学園ミステリ～桐木純架

04学校行事と探偵部

演劇大会事件04

　純架は手厳しく舌鋒を振るった。

「しょうもないご都合主義だね。そんな偶然、あるわけなかろうに」

　俺は苦笑して同意しながらも、新しい友達――川野辺かわのべの肩を持った。

「おいおい、せっかく書いてくれたのに……。別にいいじゃないか」

「だいたい男三人のむさ苦しいキャストも好きじゃないよ。華がない、華が」

　ちなみに純架と俺は音響、奈緒は小道具、日向は衣装を担当している。竹下役は相川達治あいかわ・たつじ、大将役は久川浩介ひさかわ・こうすけ、斉藤四郎役は安西翔太あんざい・しょうた、脚本兼演出は川野辺雅史かわのべ・まさしが務める。

　まあ、どうでも良かった。優勝が狙える脚本じゃないが、全員ミスなくこなせば入賞はありえるかも。

　一方、１年２組の方はやっぱりというか、残念というか、新たな動きがあった。放課後にああでもないこうでもないと与太話に華を咲かせていた俺たち『探偵部』の部室に、雄之助が訪ねて来たのだ。深刻な顔つきで……

　彼が鞄から紙切れを取り出すと、純架は明敏にも事態を悟った。笑いの絶えた室内で手を差し出す。

「どれ、見せたまえ」

　雄之助が手渡したそれには、下手糞な字でこう書かれていた。



『幹久役を降りなければ不幸を招き寄せる』――



　またか。また脅迫状なのか。これで計３通目だ。雄之助の相貌は晴れない。

「しばらく何事もなくてほっとして、これは取り越し苦労に終わるかな……と思っていたんですが。今朝、それがまた僕の机に紛れ込んでいました。もういい加減にしてほしいです」

　純架は顎をつまんで文句を眺めていた。患者のカルテを検める医者に似ている。

「ふむ。誰が入れたかは相変わらず分からない、ということかね。……今度はＢ罫けいのノートの切れ端に水性染料インクのボールペンで書かれているね。右側で千切られているから、ノートの最終ページを使った可能性がある」

　俺は卑劣な犯人に強い憤りを感じながら尋ねた。

「他に分かることは？」

　純架は３枚の脅迫状を机の上に並べる。ついでに『マヅック・ザ・ギャザソング』というパチモノカードを手前に置いた。また偽物を掴つかまされている。

「このカード――『腋毛わきげビッシリ』を使うと、対戦相手の腋毛が大量に生えてくるんだよ。苦労して手に入れた甲斐かいがあったというものだね」

　そんな効果があるわけないだろう。馬鹿は放っておくしかない。

「そうだね、また利き腕じゃない方で雑に書かれてる。『幹久役』の筆跡も大胆に違うね。どうやらこの前脅迫状を見せた４人のキャストの内の誰かが、１～２通目を真似て示したんだよ。模倣犯って奴さ」

　英二はしかし、その推理に歯止めをかけた。

「犯人が俺たちの捜査に恐れをなして、撹乱する目的でわざと違うペン、違う筆跡、違うノートを使った可能性もあるぞ」

　純架は冷静にその意見を受け止めた。自分への自信はあっても妄信はない彼だった。

「そうだね、その線も――薄いとはいえ――ないとは言い切れない。頭の片隅に入れておこう」

　ついでに満面の笑みで『腋毛ビッシリ』カードを俺にかざす。もちろん腋毛など生えてこない。純架はさも不思議そうに俺を見つめる。改めて言おう、馬鹿は放っておくしかない。

　純架は雄之助に向き直った。厳しい声で話しかける。

「川勝君。これでもまだ幹久役をやりたいかい？　降りてみようとは考えないのかい？」

　雄之助は一歩も退くつもりはないようだ。その両目は決然として、困難を全力で排はいする気概が垣間かいま見えた。

「ええ、考えません。……僕はこの役に思い入れがありますから」

　結城が雄之助の着席に合わせてコーヒーを手渡した。

「それはどんなものですか？」

　雄之助は目礼すると、熱いコーヒーに息を吹きかける。そうして内心を吐露し始めた。

「実は僕の父、川勝裕也かわかつ・ゆうやは、僕の幼少の頃に癌で亡くなりました」

　純架が衷心ちゅうしんよりつぶやいた。

「それはお気の毒だったね」

「父さんが生きていた頃は、母の冬美ふゆみ、姉の紅葉もみじと一緒に、病院へ父を見舞いに行くことが日課だったんです。僕は父さんの病気の進行になす術もなく、ただ見守り励ますことしか出来ませんでした。父さんは生前、そんな僕の頭髪をくしゃくしゃに撫でて、『男はお前一人になる。お母さんとお姉さんをよろしくな。頼んだぞ』と繰り返し説き聞かせてくれました。そして僕は無力のまま、家族全員で父さんの最期を看取ったのです」

　雄之助は当時の無念を追想したか、歯を食いしばって拳を固める。やがて長く息を吐き、注いでもらったコーヒーで喉を潤うるおした。

「だからこそ僕は、ヒロインの藤波みなもを励ます岡田幹久に、どうしても自分自身を重ねてしまうんです。『好きな父さんへ』――。この舞台の主役を務め上げることで、天国の父さんに立派な姿を見せてあげたいんです」

　彼は純架と視線を交錯させた。強く訴える意志が内在している。

「それが僕の念願です。僕はどうしてもこの役を降りることは出来ないんです。どうしても」

　部室の皆は静かに、この独白を聴き終えた。英二が感心を隠さない。

「そうだったのか。なかなか殊勝な覚悟だ」

　純架は髪を掻き回し、視線に応えた。

「じゃあこの問題をこれ以上大ごとにして、広く拡散されることは避けたいってことかね？」

「はい。僕が脅迫されていることは、既に知ってしまった人以外――他の生徒や先生方には、最後まで極力内緒にしてほしいんです。今の僕にとって、主役から降ろされることが何よりも苦痛なのですから」

　純架は雄之助の崇高すうこうな態度に感服したようにうなずいた。

「……よく分かったよ。君が洋画『トランスフォーマー』でハリウッドデビューしたいってことは」

　本当に分かったのか？

「ともかく君の心がけは身に沁みた。残り２週間、僕らは最善を尽くすよ」

　雄之助が安心して帰っていった後で、メンバーは色々話し合った。純架が大きく斜めに傾斜した陽光に、その半身をあぶられる。

「今のところ犯人は一人なのか、複数のグループなのか、それすら分かっていない。何で犯人――もしくは犯人たち――は、川勝君が主役の幹久役を演じることをこうまで嫌うのだろう？　動機は何だ？　こんな、ひょっとしたら停学処分にすらなりそうな危険を冒してまで……」

　英二が問いただす。

「お手上げってことか？」

「現時点ではね。何にせよ犯人が諦めていないってことはこれで確実になったし、我々ももっと積極的に動き出すとしよう。まずは１年２組の役者の人間関係を探るんだ。嫉妬や怨恨は人間の憎悪の根本だからね。彼らの交友関係に何らかの手がかりが見つかるかもしれない。……それから手っ取り早いのが、犯人が川勝君の机に脅迫状をしのばせる現場を押さえることだね」

　奈緒が純架に難しい顔で問いかける。

「誰かさんが桐木君たちに捕まったときみたいに、また張り込みをするの？」

『折れたチョーク事件』のことを言っているのか。自分が犯人だったのに「誰かさん」とぼやかしたのは、もちろん恥ずかしかったからだろう。

　純架は首を左右にして否定した。

「いや、今度は自分のクラスではないからね。それはやめておこう。変質者として先生方からお叱りを受けかねない」

　純架はその場でシャドーボクシングを披露した。

『面倒くさいボクシング初心者』そのものである。

　犯人に対してか、それとも構ってやらない俺たちに対してか、純架はその声に怒りをにじませた。

「ともかくこの事件は『探偵部』への不敵な挑戦でもある。皆で手分けして聞き込みを行なうんだ。どんな些細な情報でもいい、調べに調べてくれ。では、今日は解散するとしよう」



　翌放課後に、純架に指図された俺や奈緒など部員たちは、部活や自宅に赴こうとする１年２組生徒を呼び止めて質問した。主に『好きな人へ』の出演者について、彼らの視界の及ばない範囲で詳細や噂話等を聞き出すためだ。

　てっきり収穫なしに終わると思いきや、予想外に新情報がもたらされた。山本やまもとという男子生徒から、みなもの父役・不動賢介の噂について知ることが出来たのだ。

　何でも彼は、高校入学後すぐに神田晴に一目惚れしたという。今回誰もがやりたがらない演者に名乗りを上げたのも、みなもの母役に晴が立候補したためらしい。たとえ舞台の上でも、好きな女子と夫婦役をやれることは、彼にとって望外の喜びなのではないか、ということだ。

「どうよ桐木君、この情報。捜査の足しになるかな」

　自慢げな奈緒からその報告を受けながら、純架は速記のようにノートへみみずがのたくったような文字を書き込んでいった。俺はいぶかしむ。

「それ、後で読めるんだろうな」

「いいや。全くもって解読不可能だよ」

　じゃあ書くなよ。

「不動君が神田さんに懸想けそうしている、というのはなかなかの材料だね。そうそう、こうやって足場を固めていくことが何より大事なんだよ。お手柄だね、飯田さん」

「えへへ……」

　照れる奈緒は可愛かった。



　その後は何事もなく、また新事実が明らかになることもなく、『百花祭』まで残り１週間となった。俺と純架は早起きして、我がクラスの劇『一杯のインスタントラーメン』の準備に協力するべく登校する。

　校舎に辿り着くと、各クラスの廊下に作成途中の舞台装置が置かれているのが散見された。緑色の草むら、２メートルはある折れ曲がった樹木、三日月など自然を模したものもあれば、警察の取調室らしき壁、手術室、ベッドなど人工物を真似たものもある。俺はまるで渋山台高校秋の名物・白鷺祭しらさぎさいをほうふつとさせる賑わいに、心が浮き立ってくるのを覚えた。