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第2話 天使と小悪魔

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 手合わせの幕切れは実に呆気ないものだった。
 勝利の余韻に浸るヴィルジールを他所に、セルジュがひとり訓練場を囲む塀の際に座り込み、剣の手入れをしていると、砂利を踏みしめる足音が近付いてきた。ちらりと視線を上げると、タオルを手にしたロランがセルジュを満足気に見下ろしていた。

「見直しましたよ。鬼気迫る形相でしたから、我を忘れて勝ちにいくのかと、内心冷や冷やものでした」
「もう少し競るつもりだったんだがな」

 自虐的に笑い、セルジュは鞘に収めた剣を武器棚に立て掛けた。汗に塗れた布の切れ端を解き、手のひらを軽く握る。手首にも指先にも痺れは残っていなかった。

「殿下のあの喜びようを見ましたか? あれで良かったのですよ」

 ロランが柔和な笑みを浮かべる。差し出されたタオルを受け取り、ちらりとその後方を見やると、リュシエンヌと何やら愉しげに語らっているヴィルジールの姿が見えた。
 無邪気に浮かれるヴィルジールの相手をしていたリュシエンヌは、ロランとセルジュに目を向けると、ヴィルジールに軽く頭を下げ、ふたりの側へと歩いて来た。座り込むセルジュの前に立ち、彼女は慎ましくお辞儀をする。

「とても素晴らしい試合でしたわ」

 微笑みとともに労われ、セルジュは慌てて佇まいを改めた。

「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません」
「ご謙遜なさらないで。貴方のような方が殿下の護衛についてくださっていると知れて、わたしも安心しました」

 そう言うと、リュシエンヌは爪先立つようにしてセルジュにこそりと囁いた。

「殿下に気を遣ってくださったのでしょう?」

 ふわりと微笑むその仕草に、胸がきゅんと締め付けられる。仄かに香る甘い匂いに心臓が跳ね上がり、思わず後退りそうになった。緊張で全身が強張っているが、決して嫌な気分ではない。
 軽くお辞儀をして王太子の元に駆け戻るリュシエンヌを、セルジュは呆然と見送った。美しく可憐で優しい、まるで天使か女神のような女性だった。長いあいだ忘れていた甘い感情が胸中を満たしていくようだ。
 つんと袖を引っ張る存在に、セルジュは敢えて気付かないふりをした。

「セルジュさんですよね?」

 弾んだ声を聞き流す。「聞こえない聞こえない」と自分に言い聞かせながら、セルジュは踵を返し、颯爽と歩き出した。先ほど憶えた甘い香りと感情を噛み締めて、纏わりつく存在を脳裏から消し去ろうと試みる。
 がずっとリュシエンヌの傍に控えていたことには気付いていた。だが、今のセルジュにとって彼女は他人でしかない。挨拶をする義理もない。
 掛けられる言葉を全て無視し、そそくさと訓練場を離れようとしたセルジュだったが、その足は思わぬ伏兵に阻まれた。

「セルジュ、そちらのお嬢さんは知り合いですか?」

 空気を読まないロランの言葉に思わず舌打ちが洩れる。ぎりと拳を握り締め、セルジュは渋々後方を振り返った。
 あれから随分と経つのに、あどけない仕草も表情も変わっていない。亜麻色の髪の少女は、セルジュと目が合うと、眩しいものでも見るかのように愛らしい榛色の瞳をすっと細めた。

「わたしです、わたし。コレッ」
「わかっている。さっき名前を口にしてやっただろうが」
「じゃあなんで無視するんですか。久しぶりの再会なのに」

 不服だと言いたげに、コレットはぷうっと頬を膨らませた。軽く苛立ち、セルジュのこめかみに血管が浮き上がる。視界の端に、にやにやと笑いながら去っていくロランが映っていた。

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