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大人になるとき

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 ラードナーホテルに午後三時。
 指定された部屋の、中央に置かれたベッドの周りをぐるぐると回りながら、アリアはぶつぶつと己に暗示をかけていた。
 編み込みをアップスタイルにして、ドレスも出来る限り大人っぽいデザインのものを選んだ。深緑の絹地に幾何学模様が銀糸で刺繍された落ち着きあるドレスは、髪型や化粧にほんの少し手を加えただけで、年相応の淑女だ。
「私は大人になるのよ。アリア。今日から一人前の大人よ」
 まるで呪術でも施しかねない雰囲気は、とてもじゃないがこれから男性とベッドを共にするとは思えない。
 むしろ、決闘に挑むような禍々しさだ。
 アリアにとっては、決闘のようなものだが。
 まさに、生きるか死ぬか。
 ケイムを忘れるということは、これまでの人生を殺すことに値する。
 それほど、彼はアリアの人生に食い込んでいた。
 柱時計が三時の鐘を打つ。
 腹にずりしとくるその鈍い音に、アリアはピタリと立ち止まった。


 三度のノックの後、遠慮がちに扉が開く。
 アリアは窓辺に立ち、男に背を向けた。
 だから、相手がどのような容姿をしているのか、幾つくらいなのか、若いんだか年寄りなんだか、さっぱりわからない。
 男の方も緊張しているのか、一言も喋らない。
 だが、靴音がだんだん大きくなってくるので、こちらに歩み寄っているのはわかる。気配はすぐ背後まで来ている。
 アリアは喉唾を飲み下した。
「まさか、君が快諾してくれるなんて」
 ん? アリアの眉が怪訝に寄る。
 どこかで聞いた声。どこかどころか、しょっちゅう聞き慣れている声。
 アリアの血の巡りが速くなる。
 いや、よく似た声はたまにある。
 アリアは嫌な予感を打ち消す。
「ミス・レイチェルを通じて俺に報せをくれたんだな」
 知った名前が相手の口から飛び出して、ますます予感は嫌な方へと傾く。
「俺は君のことばかり考えて、眠れない日々を過ごしたよ」
 どの口が言うのか。夜這いをかけたとき、熟睡してなかなか目覚めなかったくせに。アリアは歯軋りする。
 いや、まだケイムと決まったわけではない、と打ち消す。
「俺のこの乾いた心に再び潤いをくれ。君は俺のオアシスだ」
 何がオアシスだ。常にワインで体を潤わせてるくせに。直前までさんざん酒を水のようにがはがば飲んで酔っ払っていたから、そのような戯言を恥ずかしげもなく吐けるのか。
 アリアに対しては、まるで教師のようにいちいち説教を垂れて、堅物ぶりしか見せないくせに。
 ケイムがこのような歯の浮く台詞をべらべら舌に乗せるなんて。
 自分には一言も発しないくせに。
 いやいや、まだケイムと決まったわけでは。
 頭の中の四分の三が彼だと認知してはいたが、アリアはまだ可能性に縋りたい。
「顔を見せてくれないか? 」
「……」
「君のその美しい顔を俺の瞳に映し出させてくれ」
 お望みとならば、見せてやる。
 もし本当にケイムなら、張り手の一つでもして、その酔っ払った思考を醒させてやるのだ。
 だんだんムカついてきて、アリアは思い切って振り返った。


「……アリア? 」


 鳩が豆鉄砲を食らった顔。そのままだ。

 アリアの耳は悔しいことに正常であり、彼女は失望した。
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