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本編
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「百冊読み終わった」
そう、ディートリヒ様が切り出されたのは、ヴァンへルからサレンドル様がいらっしゃる三日前、そしてお父様がいらっしゃる前日の、朝食の時でした。
「百冊というのはなかなか多かったな。それぞれ厚さも違っていたから仕方なくもあるのだろうが、何より俺が理解できない話もあった」
「そうですの。それで?」
「お前が好きそうな口説き文句というのがどういうのかわからないからな。いくつか見繕ってはみた」
「……いくつか」
「そうだ、いくつかな。そういう言葉を紡ぐのに、シチュエーションも必要だろう?」
おあつらえ向きの夜会が数日のうちにあるのは幸運だなとディートリヒ様は笑われました。
わたくしからしてみれば、そのままいっそ、忘れてくださってもよかったのにと思う事なのです。
あからさまに、やらなくていいと思っている事が顔に出たのでしょう。心配するな、とディートリヒ様は仰って、大勢の前ではしないと続けました。
いえ、そうではないのですが。
「ところで、明日は父上がいらっしゃるだろう?」
「ええ、そうですが……サレンドル殿のことを話しておきたい。お前も同席するか?」
「それはお二人でされたらよろしいでしょう? わたくしはわたくしで、お仕事がありますのよ。夜会の、最終チェックなどは王妃様とご一緒にということになってますし」
「ああ、そうだったか……まぁ、用があれば呼ぶ」
「わかりました」
「……セレンも手伝っているのか?」
「ええ。王妃様が色々と教えていましたわ。こういった事もできるようになる必要があるでしょう、と」
王妃様はセレンファーレさんのことをよくわかってらっしゃいますから、どう教えれば呑み込みが早いかも、理解しているのです。
彼女は紙面を辿らせるより実際に教えるほうが、身につくのが早いと。
ですから最近は、レオノラ嬢と一緒に連れて歩き、準備について教えているとのこと。
どうやらそういった事を教えるのは王妃様は楽しいようでもありました。
レオノラ嬢についても振る舞いが変わりましたから、嫌悪というものは無いようですし、二人についてはお任せすることにしました。
ヴァンヘルからのご一行は、王城にお泊りになります。ヴァンヘルの新王一行が来るという話を聞いて、他の国からもこちらにおいでになる方がいらっしゃいます。お父様もそのお一人にはなるのですが。
他国の王族、皇族といった方は王城にお部屋を。貴族の方は城下の高級宿というようになっているのです。王城にお泊りになる方達の手配は、王妃様がされています。
わたくしは、貴族の方達の方を。
宿の手配、そして振り分けはこちらで行っています。わたくしは一つずつ、足を運んでそのレベルを見つつ。
国ごとに食事の好みもありますから、似通ったお国柄が集まるように手配し、宿にはこの国の方が好む味付けでと達してあります。そのチェックには、王城で働くコックや執事、政務官といった者達にお願いしました。
代金は王族からの支払いになりますが、忙しくなる前の励ましといいますか。
そういった労いもかねて、仕事ではありますが楽しんでらっしゃいと行ってもらったのです。問題点があればそれはまとめて、そしてまた支持をというようにして。
何にせよ、この国に来て心地よく過ごしていただくのが一番なのです。
それらの準備もほぼ終わり、明日からは他国の方が続々と足を運ばれるのです。城下も他国からくる方達を歓迎すべく、特に要請はしていないのですが祭りのように、飾り付けられているところもあるようです。
わたくしは、ふと思い出したように自分の仕事の進捗具合をつらつらとディートリヒ様に伝えました。
信頼しているから別に報告はしなくて良いと仰りますが、後で知らない、それはどうなのだと問われるのも面倒です。
「何にせよ抜かりなくやっておりますから、ご安心ください」
「ああ。お前がしっかりやってくれているのは知っている。だから、俺もな」
お前のために用意したものがあるのだとディートリヒ様は笑みを深められ。
わたくしが何を、とじっとりとした視線を向けると今日届くから楽しみにしていろと仰られました。
このタイミングで、わたくしのために用意した、とくればドレス、宝石のどちらかでしょう。
いただかなくても十分にあるのですが。
「それはディートリヒ様ご自身のお財布から出てますの?」
「当たり前だろう。さすがに国家予算一年分、なんてことはしてないから安心しろ」
「そうですか、一年分ではない……では一か月分でしょうか」
「それは見てから判断すると良い」
にこにこと機嫌がよろしくて。食後の茶を飲みながら、俺が戻るまでに先に見ていても良いし、戻るまで待っていても良いと仰ります。
わたくしはそれなら、待っていますわと告げました。
この方はそれを見た時のわたくしの表情をご覧になりたいのでしょうから。
「では、楽しみにしておきますわ」
「俺もどんな顔をするのか、楽しみにしておこう」
執務に行かれるのを見送って、わたくしもわたくしのすることを。
貴族の方達のリストのチェック、それから昼間の行事、夜会のついてのお話。色々な最終確認をして部屋に戻ると、先にディートリヒ様が戻られていました。
といっても、先程お戻りになられたばかりの様子。
お帰りと声をかけられ、手を引かれ腰に手を回され引き寄せられる。そうしながら額に口付落とされてただいまはと微笑まれるのです。
ただ今戻りましたと機械的に答えれば苦笑されてしまいました。
そして、届いていると言ってわたくしを別室に案内しました。
そこには一つ、大きな箱。
宝石ではなくドレスの方のようです。高さはそんなに、というところなのでふわふわとした、スカート部分は布地をたっぷりを重ねたようなものではないのでしょう。
開けてみろと促され、わたくしはその箱のふたを取り払いました。
一目見て、瞬く。息を呑んでしまったのも、仕方ない事。
「……ああ、なんてもの……お作りになったの……」
「なんてもの、か」
「あなた、本当は馬鹿でらっしゃるのでしょう? いくら、お使いになったの?」
「いくらだと思う?」
当ててみろ、というような。そんな表情にわたくしは箱の中へと視線を向けました。
色は、白ともいえるような水色から、裾に行くにつれ蒼に。
首元は白いレースで作られたハイネック。それは肩、腕と続き袖口へと向かって広がっていく袖。全体的な形はすとんと真っ直ぐ落ちる、体に沿うようなデザインでした。
ええ、ただこれだけならわたくしは息を呑んだりはしません。よくあるドレスでしょう。
けれど、スカートの部分に細々と散らされたきらきらと光る宝石。小粒ですが、一体いくつ丁寧に縫い付けられているのか。
「いつからお作りになりましたの、こちらのドレスは」
「百冊、読み始めた頃に」
「……それでも、これを作るのに時間はかかりますわね。特急料金なども含めると、一か月分は越えてらっしゃるのでしょう?」
「まあな」
「わたくしに、それほどのお金などかけなくてよろしいのよ? あなたがいずれ愛した方にして差し上げて」
「俺はお前を愛してみようと言った。だからこれは、間違っていない」
これはお前のために作らせたのだから、と。後ろから緩く抱き込んで耳元に落とす。
ぞわぞわとする感覚と同時に、どうしようもない人とも思う。
そしてそれだけではないような、そんな言葉にできない気持ちもわたくしの中にはありました。
「着てくれるか?」
「着なければ、何度も言うのでしょう?」
「そうだな。気に入らなかったのだと思ってまた別の物を作るかもしれない」
まるで、さぁどうすると仰っているような。
わたくしは無駄にお金を使われるようなことはさせたくありません。それが自分の為ならばなおの事。
まるで脅しのように、また別の物などと仰る。ここで嫌と突っぱねるとさらに酷いことになりそうだと思い、着ますわとお答えしました。
「これを着て夜会にでますわ。それでよろしいのでしょう?」
ディートリヒ様はそれでいいと鷹揚に頷かれ、楽しみだと仰いました。
「ところで、やはりお前はこういうものを貰っても喜びはしないのだな」
「喜び?」
「恋愛小説ではドレスを贈られて、喜ばない女はいなかった」
「まさか」
恋愛小説の実践をさっそく行ってきた。そのことに気付いて、わたくしはディートリヒ様を見上げました。
楽しげな碧眼が細められ、わたくしの言葉を待っているようでした。
何を言われるのか、楽しみにしているような。
「……まだ、こういった事をいくつか用意されてます?」
「している」
「そう……ではわたくしは楽しみにしておけばよろしいのね?」
ディートリヒ様が何をしてきても、わたくしは受け取ってさしあげますわよと微笑みを向ければ楽しませられれば良いのだがと笑われて。
楽しみ、というよりは呆れそうな気もするのですがと返したのでした。
そう、ディートリヒ様が切り出されたのは、ヴァンへルからサレンドル様がいらっしゃる三日前、そしてお父様がいらっしゃる前日の、朝食の時でした。
「百冊というのはなかなか多かったな。それぞれ厚さも違っていたから仕方なくもあるのだろうが、何より俺が理解できない話もあった」
「そうですの。それで?」
「お前が好きそうな口説き文句というのがどういうのかわからないからな。いくつか見繕ってはみた」
「……いくつか」
「そうだ、いくつかな。そういう言葉を紡ぐのに、シチュエーションも必要だろう?」
おあつらえ向きの夜会が数日のうちにあるのは幸運だなとディートリヒ様は笑われました。
わたくしからしてみれば、そのままいっそ、忘れてくださってもよかったのにと思う事なのです。
あからさまに、やらなくていいと思っている事が顔に出たのでしょう。心配するな、とディートリヒ様は仰って、大勢の前ではしないと続けました。
いえ、そうではないのですが。
「ところで、明日は父上がいらっしゃるだろう?」
「ええ、そうですが……サレンドル殿のことを話しておきたい。お前も同席するか?」
「それはお二人でされたらよろしいでしょう? わたくしはわたくしで、お仕事がありますのよ。夜会の、最終チェックなどは王妃様とご一緒にということになってますし」
「ああ、そうだったか……まぁ、用があれば呼ぶ」
「わかりました」
「……セレンも手伝っているのか?」
「ええ。王妃様が色々と教えていましたわ。こういった事もできるようになる必要があるでしょう、と」
王妃様はセレンファーレさんのことをよくわかってらっしゃいますから、どう教えれば呑み込みが早いかも、理解しているのです。
彼女は紙面を辿らせるより実際に教えるほうが、身につくのが早いと。
ですから最近は、レオノラ嬢と一緒に連れて歩き、準備について教えているとのこと。
どうやらそういった事を教えるのは王妃様は楽しいようでもありました。
レオノラ嬢についても振る舞いが変わりましたから、嫌悪というものは無いようですし、二人についてはお任せすることにしました。
ヴァンヘルからのご一行は、王城にお泊りになります。ヴァンヘルの新王一行が来るという話を聞いて、他の国からもこちらにおいでになる方がいらっしゃいます。お父様もそのお一人にはなるのですが。
他国の王族、皇族といった方は王城にお部屋を。貴族の方は城下の高級宿というようになっているのです。王城にお泊りになる方達の手配は、王妃様がされています。
わたくしは、貴族の方達の方を。
宿の手配、そして振り分けはこちらで行っています。わたくしは一つずつ、足を運んでそのレベルを見つつ。
国ごとに食事の好みもありますから、似通ったお国柄が集まるように手配し、宿にはこの国の方が好む味付けでと達してあります。そのチェックには、王城で働くコックや執事、政務官といった者達にお願いしました。
代金は王族からの支払いになりますが、忙しくなる前の励ましといいますか。
そういった労いもかねて、仕事ではありますが楽しんでらっしゃいと行ってもらったのです。問題点があればそれはまとめて、そしてまた支持をというようにして。
何にせよ、この国に来て心地よく過ごしていただくのが一番なのです。
それらの準備もほぼ終わり、明日からは他国の方が続々と足を運ばれるのです。城下も他国からくる方達を歓迎すべく、特に要請はしていないのですが祭りのように、飾り付けられているところもあるようです。
わたくしは、ふと思い出したように自分の仕事の進捗具合をつらつらとディートリヒ様に伝えました。
信頼しているから別に報告はしなくて良いと仰りますが、後で知らない、それはどうなのだと問われるのも面倒です。
「何にせよ抜かりなくやっておりますから、ご安心ください」
「ああ。お前がしっかりやってくれているのは知っている。だから、俺もな」
お前のために用意したものがあるのだとディートリヒ様は笑みを深められ。
わたくしが何を、とじっとりとした視線を向けると今日届くから楽しみにしていろと仰られました。
このタイミングで、わたくしのために用意した、とくればドレス、宝石のどちらかでしょう。
いただかなくても十分にあるのですが。
「それはディートリヒ様ご自身のお財布から出てますの?」
「当たり前だろう。さすがに国家予算一年分、なんてことはしてないから安心しろ」
「そうですか、一年分ではない……では一か月分でしょうか」
「それは見てから判断すると良い」
にこにこと機嫌がよろしくて。食後の茶を飲みながら、俺が戻るまでに先に見ていても良いし、戻るまで待っていても良いと仰ります。
わたくしはそれなら、待っていますわと告げました。
この方はそれを見た時のわたくしの表情をご覧になりたいのでしょうから。
「では、楽しみにしておきますわ」
「俺もどんな顔をするのか、楽しみにしておこう」
執務に行かれるのを見送って、わたくしもわたくしのすることを。
貴族の方達のリストのチェック、それから昼間の行事、夜会のついてのお話。色々な最終確認をして部屋に戻ると、先にディートリヒ様が戻られていました。
といっても、先程お戻りになられたばかりの様子。
お帰りと声をかけられ、手を引かれ腰に手を回され引き寄せられる。そうしながら額に口付落とされてただいまはと微笑まれるのです。
ただ今戻りましたと機械的に答えれば苦笑されてしまいました。
そして、届いていると言ってわたくしを別室に案内しました。
そこには一つ、大きな箱。
宝石ではなくドレスの方のようです。高さはそんなに、というところなのでふわふわとした、スカート部分は布地をたっぷりを重ねたようなものではないのでしょう。
開けてみろと促され、わたくしはその箱のふたを取り払いました。
一目見て、瞬く。息を呑んでしまったのも、仕方ない事。
「……ああ、なんてもの……お作りになったの……」
「なんてもの、か」
「あなた、本当は馬鹿でらっしゃるのでしょう? いくら、お使いになったの?」
「いくらだと思う?」
当ててみろ、というような。そんな表情にわたくしは箱の中へと視線を向けました。
色は、白ともいえるような水色から、裾に行くにつれ蒼に。
首元は白いレースで作られたハイネック。それは肩、腕と続き袖口へと向かって広がっていく袖。全体的な形はすとんと真っ直ぐ落ちる、体に沿うようなデザインでした。
ええ、ただこれだけならわたくしは息を呑んだりはしません。よくあるドレスでしょう。
けれど、スカートの部分に細々と散らされたきらきらと光る宝石。小粒ですが、一体いくつ丁寧に縫い付けられているのか。
「いつからお作りになりましたの、こちらのドレスは」
「百冊、読み始めた頃に」
「……それでも、これを作るのに時間はかかりますわね。特急料金なども含めると、一か月分は越えてらっしゃるのでしょう?」
「まあな」
「わたくしに、それほどのお金などかけなくてよろしいのよ? あなたがいずれ愛した方にして差し上げて」
「俺はお前を愛してみようと言った。だからこれは、間違っていない」
これはお前のために作らせたのだから、と。後ろから緩く抱き込んで耳元に落とす。
ぞわぞわとする感覚と同時に、どうしようもない人とも思う。
そしてそれだけではないような、そんな言葉にできない気持ちもわたくしの中にはありました。
「着てくれるか?」
「着なければ、何度も言うのでしょう?」
「そうだな。気に入らなかったのだと思ってまた別の物を作るかもしれない」
まるで、さぁどうすると仰っているような。
わたくしは無駄にお金を使われるようなことはさせたくありません。それが自分の為ならばなおの事。
まるで脅しのように、また別の物などと仰る。ここで嫌と突っぱねるとさらに酷いことになりそうだと思い、着ますわとお答えしました。
「これを着て夜会にでますわ。それでよろしいのでしょう?」
ディートリヒ様はそれでいいと鷹揚に頷かれ、楽しみだと仰いました。
「ところで、やはりお前はこういうものを貰っても喜びはしないのだな」
「喜び?」
「恋愛小説ではドレスを贈られて、喜ばない女はいなかった」
「まさか」
恋愛小説の実践をさっそく行ってきた。そのことに気付いて、わたくしはディートリヒ様を見上げました。
楽しげな碧眼が細められ、わたくしの言葉を待っているようでした。
何を言われるのか、楽しみにしているような。
「……まだ、こういった事をいくつか用意されてます?」
「している」
「そう……ではわたくしは楽しみにしておけばよろしいのね?」
ディートリヒ様が何をしてきても、わたくしは受け取ってさしあげますわよと微笑みを向ければ楽しませられれば良いのだがと笑われて。
楽しみ、というよりは呆れそうな気もするのですがと返したのでした。
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