飛び立つことはできないから、

緑川

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第八羽 天の輪の正体

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「じゃあ、行ってくるわ」

「あぁ、気をつけてな」

 階段前で仰々しく見送る秀治を尻目に、淡々といつものように歩みを進めていく。

 あの大野先生の言葉が、まるで走馬灯のように、幾度となく脳裏を駆け巡っていた。

「貴方が見てきた人に唯一、共通しているのは、接触期間が他の人よりも長い事です。つまり君は、日常からすれ違う水瀬さんの一挙手一投足や仕草などを、無意識に感じ取っていたのかもしれません」

「俺が、水瀬を?」

「えぇ、あくまで憶測ですが、その可能性は大いにあるでしょう。その何よりの証拠が、縁もゆかりもない人物にはその一切が見えず、対象者は決まって、二度以上の面識がある」

「お、俺が」

「先生、流石にそれを傍観してたってのは、無理があるでしょ!側から見てたって、自覚症状も無い奴に吐く台詞ですか!?」

「先の言葉だけでは誤解を招いてしまいますね、申し訳ありません。でも、君の力は感受性の高さなどから起因しているのでしょう。無意識の内に多くものを感じ取り、普段とは違った行動に意味を付け、それが、運良く、いえ、運悪く合致していたに過ぎない。従って、君が見殺しにしている訳でも、誰かの命を握っている訳でもありません。まぁ、今回は違いますが……」

「人の心掻き乱して楽しいですか?」

「楽しければ、今頃趣味にでもしていたんですがね。残念ながらそんな気は起きません」

「天羽、大丈夫か?」

「あぁ、あぁ」



「何でいきなりそんな気を起こそうと思ったんだよ。まさか、昨日の大野先生の事じゃ」

「さぁな、ただお前にだけは言っておこうと思っただけだよ。本当に、ただそれだけだ」

「……天羽」

 聞き馴染みが無さ過ぎて、僅からながらに鳥肌が立つとともに、振り返った。

 相川は張り詰めた表情を隅々まで浮かべ、何かを探すように逡巡と言葉に迷っていた。

「お前は良い奴だよ、誰よりも」

「ハッ、そうかよ。そりゃどうも」

 もう陽が落ち始め、皆が部活に勤しむ頃、俺は淡々と屋上への階段を登っていく。

 これが最後だと信じて。

 仄暗さと静寂極まった空間が、漠然とした虚無感を頻りに襲わせ、黒い靄のようのような陰鬱としたものが体を覆い尽くしていく。

 その靄が俺を自然と、再び回顧へ誘った。

 母の唯一、覚えている記憶だ。

 まぁ、最近になってこの騒動のおかげで、思い出したと言っても過言じゃないのだが。

 甦ったのもほんの小さな一欠片。

 あまりにぽつんと、アルバムに収めるには、少しばかり寂し過ぎて、悲し過ぎる。

 父と足繁く、母の棲まうに等しい病院へと足を運び、絶えぬ笑顔を見に行っていた。

 俺はそれくらいにしか思っていなかった。

 耐え難い苦痛を堪え忍び、数十分を超える会話に、その辛さを一切表さずに、帰る時も何気ない、まるで、親が登校する我が子をいつものように見送るように平然としていた。

 でも、そんなのも長くは続きはしない。

 俺だけが先に病室に入り込んで、母を蔑ろにするかの如く、ふざけた笑みを浮かべて、耳に響くであろう声量で母に言葉を投げた。

 けれど、返ってこない。

 静かに、緩やかに、身を起こす事なく、顔だけを僅かに傾けて、歪な笑みを浮かべた。

 その瞬間、ようやっと理解した。

 これがなんだと。

 理不尽に、唐突に、不平等に、訪れて、何もかも平然と全てをぶち壊す。

 そして、俺もその一部に過ぎないのだと。

 ようやっと……。

 淡い夢を抱いて駆け上っていく者たちを、容赦なく粉々に打ち砕き、何人たりとも通さない堅牢無比な扉に、関所へと辿り着いた。

 ゆっくりとドアノブに手を掛ける。

 答えは未だ見つからない。何をすれば正しいのか。どうすれば救われるのか。

 ただ、これだけは言える。

 人に天の輪は似合わない。

 俺は歩みを進めて行く。

 自らの痩躯を障壁に覆い隠し、まともな教師と変人以外には見つからないであろう、場所へと。

 また、彼女がいた。

 いつものように、地面を眺めている。

「やぁ」

 その一言に、こちらに首を向けんとする所作に、一切の躊躇と迷いなく、振り返った。

「また、来たんだね」

 謙虚な人間が門前払いの役回りに立たされたら、きっと、こんな風になるのだろう。

 まぁ、もう聞き慣れてしまったから、そんなに、苦ではないのだけれど。

「いや、今日が最後になりそうだ」

 ちょっとは、心に来るけど。

「今日は君を殺しにきた」

 一刹那の静寂。

「え?」
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