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第2話 天使と小悪魔
②
***
手合わせの幕切れは実に呆気ないものだった。
勝利の余韻に浸るヴィルジールを他所に、セルジュがひとり訓練場を囲む塀の際に座り込み、剣の手入れをしていると、砂利を踏みしめる足音が近付いてきた。ちらりと視線を上げると、タオルを手にしたロランがセルジュを満足気に見下ろしていた。
「見直しましたよ。鬼気迫る形相でしたから、我を忘れて勝ちにいくのかと、内心冷や冷やものでした」
「もう少し競るつもりだったんだがな」
自虐的に笑い、セルジュは鞘に収めた剣を武器棚に立て掛けた。汗に塗れた布の切れ端を解き、手のひらを軽く握る。手首にも指先にも痺れは残っていなかった。
「殿下のあの喜びようを見ましたか? あれで良かったのですよ」
ロランが柔和な笑みを浮かべる。差し出されたタオルを受け取り、ちらりとその後方を見やると、リュシエンヌと何やら愉しげに語らっているヴィルジールの姿が見えた。
無邪気に浮かれるヴィルジールの相手をしていたリュシエンヌは、ロランとセルジュに目を向けると、ヴィルジールに軽く頭を下げ、ふたりの側へと歩いて来た。座り込むセルジュの前に立ち、彼女は慎ましくお辞儀をする。
「とても素晴らしい試合でしたわ」
微笑みとともに労われ、セルジュは慌てて佇まいを改めた。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません」
「ご謙遜なさらないで。貴方のような方が殿下の護衛についてくださっていると知れて、わたしも安心しました」
そう言うと、リュシエンヌは爪先立つようにしてセルジュにこそりと囁いた。
「殿下に気を遣ってくださったのでしょう?」
ふわりと微笑むその仕草に、胸がきゅんと締め付けられる。仄かに香る甘い匂いに心臓が跳ね上がり、思わず後退りそうになった。緊張で全身が強張っているが、決して嫌な気分ではない。
軽くお辞儀をして王太子の元に駆け戻るリュシエンヌを、セルジュは呆然と見送った。美しく可憐で優しい、まるで天使か女神のような女性だった。長いあいだ忘れていた甘い感情が胸中を満たしていくようだ。
つんと袖を引っ張る存在に、セルジュは敢えて気付かないふりをした。
「セルジュさんですよね?」
弾んだ声を聞き流す。「聞こえない聞こえない」と自分に言い聞かせながら、セルジュは踵を返し、颯爽と歩き出した。先ほど憶えた甘い香りと感情を噛み締めて、纏わりつく存在を脳裏から消し去ろうと試みる。
彼女がずっとリュシエンヌの傍に控えていたことには気付いていた。だが、今のセルジュにとって彼女は他人でしかない。挨拶をする義理もない。
掛けられる言葉を全て無視し、そそくさと訓練場を離れようとしたセルジュだったが、その足は思わぬ伏兵に阻まれた。
「セルジュ、そちらのお嬢さんは知り合いですか?」
空気を読まないロランの言葉に思わず舌打ちが洩れる。ぎりと拳を握り締め、セルジュは渋々後方を振り返った。
あれから随分と経つのに、あどけない仕草も表情も変わっていない。亜麻色の髪の少女は、セルジュと目が合うと、眩しいものでも見るかのように愛らしい榛色の瞳をすっと細めた。
「わたしです、わたし。コレッ」
「わかっている。さっき名前を口にしてやっただろうが」
「じゃあなんで無視するんですか。久しぶりの再会なのに」
不服だと言いたげに、コレットはぷうっと頬を膨らませた。軽く苛立ち、セルジュのこめかみに血管が浮き上がる。視界の端に、にやにやと笑いながら去っていくロランが映っていた。
手合わせの幕切れは実に呆気ないものだった。
勝利の余韻に浸るヴィルジールを他所に、セルジュがひとり訓練場を囲む塀の際に座り込み、剣の手入れをしていると、砂利を踏みしめる足音が近付いてきた。ちらりと視線を上げると、タオルを手にしたロランがセルジュを満足気に見下ろしていた。
「見直しましたよ。鬼気迫る形相でしたから、我を忘れて勝ちにいくのかと、内心冷や冷やものでした」
「もう少し競るつもりだったんだがな」
自虐的に笑い、セルジュは鞘に収めた剣を武器棚に立て掛けた。汗に塗れた布の切れ端を解き、手のひらを軽く握る。手首にも指先にも痺れは残っていなかった。
「殿下のあの喜びようを見ましたか? あれで良かったのですよ」
ロランが柔和な笑みを浮かべる。差し出されたタオルを受け取り、ちらりとその後方を見やると、リュシエンヌと何やら愉しげに語らっているヴィルジールの姿が見えた。
無邪気に浮かれるヴィルジールの相手をしていたリュシエンヌは、ロランとセルジュに目を向けると、ヴィルジールに軽く頭を下げ、ふたりの側へと歩いて来た。座り込むセルジュの前に立ち、彼女は慎ましくお辞儀をする。
「とても素晴らしい試合でしたわ」
微笑みとともに労われ、セルジュは慌てて佇まいを改めた。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません」
「ご謙遜なさらないで。貴方のような方が殿下の護衛についてくださっていると知れて、わたしも安心しました」
そう言うと、リュシエンヌは爪先立つようにしてセルジュにこそりと囁いた。
「殿下に気を遣ってくださったのでしょう?」
ふわりと微笑むその仕草に、胸がきゅんと締め付けられる。仄かに香る甘い匂いに心臓が跳ね上がり、思わず後退りそうになった。緊張で全身が強張っているが、決して嫌な気分ではない。
軽くお辞儀をして王太子の元に駆け戻るリュシエンヌを、セルジュは呆然と見送った。美しく可憐で優しい、まるで天使か女神のような女性だった。長いあいだ忘れていた甘い感情が胸中を満たしていくようだ。
つんと袖を引っ張る存在に、セルジュは敢えて気付かないふりをした。
「セルジュさんですよね?」
弾んだ声を聞き流す。「聞こえない聞こえない」と自分に言い聞かせながら、セルジュは踵を返し、颯爽と歩き出した。先ほど憶えた甘い香りと感情を噛み締めて、纏わりつく存在を脳裏から消し去ろうと試みる。
彼女がずっとリュシエンヌの傍に控えていたことには気付いていた。だが、今のセルジュにとって彼女は他人でしかない。挨拶をする義理もない。
掛けられる言葉を全て無視し、そそくさと訓練場を離れようとしたセルジュだったが、その足は思わぬ伏兵に阻まれた。
「セルジュ、そちらのお嬢さんは知り合いですか?」
空気を読まないロランの言葉に思わず舌打ちが洩れる。ぎりと拳を握り締め、セルジュは渋々後方を振り返った。
あれから随分と経つのに、あどけない仕草も表情も変わっていない。亜麻色の髪の少女は、セルジュと目が合うと、眩しいものでも見るかのように愛らしい榛色の瞳をすっと細めた。
「わたしです、わたし。コレッ」
「わかっている。さっき名前を口にしてやっただろうが」
「じゃあなんで無視するんですか。久しぶりの再会なのに」
不服だと言いたげに、コレットはぷうっと頬を膨らませた。軽く苛立ち、セルジュのこめかみに血管が浮き上がる。視界の端に、にやにやと笑いながら去っていくロランが映っていた。
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