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セス、ふたたび

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 ちょうどそのセントメリ刑務所では、受刑者たちが屋外で運動の刑務をこなしていた。刑の重い者も軽い者も、同じように運動に励む。見張りの看守がいるから、手を抜くとすぐに分かる。

「きついなぁ、砂袋を持って運動場を往復なんて、嫌がらせみたいな運動だよ」
「ほんとにな。どうせここを出ても、重労働くらいしか働き口がないだろうから、それを思い遣ってくれているのかもしれないけど、いい迷惑だよ」

 運動というよりは労働に近いノルマを消化しながら、受刑者たちが口々にこぼす。

「……そうかな。刑務所にいるあいだに体がなまらないようにって、配慮してくれてるんじゃないかな。ありがたいシステムだと僕は思うけど」

 狐の獣人がピュウッと口笛を吹き、セスのポケットに紙片を差し込んだ。

「さすが大量殺人をした奴は言うことが違うな。……あとでこれを読んでくれ。あんたにとって有益な情報が書いてある」

 口笛を聞きつけた看守が警棒を振り上げた。

「こら、そこの奴ら! 無駄口を叩くな。脚が止まっているぞ」
「はいはい」

 皆、手に砂袋を持ったまま方々に散って行く。セスは一足早く砂袋を持った往復を終わらせ、独房へと戻った。
 狐の男に手渡された紙を、ポケットから取り出す。

『勇気ある者へ。今日は外の見張りがひとりしかいない。俺と一緒に、この未来のない空間から抜けだそう。決行は昼食のあとだ』

 読んだあと、証拠が残らないようにそれを飲み込む。

「未来のない空間か。たしかに、俺のように死刑が決まっている者にとってはそうだな」

 いつ刑が執行されるか分からないが、それほど遠い未来ではないだろう。獣人も人間もたくさん殺したから、自分の処刑はきっと野次馬が大勢たかるに違いない。
 鉄格子が嵌め込まれた窓の外を見る。雲ひとつない青空が広がっている。逃げるチャンスは今だと思った。


「はっ!」

 姿勢を低くし、馬に声を掛けたシリルは、追いつくことだけを考える。すると、列をなした馬の群れが前方に見えてきた。絵画チームは体力温存のためか、ゆっくりと馬を歩かせている。

「グレン!」

 馬から降り、手綱を引いて豹の男を見つけ出すと、ぎょっとしたような顔をされた。グレンは鼻が利くから、発情期だと見抜かれているのだろう。

「……シリル? こんなところまで来て、どうしたんだ」
「忘れ物してたから、追い掛けてきたんだ。はい、色鉛筆。気に入ってるんでしょう?」

 上がった息を整え色鉛筆を差し出すと、グレンが「あぁ!」と叫ぶ。

「削ったあと、荷物に入れ忘れたのか。ありがとう、手間をかけた。体調が悪いときにすまんな」

 色鉛筆の箱を渡した手を握られ、その手に熱がこもっていることに気付く。グレンの瞳は、たっぷりと水をたたえたように潤んでいた。

「グレン……?」
「おーい、十分間休憩するぞ。通行の邪魔にならないように、道の端に寄ってくれ。集合の際には笛を鳴らすから、遅れないようにな」

 先頭の職員が大声を上げ、まわりがわいわいと喋り始めた。

「グレン、彼氏に忘れ物届けてもらっていいなぁ。羨ましい」
「ほんとだ。俺も早く彼女か彼氏が欲しいよ」

 休憩で余裕が出来た同僚に冷やかされ、グレンが「向こうへ行くぞ」と腕を引っ張ってくる。

「え、ちょっと、グレン?」

 廃屋はいおくの中に無言で連れ込まれ、埃くさくてケホケホと咳き込む。部屋の隅には蜘蛛の巣が掛かり、綿埃わたぼこりが散乱している。

「シリル、お前今、発情期になっているだろう。忘れ物を届けにきてくれたのは嬉しいが無防備すぎる。さっき声を掛けてきた奴らの目つきを見たか? 俺がいなかったら、道端で犯されていたかもしれないんだぞ」
「そんな大げさな……。それに、ちゃんと首輪付けてきたもん」
「そうだな、番にはされないかもしれない。だが、だれとも知れない奴との子供は出来てしまう。頼むから、家で大人しくしていてくれ……」

 両肩に手を置いて項垂れるグレンは、心の底からシリルの身を案じている。婚約者のそんな姿を見て、胸がチクリと痛む。

「ごめん。ちょっと浅はかだったかな。……んっ」

 気付くと白い獣毛に覆われた顔が目の前にあり、グレンに口付けられていた。濡れた鼻先が自分のそれにあたってくすぐったい。ぐっと腰を抱かれたので、シリルも彼の首に腕を巻き付けた。長い交歓のあと、口に付いた唾液をぺろりと舐められる。

「本当は、三日会えないとばかり思っていたお前の顔を見付けたとき、心臓が跳ねるほど嬉しかった。……色鉛筆を受け取ったとき、お前が愛しくて仕方なくて抱きつきたくなったが、あまりに色っぽい表情で近寄るものだから、急に心配になった」
「心配って、なに?」
「俺の見ている前で、ほかのアルファやベータに襲われないかと思ったんだ。フェロモンの匂いは弱かったが、分かる奴には分かるからな」
「そ、そうなの?」
「さすがに、公衆の面前で強姦するような奴はいなかったが。俺はセスのときのように、横から攫われる恐怖を二度と味わいたくない」

 喉を震わせたグレンに再び抱きしめられ、思わず「痛っ」と声が出た。あばらが軋むほどの力に驚いてしまう。

(……でも、こんなに僕のことを想ってくれているんだ)

 グレンは優しい。思慮が足りないシリル以上に、シリルのことを心配してくれる。

「グレン。僕、馬に乗って帰ったら、きみが帰ってくるまで家から出ないから。だから安心して調査に行って」

 覆いかぶさる大きな背中を、宥めるようにポンポンと軽く叩くと、いたずらっ子のような笑顔を向けられた。

「そうだな。俺がいないあいだ、だれにもここをさわらせないようにな」
「んっ」

 どうやってそんな細かいところが分かるのか、胸の突起を摘ままれ、股のあいだをキュッと手のひらで押さえられる。グレンにしてみれば冗談のつもりなのだろうが、発情期で敏感になった体が反応してしまう。体の奥から分泌された体液がツッと腿を伝った。

「もう、グレンのバカ! 早く皆のところに戻ってよ」

 怒った振りで誤魔化し、廃屋の入口へと追い立てる。隊の皆に冷やかされそうなので、道で別れることにした。

「調査が終わったら、すぐに帰って来てね」
「帰ったら真っ先にお前を抱く。待っていてくれ」

 集合の合図の笛がピイーッと鳴った。調査隊の一団と合流するグレンを見送ると、シリルも馬上の人となる。額に手をあてると、少し熱かった。どうやら、また熱が出てきたようだ。

(帰ったらカーテンを閉めて、ひとりで処理しなきゃ収まらないかも……)

 そう思うと、顔が勝手に赤くなる。きっとフェロモンも強くなっているはずだ。家に無事帰れますように、と祈りながら馬を急がせた。

 町に戻ると、いつものようすと違うことに気付いた。もうすぐ正午だというのに、テントを張った市場は人影もまばらで閑散としている。道を歩いている女性や子供の姿が見当たらない、道行く人々に声を掛ける商店の客引きの姿もない。辺りがしんと静まりかえっているのだ。

(なんだろう、変だな)

 貸し馬屋の入口に行くと、受け付けてくれた犬の獣人と目が合った。

「おじさん、いい馬を貸してくれてありがとう。頑張ってくれたから、沢山水を飲ませてやってね。……ところで、なんだか町の人が少ないんだけど、なにかあったの?」
「なんでも少し先のセントメリ刑務所から、殺人犯が二人も脱獄したらしい。警察が追っているがまだ捕まっていなくて、皆怖がって外に出ないんだ」
「そうだったんだ……」

 ぽかんと口を開ける。セントメリ刑務所は、行きがけに見た砦のような建物だ。殺人犯が逃げ出したときに、近くにいたのだと思うと恐ろしくなった。

「その首輪、あんたオメガだろう? 強姦殺人をした奴がいるらしいから、首輪をしていても気をつけたほうがいいよ。しかし、こんな白昼堂々と逃げ出すなんて、図太い奴らだねぇ」
「おじさん、これ残りの代金。ありがとう、すぐに帰るよ」

 親父の手に銅貨を数枚握らせ、家路へ急ぐ。幸い、馬屋と仮住まいはそれほど離れていないから、五分ほどで着くはずだ。
 家の鍵を開け、部屋に入ると内側から鍵を掛けた。まだ外は静まりかえっている。

「無事家に帰ってこれてよかった。緊張したらお腹が空いちゃった」

 炊事場でパンに野菜とハムを挟み、簡単な昼食をこしらえる。牛乳をグラスにそそぎ、ひとりでお昼にしようとしたとき、奥の部屋からギイ、と扉が開く音がした。

(……風の音かな? 窓、開けてたっけ)

 今は空腹を満たすほうが先だと、サンドウィッチにかじりつきながら不思議に思った。あとで閉めれば問題ないだろう。

「やあシリル君、久しぶり。相変わらず甘くていい匂いをさせているね」
「セス……!」

 食堂に姿を現したのはなんと、刑に服しているはずの男だった。
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