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第二章 桐壺と澪標
桐壺と澪標 -8
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彰胤は、牛車に揺られていた。目的地は四条にある屋敷。会うのは久しぶりになる。滅多に宮中にはやって来ない人だから。
「彰胤、久しいね」
屋敷に着いて通された先で、前に会った時と変わらない声で話かけられた。彰胤は、御簾の向こうにいる人へ微笑みかけた。
「お久しぶりです、姉上」
女二の宮、そう呼ばれる彰胤の姉。夫が亡くなってからは出家して内裏から離れた四条の屋敷でゆったりと暮らしている。別の者との再婚の話も出ていたらしいのだが、それを一蹴して、出家した時は驚いたが、姉らしいとも思った。
「また狙われたらしいけど、その様子だと問題ないね。たくましいこと」
「それほどでも」
「褒めてない、呆れているの」
姉は、内裏や宮中で起こる権力のごたごたが嫌いなのだ。さっさと出家したのも飽き飽きしたからだと言っていた。
「実は、姉上にお願いしたいことがありまして」
「珍しく追い返さない姫に関わること?」
「騒動のことといい、お耳が早い」
「私ではなく、侍女たちがね。噂が好きな者が多いから、ここにいても宮中のことはすぐに知れる」
彰胤は、一つ息をついて、改まってそれを口にした。
「姫を、姉上の養女にしていただきたいのです」
「養女? 朔の姫と呼ばれる姫をか」
彰胤は、宵子が藤原の家で冷遇されてきたこと、今回の騒動に巻き込まれて殺されかけ、今は中納言から返せと催促が来ていること、などを簡潔に話した。星詠みのことは伏せておいた方がいいと思い、言わないことにした。そこまで話せば、姉を権力闘争の中に引きずり込んでしまい兼ねない。
「なるほど。私が断れば一人の姫の命が危ない、というわけね。それは心苦しいこと。彰胤、私がそう言うと見越しての提案ね?」
さっぱりとした性格の姉だが、情に厚いことは知っている。
「その姫は、信用出来るの……いや、言い方を変える、惚れているのか」
彰胤の脳裏には、流星雨の日が蘇る。新しい妃候補が来たと聞いて、あえて星の降る中訪ねることにした。どうせまた嫌々やってきて、冬の宮なんてと、こちらを軽視するどこぞの姫だと、うんざりしていた。
なのに。その美しさに目を奪われてしまった。藍色の空に降るあまたの星、それを見上げる少女、その瞳に映る星の描いた軌跡。どんな素晴らしい景色もどんな傑作と称された絵も、目の前の光景に勝るものはないと思った。早く触れたいと、思わず強く足を踏み込んだせいで、渡殿に木がきしむ音が響いてしまった時は自分で自分に呆れた。
宵子は、星詠みの力を極度に恐れている。素晴らしいと率直な感想を言っただけで泣いてしまうほどに。かと思えば、彰胤を逃がそうとした時の目は揺らぎのない強いものだった。
冬の宮の意味を教えた時には、怒りをあらわにしていた。自分の方が不遇な扱いをされてきただろうに、彰胤のために怒ってくれる人。それが、冬の宮を背負わされた彰胤にとってどれほど嬉しいことか。
「……助けたいだけです。命が危ないのに見過ごせない、姉上と同じですよ」
彰胤は、たくさんの言葉を飲み込んで、そう答えた。
はあ、と姉の大袈裟なため息が聞こえてきた。
「その顔で充分に分かった」
「え」
「彰胤にそんな顔をさせる姫に興味が出た。東宮になってから、人を内側に入れなくなったあなたが、傍に置きたいと思ったのなら、いいんじゃない」
「では、養女の件は」
「構わないわ。そのうち、私にも会わせてちょうだいよ」
楽しそうにそう言う姉に、彰胤は深々と頭を下げた。これで、宵子をあんな家から救い出せる。
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