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番外編
その後の話【有賀六朗】
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みゆきと初めて会ったのは、忍宮組の正月だった。
オレは十歳、みゆきは四歳くらいだったかなあ。
オレの実の親父は、忍宮組組長の弟分だ。
野犬みたいなたちで、暴力以外のことは大抵苦手っていう、しょうもねー男。
その日も、自分ひとりじゃ起きることすらできてなかった。
オレが酔っ払った親父をたたき起こして一張羅を着せ、自分も近所から借りたちょいとまともなもんをひっかけてあの家に行ったんだ。
『しんねんのごきっけい、まことにおめでとうございます!』
オレはとにかく見よう見まねで挨拶して、隣の父親をどついた。
『んあ……おー。おめでとうございやす、兄ィ!』
壊れかけの案山子みたいにぎくしゃくとお辞儀をする、オレの親父。
組長はゲラゲラ笑ってオレたちを招き入れたんだけど、オレは結構嫌な気分だったぜ。
……わかるだろ?
忍宮組組長と自分の親父の格の違いってのが、十歳のガキにもビンビンきたのさ。
うちの親父は明らかに格下だし、その割には無礼すぎる。
なのにあんまりにも許されすぎなんだよな。
組長がうちの親父を好いてるからってわけじゃあねえよ。
忍宮組組長は、そういう男じゃねえ。
にこにこ笑ってても、目は獣の色で光ってる男だ。
そんな男が、無礼なうちの親父を甘やかす。
だとしたらそりゃあもう、いつか利用するためだろう?
――うちの親父は、利用されて死ぬ。
近いうちに死ぬんだ。
オレにはわかった。
わかっちまった。
暗い廊下を歩いて行く組長と親父を見送って、オレは嫌な気分で立ち止まった。
暗いなあ。悲しいなあ、と、オレは思った。
そのとき、後ろで子どもの声がした。
『どいて』
振り向くと、おかっぱの小さな女の子が立ってた。
みゆきだった。
四歳の女ガキが、両手に何か捧げ持って立っている。
『……お前、何持ってんだ』
怪訝に思って聞くと、みゆきは手の中のものを大事そうに見せてくれた。
鳥だった。
羽根を縮こめて硬くなってた。
どう見ても死体だ。
『なんだそりゃ。食うのか?』
オレは顔をしかめたと思う。
小鳥の死体なんか怖いとは思わねえが、多少は気持ちが悪い。
こんな小さな女の子が、平然と持ってるもんじゃねえとも思う。
そんなオレを、みゆきは、きっとにらみつけた。
『おそうしきをする。あたしのためにしんだから』
『はあ?』
オレはぎょっとした。
みゆきの言葉っていうより、その目にぎょっとした。
みゆきは鳥も、鳥の死も怖がってなかったし、気持ち悪いとも思ってなかった。
ものすごく真っ直ぐで正直で、強くて……悲しい顔をしていた。
……反射的に、恥ずかしい、と思ったよ。
オレはもう十歳だった。
小鳥の死体なんか怖くない、はずだった。
なのに、どう考えてもこの場で度胸があるのは四歳のみゆきのほうだった。
みゆきはそのままつかつかとオレの横を通って、庭のほうに行った。
オレは呆然とみゆきを見送った。
そんなオレを、組長が迎えに来る。
『どうした、六。みゆきとなんか話したか?』
『はい……』
オレはどうにか答えたけど、視線はみゆきの後ろ姿から離れなかった。
組長はそんなオレをしげしげと眺めたあと、不意に腰をかがめた。
組長は、オレの耳元で言う。
『おい、六。てめえの親父が俺に尽くしきったら、てめえをみゆきの嫁にしてやるよ』
『……は?』
オレは目を瞠って組長を見上げた。
薄暗い廊下の中で、細められた目が二つ、にやにやとオレを見下ろしていた。
弱いものを面白そうに眺める、狼の目だった。
組長は知っていた。
何もかもを知っていた。
オレが親父の死を予感していることも、小鳥の葬式をするみゆきに惹かれたことも。
何もかも知って、何も取り繕おうとはしなかった。
取り繕わずに、オレを、取り込みに来た。
オレは、ごくんと唾を呑んだ。
――忘れもしねえ。
それが、オレとみゆきの出会いだ。
† † †
「はぁ~……玉木ちゃん、傷心のオレを慰めてぇ……」
「線香代分はもう慰めただろ、気色悪い」
扇子でぴしりと額を叩かれ、六朗は涙目になる。
江戸から変わらぬ男のための歓楽街、由原。
遊郭の二階はお楽しみ本番の場所だ。
派手な花々が描かれた襖に衝立、開け放たれた窓からは大通りに植えられた桜の薄紅がちらりと見える。
この上なく華やかなこの場所に、二十四歳になった六朗は本日で三日も居続けていた。
「その態度、どうかと思うよ? 商売でしょ? ショーバイ!」
鍛え上げられた裸体に派手な羽織を引っかけただけの六朗に、赤い襦袢姿の遊女が疲れた顔でため息を吐く。
「商売でおねーさんやらおかーさん役をやらせんなって言ってんの!」
「なんでだよぉ、金なら出すってぇ……」
女のくびれた腰にすがりついて、六朗はくしゃくしゃの頭を擦り付けた。
遊女・玉木はうんざりとした様子だったが、結局まんざらでもないのだろう。
片手で煙管をふかしながら、ぽんぽんと六朗の頭を叩いてやる。
「まったく……。よかったじゃない、ちゃんとみゆきちゃんにふってもらって」
「ううっ。はっきり言う……」
六朗は低くうめいた。
そう、彼は、思い人であるみゆきに振られてからずっとこんな調子なのだ。
みゆきと貴明は元気に新婚旅行に行ったというのに、まだまだ切り替えられずにぐずぐずしている。
(女々しいなあ、オレ。自分で思ってたよりも、ずっと)
六朗は女の腰を抱いたまま、呆然と考える。
その額を、女の冷たい手が静かに撫でてくれた。
「あんた、ずっと言ってたでしょ。自分じゃダメなんだ、って」
「んー……。そう……。それは、そう……」
結局母親のようなことをしてくれる遊女に甘え、六朗はとろんと目を細くする。
初対面のあの日から、六朗はみゆきに取り憑かれてきた。
父親が死んで忍宮家に引き取られてからも、ずっと同じだ。
幼いころはみゆきを虐めたこともあった。
あれもみゆきを手に入れたいがための行動だ。
六朗はみゆきがほしい。
みゆきに側にいて欲しい。
できれば自分だけを見てほしいし、自分のことだけ考えてほしい。
(でも――多分、オレのとこに来たみゆきは、幸せにならねえんだよなあ)
艶やかな女の匂いを嗅ぎながら、六朗はぼんやりつぶやく。
「みゆきのことは好きだ。強烈に好きだ。でもオレ、喧嘩はもーっと好き」
「わかるわぁ、あんた、そういう男よ」
玉木はけらけらと笑って、六朗のこめかみをぺしりと叩いた。
「火事場と見たら突っこんでって、一番に纏を振って、焼け死ぬときまで笑ってるんでしょ?」
この女はよくわかっている。
六朗はくすりと笑って、自分の後頭部を女の膝に載せた。
そのまま玉木を見上げて可愛く笑う。
「うん。だって、そういう生まれなんだよ」
六朗は、自分の父親が死んだときのことを覚えている。
敵対する組との抗争で、華々しく死んだのだ。
矢襖になったその男は、恭しく戸板に乗って帰ってきた。
屈強な男達が付き添って六朗の父を祭り上げ、忍宮組組長は感動的な演説までした。
誰もが泣き、憤り、敵への暴力に躊躇わなくなった。
あれは、いい葬式だった。
死んだ父親は、生きている父親よりよほど美しかった。
よほど敬われた。よほど、有益だった。
そして……ただひとり。
みゆきは、あの、強い瞳で葬式に出た。
小鳥を悼んでいたときと同じ、強く、純粋な悲しみを持ってそこにいた。
(多分、オレがつかまってるのは、あのみゆきなんだよなあ)
「……みゆきは、死んだオレのためにいい葬式をしてくれる」
うっとりと言うと、またこめかみをぺしりとはたかれる。
「葬式のために女を選ぶな」
「はい。オレも、そう思う」
うふふ、と笑って、六朗は目を閉じる。
胸にはまだ熱い執着が残っていて、みゆきが欲しいと泣いている。
でも、自分では貴明に勝てるわけがない。そのこともわかっている。
だって貴明は、いつだってみゆきと生きるために行動していた。
組を出たのも、死地に赴いたのも、死ぬためじゃない。
みゆきと生きるため。
その一念を貫き通して死の呪いすら跳ね返したあの男に、自分の葬式をゆめみる男が勝てるだろうか?
「はあ……無理無理」
六朗はつぶやき、のそりと起き上がって玉木を組敷いた。
玉木はすぐに母親役をやめ、濡れた視線を送りこんでくる。
その変化にぞくりとしながら、六朗は自分はいつかは諦めることができるだろう、と予感する。
だってみゆきは貴明と結婚していても、きっと自分の葬式には来てくれる。
――だから。
「幸せになっちまえよな」
オレは十歳、みゆきは四歳くらいだったかなあ。
オレの実の親父は、忍宮組組長の弟分だ。
野犬みたいなたちで、暴力以外のことは大抵苦手っていう、しょうもねー男。
その日も、自分ひとりじゃ起きることすらできてなかった。
オレが酔っ払った親父をたたき起こして一張羅を着せ、自分も近所から借りたちょいとまともなもんをひっかけてあの家に行ったんだ。
『しんねんのごきっけい、まことにおめでとうございます!』
オレはとにかく見よう見まねで挨拶して、隣の父親をどついた。
『んあ……おー。おめでとうございやす、兄ィ!』
壊れかけの案山子みたいにぎくしゃくとお辞儀をする、オレの親父。
組長はゲラゲラ笑ってオレたちを招き入れたんだけど、オレは結構嫌な気分だったぜ。
……わかるだろ?
忍宮組組長と自分の親父の格の違いってのが、十歳のガキにもビンビンきたのさ。
うちの親父は明らかに格下だし、その割には無礼すぎる。
なのにあんまりにも許されすぎなんだよな。
組長がうちの親父を好いてるからってわけじゃあねえよ。
忍宮組組長は、そういう男じゃねえ。
にこにこ笑ってても、目は獣の色で光ってる男だ。
そんな男が、無礼なうちの親父を甘やかす。
だとしたらそりゃあもう、いつか利用するためだろう?
――うちの親父は、利用されて死ぬ。
近いうちに死ぬんだ。
オレにはわかった。
わかっちまった。
暗い廊下を歩いて行く組長と親父を見送って、オレは嫌な気分で立ち止まった。
暗いなあ。悲しいなあ、と、オレは思った。
そのとき、後ろで子どもの声がした。
『どいて』
振り向くと、おかっぱの小さな女の子が立ってた。
みゆきだった。
四歳の女ガキが、両手に何か捧げ持って立っている。
『……お前、何持ってんだ』
怪訝に思って聞くと、みゆきは手の中のものを大事そうに見せてくれた。
鳥だった。
羽根を縮こめて硬くなってた。
どう見ても死体だ。
『なんだそりゃ。食うのか?』
オレは顔をしかめたと思う。
小鳥の死体なんか怖いとは思わねえが、多少は気持ちが悪い。
こんな小さな女の子が、平然と持ってるもんじゃねえとも思う。
そんなオレを、みゆきは、きっとにらみつけた。
『おそうしきをする。あたしのためにしんだから』
『はあ?』
オレはぎょっとした。
みゆきの言葉っていうより、その目にぎょっとした。
みゆきは鳥も、鳥の死も怖がってなかったし、気持ち悪いとも思ってなかった。
ものすごく真っ直ぐで正直で、強くて……悲しい顔をしていた。
……反射的に、恥ずかしい、と思ったよ。
オレはもう十歳だった。
小鳥の死体なんか怖くない、はずだった。
なのに、どう考えてもこの場で度胸があるのは四歳のみゆきのほうだった。
みゆきはそのままつかつかとオレの横を通って、庭のほうに行った。
オレは呆然とみゆきを見送った。
そんなオレを、組長が迎えに来る。
『どうした、六。みゆきとなんか話したか?』
『はい……』
オレはどうにか答えたけど、視線はみゆきの後ろ姿から離れなかった。
組長はそんなオレをしげしげと眺めたあと、不意に腰をかがめた。
組長は、オレの耳元で言う。
『おい、六。てめえの親父が俺に尽くしきったら、てめえをみゆきの嫁にしてやるよ』
『……は?』
オレは目を瞠って組長を見上げた。
薄暗い廊下の中で、細められた目が二つ、にやにやとオレを見下ろしていた。
弱いものを面白そうに眺める、狼の目だった。
組長は知っていた。
何もかもを知っていた。
オレが親父の死を予感していることも、小鳥の葬式をするみゆきに惹かれたことも。
何もかも知って、何も取り繕おうとはしなかった。
取り繕わずに、オレを、取り込みに来た。
オレは、ごくんと唾を呑んだ。
――忘れもしねえ。
それが、オレとみゆきの出会いだ。
† † †
「はぁ~……玉木ちゃん、傷心のオレを慰めてぇ……」
「線香代分はもう慰めただろ、気色悪い」
扇子でぴしりと額を叩かれ、六朗は涙目になる。
江戸から変わらぬ男のための歓楽街、由原。
遊郭の二階はお楽しみ本番の場所だ。
派手な花々が描かれた襖に衝立、開け放たれた窓からは大通りに植えられた桜の薄紅がちらりと見える。
この上なく華やかなこの場所に、二十四歳になった六朗は本日で三日も居続けていた。
「その態度、どうかと思うよ? 商売でしょ? ショーバイ!」
鍛え上げられた裸体に派手な羽織を引っかけただけの六朗に、赤い襦袢姿の遊女が疲れた顔でため息を吐く。
「商売でおねーさんやらおかーさん役をやらせんなって言ってんの!」
「なんでだよぉ、金なら出すってぇ……」
女のくびれた腰にすがりついて、六朗はくしゃくしゃの頭を擦り付けた。
遊女・玉木はうんざりとした様子だったが、結局まんざらでもないのだろう。
片手で煙管をふかしながら、ぽんぽんと六朗の頭を叩いてやる。
「まったく……。よかったじゃない、ちゃんとみゆきちゃんにふってもらって」
「ううっ。はっきり言う……」
六朗は低くうめいた。
そう、彼は、思い人であるみゆきに振られてからずっとこんな調子なのだ。
みゆきと貴明は元気に新婚旅行に行ったというのに、まだまだ切り替えられずにぐずぐずしている。
(女々しいなあ、オレ。自分で思ってたよりも、ずっと)
六朗は女の腰を抱いたまま、呆然と考える。
その額を、女の冷たい手が静かに撫でてくれた。
「あんた、ずっと言ってたでしょ。自分じゃダメなんだ、って」
「んー……。そう……。それは、そう……」
結局母親のようなことをしてくれる遊女に甘え、六朗はとろんと目を細くする。
初対面のあの日から、六朗はみゆきに取り憑かれてきた。
父親が死んで忍宮家に引き取られてからも、ずっと同じだ。
幼いころはみゆきを虐めたこともあった。
あれもみゆきを手に入れたいがための行動だ。
六朗はみゆきがほしい。
みゆきに側にいて欲しい。
できれば自分だけを見てほしいし、自分のことだけ考えてほしい。
(でも――多分、オレのとこに来たみゆきは、幸せにならねえんだよなあ)
艶やかな女の匂いを嗅ぎながら、六朗はぼんやりつぶやく。
「みゆきのことは好きだ。強烈に好きだ。でもオレ、喧嘩はもーっと好き」
「わかるわぁ、あんた、そういう男よ」
玉木はけらけらと笑って、六朗のこめかみをぺしりと叩いた。
「火事場と見たら突っこんでって、一番に纏を振って、焼け死ぬときまで笑ってるんでしょ?」
この女はよくわかっている。
六朗はくすりと笑って、自分の後頭部を女の膝に載せた。
そのまま玉木を見上げて可愛く笑う。
「うん。だって、そういう生まれなんだよ」
六朗は、自分の父親が死んだときのことを覚えている。
敵対する組との抗争で、華々しく死んだのだ。
矢襖になったその男は、恭しく戸板に乗って帰ってきた。
屈強な男達が付き添って六朗の父を祭り上げ、忍宮組組長は感動的な演説までした。
誰もが泣き、憤り、敵への暴力に躊躇わなくなった。
あれは、いい葬式だった。
死んだ父親は、生きている父親よりよほど美しかった。
よほど敬われた。よほど、有益だった。
そして……ただひとり。
みゆきは、あの、強い瞳で葬式に出た。
小鳥を悼んでいたときと同じ、強く、純粋な悲しみを持ってそこにいた。
(多分、オレがつかまってるのは、あのみゆきなんだよなあ)
「……みゆきは、死んだオレのためにいい葬式をしてくれる」
うっとりと言うと、またこめかみをぺしりとはたかれる。
「葬式のために女を選ぶな」
「はい。オレも、そう思う」
うふふ、と笑って、六朗は目を閉じる。
胸にはまだ熱い執着が残っていて、みゆきが欲しいと泣いている。
でも、自分では貴明に勝てるわけがない。そのこともわかっている。
だって貴明は、いつだってみゆきと生きるために行動していた。
組を出たのも、死地に赴いたのも、死ぬためじゃない。
みゆきと生きるため。
その一念を貫き通して死の呪いすら跳ね返したあの男に、自分の葬式をゆめみる男が勝てるだろうか?
「はあ……無理無理」
六朗はつぶやき、のそりと起き上がって玉木を組敷いた。
玉木はすぐに母親役をやめ、濡れた視線を送りこんでくる。
その変化にぞくりとしながら、六朗は自分はいつかは諦めることができるだろう、と予感する。
だってみゆきは貴明と結婚していても、きっと自分の葬式には来てくれる。
――だから。
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