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売り言葉に買い言葉

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 素晴らしい見世物に、イザベラの脳は靄がかかり、思考停止していた。
 まだ、わんわんと溶岩のシーンのシンバルが耳の奥で鳴り響いている。
 帰りの馬車の中、イザベラは惚けてクッションに凭れかかり、瞼を閉じた。
「誘った甲斐があった」
 向かい側のルミナスの声が一オクターブ上がる。
「君のこんな砕けた姿を目の当たりにするとはな」
 前のめりになったルミナスの双眸は爛々と瞬き、目力が凄い。
「いつもの、隙のない、ギスギスした、ヒステリック地味眼鏡と同一人物とは思えないな」
 演目の想定外の迫力と、令嬢らの妬みを嫉みを一心に受けたことが合わさり、イザベラの疲労感は半端なかった。失礼な子爵に物申すべきだが、力が沸かない。緩く頬を歪めることしか出来ない。
「まるで私が堕落したような言い方ですね」
「そんなことはないよ」
「嘘ばっかり」
「嘘ではない」
 敬語すら面倒臭くなって、イザベラは懊悩と言い返した。とにかく眠い。眠くて眠くて仕方がない。
 ここ最近、怒涛のように出来事が押し寄せ、加えて今日の疲れ。確実にイザベラの精神力は奪われていた。
 つい、イザベラは欠伸をしてしまった。
 常に気を張り、品行方正を重んじるイザベラならば、有り得ない態度だ。紳士の眼前で大欠伸など。
 だが、使用人の無礼な振る舞いに怒るどころか、何故だか子爵は嬉々としている。
「君の一面が知れた。今日一日、有意義に過ごせたよ」
「一面って何かしら。私のだらしない部分? 」
「いや。魅力的な面だよ」
 ごく自然な仕草でイザベラの右手に軽く口付けを落とす。
 啄むくらいの触れ合いだったものの、イザベラの血液の流れを速めるには充分だ。
 おかげで眠気が一気に吹っ飛んだ。
 カーッと血が沸騰する。
「あ、あなたはそうやって、いつも女性を誑かしているんですね」
「聞き捨てならないな」
ヒョイとルミナスの片眉が上がる。
「私は誠実な男だよ」
「自分を誠実などと評する男なんて、信用に値しません」
「手厳しいな」
 凛々しい薄い唇が吊り上がったものの、ルミナスは全く笑ってはいなかった。むしろ怒っているような、ギラギラした光を瞳の中に帯びている。
「なら、どういった男が誠実だ? 」 
「えっ」
 いきなりの質問に、イザベラは答えに詰まる。
「君の考える誠実な男だよ」
「そ、それは……」
 青春を男子禁制の寄宿学校で過ごしたイザベラにとって、誠実な男性などとは何ぞやだ。答えられるはずがない。男性自体を知らないのだから。
「何だ。答えられないのか? 」
 窮するイザベラの内心などとっくにお見通しのくせに、ルミナスは鼻白み、煽った。
「確かに、物語の中でしか男を知らなければ、答えられないな」
「し、失礼な! 」
「図星か。キスさえまともにしたことがないんだろう、どうせ」
 何もかも知っているぞと言いたそうな、侮蔑そのものの視線を寄越してきた。男を知らないなら、偉そうに意見するな。彼の言葉をそう解釈したイザベラは、鼻息を荒くし、拳を震わせる。
 








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