従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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1話 坊ちゃまのためなら 2

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 ハンブル家の三男坊であるシエン・ハンブル、その少年付きの従者となったのはルスターが35歳、シエンが13歳となった年のことだった。



 いくら上流階級とはいえ、三男という立場の子どもに本来従者を付けることはない。しかしそんな背景を黙認するようにルスターへとその奇妙な命が下ったのには、件のシエンが非常に病弱で、果たして無事に成人出来るか、と影で囁かれるほどであったからだった。
 他の兄弟達と一緒に遊ぶこともできぬ、走れば咳をし、水遊びをすれば肺炎を起こし、避暑地に行くための移動で生死をさまよう。そんな己の身にどこか達観した雰囲気を持ちながら、しかしその顔にはいつも自分の身を案じる者たちへの優しき配慮と笑みを忘れない健気な子供。
 明日もしれぬ愛しき我が子へせめて子爵の子としてのプライドを、誇りを持って欲しいと、そんな家主の計らいでルスターというかりそめの従者が生まれたのだった。

 初めはあまりに突拍子も無いとも言える立場に戸惑いはあったものの、幼くもその稀有な程に殊勝なシエンの有り様にルスターは次第にその心を寄せて。日常の大半を自室か、その寝台で過ごすその小さな存在を我が主人と呼ぶのに抵抗はなくなり、ハンブル家の中で、この奇妙な主人と従者の関係が受け入れられた、そんな折。

 シエンがこの世に生を受けてからもう何度目かわからぬ大病を乗り切り、つかの間の喜びにほっとハンブル家が胸をなでおろしていた時のことだった。
 穏やかな凪のように落ち着いた体調と、王都主催の御前試合の日取りが丁度重なって。他の兄弟のように気軽に外出もままならぬシエンを気の毒がった家主が、男に生まれたなら一度は憧れるであろう、騎士達のその勇姿の一片を見せてやりたいと医者を連れての御前試合観戦。
 シエンは今まで本の中でしか見ることがなかった、知と武を張り巡らされた攻防戦にすぐさま虜となった。
 その気質故か余り物事に固執をしない愛息の珍しい傾倒ぶりに、家主が優勝者は無理だがまだ実名若き騎士ならと、御前試合で優勝こそ成り得なかったが、蜜色の頭髪と鋭く勇猛な戦いぶりから、金獅子と呼ばれる功績を残した、当時まだ26歳だった第二王国騎士団、エンブラント隊副隊長アルグ。
 彼に目をつけ、ぜひその武勇伝を息子にと会談の場を設けたのが少年の運命を、そしてルスターの運命を変えたのだった。



『この度は私のわがままのためにご足労いただき有難うございます、アルグ様。先般の試合の結果はとても残念ですが、私にとって貴方の勇姿は、今まで見たどんな出来事より感動を覚えるものでした』
『勿体無い言葉、至極痛み入ります』
 目の前にした憧れの人物に、高揚した面持ちでいつになく言葉を列ねるシエンと、子供だから貴族だからだと侮ることも媚び様子もなく、淡々とした身を弁えた態度で応じるアルグ。
 しばし、賛辞を送る子供と、それを厳かに受け止めている騎士との関係に、変化が生じたのは、その会話がアルグの身の上になった時のことだった。
『きっと生まれながらに貴方は神の祝福を受けられているのでしょう。貴方の生はなんと眩いことか。私は今まで一生懸命生きているつもりでした。しかし今では自分が恥ずかしい。貴方のそれに比べれば、私の人生など無味乾燥も良いところです。この先、この屋敷の中でただ朽ち果てることしかできないのが悔しくてたまりません』
『……お言葉ですが、悔しい、と思うのなら外に出てはいかがと思うのですが』
『!』
 普段はめったに弱音など零すことはないのだが、なれぬ興奮からか、つい自虐的な言葉を吐いてしまったシエンに、アルグの言葉が鋭く刺さる。
 尊敬する相手からの、その抑揚のなさから諫言とも取れる言葉に、ビクリと、シエンの体が強張るのを見止めて、脇にその存在を消して控えていたルスターはすぐさまアルグの脇へ寄り。
『横から申し訳ありません、アルグ様。シエン様は大変体が弱く、室内で安静にせざるを得ない状態なのです。外に出るというのはシエン様にとってそうたやすいことでは……』
 そっと、シエンに聞こえぬ程度の声量で添える。
 だが、その言葉を聞いたアルグは。
『貴殿は、彼の何だ?』
『は、……あ、ワタクシはその、シエン様の従者ですが』
 射ぬかれるように強いまなざしで問われて、ルスターは思わず、たじろぎながら答える。
 子供に従者をつけるという、通常なら注意がそこに行くであろうに、アルグはただ頷いて。
『従者は主人の心を汲み、動く者のはずだ。なのに何故、貴殿はそうしない。彼が望むのに何故彼を外の世界から遠ざけるのだ』
 ゆっくりと、先ほどシエンに対したときと同じ淀みの無い調子で再び尋ねた。
 そのあまりに端然とした様子に、ルスターはアルグの言葉にただ表面上の物以上のものを感じるが、それでも己の、主への忠誠を疑うような物言いに不快感が腹に積もらせて。
『ワタクシはシエン様が望むなら、その願いを叶えるために尽力を注ぎましょう、しかしワタクシはシエン様をお守りする必要があります。外に出ることが脅威となるシエン様を、外に出さぬこと以外でお守りするすべが浮かびません』
 先程の言葉を、貴方様は聞いていたのか。
 いけないとわかっていながら、配慮を感じられないアルグの言葉に、思わず己のためにも、そして幼き主人のためにも刺を含ませた言葉を投げかければ。
『シエン殿は、外に出れば、すぐにでも死ぬ体なのですか』
 くるりと視線をシエンへ向けて、アルグは問う。
『い、いえ。長く出れば、体調を壊すことはよくありますが……すぐに死ぬ訳では』
『しかし万が一、体調を崩された場合、その生を脅かす危険性は十分にあることも間違いではありません』
 アルグの眼光に気圧されたよう様子で、躊躇いながら返すシエンにルスターは援護するように言葉を重ねる。
 そんな主従をひたりと見据えた後。
『私は昔、「誰かを守る」とは「何人たりにも脅かせぬ」事だと思っていました』
 ふと視線を外し、アルグはまるで独り言を言うように窓の外の、なにか遠くのものを見つめるように口火を切った。
『何も知らぬ、若輩者が差し出がましいことを申し訳ありません……しかし、私には一人、弟がいるのですが。弟はほんの少しでも陽の光を浴びるとまるで火傷のように肌が焼けてしまう病で、幼い頃、弟は陽の光が当たらぬ薄暗い部屋の奥で、本ばかりを読んでいる日々でした。私も、私の家族も、どうにかして弟の病を治そうと奔走しましたが、未だ弟の病の治療法は掴めぬままです。ただ弟の病でわかったのは、陽の光でなければ火傷を負わぬことと、厚手の黒い布で覆えば陽の光の下でもなんとか火傷をせずに過ごせぬこともない、そういったことのみです。ほんの僅か、常人ならその陽の温かみを覚えるか否かという程度の時間で、弟の肌はまるで焼け石を押し付けられたかのように焼け爛れます。おそらくよく晴れた日に弟を外に置いておけば、10分もせずにその生命を奪えたでしょう。私はそんな脆弱な弟をとても哀れに思い、いかに陽の光から守るかという事ばかりを考えていました』

 唐突に始まった、アルグの弟の話。
 いきなりなんの話を、と主従が戸惑ったのはほんの僅かな間だけだった。
 彼の低い、穏やかでありながらどこか芯の通った強さを感じる声が、まるで穏やかに満ちゆく潮のように部屋の中へ広がってゆく。
 不思議な声だ、とルスターは思う。
 語られるのはアルグとその弟の物語だ。
 しかしルスターにはその言葉の後ろに、己と若き主人との苦悩の日々が見えた。

『私にとって弟は庇護の対象であり、また彼は私たち家族が守られなければ生きていけない、そう思っていました。だが、そんな私の愚かな思惑を裏切り、弟は一体どのようにしたら陽の光の下へ、家の外の世界へと足を踏み出すことが出来るかと考えていたのです。てっきり、陽の光から逃げ出した果てに読んでいたと思っていた本は、むしろ陽の光に立ち向かうため、そこから彼なりになにか答えを見つけようとしていたからでした。本から得た知識をもとに、弟は己の体を実験台としていかに陽の光を遮るか、外に出るためにはどうしたらいいのか、長い間戦い続けました。弟は立派に一人で戦い、己で己を守る強さをもっていたのです。そんな彼に私ができることは、ただ戦い続ける弟の横に立ち、疲れたときにそっと寄りかかれるように支えること、ただそれだけでした。……未だ弟の病は治っていません。しかし彼は黒い布を身に纏い、日々陽の光という脅威と闘いながら、周りの理解を得て、とある診療所の助手として務めています』

 どこか遠く、記憶の中の弟の姿を見つめていたアルグの視線が、不意に主従へと舞い戻る。
 二人を見つめる瞳は、どこまでも真っ直ぐで迷いがなかった。
『身内贔屓と笑われるかもしれませんが、私はそんな弟を誇りに思います。人は私を勇敢だと讃えますが、私には弟こそが、その言葉で讃えられるべき人間だと思っているのです』
 なだらかな凪のような平坦で低い声は語り出しとなんら変わりなどはない。しかしその時のアルグの言葉は、高らかに二人へと振り注ぎ。
 貴族であり主人であるシエンをルスターが真綿で包むに扱うのはごく至極、当然のことだ。
 だが、アルグのその有り様に一石を投じる言葉が、シエンの中に今まで目を背けていた己の命に対する期待と、生への執着を生み。
 そしてルスターの中に、己が歩むべき従者の道を見出すきっかけになったのだった。


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