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本編

02.いけすかない後輩に探りを入れたい

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 フレッドがウルフナイツに入団してきたのは、一年と数か月ほど前の話だ。
 彼の教育係についたのがエミリアだった。エミリア自身もまだまだ新人の域を抜け出せていなかったわけだが、後輩を導くことで新たに学ぶものもあるだろう、という理由からその役目に選ばれたらしかった。
 フレッドは口数が少なく、非常に真面目な男であった。彼は優秀で、一度教えたことはすぐに覚えてしまう。こちらが教える前からすでに要領を把握していることも多くあった。エミリアは『これなら、べつに教育係は必要ないんじゃない……?』とモヤモヤした気持ちを抱えながら彼を指導したのだった。

 フレッドが入団して数か月が経過し、研修期間も終わりに近づいていたときのことだ。

『こっちの本はその棚に戻してくれる?』
『はい』

 研修部屋の中で、エミリアはウルフナイツの歴史と、王国軍に属する他騎士団の説明をフレッドにしていた。もっとも、そういった知識は彼の頭の中にとっくに入っているようだったから、この研修は形式的なものだ。
 フレッドはエミリアに指示されたとおり、本を棚にしまっていく。
 エミリアは、少し離れた場所からフレッドの後ろ姿を観察した。
 彼の身長はじゅうぶんに高い。だが騎士としてはムキムキ度合いがちょっと足りない。しかし彼はまだ若い。身体が出来上がって行くのはこれからなのかもしれない。
 黒い髪はつやつやしていて滑らかそうに見えるが、実際に触れてみたら意外と硬いのではないだろうか。
 それから気になるのは肌の黒さだ。ルージェン王国の人間にしては、やたらと浅黒い。異民族の血でも混じっているのだろうか? それとも、ものすごく日に焼けているだけなのだろうか……?
 顔はかなりのレベルで整っていて、その灰色の瞳は彼の落ち着いた雰囲気を増幅させている気がする。

『……さん。エミリアさん?』
『えっ』

 気づくと、本をしまい終えたフレッドが真面目な表情でこちらを見つめ、次の指示を待っていた。
 エミリアは彼を夢中で眺め回していたことに気づき、慌てて取り繕う。

『えっと……そっちの棚の上のほうに"ウルフナイツ事件史"っていう本があるでしょ?』
『ああ、はい。あります』
『もう読んだ?』
『いえ、まだです』

 それは書類の束を紐で閉じたお手製の本だ。ウルフナイツが取り扱ってきた事件史ではなく、ウルフナイツ内で起きた不祥事や揉め事を記してある。騎士団の黒歴史みたいなものだが、団員ならばそれも把握しておいた方がいい。

『じゃあ、それを取ってちょうだい』
『はい』

 件の本の位置はエミリアだったら踏み台が必要な高さだったが、フレッドは少し腕を伸ばしただけで届いてしまうようだ。
 彼が"ウルフナイツ事件史"を引っ張り出そうとしたとき、その左右に並べられていた本たちが連動して動き、本棚から落ちてくる。
 エミリアはあっと声をあげそうになったが、フレッドの行動のほうが早かった。

 彼は本が床に落ちる前に、ぱ、ぱ、ぱっ、と、それらを宙で受け止めて見せたのだ。

 エミリアは瞬きを繰り返した。
 フレッドはなんでも無さそうに受け止めた本を本棚に戻している。
"ウルフナイツ事件史"以外に落ちてきた本は三冊。彼は"ウルフナイツ事件史"を右手で持ったまま、左手で三冊の本を一瞬にして受け止めたように見えた。まずは最初に落ちそうなものをつかみ、おひねりを帽子で器用に受け取る大道芸人の如く、その上に残りの二冊を乗せていく、というかたちで。
 エミリアは、やっぱり瞬きを繰り返した。

『エミリアさん。あなたの言っていた本、これですよね』

 彼は"ウルフナイツ事件史"をこちらに差し出しているが、それどころではない。

『え……え? ねえ。いま、どうやったの……?』
『……はい? どうやった、とは……?』
『と、とぼけないでよ! 本、落とさなかったじゃない! いまの、何!?』

 フレッドの人間離れした動きにちょっと引きながら、エミリアは本棚を指さした。彼はその本棚とエミリアを見比べる。

『べつに……落としちゃまずいと思って、受け止めただけですけど』
『だからって、普通はあんなこと……できないわよ!?』
『できますよ』
『ハァ!? 何言ってんの? できるわけないじゃない!』

 フレッドがとぼけているようにしか思えなかったので、ムキになってしまった。
 彼はそんなエミリアを見つめ、ふと微笑む。

『エミリアさんだって、訓練したらきっとできますよ』
『……!!』

 そんなわけないじゃない。何をどうやったのか白状しろ。そう言いたかったが、憎たらしいくらいの魅力的な笑みを浮かべられて、言葉を飲み込んでしまうエミリアだった。

 こうして彼を指導する期間は終わってしまったのだが、あとになって気づいたことがある。フレッドのあの悪魔みたいに綺麗な笑み。あの笑みには「たしかに普通はこんなことはできません。秘密があります。でも、あなたには教えてあげない」そういう意味が込められていたように思えるのだ。
 そのことに気づいた瞬間、エミリアはかつてない怒りと羞恥に駆られた。
 フレッドにムカムカしつつ、彼がなにか秘密の特訓をしているのではないかと気になって仕方がなかった。


 *


 そう。絶対に彼は秘密の特訓めいたものをしている。人間離れした動きを目にしたのはあのとき限りだが、的確な捜査、事件解決の速さもやっぱり人間離れしていると思う。
 酒場に入ったエミリアは、はす向かいに座っているフレッドに目をやった。
 彼は両隣にいる団員たちから次々と酒を勧められているが、それを淡々と飲み干しているように見える。
 フレッドは酒に強いほうなのだろうか? 彼が酔っているかどうかを探るため、エミリアはフレッドの酒の減り具合を度々チェックする。
 宴会が始まって一時間もすると、団員たちは好き好きに席を移動しはじめ、酒場の大部屋の中はちょっと緩んだ空気になってきた。
 エミリアはすかさずフレッドの隣へと移動する。

「どう? 飲んでる?」
「……エミリアさん」

 彼は少し驚いているように見えた。こうしてエミリアから近寄っていくことはほとんどなかったから、珍しいと思っているに違いない。

「ほら。今日はあんたのお祝いなんだから、もっと飲みなさいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 エミリアは酒瓶を手に取ると、その中身を彼のグラスに注いでいく。口数は少ないままだし、顔も赤くなってはいない──顔色に出ないだけかもしれないし、彼の肌が浅黒いせいでわからないだけかもしれない──ので、度数の高い酒をなみなみと注いでやった。
 そして彼に飲ませるために、自分のグラスもハイペースで空けていく。

「こうやって話すの、久しぶりじゃない?」
「ええ、そうですね。俺の研修期間が終わってからは……あまり、話す機会がありませんでしたね」
「ね。でも、あんたのこと、すごい奴が入団してきたなって、ずっと思ってたのよ?」

 認めるのは癪だがフレッドがすごいのはほんとうのことだ。それに、褒めまくっていい気分にしてやればお酒も進み、舌もよく回るようになるのではないだろうか。

「ねえねえ、あんたの実家ってどの辺にあるの?」

 エミリアは彼のグラスに酒を注ぎ足した。

「王都よりも少し北に行ったところに、デクスター侯爵領があります。近くに……トーリアという街があって……」
「ああ、あの辺!?」
「ご存知ですか」
「うんうん。学生の頃、家族でトーリアまで旅行したことがあるの。きれいな街よねえ……人がいて活気があるのに治安は良さそうで……」

 と、ここまで口にしたところで「いまはトーリアについての話ではない」と思い直す。フレッド・アンブローズについての情報を仕入れなくては。

「それで? あんたのご両親は領地にいるの? お父様も若い頃は騎士だったの?」
「いえ……騎士を目指していたみたいですが、祖父が早くに亡くなってしまったんです。それで父は学校を卒業してすぐに、デクスター侯爵として領地のほうに」
「そうだったんだ……じゃ、お母様は?」
「母は……いません。俺が幼い頃に、父と離縁しているので」
「あ……そ、そうなんだ……」

 彼のすごさは血筋なのかな、と考えて質問攻めにしてしまったが、無神経だったかもしれない。知りたい情報を手に入れるというのは、なかなか難しい。
 それにしても、侯爵家ともなると家同士の結婚、つまり政略結婚になることがほとんどのはずだが、その状態で離縁するというのは珍しい気がする。フレッドの両親の間、あるいは家同士によほどのことがあったのだろうか? でも、それを訊ねるのはやっぱり無神経だと思った。
 では、どういう切り口からどう攻めようか……そう考えながら自分のグラスの中身を飲み干し、フレッドに「別のお酒頼もうか?」と言おうとして彼のほうを見た。
 すると、フレッドはテーブルに突っ伏していた。

「えっ。ねえ、大丈夫?」
「…………」
「ちょっと、フレッド? もしかして、具合悪い?」
「……………………」

 彼の肩を揺すったが返事はない。
 飲ませ過ぎたのだろうか。しかしさっきまで普通にしていたのに、酔い潰れるにしては唐突過ぎないか。

「ほら、水だよ! 水飲も?」
「……あ、ありがとうございます……」

 水の入ったグラスを差し出すと、彼はようやく顔をあげ、それをひと息に呷り、ふーっと深い息をついた。手の甲で額をごしごしと擦り、ゆっくりとした瞬きを繰り返している。明らかに、酒に屈した人の様子だった。

「だ、大丈夫……?」

 ピッチャーからもう一度水を注いで、そのグラスを彼に手渡したとき、パーシヴァルの声がした。

「おいおいエミリア! 君は今夜の主役を潰したのか?」
「えっ、こ、これは……そのー……」

 たった数杯で潰れるとは思わなかったのだ。いや、フレッドは宴会が始まってすぐからかなり飲まされていた。エミリアが隣に座った頃には、すでに限界に近かったのかもしれない。
 今度はフィニアスがのしのしと歩いて来て、エミリアの頭を拳でぐりぐりとした。

「エミリア、フレッドを宿舎まで送っていってやれ」
「は? 私が……?」
「おまえが潰したんだろ。面倒見てやれよ」

 フィニアスはそこで手にしていたジョッキをぐいっと傾けた。宴会の主役は潰れた。が、彼らはまだまだ飲む気でいるようだ。

「飲み足りないんだったら、こいつを送った後にまた戻って来りゃいい話だろ?」
「う、うーん……」

 それはそれで面倒くさいなあと思っていると、

「そうだな。君が送ってやれ。これも指導の一環だと思えばいい」

 パーシヴァルに追い打ちをかけられる。
 研修期間はとっくに終わっているわけだが、下から二番目の自分は黙って上官命令に従うしかない。
 フレッドからは何も聞き出せず、結局貧乏くじを引いてしまった。
 ああ、早く出世したいなあ。
 エミリアはそう思いながらため息をつき、フレッドの腕を取って彼を立ち上がらせた。



 支えていないと彼はまっすぐ歩けないようだったが、辻馬車をつかまえ、なんとか宿舎にたどり着く。フレッドに割り当てられている部屋の扉を開けたエミリアは、彼をベッドのほうへ誘導した。そしてナイトテーブルの上の小さなランプを灯す。

「お水、持ってくるね。あ、洗面器とかもあったほうがいい?」
「…………」

 彼は緩慢な動きで上着を脱いだ後は枕に顔を埋めてしまい、返事をする様子がない。こちらの声が聞こえているかどうかもわからない。エミリアは、まずは冷たい水を汲みに行った。その後で宿舎の医務室に足を運び、洗面器と、二日酔いに効くとされる薬を持っくる。

「お水とか、ここに置いておくね」

 そう告げたが彼はベッドに突っ伏したままだった。
 やれることはやった。これから酒場に戻るのも億劫だし、今夜はもう自室に戻って休もう。そう考えて踵を返したが、ふと足を止めた。
 この際、フレッドの部屋を観察してやろうという好奇心が湧いてきたのだ。そこで、さっと壁や床に視線を走らせる。余計なものがなく、エミリアの部屋よりもずっと片付いている。掃除もマメにしているのだろうか。棚に埃が積もっている様子も、その辺に洗濯物が積み重なっている様子もない。
 机の上も綺麗なものだった。ペンとインク壷、メモ用紙と辞書が置いてあるだけでずいぶんさっぱりとしている。
 全体的に殺風景というか、生活感がない。
 見えないところも全部こんな感じなのだろうか……?
 エミリアは机の引き出しに目をやった。だが、それを開けてしまうのは人としてどうなのか。いや、見えない場所には、彼の優等生っぷりの秘訣が隠されているのでは? 知りたい。でも、そこまでやるのはさすがにダメだろう、ダメだろう……でも……。
 誘惑と戦ってうずうずしていると、

「……ん……」

 フレッドが小さく呻いたのでエミリアはビクッとして姿勢を正した。

「あっ、お、起きたの……? 具合はどう?」
「あれ……俺……ここは……?」
「ここはあんたの部屋よ。覚えてないの?」
「ええと、仕事が終わった後……みんなで酒場に行ったことは、覚えてるんですけど……」

 記憶も朧気のようだ。彼は肘を支えに身体を起こして、制服のスカーフを緩める。そしてシャツのボタンを三つほど開けた。
 シャツの隙間から覗いた肌に思わず目を奪われる。

「あんたって、もともと色黒なの?」

 鎖骨よりも下のほうは、普段見えている顔や手と同じ色だ。それに、筋肉モリモリというほどではないが胸板はしっかり左右にわかれて、綺麗に引き締まっている。
 お腹のほうはどんなものだろう?
 エミリアはベッドのほうへ近寄っていった。

「日に焼けてるのかと思ってたけど、違うの?」
「ええ……父方の祖母に、異国の血が入っていたみたいで……あっ、ちょっと」
「ねえ、お腹の筋肉みせて? 騎士団の訓練のほかに何かやってる?」
「うわ、ちょ、ちょっと、エミリアさん……!」

 お腹も立派に割れているのか確かめたくて、エミリアは身を乗り出し、片方の膝をベッドの縁に乗せた。そのとき、フレッドに手首をつかまれる。

「これ以上は、まずいです」
「なによ。ちょっとくらいいいじゃない。けちけちしないで見せなさいよ」
「……エミリアさん。あなた、男のベッドの上にいるって自覚、あります?」

 灰色の瞳がエミリアを捉えていた。近くで見てみると、ほんのりと目元が赤くなっているのがわかる。少し喋っただけで息があがっているので、身体の中のアルコールはまだまだ抜けていないのだろう。
 彼の唇が動く。

「危ないですよ」
「…………」

 なーにが「危ない」だ。くそ真面目な酔っ払いが虚勢を張っているようにしか見えず、エミリアは「またまた」と口にした。
 彼は自分がつかんでいるエミリアの手首をじっと見つめ、独り言のように呟く。

「すごい……夢にしては、リアルだな……触れられるし、ちゃんと感触がある……」
「夢じゃないんだけど」
「夢に決まってますよ。あなたが俺の隣に座って、酒を勧めてくるなんて……しかも、まだ俺の傍にいる……」

 彼の言葉にちょっとどきりとしてしまったエミリアだ。だがエミリアがフレッドを煙たく思っているのはきっと彼にも伝わっていたはずだ。彼の言っている「夢」の意味は「夢みたいに嬉しい」ではなくて「夢であってくれ」という悪夢のほうなのだろう。
 酔わせて口を割らせようという気満々だったが、こうなってしまうと申し訳なくなってくる。

「限界だったのなら、無理に飲むことなかったのに」
「あなたが勧めるお酒を、断るわけにはいかないでしょう」
「あの、……わっ」

 それは先輩であるエミリアを立てようとしたのだろうか? 自分はそんなに怖いだろうか? そう問おうとしたとき、フレッドの腕が腰に回された。エミリアは力強く彼に引き寄せられてしまう。
 フレッドはエミリアをぎゅっと抱きしめると、それほど豊かではない胸の間に顔を埋め、熱いため息を吐いた。

「ね、ねえ、ちょっと……」
「ああ、すごい……エミリアさんと、こんなこと……」

 彼はエミリアの胸に、さらに自分の顔を押し付けた。
 これはセクシャルハラスメントというやつではないのか。……ならば腹を見せろと迫った自分もそうなるのだろうか? いろいろ考えたが、エミリアはフレッドを突き飛ばすことができなかった。
 すかしたくそ真面目野郎でも、こんな風に女の身体を求めることがあるのだ──しかも、エミリアの身体を。そう思ったら、これからフレッドがどんな風になるのか、確かめてみたくなってしまった。

「すごい、ほんとうに……」

 フレッドが囁くように言って、エミリアの上着の身頃をぐいとずらす。そしてシャツ越しに、胸の頂にキスをした。

「あ……っ」

 エミリアはベッドの上に両膝立ちになって、フレッドに抱きすくめられている。彼がどんな風になるのか、見てみたい。
 これから何をされるのか想像がつかないわけじゃない。
 でも、フレッドは夢だと思っているようだ……。
 エミリアも酔っ払っていたのかもしれない。彼を払いのける気はすでに無くなっていた。

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