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18、婚礼間近

港街

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 聖地の秋が深まり、北の山々には早くも冬が訪れた。真っ白に雪化粧した霊山プルミンテルンを遠目に見ながら、恭親王は〈聖婚〉を間近に控えて浮き立つ聖地の〈港街〉を散策していた。供は護衛を兼ねてゾラ一人。ゲルやトルフィンはこういうお忍びにいい顔をしないが、自分が遊び歩きたいゾラは喜んでついてくる。時々、勝手にどこかに行ってしまうのが、玉にきずというか、護衛としては致命的なのだが。
 
 恭親王は、アデライードに会うために、七日に一度程度の割合で時間を作って聖地を訪れている。本当はアデライードと二人で歩いてみたいが、やはり刺客の襲撃の可能性を考えると、アデライードを外に連れ出す決心はつかなかった。

 表面的には平穏だが、暗部のカイトの報告によれば、別邸に侵入を試みる不審人物も後を絶たない。蟻の這い出る隙間もないガッチガチの警備体制を敷いているため、別邸の中にいればアデライードの安全は守られるだろう。だが、ほぼ軟禁状態に近いことに良心の呵責かしゃくを覚えるのである。
 つくづく、アデライードがアンジェリカのような、好奇心の塊でなくてよかったと思う。ただ、あまりにも従順に過ぎて、恭親王は少し心配になる。不満を訴えない代わりに、特に嬉しそうにすることもない。彼女を喜ばせてやりたいのに、どうしたらいいのか、何が好きかすらわからない。そんな状態に、少しイライラしていた。

 アデライードはアリナの指南によって少しずつだが体力を向上させているようだ。魔力のよどみもかなり改善され、頭痛を訴えることも減ったという。しかし、冬至まであと一月と少し、封印が解かれた後の魔力の増加量が読めないため、彼女が増えた分の魔力も含めて、全てを制御できるかは未知数である。婚儀の後、恭親王はアデライードに密着して過ごす(あくまで魔力を制御するために)必要があるため、年末年始に極力仕事をしないで済むように、現在できることは前倒しで進めている。結果、忙殺されるトルフィンには思いっきり嫌な顔をされているが。

 今日もトルフィンの嫌味を振り切って聖地にやって来たが、ふと、〈港街〉の様子も見ておこう、と別邸まで乗りつけずに通常の船着き場で降りたのは、単なる気まぐれである。

 聖地の〈港街〉は円形の広場を中心に放射状に広がっている。中心部や大通り沿いは巡礼者用の土産物屋、聖具屋、骨董屋そして古書店が多い。一本入ると飲食店や巡礼者用の宿屋が軒を連ね、さらに奥には賭博場やいかがわしい類の店、連れ込み宿などがある。ただし、娼館はない。広場の横にある小神殿に行けば、神殿娼婦がよりどりみどりで買えるので、誰もそんな娼館など利用しないからだ。
 恭親王が街歩きをする一番の目当ては古書である。やはり自分の足で歩かなければ、掘り出し物は見つからない。今日も稀覯きこう本の初版を発見し、マニア的な喜びを抱きながら、店の親父と古書談義に花を咲かせる。ついでに〈陰陽〉の棋譜きふと、アデライードが好みそうな刺繍の図案集を見つけて、それも包んでもらう。

「奥方へでございますか」
「もうすぐ、そうなる」

 瓶底びんぞこメガネをずらして、上目遣いに親父が言うのに、苦笑しながら答える。親父はごわごわした包装紙で本を包みながら、にやにや笑った。

「最近、多いですよ。ご〈聖婚〉にあやかって、結婚する若い者が。うちの孫も神殿に挙式の予約に行きました」

 恭親王は知らなかったが、〈聖婚〉と同じ年に結婚すると幸せな夫婦になる、という言い伝えがあるそうだ。何の根拠もなくくだらないことを、と恭親王は呆れるが、この秋からおそらく来年末まで、聖地は結婚ラッシュになるだろう。

「式を挙げるために聖地に滞在中の二人も多いし、宿屋は大儲けですよ。聖地とソリスティアは〈聖婚〉景気で沸いてまさ。旦那も、新年に向けて式を上げなさるんで?」
「まあ、周囲に急かされてな」

 嘘は言っていないが、自分がまさしくその〈聖婚〉の皇子だとは、言えない。言われてみれば、〈港街〉を寄り添って歩く男女の二人連れが多い。自分の結婚にあやかって結婚する人間が出て来るなど、想像すらしたことはなかった。

 店主の妻が熱い茶を差し出し、恭親王は薦められるままに、木の椅子に座ってお茶をよばれた。〈聖婚〉景気で沸いているとはいえ、恋人たちはこんな寂れた古書肆などには足を向けないのだろう。店はかなり暇そうだ。

「旦那は総督府に務めていなさるんで?」

 総督府の印の入った小切手を見せて金額を書き込むように言うと、店主が彼に問いかけた。恭親王は現金に触れるのを嫌う。護衛に払わせるか、小切手を使うことが多い。この小切手を別邸に持っていけば、換金してくれる。
 店主の妻が淹れた熱い茶を啜る。ソリスティアから入る、なかなか良い茶葉だとわかる。趣味のよい夫婦なのだ。 

「最近、帝都からこちらに配置換えになった」
「つまり、新しい総督閣下についてきなすったわけだ」
「まあ、そうだ」

 店主がずらした眼鏡の上から、探るように恭親王を見る。

「総督閣下は……随分恐ろし気な噂のある方ですが、どんな感じの人で?」
「どんな感じと言われても……」

 金額の書き込まれた小切手に、サインを書き入れる。偽名だが、総督府の出納係すいとうがかりにそれが恭親王だとわかるようになっている。小切手を再び店主に返しながら、恭親王は返答に困った。

「お姫様はうまくやっていけそうかね?いやさ、二百年ぶりのご〈聖婚〉でしょ、うまくいかなかったら、またぞろ不作になったり、魔物が出たりするちゅうし、ここは是非とも、仲良くしてもらいたいんだけどね」

 ここ数年続く不作や天変地異は、陰陽の調和が乱れたためだと〈禁苑〉は説明してきた。そしてそれは、ここ二百年〈聖婚〉を行っていないためだ、とも。民衆の素朴さは、それら〈禁苑〉の説明を信じ、二百年ぶりの〈聖婚〉に期待をかけているのだ。

「私の見る限り、総督閣下はお姫様に夢中だよ。心配はないと思うがね」

 茶を飲み干して、恭親王は微笑む。老夫婦がお互いに安心したような笑みを浮かべて顔を見合わせるのを見てから、湯呑を置いて立ち上がった。

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