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第二章

ヴィルフリートの想い②

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 レオンに言われたように、適当な相手を探すのを止め、三日に一度はエルを訪れるようになった。
 転移で飛んでしまえば、エルの店の裏口まで一瞬。奥まった所にあるため、頻繁に訪れたとしても姿を見られることはない。俺にとっては好都合だった。


 驚かせると、椅子から落ちそうになりながら、「もう!」と言う。その言葉とは裏腹に、俺の姿を目に入れて、目を輝かせ、顔を綻ばせる。

 毎回飽きもせずにしてしまうのはなぜだろうか。
 ただ性欲を満たすためだけに来ているというのに。
 まるで、その表情が見たいとでもいうように。



 信じていいの?

 ――信じるだけ無駄だって。


 期待していいの?

 ――どうせこいつも今までの奴と一緒。



『いってらっしゃい、ヴィル様』


 俺は閉められた扉の向こうから微かに聞こえた声を振り返った。
 それはその一回だけではなく、その次もその次も耳を澄ませば聞こえてきた。
 裏口まで見送りに来ては、こうして声をかけ続けていたのだろうか。

 馬鹿さ加減に呆れながらも、その声を聞くために扉の前で立ち止まる自分にも笑ってしまう。


 変わらない態度に揺れる自分がいる。




 一瞬、自分に何が起きたのか把握できなかった。

「あ、ヴィル様」

 声の方を振り向くと、エルが本を閉じて、俺の方に向かってくるところだった。起き上がると、毛布が掛けてあるのに気付く。

「俺、は?」
「紅茶入れてる間に眠ってしまってて…。お疲れだったんですね」

 眠って?
 自分のベッドでさえも寝られない時があるというのに、他人の家のソファーで眠りにつくなんて考えられなかった。
 食事に薬が混入していないかは毎回確認している。本当に自ら眠ってしまったということか。

「あ、あの…、起こした方が良かったですか…?」

 俺が無言で考え込んでいると、機嫌が悪くなったと感じたのか、エルは恐々と顔色を窺いながら聞いてきた。

「大丈夫だよ。心配かけたね」
「本当に大丈夫ですか?」

 本当に、と答えてエルを引き寄せてキスすると、エルは素直にそれを受け入れる。解放すると頬を染めたまま、飲み物入れますね、と逃げるように立ち上がった。
 行為の最中は快感に溺れ、淫らに腰を振ることもあるというのに、キスは未だに慣れないらしい。
 離れて行こうとするエルの腕を掴み、ソファーに押し倒すと、だめです!、という否定の言葉が聞こえて一瞬耳を疑った。

「ゆっくりお風呂に浸かって、その、コレはなしにして、ヴィル様にはゆっくり寝てもらうって決めたんです」
「どうして?」
「…その、あんまり動くと疲れが取れないかも、って…」
「なら、前みたいにエルが上で動いてくれたら解決するね」
「! だだだだ、ダメです!」

 決意したエルは意外に頑固で、痴態を思い出して顔を真っ赤にしながらも譲らなかった。

 湯舟には薬草の入った布袋が浮かべられ、ナイトテーブルには興奮を抑え、緊張を解す効果があるという花の入ったハーブティが用意され、至れり尽くせり。

 本当に俺の事を案じているのだろうか。

 泊まる時には必ずしていた行為をせずに寝るというのは違和感があったが、あったかい、と幸せそうに呟きながら、腕の中で俺よりも先に寝息を立て始めたエルに自然と頬が緩んだ。
 そして、その規則正しい寝息に導かれるように湧いてきた眠気に目を閉じた。



 喜ばせたい、と思ったのはいつ以来だろう。


 ふと思い立って、好物だといっていた串焼きを手土産に持っていくと、案の定、エルは極上の笑みを浮かべた。
 串を口に運んで、頬を膨らませながら、喜びを一片も隠さず幸せそうに食べる姿は行儀がいいとは思えないが、心和むものだった。



 体を重ねたい、と思ったのはいつ以来だろう。


 セックスする度に喪失感に囚われていたのが嘘のように充足感に溢れる。

 一度達するだけでは飽き足らず、何度も貪るように求めた。

 敏感な体は快感に震え、涙を流しながら嬌声を上げる。少し焦らせば強い刺激が欲しいと懇願し、「動いて」とお願いすれば自ら腰を振り、享楽にのめり込む無垢で従順なエル。

 今までならば、冷めた目で見降ろし、心の中で侮辱しながら犯していただろう。
 けれど、翻弄されて縋りつき、淫らな姿を曝け出す存在が可愛くて堪らなかった。

「……ぃあ……そこ、っ……ん、んぁっ…」
「ここ、すき?」
「……すきっ……はっ……きもちぃぃっ……あぁ…」

 やらしくなって、という声に首を振りながらも、快感に酔って腰を揺らすエルに笑みがこぼれる。
 体に教え込んだのは他ならぬ俺なのだが。

 連続する絶頂はさすがに怖いらしく、しがみついてきて、俺の存在を確認しながら体を跳ねさせる。そんなエルの色香を放つ唇に何度も口づけてしまう俺も結構な重症なのかもしれない。

 行為の後に痴態を思い出して、はにかみながらも満ち足りた笑顔を浮かべるエルは酷く妖艶で、誰も知らないこの姿を見れる優越感を自嘲しながらも感じていた。

 
 少し心を開くと、エルから愛と慈しみが波のように押し寄せてくる。
 何気ない気遣いが心を揺さぶり、屈託のない笑みに心を奪われる。

 知らなかった頃には戻れない。
 ただただ、俺はエルを甘受した。





「これはなんですか?」


 友人であり補佐官であるジークベルトに薬包紙に包まれた薬を数個渡した。横に立っていたディータも珍しそうにのぞき込んでいる。

「知り合いの薬師からもらった疲労回復薬。以前に疲れが取れないって言ってたよね? これ、なかなか優秀で、騎士団でも使いたいんだけど、もう少し被験者が必要なんだ」
「――ヴィル、効果の実証が済んでない薬を口に入れたんですか? もっと自分の体を大切にしてください」
「…別に俺がいなくても、ね。それに薬師が目の前で被験者になってたし」
「また卑屈を…。薬の成分も一緒のものとは限らないでしょう」
「まあ、それもそうなんだけど、そこまで頭回らない子だから」

 検査するまでもなかったが、一応精霊から全部同一成分の物というお墨付きはもらっている。

「…それはそれで不安になりますね」

 ジークは薬を複雑な表情をしながら眺めている。そうなる気持ちもわからなくはない。
 確かにエルは薬師には適してないと思うが、腕が立つのは事実なのだ。

「俺には? 俺にはくれないの?」
「いいけど、使用感の報告書よろしく」

 はーい、と軽い返事をしたディーに残りわずかになった薬を紙袋ごとを渡した。

「これって、あの薬屋の、――もしかして付き合ってるのってあの子?!」
「まあね」
「また、相手を変えたんですか? いつになったら――」
「ジーク、それ以上言わなくていい。メルヒオルにもレオンにも同じこと言われてるし、もうお腹いっぱい」
「でもさ、そんな子の薬を採用するなんて、珍しいこともあるもんだねー」
「俺のために作ったんだって、この薬。健気だと思わない?」

 ディーとジークは俺の顔を目を見開いてまじまじと見つめてから、お互いを見合わせた。

「うわぁ、ヴィルって案外簡単に誑し込まれるタイプだったんだー。健気とかいう言葉がヴィルの口から出てくるなんて、それこそ信じられない…」
「まあ、今までの境遇を考えるとそうなるのもわかりますけど」

 二人の言葉を否定できないことに若干苛立ちながらも納得してしまう。
 少しの気遣いとちょっとした贈り物でこんなにも心が動かされるなんて露ほども思わなかったのだから。

 他愛ないのはむしろ俺の方だったのかもしれない。


 その後ジークの持ってきた王都周辺における上位魔物発生の報告書にエルヴィンの名を見つけ、おあつらえ向きの材料に笑みがこぼれた。


 国からの報奨金、騎士団と提携契約、そしてメルヒオルの一件への寄与。薬師ランクを上げるには十分すぎるほどだ。王宮に抱えておくことも可能になる。すべて捏造ではなく、事実エルがやってのけたのだから、反発は起こるだろうが、棄却はできない。

 俺はエルを伴侶に迎えるために、婚約の解消や貴族たちを黙らせる下準備に奔走することになる。


 そして、俺の過去の行動のツケが回ってきた。
 俺の失脚を願う貴族達と今まで体の関係を持ったことのある奴等がこぞって、訴えを起こしてきた。
 『遊び』がなければエルとの出会えなかったのも事実で、複雑な心境に陥った。

 この件を清算するまで、エルに会わないと決めた。
 贖罪も含んでいるが、最近俺が平民街に通っているという噂が流れ始めているのが一番の要因だった。
 エルに目を付けられることは勿論、俺の過去を背負わせる事は絶対に回避したかった。

 
 エルが一人で買おうとしていたペンダントの事を思い出し、お互いの色の石をはめ込んだ指輪を用意した。

 自分でも馬鹿だと思う。

 ここまで気持ちが変わるものだとは思いもよらなかった。レオンから説教された甲斐はあったようだ。
 レオンに、伴侶にする、と話すと、俺の変化から薄々気付いていたと言う。そして、よかったな、と心底安心した様子で微笑んだ。


 エルの契約をレオンに任せ、雑務をかたずけていると、緊急の連絡があった。転移で飛んでいくと、蒼白な顔をしたエルがソファーに寝かされていた。
 魔力欠乏を起こしているのは一目瞭然だった。
 
 また何か新しい薬でも試作しているのだろうか。
 騎士団の契約があるからと、無理をしたのだろうか。

 ぐったりとしたエルを拐うように連れてきて、部屋で寝かせ、血の気の引いた唇に口づけて、魔力回復を促した。
 他人を自分の寝台に寝かすなど信じられないことだったが、エルをそうすることに何の抵抗もなかった。


 魔力欠乏を起こしていたエルは俺の魔力を受けて、いつも以上に敏感になり、体を弾ませる。その反応が愛らしく、難しい「おねがい」をすれば、恥らいながらも応え、俺を愉しませた。

 ――愛しい。

 こんな風に感じたのは初めてだった。


 指輪を嵌めると、ボロボロと大粒の涙を流し、「僕なんかでいいの?」と何度も聞いてくる小さな存在。その存在をしっかりと腕の中に抱きしめた。

 相手に喜んでもらいたいと思うのは初めての事だった。半分は自分のためではあったが、それでも、心の中に生じる形容しがたい感情に心地よさを感じていた。

 必ず迎えに行くと約束して、エルの嵌めてくれた対になった指輪に指を添わせた。




 この時、俺の目がもっと開けていたなら、エルを傷つけることはなかったかもしれない。


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