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番外編 聖地巡礼

忘れえぬ面影

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 夜、ジーノに導かれて拝殿で蝋燭を灯し、香を焚いて兄、成郡王アイリン皇子の位牌に手を合わせる。

 魔物に吸い取られて魔力が枯渇した成郡王に、恭親王は禁じ手ではあるが、身体を繋ぐことで自身の魔力を注ぎ込み、何とか命を長らえさせようとしたが、その関係を母の皇后に知られ、成郡王は帝都郊外の離宮に追いやられてしまう。そのまま、二度と会うことも許されず、十七歳の若さで成郡王は世を去った。皇子を失った傅役のジーノは、彼の位牌を抱えて聖地に入り、剃髪したのである。

(――アイリン。君の魂は今、聖なるプルミンテルンの麓で憩っているだろうか。アイリン、私はアデライードと出会って、ようやく君の言っていたことが理解できるよ。君の魂に誓おう、アデライードを永遠に愛し、彼女を守ると――。だから、見守っていてほしい。いつか、プルミンテルンの麓で再び相まみえる日まで――)

 恭親王が亡き異母兄に祈りを捧げてジーノやゲル、ゾーイとともに拝殿を出て来た時。拝殿の外に立っていた小柄な僧が、ゲルに掴みかかった。

「あんた! あんただ! 間違いない、あんた! 十年前に俺のシウリンを攫っていっただろう!シウリンはどこだ! どこに連れていったんだ、返せ、俺のシウリンを返せ!」

 咄嗟とっさにゾーイは恭親王を庇うように前に立ち、ジーノが不自由な足で二人の間に入って宥めようとするが、僧は激昂してゲルの腕の掴み、離そうとしない。

「落ち着きなさい、大事な客人の前で何を取り乱しているのです!」
「シウリン! シウリンを返せ、シウリン!」

 少し離れてたところにいたジュルチが、騒ぎを聞いて走り寄ってきて、持っていた角灯カンテラでゲルに掴みかかる僧の顔を照らした。

(……シシル準導師……?!)

 十年前よりだいぶ老け込んではいるが、小柄でコロコロした体格といい、見習い僧侶の監督官だったシシル準導師に間違いない。

(俺のシウリンってなんだよそれは!誰がいつ、お前にものになったんだよ!)

 黒い目を見開いて見つめていると、ジュルチがさすがの剛力でシシル準導師の腕を押さえ、ゲルから引き離した。

「落ち着け、シシル。シウリンはもういないと、何度言ったらわかるのだ」
 「ジュルチ殿!この男だ、間違いない、十年前にこいつと、もう一人の男がやってきて、シウリンを攫っていったのだ!シウリンは美しかったら、きっと、こいつらにひどい目に遭わされたに違いない!」
「シシル!高貴な客人の前で取り乱すな、みっともない!」

 高貴な客人と言われ、シシルがゾーイの後ろに立つ恭親王に気づく。しばらくその顔を陶然と見つめて、恭親王の方に取りすがってきた。

「……シウリン?!シウリンだろ?」
「無礼者!殿下に対し、なんたる不敬!斬って捨てるぞ!」

 ゾーイが剣を抜かんばかりにして脅すと、シシルははっとして周囲を見回す。

「……私は、そのシウリンという者に似ているのか?」
「あ……あなたは?」

 シシルが目をぱちくりさせて尋ねるのに、ゾーイが咳払いして言った。

「畏れ多くも帝国の第十五皇子、ソリスティア総督である恭親王殿下であるぞ。頭が高い!」
「恭……親王……」

 がっくりと膝をつくようにして、シシルはその場に崩れ落ちた。

「シウリン……帰ってきてくれ……もう、叱らないから……シウリン……」

 騒ぎを聞いて、近寄ってきた他の僧にぐったりとしたその小柄な僧侶を託す。担がれるようにして去って行く僧の姿を見ながら、ジーノが言った。

「どうやら、かつて愛した少年僧の姿をずっと探しているらしいのですよ」

 恭親王が露骨に気味悪そうな表情でジーノを見る。

「私が来た時にはもう、すっかりおかしくなっておりました。昔いた恋人なのでしょうかね?わしにはよく理解できませんが」
「その、シウリンとか言うのが恋人なのですか?」

 ゾーイの質問に、恭親王がぎょっとする。

(ちっがーう!恋人なんかじゃない!やめてくれ、キモい!)

 ジュルチとゲルがちらっと恭親王を見るのに、蒼白な顔でぶんぶん首を振って必死に否定する。

「恋人ではなく、拗らせ過ぎた片思いのようですよ。見習い僧侶の監督官をしていて、いなくなった少年僧をずっと探している。行き場のない思いが膨れ上がって、歪んで、弾けてしまったのです」
 
 ジュルチが否定してくれて、ほっとする。

「その少年僧はとても美しくて、皆に愛されておりました。中には、今のシシルのように、邪な思いに悩まされるものも多かったのですが、少年僧自身は純粋な少年でした」

 ジュルチの言葉を聞いて、ゾーイはシシルが去った方を見て、言った。

「その少年僧はどうしていなくなったのです?」

 その質問には答えずに、ジュルチは複雑な顔をして、ちらりと恭親王を見た。

「その少年僧の話をすることは禁じられています。……初めから存在しなかったかの如く、全ての記録も焼き捨てられました」
「……何故……」
「ですが、彼のようにずっと、その少年僧の面影を追い続けているものもいるのです」

 恭親王もまた、シシルが去った方角をじっと見つめていた。

「人というのは、人の心の中でこそ、生きる者なのかもしれませんね。シウリンの記録は全て失われましたが、現にシシルはその消えた面影を追い求めて狂った。……確かに、シウリンはかつてここに生きていたのです」

 恭親王は無意識に懐の隠しに入れた小箱を握り締めていた。

 かつては、これだけがシウリンの生きた証だと思っていた。
 だが、十年の時を経て、僧院にはあちこちに、シウリンの生きた息吹が感じられた。
 自分はかつて、〈シウリン〉としてここに暮らしていた。シウリンの名を捨てても、それは揺るがないのだ。

 頭上を見上げれば、澄んだ空気に満天の星空が広がっていた。
  



 翌朝、涙を流して別れを惜しむジーノを恭親王が宥めている横で、なぜか院長や副院長まで涙ぐんでいて、ゾーイとしては不審極まりなかったのだが、それよりも恭親王がブレーンとして連れて帰ることにしたマニ僧都という学僧が、これまた恭親王にやけに馴れ馴れしくてゾーイは眉を顰める。

「また、いつでも来てください。……殿下の、家だと思って」

 初めて来た、二晩滞在しただけの場所を家と思えとか、院長も無茶を言うとゾーイが思う中で、恭親王はジーノが心を込めて金泥の彩色を施した美麗な『聖典』を一冊携えて、馬車に乗る。同乗者はマニ僧都が一人増え、さすがに馬車は狭そうであるが、仕方がなかった。エールライヒを馬車に入れるのは最初から諦め、鷹は馬車の天井に止まっている。

 手を振るジーノ、院長、副院長、ジュルチ僧正に見送られ、晴れ渡った早春の青空の下、馬車は走り出す。鷹は空中に飛び立って、馬車を先導するように蒼穹を天高く弧を描いて飛んでいた。
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