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スペンサー一家の首領
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不意打ちの来客は、四日目にあった。
シェルビーの体もおおかた回復を見せて、下腹部のヒリヒリした痛みも幾分マシになってきたときだ。
開店前の朝早く、シェルビーは昨夜やり残した皿洗いを、ザクシスは床をモップ掛けしていたときだ。
「よお、ザクシス」
響きのあるバリトンで名指しされ、鼻歌混じりだったザクシスの顔がたちまち険しくなった。
「面白いことになってるそうだな」
その客は、一見すると大都市の銀行の頭取のように上品であり、抗えないくらいに威厳に満ちている。
年は五十半ばといったところか。痩せてはいるものの、決して貧弱ではない。灰色がかった髪は鬢付け油で後ろで丁寧に撫で付け、鷲鼻に、八の字に蓄えた口髭、ザクシスに劣らぬ高身長。
その男は上質な絹製の白いストライプが入った濃紺のスーツを着こなし、磨き上げた革靴に、持ち手が獅子の型に細工されたステッキが見事に嵌っている。まさしく英国紳士のような気品。
その男は鋭く尖った紺碧の目玉で、ギョロリとザクシスを睨みつけた。
ザクシスの額から汗が垂れ落ちる。
「オーブリーさん。何故、ここに? 」
ザクシスの呟きを確実に拾い、シェルビーは目を見開いた。
オーブリー。その名は、幾度となくザクシスが呟いていたものだ。ことあるごとに畏怖を含んで。
「何故? お前のことが心配でな。様子を見に来たんだよ」
オーブリーは椅子に腰を下ろすと、持て余し気味に脚を組んだ。
埃っぽい店内に不釣り合いな都会的なその姿。
「わざわざ、東海岸から、この西の辺境まで? 」
ザクシスの声が心なしか震えている。
対するオーブリーは、余裕ある笑みを口元に張り付かせた。
「ああ。お前が寝返るんじゃないかとな」
意味ありげに、背後に控える屈強な男二人を交互に見やる。
その屈強な男らは、ザクシスの腰巾着だった二人組だ。
「こいつらが耳打ちしてきてな。どうも、お前が男だか女だかわからないやつに骨抜きになってるって」
ザクシスの目つきが変わる。
だが屈強な男どもは素知らぬ顔でその睨みをかわした。
「しかも、あの『賞金稼ぎヒューゴ』の子供だって? 」
言いながらオーブリーは、キッチンにいるシェルビーに流し目を呉れた。
目が合って、咄嗟にシェルビーは後退る。
まるで蛇に囚われたように、じっとりした眼差しで全身をぐるぐる巻きにされた嫌な気分だ。
「別嬪なお嬢さんじゃないか」
シェルビーは油断しきっていて、いつもの顔半分を覆っていたバンダナを、今朝はつけていなかった。
オーブリーはニタリと笑う。
紳士然した雰囲気が崩れる。
全身をチロチロと蛇の舌先で舐られたようだ。
パックリと丸呑みされまいと、シェルビーは切れ長の目をさらに尖らせて睨みつけた。
「成程。お前が抱いてきた女どもの原点か」
シェルビーの睨みに、オーブリーは可笑しそうに喉を鳴らす。
「いたぶりがいがあるってもんだな」
ザクシスの額からまた一筋、汗が流れ落ちる。
「オーブリーさん。乱暴はよしてくれ」
「冗談だ。そんな怖い顔するな。男前が台無しだろ」
ニヤリと八重歯を覗かせ、オーブリーは立ち上がる。無駄な動き一つなくザクシスに近寄った。
「ザクシスに手を出すな! 」
殺気を感じたシェルビーは、泡のついた手のままキッチンを飛び出した。
「シェルビー! 」
ザクシスがギクリと頬を強張らせる。
シェルビーの剣幕に、オーブリーの護衛二人は胸元に手を入れた。肩から下げたホルスターには、拳銃が仕込まれている。
シェルビーは今は銃を携帯していない。
狙われたら終わりだ。
ザクシスの顔から血の気が引いて行く。
「待て」
オーブリーはステッキで護衛二人の胸元をとんとんと交互に叩いた。ステッキの獅子の目玉に埋め込まれたサファイアが、ギラギラ光った。
「なかなか気の強いお嬢さんだ。気に入ったよ」
シェルビーを値踏みする視線は、まさしく獲物を図る蛇だ。
「ザクシス好みの雌犬だな」
たとえ男の形をしていようと、女性特有の線の細さや肉付きは、誤魔化しがきかない。
だが、シェルビーはザクシスの雌犬ではない。たとえベッドの中で支配されようと、男の姿をする今はガンマンである。周りの連中よりも腕に自信はある。
ギロリとオーブリーを睨みつけた。
「雌犬の種付けに夢中になって、本来の目的を忘れてはいないだろうな」
オーブリーはシェルビーの睨みを無視して、ザクシスへと視線を流す。一見すると穏やかな声音だが、ぞわぞわと背筋に震えが走った。
「今は交渉中だ」
「手間取ってるんじゃないぞ」
「わかってる」
ザクシスの答えにオーブリーは満足そうに頷いた。
「お嬢さん。では、また」
シェルビーに対しては、英国紳士のようにスマートに一礼する。
オーブリーはまるで芝居のワンシーンのように店を出て行った。
シェルビーの体もおおかた回復を見せて、下腹部のヒリヒリした痛みも幾分マシになってきたときだ。
開店前の朝早く、シェルビーは昨夜やり残した皿洗いを、ザクシスは床をモップ掛けしていたときだ。
「よお、ザクシス」
響きのあるバリトンで名指しされ、鼻歌混じりだったザクシスの顔がたちまち険しくなった。
「面白いことになってるそうだな」
その客は、一見すると大都市の銀行の頭取のように上品であり、抗えないくらいに威厳に満ちている。
年は五十半ばといったところか。痩せてはいるものの、決して貧弱ではない。灰色がかった髪は鬢付け油で後ろで丁寧に撫で付け、鷲鼻に、八の字に蓄えた口髭、ザクシスに劣らぬ高身長。
その男は上質な絹製の白いストライプが入った濃紺のスーツを着こなし、磨き上げた革靴に、持ち手が獅子の型に細工されたステッキが見事に嵌っている。まさしく英国紳士のような気品。
その男は鋭く尖った紺碧の目玉で、ギョロリとザクシスを睨みつけた。
ザクシスの額から汗が垂れ落ちる。
「オーブリーさん。何故、ここに? 」
ザクシスの呟きを確実に拾い、シェルビーは目を見開いた。
オーブリー。その名は、幾度となくザクシスが呟いていたものだ。ことあるごとに畏怖を含んで。
「何故? お前のことが心配でな。様子を見に来たんだよ」
オーブリーは椅子に腰を下ろすと、持て余し気味に脚を組んだ。
埃っぽい店内に不釣り合いな都会的なその姿。
「わざわざ、東海岸から、この西の辺境まで? 」
ザクシスの声が心なしか震えている。
対するオーブリーは、余裕ある笑みを口元に張り付かせた。
「ああ。お前が寝返るんじゃないかとな」
意味ありげに、背後に控える屈強な男二人を交互に見やる。
その屈強な男らは、ザクシスの腰巾着だった二人組だ。
「こいつらが耳打ちしてきてな。どうも、お前が男だか女だかわからないやつに骨抜きになってるって」
ザクシスの目つきが変わる。
だが屈強な男どもは素知らぬ顔でその睨みをかわした。
「しかも、あの『賞金稼ぎヒューゴ』の子供だって? 」
言いながらオーブリーは、キッチンにいるシェルビーに流し目を呉れた。
目が合って、咄嗟にシェルビーは後退る。
まるで蛇に囚われたように、じっとりした眼差しで全身をぐるぐる巻きにされた嫌な気分だ。
「別嬪なお嬢さんじゃないか」
シェルビーは油断しきっていて、いつもの顔半分を覆っていたバンダナを、今朝はつけていなかった。
オーブリーはニタリと笑う。
紳士然した雰囲気が崩れる。
全身をチロチロと蛇の舌先で舐られたようだ。
パックリと丸呑みされまいと、シェルビーは切れ長の目をさらに尖らせて睨みつけた。
「成程。お前が抱いてきた女どもの原点か」
シェルビーの睨みに、オーブリーは可笑しそうに喉を鳴らす。
「いたぶりがいがあるってもんだな」
ザクシスの額からまた一筋、汗が流れ落ちる。
「オーブリーさん。乱暴はよしてくれ」
「冗談だ。そんな怖い顔するな。男前が台無しだろ」
ニヤリと八重歯を覗かせ、オーブリーは立ち上がる。無駄な動き一つなくザクシスに近寄った。
「ザクシスに手を出すな! 」
殺気を感じたシェルビーは、泡のついた手のままキッチンを飛び出した。
「シェルビー! 」
ザクシスがギクリと頬を強張らせる。
シェルビーの剣幕に、オーブリーの護衛二人は胸元に手を入れた。肩から下げたホルスターには、拳銃が仕込まれている。
シェルビーは今は銃を携帯していない。
狙われたら終わりだ。
ザクシスの顔から血の気が引いて行く。
「待て」
オーブリーはステッキで護衛二人の胸元をとんとんと交互に叩いた。ステッキの獅子の目玉に埋め込まれたサファイアが、ギラギラ光った。
「なかなか気の強いお嬢さんだ。気に入ったよ」
シェルビーを値踏みする視線は、まさしく獲物を図る蛇だ。
「ザクシス好みの雌犬だな」
たとえ男の形をしていようと、女性特有の線の細さや肉付きは、誤魔化しがきかない。
だが、シェルビーはザクシスの雌犬ではない。たとえベッドの中で支配されようと、男の姿をする今はガンマンである。周りの連中よりも腕に自信はある。
ギロリとオーブリーを睨みつけた。
「雌犬の種付けに夢中になって、本来の目的を忘れてはいないだろうな」
オーブリーはシェルビーの睨みを無視して、ザクシスへと視線を流す。一見すると穏やかな声音だが、ぞわぞわと背筋に震えが走った。
「今は交渉中だ」
「手間取ってるんじゃないぞ」
「わかってる」
ザクシスの答えにオーブリーは満足そうに頷いた。
「お嬢さん。では、また」
シェルビーに対しては、英国紳士のようにスマートに一礼する。
オーブリーはまるで芝居のワンシーンのように店を出て行った。
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