恋をするのに理由はいらない

玖羽 望月

文字の大きさ
20 / 76
4

2

 また本社に戻ったころには夜8時を回っていた。取るものもとりあえず出て行ったおかげで、デスクの上の書類はそのままだ。いや、出たときより増えている。俺はイスに腰掛けると、ただそれをぼんやり眺めていた。

 まだ現実感などない。明日クラブハウスに顔を出せば、いつものように澪に会えるんじゃないか。そんな気さえする。けれど、現実は違う。シャツの胸ポケットから、一枚のメモを取り出すと、それに視線を落とす。
 澪が運ばれた総合病院の名前。そして、部屋番号。帰り際、戸田さんから差し出されたものだ。

『明後日に手術する。そう難しいものじゃないから安心して。大事を取って1週間ほど入院するから、顔を見せてやって欲しい。きっと喜ぶ』

 もちろん、仕事の上でも見舞いに行くのは当たり前だ。けど、どんな顔すりゃいいのかわからない。それに、今持っている仕事はこの1週間が山場。その上ソレイユのスケジュールの再調整。ほんの5分病院へ向かうのに、どこからどう時間を作り出すか。考えただけで頭が痛い。

 それでも……

「やるしかねぇか」

 俺は顔を上げると、パソコンに向かった。案の定、紙だけでなくメールも山のようにきている。これを1週間、いや1週間以内に片付けなくてはならない。

 これ以上、不測の事態は起こらないでくれよ?

 祈るような気持ちで仕事に取り掛かる。そこから俺は、寝食も忘れ仕事に没頭していた。

 そして、明日の午前中には退院すると聞いていた日の前日。休日返上で働いた俺が病院に着いたのは、あと15分ほどで面会時間も終わる、というころだった。

 会社の代表として見舞いに行った部長やソレイユの監督からは、元気にしていた、とは聞いていた。
 俺は、はやる気持ちを抑えながら病院に入ると手続きを済ませ、澪のいる病室に向かった。見舞いの品なんか買う余裕もなく、とにかく顔を見たらそれを謝ろうと思っていた。
 聞いていた部屋の前まで辿り着くと、一旦呼吸を落ち着ける。部屋は個室で、その扉は開いていた。廊下から覗くと、奥にはカーテンのひかれている。
 そこに向かおうと一歩踏み出したとき、その奥から話し声が聞こえてきた。

「本当に……いいのかい?」

 聞き覚えのある穏やかな口調は戸田さんだ。そしてそれに「……はい」と澪は弱々しく返事をしている。

「僕はリハビリだってサポートするつもりだ。チームでも、それ以外でも。君がいいなら、一生……」

 そこまで聞くと、俺は気配を消したまま部屋をあとにしていた。

 どう歩いたのかわからない。気がつけば駐車場に戻り、自分の車に乗り込むと、ハンドルに突っ伏していた。

 今のは……

 聞いてしまったさっきの会話を頭の中で反芻してみる。

 一生っつったよな。あんな台詞、まるで……

「……プロポーズかよ」

 そう思ったから逃げ出した。澪がそれに、何と答えたかなんて聞きたくなかった。
 ふと腕時計が目に入ると、もう面会時間は過ぎている。結局一目すら見ることもなく去ってしまった自分が情け無い。

 はぁ、と車内に響く虚しくなるような溜め息。それを聞きながらハンドルを握りしめた。

 バカ……だよな、俺は。少しでも、自分に気があるんじゃないかなんて、そんなことあるわけないだろう。澪にとって、俺はただの同僚。それ以上でもそれ以下でもない。

 こんなこと、グダグダ考えてもしかたねぇだろ……

 自分を叱咤するように言い聞かせると俺は顔を上げエンジンをかける。

 まだ俺にはしなきゃならねえことがある。恋なんかに、うつつを抜かしている暇など、ないのだから。


 それからしばらくは、記憶がない。正確には、仕事以外に何をしていたのか、の。
 次は6月末にある総会に向け動き出していた5月の終わり。俺はそれを部長室で、他人事のように聞いていた。

「枚田選手だけどね、正式に退部、退社が決まったよ。残念だ」

 少し前に萌と打ち合わせをしたときそんな話は出なかった。もちろん戸田さんからも。そして、本人からも何も聞いていない。
 連絡しようと思えばいくらでもできるはずなのに、俺からは一切連絡を取らなかった。取る勇気など出なかった。そして、澪からも同じようになんの音沙汰もなかった。メッセージアプリのタイムラインは、4月の頭で途切れたままだ。

「そう……ですか。記者発表の準備を進めます」
「あぁ、そうしてくれ。それから、本来なら引退セレモニーも考えるところだが、本人のたっての希望でね。迷惑をかけたから静かに去らせて欲しい、だそうだ」

 俺はギュッと拳を握る。爪が食い込もうがお構いなしに。

「部長は、会ったんですか? 枚田選手に」
「いや。本社には来ていないよ。社長が直に会って、退部を了承したそうだ。まぁ、親戚だからその辺りは融通が聞いたんじゃないかな」

 残念そうではあるが、部長はそう気には留めていないようだ。すでにチームは来シーズンに向け、新体制で動いている。退社していく選手など今までもいた。だから、いつもと変わらないのだろう。

 だが、俺の胸には苦いものが広がっていっている。そんな気がした。
感想 0

あなたにおすすめの小説

毎週金曜日、午後9時にホテルで

狭山雪菜
恋愛
柳瀬史恵は、輸入雑貨の通販会社の経理事務をしている28歳の女だ。 同期入社の内藤秋人は営業部のエースで、よく経費について喧嘩をしていた。そんな二人は犬猿の仲として社内でも有名だったけど、毎週金曜日になると二人の間には…? 不定期更新です。 こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

4番目の許婚候補

富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

ハメられ婚〜最低な元彼とでき婚しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
久しぶりに会った元彼のアイツと一夜の過ちで赤ちゃんができてしまった。どうしよう……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

【完結】曖昧な距離で愛している

山田森湖
恋愛
結婚4年目のアラサー夫婦、拓海と美咲。仲は悪くないが、ときめきは薄れ、日常は「作業」になっていた。夫には可愛い後輩が現れ、妻は昔の恋人と再会する。揺れる心、すれ違う想い。「恋人に戻りたい」――そう願った二人が辿り着いた答えは、意外なものだった。曖昧で、程よい距離。それが、私たちの愛の形。

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! ✽全28話完結 ✽辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 ✽他誌にも掲載中です。 ✽2026.4/11 エブリスタ用に使用している表紙に変更しました。 →表紙はイラストをGrok タイトルをChatGPTでAI生成しています。

フッてくれてありがとう

nanahi
恋愛
【25th Anniversary CUP】にて、最終ランキング3位に入りました。投票してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました! 「子どもができたんだ」 ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。 「誰の」 私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。 でも私は知っている。 大学生時代の元カノだ。 「じゃあ。元気で」 彼からは謝罪の一言さえなかった。 下を向き、私はひたすら涙を流した。 それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。 過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──