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ルミナスの絶望

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 イザベラが屋敷から飛び出したのと入れ違いに、ルミナスが引き返して来た。
「道中、ヨールガ卿と擦れ違ったんだ。聞けば、今から友人らとクリケットに講じると」
 すたすた歩きながらルミナスは窮屈な蝶ネクタイを外す。
「それで、これは妙だと、慌てて引き返してきたんだ」
 ジョナサンは玄関のソファに浅く腰掛けながら、俯き加減で何やら呻いている。いつになく、浮かない顔だ。
「イザベラ夫人はお前を追いかけたんだよ。たった今」
 呻くように絞り出された声に、ルミナスが静止する。
「出会わなかったか? 」
「いいや」
 ルミナスはメイドが運んできたエールビールを一息に煽る。首筋にじっとりと汗が浮かんでいた。
「お父様。嫌な予感がするわ」
「ああ」
 アリアが真っ青になり、駆け寄ってきた。
 ルミナスの目は余裕なく尖っている。
「だ、旦那様! 大変です! 」 
 不意に、いつもは落ち着き払っている家令が、年甲斐もなくドタドタと靴を鳴らせて駆け込んで来た。
「馬丁が、知らせて来ました! 」
「何だ? どうした? 」
 その異常な剣幕に、ルミナスの表情が固くなる。
「奥様が乗ってらした馬のみが、厩舎に戻ってまいりました! 」
「何だと!」
 カッと目を見開き、ルミナスは絶句した。
「イザベラが乗っていないだと? 」
 馬から振り落とされたというのか。
 もしくは、馬だけを先に帰したのか。
 いづれにしても、只事ではない。
「馬を出せ! 」
 乗馬服に着替えもせず、ルミナスは家令に命じた。
 家令は一礼もそこそこに、馬丁に指示を出すため駆け出す。
 屋敷内がざわめく。
 屋敷の女主人が消えたのだ。
 使用人らに動揺が広がる。
「おい! 俺達は馬車で」
「は、はい! 」
 ジョナサンは急いで立ち上がると、オロオロと青ざめるアリアの腕を掴んだ。


 ジョナサンとアリアを乗せた馬車が急停止する。
「アークライト! 」
 針葉樹林が両脇に繁る一本道のど真ん中で、ルミナスが考え込んでいた。
 馬車から降りたジョナサンは、ルミナスの手にある品に首を傾げる。
「何だ? 乗馬手袋だな? 片方だけ? 」
 上質なそれは、ややサイズが小さめで、女性用だと一眼でわかる。
「馬に乗るなら、必需品だ。片方ないなんて、有り得ない」
 手袋がなければ、とてもじゃないが手綱を握り続けられない。
「まさか……イザベラが……」
 恐ろしい想像に、ルミナスの顔から血の気が引いた。
「お父様、ここで馬車が引き返した跡が」
 アリアは動揺する大人達よりかは冷静で、周囲を注意深く探っていた。そんな彼女は、奇妙な道の跡に注目する。
「こんな場所で向きを変えるなんて、妙だな」
 転回するなら、もう少し進んだ先が見通しが良くなるので、そちらが一般的だ。
 わざわざこの場で転回しなければならない事情とは。
「まさか、イザベラはここで拉致されたのか? 」
 ルミナスは、先程から脳内を交錯する疑いをとうとう口に出してしまった。口にすれば、事態の恐ろしさがさらに増した。
「おいおい。まだそうと決まったわけじゃねえよ」   
 慰めるジョナサンの表情も固い。
「この場で誰か目撃していないか。町で聞いてみるよ」
「いや。ジョナサンはアリアを連れて帰ってくれ」
 ルミナスは極めて冷静を装い、依頼する。幾ら声音が落ち着いていようと、その額からはひっきりなしに汗が流れて、余裕のなさは誰が見ても明らかだった。
「お父様! 私もイザベラを探すわ! 」
「いや、子供は足手纏いだ。屋敷でおとなしく婦人を待とう」
 アリアをジョナサンは宥める。
「大丈夫。アークライトは必ずお前の母親を連れて帰ってくる」
 しかし、その言葉通りとなるか。悪い想像ばかりが膨らむ。その場にいる全員が、そんな心の内を誤魔化すように、ぎこちなく笑みを作った。
 


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