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喫茶アルカイド

7・Bitter & Sweet 1

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「えらい量やな……」
「これが梨杏からで、こっちが寧々で、これが或果で、あとこっちは前に助けた子たちからかな」
 大きめな紙袋にいっぱいになるほどのチョコレート。大小さまざまな箱とチロルチョコが一つ(ちなみにこれは由真の幼馴染みである亘理梨杏からのものだ)、とても一人で食べられる量ではない。尋常じゃないモテ方だ――と瀧口星音はその壮観な光景を眺めていた。
「みんなわざわざ義理堅いよね。別にこっちは仕事でやってんのに」
「せ……せやな……」
 それが全部本命の可能性は考えていないんだろうか。星音は首を傾げる。
(考えてたらこんなこと言わへんか……)
 梨杏からのチロルチョコ以外義理と言うにはあまりにも高級そうなチョコ、もしくは手作りばかりなのに、由真はそれに気が付いていないようだ。
「由真さん、それ食べきれるんですか?」
「全部一つずつは食べるけど、でもこの辺は『皆さんでどうぞ』って渡されたし」
「皆さんでどうぞにこんな高級チョコを……」
 多分本命なんだけど言うことはできなかったんだろう。気持ちはわかる。星音は一人でうんうんと頷いた。言ったところで伝わらなさそうだし。でも律儀に全部一つずつは食べるのは由真さんらしい。それは星音以外の喫茶アルカイドの店員たちも同じ意見だろう。
(ていうかこの状況どうすればいいんだ……既にこんなに貰っている人にチョコを追加するの、絶対良くないと思うんだけど。しかも何でうち初めての手作りとかに挑戦した?)
 星音は表情を崩さないようにしながらも心の中で頭を抱える。初めてのバレンタインデーに張り切りすぎてしまった。由真にチョコレートを渡したいという気持ちだけが先走りすぎて、渡すときのことを何も考えていなかったのだ。
「甘いもの食べたらコーヒー飲みたくなってきた」
 星音の懊悩をよそに、由真はのんきなことを言ってコーヒーを淹れ始める。ただし彼女はブラックコーヒーが飲めず、砂糖とミルクは必須なので、結局甘い飲み物になってしまう。けれどそのことを指摘する余裕は星音にはなかった。
「星音?」
「な……なんですか?」
「いや、何か悩んでんのかなと思って」
 何でこういうところは目ざといんだこの人。星音は額に手の甲を当てて溜息を吐いた。このまま隠し通すのも無理だと悟った星音は、意を決して、鞄から綺麗にラッピングした小さな箱を取り出す。
「あ、あの……今日バレンタインなんで、由真さんに!」
「ありがと。でも星音まで気を遣わなくて良かったのに」
「いや、えっと……友達と手作りチョコ交換しようってなって、練習兼ねて作ってたら作りすぎちゃったんで……」
 本当は由真にあげるために練習してたら作りすぎてしまったので友達にもあげたのだが、正直に言うことはできなかった。本命と言って受け取ってもらえなかった場合ダメージが大きすぎる。由真が突き返すような人でないことはわかっていても、踏み出せないのが恋心というものだ。
「ってことはこれ手作りなんだ」
「あ、はい……レシピは寧々さんに教えてもらったんですけど……」
 生チョコは極めようと思うと難しいけれど、普通に手作りするだけなら比較的簡単にできる。難しくはなかったけれど、それで喜んでもらえるかどうかはわからない。星音は不安な顔をしながら、剣の形をしたピックを使って生チョコを食べる由真を見守る。
「うん、美味しい」
 そう言って由真が笑みを浮かべた。由真は意外に思っていることが顔に出るから、少なくとも不味くはなかったのだろう。星音がほっと胸を撫で下ろしていると、由真の右手首につけている端末が振動した。この喫茶店の店主・ハルからの連絡だ。由真が小さく溜息を吐く。この端末が振動するときは、喫茶アルカイド店員としての本来の仕事をしなければならないときなのだ。由真が端末に触れて、低い声で通話に応じる。
「――はい」
『エリアA-5で謎の事件が続発しているらしいんだけど、今行けそう?』
「お客さんは誰もいないけど……寧々たちはまだやってんの?」
 今日の担当は本来、渚寧々と、数ヶ月前に週二回のバイトとして雇われた杏木黄乃だ。しかし二人は一時間ほど前から他の事件の対応のために出ている。そちらがまだ終わっていないなら、由真と星音が出るしかない。残る月島或果と亘理梨杏は今日は休みだ。
『結構苦戦しているらしい。終わり次第加勢するように言っておくから』
「了解。じゃあ行こっか、星音」
 由真がチョコレートの箱を紙袋にしまいながら言う。星音のチョコレートはその一番上に乗せられ、紙袋ごと店の業務用冷蔵庫の中にしまわれた。



『わっ! え、ちょっと待って!』
「標的は二時の方向と十時の方向。来るよ!」
『ちょっと待ってってば……っ!』
 慌ててはいるけれど充分戦えてはいる。寧々は腕組みをしながら戦闘の様子を見守る。黄乃は機械を操る能力を持っているということがわかったので、それなら攻撃に使える機械を作ってしまえばいいということになり、二週間前からその機械が実戦に投入された。寧々は少し離れたところで戦闘の様子を見守りながらインカムで指示を出す。寧々が戦闘を組み立て、黄乃がそれを実行する。戦闘の展開の速さについていけない黄乃が半ばパニックに陥っているが、寧々の言うことはきちんと聞こえているようで、おかげでそれなりに戦えるようになってきている。
(由真より言うこと聞いてくれるしね)
 由真が店に来たばかりのときは寧々とペアを組むことが多かった。けれど由真は寧々の指示を聞きながらも完全に無視したりすることが度々あった。
(それにしても……このままじゃ埒があかない)
 どこからか飛んでくる小さな鉄の玉を防ぎ、たまに撃ち落とすことはできている。こちらに注意を引きつけている間に近隣の住民は避難させた。けれど誰が攻撃しているのかがわからない限り問題は解決しない。
(能力は物体を発射する力……けれどあまり重いものは飛ばせない、かな。多分この鉄の玉が限界。十分危ないけど)
 速度があるから、銃で攻撃されているのと変わらない。早く狙撃手を見つけなければ永遠に平行線だ。寧々が能力の残滓を辿りながら周囲を見回していると、手首につけている端末が振動した。
「ああもう、何、ハル姉!?︎ 取り込み中なんだけど!」
『エリアAー5で謎の事件が続発していると連絡が入った。今、星音と由真が向かったけど、そっちも終わり次第駆けつけてくれ』
「謎の事件が続発?」
『突然何人もの人が倒れたり、暴れ出したりしているらしい』
「それ由真は詳細聞いて行ったの?」
『星音の端末に送っておいた』
 対応としてはそれが正解だ。由真に言ったところで聞きはしない。寧々は戦闘の状況からは目を離さないようにしながらハルに応える。
「てか、由真たちの方が本命じゃない? こっち陽動で」
『だろうな』
「わかった。五分以内に終わらせる」
 寧々は通信を切り、左目を手で覆った。早く終わらせるためには本気を出すしかない。こちらは狙撃手を倒してしまえば一応は終わるのだ。あまりやりたくはなかったが仕方ない。
「見えた。二時の方向、飛距離最大で」
『え!?︎ まだそれ使ったことないよ……!』
「頑張ればできる!」
『そんなぁ……!』
 ほとんど泣きべそをかいている黄乃。寧々はインカムに向かって、彼にとっての殺し文句を言った。
「こっちさっさと切り上げて、由真の方に加勢しに行くよ!」
『え、由真さんたちも出てるんですか!?︎』
「そうみたい。黄乃が頑張れば由真もちょっと楽できるかなぁ」
『わ、わかりました! わかんないけど、やってみます……っ!』
 由真の名前を出すと黄乃は弱い。それに気が付いていないのは由真だけだ。どうやら由真が黄乃の推しに少し似ているかららしいが、寧々にとっては関係のないことだった。どんな手を使ってでも、人を利用してでも、早く由真のところに行かなければならない。
 黄乃が持っている球体型の機械から白い光が放たれる。その真っ白な光線には能力者の能力をほとんど使えなくする力がある。でも実戦に投入するのは初めてだ。そしてこの光を長時間浴びせるのも良くないらしい。寧々は黄乃をその場に待機させたまま、標的がいる場所に向かって走り出した。能力者は、能力が使えなくなると体を動かすことができなくなる。その間に確保すれば、傷をつけずに標的を捕まえることができる。実験ではうまくいった。けれど実際に戦闘で使うのは初めてだ。うまくいっていることを願いながら、寧々は廃ビルの階段を駆け昇った。
 屋上の扉を開けると、寧々たちよりも少し年下に見える少年が蹲っていた。少年は寧々に気が付くと、鋭い視線を寧々に向ける。
「事情はあとで聞くから」
 寧々は少年に電子手錠をかけながら、彼を冷たく見下ろす。あまり人には見せたくない姿だ。自分自身の苛烈さを普段は抑え込んで生きているのに、ある一つのことに関してだけは余裕がなくなってしまう。
「でもひとつ教えて。――向こうは何人いるの?」
 由真たちが対応している場所の方が敵の数は多い。むしろそちらが本命だ。加勢する前に出来るだけ情報を入れておきたい。
「……教えるわけないだろ。あんたらは俺たち能力者を狩る側だ」
「私たちは能力者がそうでない人と共存できる方法を模索してるだけなんだけど」
「共存なんてできるわけないだろ? あいつらは俺たちに何をした!?︎ お前たちだって能力者ならわかってるんだろ!」
「わかってる。でもそれに負けて暴れてるんじゃあいつらと同じでしょ」
 能力者は差別され、迫害されている。それはこの世界での真実だ。けれどそれに耐えきれずに暴れれば、更に能力者が危険視される原因になってしまう。どうすればいいのかなんて、寧々にもまだわかってはいなかった。きっと誰にもわからない。ただ、目の前のことに一つずつ向き合うことしかできないのだ。
「……私たちがどんな気持ちで闘ってるかなんて、わかるわけないよね」
 共存の手立てを探して、能力者たちのトラブルを解決するために喫茶〈アルカイド〉は作られた。けれどその活動の中で、何度も同族である能力者を攻撃しなければならないことがあった。その度に無能力者の味方なのかと言われ、矢面に立たされ続けている仲間のことを寧々は想う。
「私はみんなと違って自分勝手だから、目的のためなら何でもするよ」
 寧々はそう言うと、懐に手を入れ、片手に収まるほどの小さな銃を少年に突きつけた。撃つつもりはない。情報を漏らす程度に少年を脅せればそれでいい。
「言いなさい。――向こうは何人いるの?」
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