなければならないのだろうか。そして反論することもできるはずなのに、アルカイドの他のメンバーが同じことを言われていたら客にだって言い返すのに、どうして自分にそれが向けられたときは黙っているのだろう。星音は包帯が巻かれた痛々しい細腕に視線を落とした。
「こんな風に怪我してまで助けたのに、って思わないんですか?」
「思わないよ。私は自分のやりたいことをやってるだけだし、それは自分が一番わかってる。だから他人に何を言われても関係ない。それにもう慣れたよ、ああいうのは」
 帰ろう、と制服を脱ぎながら由真が言う。最初に着替えた更衣室に向かう由真を慌てて追いかけながら、星音は思わず左胸を押さえた。
(慣れたらあかんやろ、こういうのに――)
 生物の授業で、「慣れ」について教わったばかりだった。アメフラシという生物は、水管に接触刺激を受けると、水管を引っ込めて身を守る。しかしその接触刺激を何度も繰り返すと慣れが生じて水管を引っ込めなくなる。けれどそのアメフラシに電気ショックを与えると慣れる前のように水管を引っ込めるようになるのだ。その話を聞いたとき、星音は密かに「人間の都合でアメフラシも慣れさせられたり、かと思ったら鋭敏化させられるなんて踏んだり蹴ったりじゃないか」と思ったのだ。
(……アメフラシになったらあかんで、由真さん)
 何年も闘いに身を投じてきたのだから、確かに慣れてしまうのかもしれない。それでも星音には、由真は傷ついているのに、それを気にしないようにしているように見えたのだ。一瞬だけ由真が見せた表情のない瞳。それが由真の本心のような気がしてならなかった。
(……自分のやりたいことをやってるからって、傷つかないわけないやろ)
 由真に追いついた星音は、その手をそっと握った。星音の能力で傷ついた心を治すことはできないけれど、せめて少しでもその心が軽くなることを祈っていた。
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