24 / 41
24.「たすけて」
しおりを挟むそれは、久しぶりに咲良がひとりでお迎えに行った日のことだった。
「今日も絵本を読んでましたよ」
「ありがとうございます」
いつものように園での咲凪の様子を聞いていると、
「あら、咲良ちゃん?」
最初は、自分を呼ばれているのだとわからなかった。
『さくら』なんて名前、そこらじゅうにいる。
この園にそんな名前の子どもがいたところで、全然不思議ではない。
「佐山咲良ちゃんよね?」
その声に、咲良はハッと振り返った。
そこには、おそらく初めて見る高齢の女性。
「あら、斎藤先生、咲凪ちゃんのお母さんをご存知なんですか?」
そばにいた保育士が笑顔で聞いてくる。
「斎藤、先生……?」
その名前を聞いても、すぐには思い出せなかった。
「覚えてないわよねぇ」
彼女はコロコロと上品に笑い、
「あなたが小さい頃、担任をしていたのよ。4歳児さんのクラスだったかしら」
「4歳……」
咲良の記憶が全くない年齢の頃だ。
「覚えられていなくてすみません……」
「いいのよ。あなた、その後すぐ、園を辞めちゃったもの」
「そうなんですか?」
「ふふ……」
なぜだろう。もっと話を聞きたいと思った。
自分の知らない自分を、知りたかった。
「咲凪、もうちょっとだけ先生と待っててね」
そう言うと、斎藤先生はふっと笑って、そばの応接室に通してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
応接室のソファに座り、高齢の保育士と話をする。
「あなたが通っていた、松宮幼稚園のことは覚えているかしら?」
「それが、全然記憶になくて……。わたしは、そんな立派な幼稚園に通っていたんですか?」
咲良でも知っている名門の幼稚園。
施設育ちなら絶対に通えないところだろう。
自分のルーツが見える気がする。
今まで戸籍さえ確認にいかなかった咲良が、初めてルーツに興味を持った。
「えぇ。お父様がご立派な方だったもの」
「父が……?」
咲良の不自然な問いに、彼女は頷いて続けた。
「確か、ご両親が離婚される時に園を辞めることになって、あなたはお母様に引き取られたと聞いたわ。お母様はお元気かしら?」
「……わかりません」
明るい声での質問に、咲良は暗い声で答える。
「えぇ?」
「わからないんです……」
母なんて、自分にはいなかった。
父親の記憶もない。
「何かわかればいいと思って……」
「そう……。残念ながら、それ以上はわからないわね」
「そうですか……」
母のことを聞いてきた時点で、そうだろうとは思っていた。
「あぁ、でも、お父様はまだまだお元気よね」
「え、そうなんですか?」
「えぇ、たまにテレビに出ていらっしゃるもの」
「テレビ……」
そこで、彼女は初めて、父親の名前を知った。
まさか。
考えたこともなかった。
まさか自分の父親が……
「ままぁ」
ハッと現実に引き戻される。
「どうしたの?咲凪」
笑顔で尋ねると、
「ぱぱ、まら?」
咲凪は小石をコツンと蹴った。
「え?」
咲良は耳を疑った。
「あのねー、しゃあたん、ぱぱにあいちゃい」
「……そうだね」
会いたい。娘のその意見を無視するわけにもいかない。
かといって、まだ彼に連絡をする勇気もなかった。
「パパが来てくれるまで、待とうね」
「……ん」
咲凪は不満そうにうなずいた後、
「おいちゃんは?」
と聞いてくる。
「おじさん?夏木さん?」
「ん。きょー、いないの?」
「あ、そうだね。今日はお仕事なんだって」
「ふぅん……」
こちらも不満そう。
寂しいのだろう。
「明日また来てもらおうね」
咲良はそう言うしかなかった。
翌日、咲良は仕事を休んだ。
真実を確かめるために。
自分の父親は、そして母親は、今どうしているのか。
いったい誰なのか。
最初に向かったのは、市役所。
咲良が通っていたらしい幼稚園をもとに、自分が生まれた市役所を探し、戸籍を確かめにいった。
「すみません、戸籍を閲覧したいのですが」
「では、整理券をお取りになってお待ちください」
市役所は混んでいた。
しかし、そのおかげで少しだけ考える時間ができる。
その時間のおかげで、ドキドキと高鳴る胸を落ち着かせられた。
「こちらが佐山咲良さんの戸籍になりますね~」
軽い口調で渡された、封筒に入る一枚の紙。
それは重かった。
市役所を出て、近くの公園のベンチに座る。
そこで、封筒に手を付けた。
ゆっくりと開き、紙を取り出す。
戸籍謄本。
ゆっくり、ゆっくり。
そして、見えてきた。
母の名前。
周防美和子。
父の名前。
周防景俊。
確かに斎藤先生から聞いた名前と一致していた。
父親は、咲良でも聞いたことのある名前。
大財閥周防家の主。
国際的にも有名な資産家。
知っているのはそれくらい。
そこでスマートフォンで検索してみる。
そこで出てきたのは、周防家が様々な企業を支えているということだった。
そんな大企業のトップが、自分の父親?
全くピンとこない。
様々な情報を詰め込まれた脳内が、悲鳴を上げる。
涙が浮かび、呼吸が荒くなる。
はぁー、はぁー、と長く息を吐きながら、それでもパニックは収まらない。
咲良は何も考えることなく、持っていたスマートフォンを耳にあてた。
「たすけて……っ」
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
65
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる