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20、聖婚

陰陽宮

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 転移した先は、やけに古びた石造りの建物の中であった。

「太陰宮から、直接にここに飛ぶことはできないのか?」

 恭親王の問いに、ゼノンが答えた。

「この場所は、聖地の中でも特別に神聖な場所でございます。陰陽宮でも、枢機卿すうきけい以上の者しか立ち入ることが許されておりません。雪深い山中でございますので、ふもとから歩いて入ることも不可能です」
「龍騎士はいったい、どうやって来たのだ?」
「すべて、天と陰陽の導きでございます」

 転移魔法陣の描かれた部屋の、次の間は、奥の壁が巨大な岩壁になっていた。というよりも、その建物は岩壁に張り付くように作られている、と言った方がいい。正面の岩壁に入口が口を開けていて、上に扁額へんがくがかかっていた。どれほど古いものなのか、扁額の文字は擦り切れて読めない。

 ややガランとしたその部屋には、大きな卓と椅子があり、そこに座るように促された。

「儀式は日没後にこの洞窟の奥〈時の泉〉で行われます。まずは簡単なお食事を差し上げますので、召しあがってください。身体も温まります」

 その建物は〈聖婚〉の儀式のためにしか、立ち入ることはない場所だという。
 右隣りに扉があり、そこを姫君の控室として使い、儀式の間、侍女はそこで待つことになる。
 左隣りの扉が皇子の控室で、姫君も皇子それぞれ儀式の前にはそこで着替えてもらう、とゼノンが説明する。

「着替えは中に置いてございます。そこに用意された衣類以外は、何一つ身に着けてはなりません。神器の指輪も、その部屋にお残しください。……先ほども申し上げましたよう、ここには余人は辿りつくことはできませんので、失われることはございません」
「儀式はその洞窟の中なのだろう? 儀式の間、アリナは一人になってしまうのではないか?」
「わたくしは大丈夫でございますよ」

 アリナが微笑んでみせた。さすがにキモが据わっている。普通の侍女ではとても耐えきれまい。
 運ばれてきた食事が、謙遜けんそんではなく真実簡単なものだったので、恭親王は驚いた。クコの実入りの雑穀の粥、のみ。しかもかなり薄い。粗食が好きな恭親王ですらぎょっとする貧しさだ。甥のれん郡王グインだったら、怒って卓をひっくり返していただろう。

 「この場所は、〈混沌コントン〉の眷属けんぞくに追われて重傷を負った龍騎士が、命からがら逃げ延びた場所なのです。彼は洞窟に身を潜め、残っていたわずかな干飯ほしいいを粥にして流し込んだとされております。そしてその後、月の精靈ディアーヌと出会って生涯を誓い合うのです。あなた方にはこれから一晩、それを再現していただくことになります」
「では、この粥も本来ならば洞窟の中で食するべきなのだな」
「そのようにしていた時期もあったようなのですが、何分、二千年の間にいろいろと変わってはおりましょう。ただ、儀式の精神としては、そうことでございます。殿下がたは一晩、洞窟の中で過ごしていただくわけですから、腹ごしらえも兼ねているのです」

 つまり、この粥以降、翌朝まで飲まず食わずということなのだ。文句を言わずに食べるしかない。

 恭親王はその、薄い粥を啜る。塩すら入ってない。
 だが、恭親王はこの粥がものすごく美味いと思った。全身に沁みていくような、神韻たる美味だった。
 横を見ると、アデライードも黙々と食べている。
 
 食べ終わり、匙をおくと、メイローズがやってきた。

「日没までに洞窟に入らねばなりません。そろそろお支度を……」

 メイローズに促され、お互いに分かれて控室に入った。
 控室がこれまた、馬鹿にしているかと言いたくなるほど、何もない部屋だった。
 その通り口に出すと、メイローズが言った。

「定期的に〈聖婚〉を行っていた時は、もう少しちゃんとしていたようですが、なにしろ二百年ぶりでございますからね。この建物自体、半年かけて大掃除して、大変だったのですよ」
「あっちの部屋もこんなもんなのか? アリナはこんな部屋で一晩過ごせないだろう」
「あちらの部屋には寝台を運び入れてございます。こちらには必要ありませんから」

 そう言いながら、メイローズはかつて側仕えだったとき同様に、手際よく恭親王の衣服を脱がせていく。

 指輪と、翡翠の耳飾りを外し、丸裸になった恭親王に、メイローズが黒い麻の単衣ひとえを着せ掛ける。帝国でも夜着はこの形式であるから、恭親王は普通に衣紋えもんを合わせ、メイローズが差し出す紅い帯を結んだ。

「足は?」

 尋ねると、メイローズは何でもないことのように言った。

「裸足ですよ」
「マジか!」
「余計なものは何一つ持ち込みません」
「何だか緊張して胃が痛くなりそうなのだが、胃薬の持ち込みは?」
「ダメです」

 にべもない返事に、恭親王は溜息をつく。

(ものすごく不安になってきた……)

 準備ができて先ほどの椅子で待っていると、右側の扉が開いてアデライードが出てきた。こちらは白い麻の単衣に、赤い帯。足元はやはり裸足である。白金色の髪を、くるりと巻いて銀色のこうがいで留めている。

 見惚れていると、メイローズが耳元で囁いた。

「あの笄は司式の者の指示があるまで外してはなりません」

 あれに何かの意味があるのか、と尋ねようと思う間もなく、管長のゼノンが洞窟内に入ると宣言した。

 洞窟に入れるのは十二枢機卿と結婚する二人のみ。アリナは一晩、ここで待つことになる。
 不安そうなアデライードの手を強く握ってやると、軽く息をついたアデライードが握り返す。そして、二人は手を取って洞窟の中に足を踏み入れた。
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