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蒼き櫻の満開の下

3・美しく鮮烈な光2

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「あーあ、絶対向こうの仕事の方がいっぱい人殺せたのに……」
 ιUMaタリタは溜息を吐いた。アズールを使用した能力者たちが大勢で暴れる事件。能力者に対抗する手段を持つあらゆる組織をそこに集めるのが目的だと創一は言っていた。けれど結局彼らは邪魔者なのだから、全部殺してしまえば解決するのに。タリタは最後まで派手な作戦には使わない。それが創一の方針らしかった。
「ま、こっちもこっちで楽しそうだけど」
 大学病院の裏手にある細い道。標的がここをよく使うことは調査済みだ。人通りもなく、事を運ぶにはもってこいの場所。あとは彼女がここを通るのを待つだけだ。タリタは街灯の上にしゃがみ、時計を見た。そろそろ面会時間が終わる。彼女はいつも時間いっぱい友人を見舞ってから帰路につく。もうじき来る頃だろう。タリタは笑みを浮かべた口元を手で隠した。久しぶりの仕事で思わず笑みが零れてしまうのだ。
(あ、来た)
 ポケットに手を突っ込み、鋲や鎖をあしらった黒い服に身を包む金髪の少女。特定のカラーギャングには属していないが、色々なところに出入りしていて、街では一目置かれた能力者。能力は幻覚系。名前は一条純夏。タリタは微笑み、右手を上に向けた。すると薄緑色のサイコロほどの大きさの半透明の立方体がタリタの手の上に浮かぶ。タリタはそれを軽く握った。
「……っ!」
 純夏は右腕を押さえて呻き声を上げた。骨までは折れていないだろう。不意の攻撃を受けた純夏は、周囲を警戒しながらも姿を消した。人に幻を見せることができる能力だから、そこに何もないという幻も見せられるのだ。
「無駄よ」
 どこにいるのかわからないのなら、辺り一帯を攻撃してしまえばいい。タリタは両手の間にサッカーボールほどの大きさの立方体を作り出し、それを一気に潰した。
「っ……何なんだよてめぇ!」
 純夏が再び姿を見せる。姿を消すのは無駄だと判断したのだ。
「あいにくあんたにいきなり攻撃されるようなことをした覚えはないんだけど」
「創一様はあなたのこと邪魔だって。幻覚系って相性悪いのよね、確かに。でも私はそんなことどうだっていい。私は、ただ私が楽しいことをしたいだけ」
「人をいきなり攻撃することが楽しいなんて、綺麗な顔して随分悪趣味だな」
 タリタはくすりと笑って、両手を頬に添えた。攻撃することが楽しいのではない。本当に楽しいのはその先だ。
「勘違いしないで。私が好きなのは人の悲鳴を聞くことと、人の命を奪うこと。だからね、一条純夏さん」
 純夏の足には既に力が込められている。逃げるつもりなのだ。けれどそれを許すつもりはない。タリタは両手にひとつずつ、小さな箱を出現させた。

「いっぱい悲鳴を上げて、それから死んでくれる?」

 タリタは両手の箱を一気に握り潰す。その瞬間に純夏の喉から悲鳴が漏れた。その声を聞き、タリタは頬を紅潮させた。まずは両足。骨まで砕いたから、これでもう動くことはできない。しかし純夏は腕を伸ばして、近くの小石を掴んだ。小石はナイフに姿を変え、タリタに向かって飛ばされる。しかしタリタは小さな箱を出し、その全てを一撃で潰した。
「ねえ、次はどこがいい? 首は最後だけど、指か腕か……肋骨っていうのもあるわね」
「この悪趣味変態野郎が……っ!」
「野郎なんて失礼ね。でも野郎に対応する、女の子を表す言葉って何だったかしら?」
 タリタはそう言いながらも、次々箱を出現させ、十個ほどの立方体を空中に浮かべた。そしてそのうちのひとつを右手で潰す。純夏の右手の指があり得ない方向に曲がる。タリタを喜ばせないように悲鳴を必死で堪えるが、それでも呻き声は漏れてしまった。
「ああ、最高よ。その声もっと聞いてたい……! 次はここ……!」
「ぐ……っ、ぅ、あ……っ!」
「ああ、そうよ……もっと聞かせて……!」
 タリタは高揚した声を上げながら、次々と箱を破壊していく。鎖骨、肋骨、肩甲骨。体のあらゆる部分をひとつずつ破壊する。久しぶりの仕事だからか、それでも満足にはほど遠かった。
「うーん……もっと楽しみたかったんだけど、そろそろ時間みたい。最後はこれね?」
 タリタは最後の箱を手に取り、その天地に手をかける。それをねじるために力を込めた瞬間、純夏の首筋にも強い力がかかる。純夏が自分の死を覚悟した瞬間、タリタの後ろから向かってくるライトが見えた。無骨なバイク。運転しているのは女性だ。タリタをひき殺しそうな勢いで突っ込んできたバイクは、しかしその直前で止まった。
「――何してるんや、あんた」
「瀧口星音……」
 喫茶アルカイドの従業員の一人、瀧口星音。戦闘向きの能力ではないが、現在は柊由真と組んで事件の解決にあたっている。由真と組んでいるためか、出動の回数は実はそれなりに多い。
 ここで星音と交戦になるのは創一の意に反する。タリタは手首につけたブレスレットからワイヤーを引き出すと、それを電柱に引っかけ星音の手が届かない高い場所まで飛んで逃げた。星音は追跡しないことに決め、地面に倒れている純夏に駆け寄る。
「大丈夫?」
「死んではないって程度だね……死んでもおかしくないけど」
「このままやと病院運ぶのも厳しいな。病院まで行ける程度に治したる」
 先程由真の傷を治した分だけ体力を使ってしまったが、病院まで運べる程度ならどうにかなる。星音は純夏の足に触れ、骨が折れて腫れた足に能力で作り出した包帯を巻いていった。
「何があったん?」
「さあね。恨みは色んなところで買ってるから。でもあの女、確か創一様がどうとか言ってたな……。創一って確かアレだろ、月島の……」
「或果さんの腹違いの兄貴、で月島家の次代当主やな。せやけどなんでうちらやなくて……」
「空間支配能力は目を使って発動するから、幻覚系とは相性が悪いはずだ。まあ確かに最近色々首を突っ込みすぎた自覚はある」
 敵になると判断したから殺そうとしたのだ。それは結局、あのタリタという女が純夏を苦しめることに執心しすぎたせいで、星音が来てしまって失敗したのだが。
「向こうが私に関わって欲しくないって言うんなら、それは成功してるな。これじゃしばらくは動けない」
「治してやりたいところやけど……私が寝込むことになるからな」
「少しだけでも助かったよ。あんたがいなきゃあのまま野垂れ死ぬところだった」
「これで固定したらバイクの後ろに乗るくらいはできるやろ。病院すぐそこでよかった」
 星音は純夏をゆっくりとバイクに乗せ、出発するための準備をする。純夏は溜息を吐きながら携帯電話を取り出し、待ち受け画面の通知を見て首を傾げた。
「あんたらんところの……渚寧々から不在が入ってるんだけど、心当たりある?」
「寧々さんから? 心当たりはないな」
「どうせ厄介な話だろうけど。この手で携帯持つの厳しいから代わりに電話しといてくれる?」
「いや先に病院やろ」
 寧々の番号は星音の携帯にも入っているのだから、純夏を病院に連れて行ってからでもいい。星音は純夏を振り落とさないように慎重にバイクを走らせた。すぐ近くの大学病院の救急に駆け込むと、看護師が幾分慌てた様子で車椅子を持ってきた。
「車椅子は押す方がメインだと思ってたんだけどな。とにかく助かったよ、ありがとう」
「いやそこまでは助けられてへんけど……寧々さんには私から連絡しとくで」
 診察室に呼ばれた純夏を見送ってから、星音は寧々に電話をかけた。ワンコールも待たずにすぐに電話がつながる。
『星音ちゃん? 何かあった?』
「純夏さんに電話しましたよね? その用事を代わりに聞こうと思って」
『今一緒にいるの?』
 星音は事情を簡単に説明した。由真を歩月に預けた後、近道をして帰ろうとしたところで襲われている純夏を見つけ、多少動ける程度に治療してから病院に運んできたこと。説明が終わる頃に何かを叩くような音が電話越しに響いて、星音は思わず体を縮こまらせた。
『こっちもあまりいい状況ではないのよ。さっきの事件は完全に陽動で、その間に或果を奪われた。どこにいるかは何となくわかっているけれど、こちらの戦力を考えると今すぐ助けにもいけない状況で。だから純夏の助けを借りようと思ったんだけど――その可能性は潰されてしまったみたいね』
「純夏さんほぼ外傷やから、やろうと思えば治せはするんやけど……やったら私が二ヶ月くらい寝込むことになりかねないというか……」
『そんなことを頼むつもりはないわよ。でも……これで由真を出さないわけにはいかなくなったわね』
「由真さん……あの状態のあの人を出すつもりなん?」
 とても戦わせられる状態ではなかった。毒に関しては歩月の能力で抜くことができるだろうけれど、問題は精神的な面だ。それは寧々もわかっているだろう。
「無理やろ……!? あの状態でこれ以上戦わせたらあの人本当に壊れてまうで!?」
『私だってわかってんのよそんなことは!』
 寧々の声に、星音は目を見開いた。寧々が声を荒げるところを初めて聞いた気がする。それだけ寧々にも余裕がないのだ。
『でも……或果を助けられなければ、もっと酷いことになる。由真がこの状況を知れば、たとえ自分がどんな状態でも行くって言う』
 星音は唇を噛んだ。由真なら確実にそうするだろう。由真はいつだって自分自身のことは二の次で、他人のことばかり心配している。そして或果を助けることができなければ、おそらく取り返しのつかないほどに壊れてしまうことも容易に予想ができた。
 ――星音みたいに、誰かを助けられる力だったらよかったのに。
 先程聞いた由真の言葉が星音の頭の中を巡っている。星音の力は誰かの傷を治すことはできる。けれど誰かを助けるために戦うことはできないのだ。
(私は……由真さんを助けられる力が欲しい)
 由真だけをつらい目に遭わせないように、戦える力があったならどれだけ良かっただろう。星音は待合室の長椅子に座り込み、うずくまった。
「……寧々さん……でも、私は……それでも由真さんを行かせたくはない」
『星音ちゃん……』
「純夏さんを襲った奴、かなりヤバいと思います。殺すだけなら最初から首の骨折ったら良かったのに、出来るだけ痛めつけようとしてるみたいだった……そんな人がいるようなところに、あんな状態の由真さんを行かせるなんて、それこそ死なせに行くようなもんじゃないですか……っ!」
 けれど寧々は選択を変えないだろう。星音も理解していた。たとえ由真本人が死んでしまうかもしれなくても、それが最善の選択なのだ。そうしなければ或果を救い出すことはできなくて、或果を救い出すことができなかったときに由真がどんな状態になるかは――正直考えたくない。だからといって他の人を戦いに向かわせて、仮にその人が命を落としたとしたら――。考えれば考えるほど、由真を行かせることが最善だと気が付いてしまう。
『由真は死なないわ。あの子は――あなたが思ってるより、ずっと強いんだから』
「寧々さん……」
『どちらにしろ、由真には事情を説明する必要があるわね。知ったら傷つくだろうけど、隠されたらもっと傷ついてしまうような子だもの。星音ちゃんは、今日はもう帰ってゆっくり休んで。星音の力が必要になる可能性は高いから』
「……わかりました」
 言いたいことを全て飲み込んで、星音は返事をした。寧々の言うことを鵜呑みにすることはできない。けれど信じるしかなかった。由真は強いという寧々の言葉を。そして由真が勝つことを。
(体の傷ならいくらでも治したるから……どうか――)
 既に戦える状態ではないと言われれば確かにそうかもしれない。けれど由真の体が動く限り戦うしかないのだ。それが他でもない由真の望みだと、どうしようもないくらいに知ってしまっているから。星音が拳を握り締めた瞬間、診察室の扉が開いて、車椅子に乗せられた純夏が姿を見せた。
「純夏さん……!」
「しばらく入院だってさ。そりゃそうだよな。でもまあ死ななかっただけどマシだな」
「そう……ですね」
「悪いな。こんなんだから手を貸してはやれない。何とかしてやりたいところだが……全身痛くて能力もろくに使えない」
「純夏さん、さっきの電話聞こえて……?」
「そりゃあんだけ大声あげたら聞こえるだろ。あんたの気持ちはよくわかる。だからこそ、今日は家に帰ってよく休むといい。私に力を使った分を回復する必要があるだろう?」
 確かにある程度動けるようにするだけでそれなりに体力を奪われた。それほどに純夏は痛めつけられていたのだ。星音はゆっくりと頷く。
「あとこれが足しになるかはわからないけど。――持って行け」
 そう言いながら純夏がポケットから取り出したのは個包装のクッキーが一つと飴が二つだった。しかし全て中で砕けているのがわかる。
「粉々やん……」
「仕方ないだろ……あの女の攻撃受けたときにポケットに入れてたら一緒に砕けたんだ」
「いやもう明らかにいらんから押し付けとるやろ……まあ足しにはなるからありがたくもらっとくで」
 星音はクッキーと飴を受け取ると、粉々になった中身を慎重に口に含んだ。これで少しは能力を使った分が回復できる。あとは家に帰って食事と睡眠をしっかり摂らなくてはならない。純夏が看護師に車椅子を押されてエレベーターホールに向かう。星音はその姿を見送り、粉々になった飴を口の中で溶かしながら病院をあとにした。
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