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帰ってきた龍の姫
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「姫様、見えて参りましたぞ!」
その声に、少女はゆっくりとまぶたを開いた。
おかっぱ頭のまだ幼げな顔立ちだが、龍の一族において唯一無二の存在、龍姫であった。
名を瑛という。
瑛は、キョロキョロと辺りを見回した。
いつの間にか、自動車は町中の大きな通りを走っている。正面の窓いっぱいに見えるのは、どこまでも続く白壁。
「あの白壁の向こうが、姫様がこれからお住まいになる龍宮にございます」
目的地が見えたことに、瑛は少しほっとする。
それと同時に、小さな不安がよぎった。
離宮で暮らしていた瑛が、龍宮へ戻ってきたのは、自分の夫、つまりは次の龍王を選ぶためである。ただ正直に言うと、夫を選ぶということが、よく分からないでいた。
瑛はいまだ、恋を知らない。
はたして、ちゃんと選べるだろうか。
「みな、姫様のお帰りを、どれほど、どれほどっ、待ち望んでおったことか! 本当に、よろしゅうございました。姫様」
隣に座っていた地戸瀬ノボルが、おいおいと泣き出した。瑛は見向きもしない。出発の時にも、まったく同じ台詞で泣いていたから、またかと思っただけだ。
「このノボル、姫様がお生まれになった日のことは、今でも鮮明に覚えておりますぞ。あれから、十六年。これほど、ご立派に……なられ……うぅっ」
ノボルが感極まって、声を詰まらせる。
彼は、先代の龍王を長きに渡り支えてきた、有能な人物である。
その一方。ダルマみたいな体をして、涙もろく、心配性で、過保護で、とにかく話が長い。そう、一分で済む話を、十分もかけてしまう、少々、面倒くさい爺やであった。
話を右から左へ聞き流しながら、瑛はごくごく小さく、息を吐いた。
十六になったというのに、成長は十二歳で完全に止まっている。少しでも年相応に見えるよう、女学生っぽい格好をしているが、どこへ行ってもおませな小学生に間違われてしまう。これもまた、瑛の悩みだった。
「……よろしゅう、ごっ、ござい、ばじだだぁ。姫様」
隣から、ずびびーっと、派手に鼻をすする音が聞こえてきた。
それに瑛が、ちょっぴり、うんざりした、その時だった。
ガタンと、自動車が揺れた。
その途端に、吐き気がこみ上げてきた。
瑛が暮らしていた離宮は、山の上にあった。そこから曲がりくねった山道を進むにつれ、段々と気分は悪くなっていった。脳みそをぐるぐると掻き回されているような、腹の中をぎりぎりと絞られているような、最悪の気分。
ただ、ノボルに『体調が悪い』なんて言うと、大騒ぎするに決まっている。
それに、瑛には心当たりがあった。
迎えを待っている間、隠れてこっそり食べた大福。あれが、いけなかったのだろう。
あの豆大福は、一週間ほど前のお茶請けに出されたものだった。後で食べようと取っておいたのを、すっかり忘れていたのだ。カビはなかったし、おかしな臭いもなかったから、大丈夫だと思ったのだが……。
そんな理由もあって、ノボルにはちょっと言い出しにくかった。
瑛は手を握り締め、吐き気を堪える。山道を過ぎてからは、少し落ち着いたと思っていたのに。とにかく一刻も早く、目的地につくことだけを祈る。
自動車は大きな石門をくぐり、 白壁の中へと入って行く。石橋と門扉を二つずつ通過し、ようやく車が止まった。
すぐに、瑛の側の扉が開かれる。
「おかえりなさいなさいませ。瑛様」
ずらりと並んだ出迎えの人々が、一斉に頭を下げた。
瑛も何か返事をするべきだろうが、それどころではない。転げるように外へ出て、きょろきょろと辺りを見回した。少し離れたところに、 形よく整えられた低い木が見える。無作法だけど、その陰しかない。
が、一歩、踏み出したところで、背後から首根っこを捕まれて、身動きが取れなくなってしまう。
「どちらへ?」
掴んでいたのは、先ほど自動車の扉を開けてくれた男だった。
「どちらへ?」
男は先ほどと全く同じ調子で、繰り返した。暗い青色の目が、こちらをにらみつけて、いや、不審そうに見つめている。だが、瑛には答えられない。
「……んぐっ」
瑛は口を押さえ、涙目になって、男を見上げる。
少し歪んだネクタイも、着丈の長い上着も、ズボンも、何から何まで、お高そう……
しかし。もう、だめだ。
離宮からここまでの長い道のり、ずっと堪えてきたが、その我慢も限界がきていた。
「おえぇぇえええ」
吐きながら、瑛は心の中で謝った。
……これが後の龍王、つまり、瑛の夫となる人物との出会いであった。
その声に、少女はゆっくりとまぶたを開いた。
おかっぱ頭のまだ幼げな顔立ちだが、龍の一族において唯一無二の存在、龍姫であった。
名を瑛という。
瑛は、キョロキョロと辺りを見回した。
いつの間にか、自動車は町中の大きな通りを走っている。正面の窓いっぱいに見えるのは、どこまでも続く白壁。
「あの白壁の向こうが、姫様がこれからお住まいになる龍宮にございます」
目的地が見えたことに、瑛は少しほっとする。
それと同時に、小さな不安がよぎった。
離宮で暮らしていた瑛が、龍宮へ戻ってきたのは、自分の夫、つまりは次の龍王を選ぶためである。ただ正直に言うと、夫を選ぶということが、よく分からないでいた。
瑛はいまだ、恋を知らない。
はたして、ちゃんと選べるだろうか。
「みな、姫様のお帰りを、どれほど、どれほどっ、待ち望んでおったことか! 本当に、よろしゅうございました。姫様」
隣に座っていた地戸瀬ノボルが、おいおいと泣き出した。瑛は見向きもしない。出発の時にも、まったく同じ台詞で泣いていたから、またかと思っただけだ。
「このノボル、姫様がお生まれになった日のことは、今でも鮮明に覚えておりますぞ。あれから、十六年。これほど、ご立派に……なられ……うぅっ」
ノボルが感極まって、声を詰まらせる。
彼は、先代の龍王を長きに渡り支えてきた、有能な人物である。
その一方。ダルマみたいな体をして、涙もろく、心配性で、過保護で、とにかく話が長い。そう、一分で済む話を、十分もかけてしまう、少々、面倒くさい爺やであった。
話を右から左へ聞き流しながら、瑛はごくごく小さく、息を吐いた。
十六になったというのに、成長は十二歳で完全に止まっている。少しでも年相応に見えるよう、女学生っぽい格好をしているが、どこへ行ってもおませな小学生に間違われてしまう。これもまた、瑛の悩みだった。
「……よろしゅう、ごっ、ござい、ばじだだぁ。姫様」
隣から、ずびびーっと、派手に鼻をすする音が聞こえてきた。
それに瑛が、ちょっぴり、うんざりした、その時だった。
ガタンと、自動車が揺れた。
その途端に、吐き気がこみ上げてきた。
瑛が暮らしていた離宮は、山の上にあった。そこから曲がりくねった山道を進むにつれ、段々と気分は悪くなっていった。脳みそをぐるぐると掻き回されているような、腹の中をぎりぎりと絞られているような、最悪の気分。
ただ、ノボルに『体調が悪い』なんて言うと、大騒ぎするに決まっている。
それに、瑛には心当たりがあった。
迎えを待っている間、隠れてこっそり食べた大福。あれが、いけなかったのだろう。
あの豆大福は、一週間ほど前のお茶請けに出されたものだった。後で食べようと取っておいたのを、すっかり忘れていたのだ。カビはなかったし、おかしな臭いもなかったから、大丈夫だと思ったのだが……。
そんな理由もあって、ノボルにはちょっと言い出しにくかった。
瑛は手を握り締め、吐き気を堪える。山道を過ぎてからは、少し落ち着いたと思っていたのに。とにかく一刻も早く、目的地につくことだけを祈る。
自動車は大きな石門をくぐり、 白壁の中へと入って行く。石橋と門扉を二つずつ通過し、ようやく車が止まった。
すぐに、瑛の側の扉が開かれる。
「おかえりなさいなさいませ。瑛様」
ずらりと並んだ出迎えの人々が、一斉に頭を下げた。
瑛も何か返事をするべきだろうが、それどころではない。転げるように外へ出て、きょろきょろと辺りを見回した。少し離れたところに、 形よく整えられた低い木が見える。無作法だけど、その陰しかない。
が、一歩、踏み出したところで、背後から首根っこを捕まれて、身動きが取れなくなってしまう。
「どちらへ?」
掴んでいたのは、先ほど自動車の扉を開けてくれた男だった。
「どちらへ?」
男は先ほどと全く同じ調子で、繰り返した。暗い青色の目が、こちらをにらみつけて、いや、不審そうに見つめている。だが、瑛には答えられない。
「……んぐっ」
瑛は口を押さえ、涙目になって、男を見上げる。
少し歪んだネクタイも、着丈の長い上着も、ズボンも、何から何まで、お高そう……
しかし。もう、だめだ。
離宮からここまでの長い道のり、ずっと堪えてきたが、その我慢も限界がきていた。
「おえぇぇえええ」
吐きながら、瑛は心の中で謝った。
……これが後の龍王、つまり、瑛の夫となる人物との出会いであった。
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