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32.周防という家

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葬儀の一連の流れが終わり、骨壺に収まった父と自宅へ帰る。

祭壇に骨壺を置いている間に、兄は腕の中で眠っていた咲凪をベッドに寝かせる。

娘は兄に任せ、咲良は遺影を見つめる。

どんなに泣いても涙は溢れてくる。

きっと涙が枯れるまで泣き続けるのだろう。

まだ会って間もなかったのに、咲良にとって父はとても特別な存在だったのだろう。

「咲良、お茶いれようか」

「あ、はい」

兄に呼ばれ、咲良は涙を指で拭った。

「今日は疲れたね」

差し出されたマグカップを両手で包み、ふうっと息を吐く。

「聞いてもいいですか?」

「ん?なんだい?」

この一日、ずっと気になっていたことを聞く。

「周防のお家って、どういうお家なんですか?」

「祖先が公家なんだ。江戸時代には大名になったこともあって、古くからの名家っていったらいいのかな」

「……そう、なんですか」

咲良なりにも調べている。

父は大きな会社の社長だった、ということだけ。

「祖先が残してくれた資産を上手く活用して、現代では様々な企業を裏から支える事業もある」

「お父さんの会社を継ぐのは、お兄さんですか?」

「その予定だけど、49日後の遺言書開封を待たないと、何とも言えないね」

遺言書まであるのか。

確かにそれだけ莫大な資産を誰に任せるのか。

それは親族であれば誰もが気にするところだろう。

そんなこと、咲良には関係がない。

「一応言っておくけど、咲良と咲凪にも、遺産を受け取る権利はあるからね?」

そんな咲良の気持ちを見透かしたかのように、兄が笑う。

「当然のことだと思うよ。咲良は父さんの娘、咲凪にいたっては唯一の孫なんだから」

そう言われれば、確かに……。

と思う反面、ダメだという気持ちがうまれる。

「いりませんよ、遺産なんて」

「そう?たとえば、父さんが大事にしていた懐中時計とかでも?」

それは形見にはならないのか。

「父さんの持ち物は基本的になんでも遺産に入るよ。まぁ、懐中時計は代々当主が持つものになっているから、咲良や咲凪が受け取ることはないだろうけどね」

なんだ、と残念に思う。

せっかくなら、父の存在を感じられるものを持っていたかったのに、と。

「49日の日は空けておいてね」

わかりやすい咲良の反応に、兄がクスクスと笑った。

しかし次の瞬間、真顔になる。

「咲良、僕からも1ついいかな?」

「はい?」

兄にこんな真面目な顔で聞かれることなどあっただろうか。

首を傾げながら頷くと、

「咲凪が、神川家のご子息のことを『パパ』と、そう呼んでいたね」

「……!」

そうだった。

「すみません、お兄さん」

何も説明していなかったことを謝罪する。

「謝ることじゃないんだ。ただ、聞いておきたくてね」

「……咲凪の、父親のことですか?」

「うん」

その言葉に迷いなどなかった。

「……いません、では通用しませんよね」

「そうだね。戸籍上のことよりも、事実を知っておきたいんだ」

これは覚悟を決めるしかないようだ。

咲良はそう感じ、深く息を吸う。

そして、

「神川拓海さんです」

と一息に吐いた。

しばらく無音の時間が流れる。

その静寂を破ったのは、俊哉の深いため息だった。

「……すみません」

兄を困らせてしまったことに、咲良は謝る。

「あぁ、いや、そうじゃなくて」

兄はすぐに笑顔に戻る。

ただどこか困ったような雰囲気は抜けていなくて。

咲良の方が悲しくなってしまった。

「ごめんね、咲良。咲良を悲しませるつもりはなかったんだ」

兄が慌てた様子で咲良の頭を撫でる。

「ただ、ね……。えっと……」

言葉を選ぶように、俊哉が慎重に話し出す。

「そうなると、神川拓海くん、ひいては神川家にも遺産を受け取る権利が出てくるわけだから」

「そんなことを気にしそうなタイプではないと思いますが……」

「本人はそうでも、神川家の方はそうではないと思うけどね」

確かに、あの母親ではどうかわからない。

彼の父親に関してはまったく知らない。

「……話し合った方がいいですか?」

「他にそのことを知っている人はいる?」

「いえ、誰にも言ったことはありません。もちろん、咲凪にも」

誰にも言っていない。それは事実だ。

「でも、なぜか咲凪は、彼のことをずっと『パパ』と呼んでいて……」

「何か感じ取っているのかもしれないね」

俊哉はそう微笑んで、

「子どもの言葉だ。どうにでもできるって言い方は悪いけど、事実そうだろう?」

いつもは忌避するその言葉も、今だけはありがたい。

「今日は疲れただろうから、早く休むんだよ」

「はい。お兄さんも。お疲れさまでした」

咲良はそう言って、娘が待つ客間へと入る。

ベッドに横になると、

「……まぁ、ま……」

咲凪がすり寄ってきた。

起こしてしまったか。

慌てて隣を見ると、しっかり眠っていた。

どうやら寝言のようだ。

「おやすみ、咲凪」

娘の額を優しく撫で、咲良もベッドに入った。

目を閉じると、父との思い出がよみがえってくる。

どうやら簡単には寝かせてもらえないらしい。

枕に吸い込まれる雫を何滴もこぼしながら、咲良は眠りについた。

夢の中に父が出てくることを願って。

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