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第15章 四度目の夏、時は停まってくれない
第413話 ポルトの休日
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ケントニス様と手を繋いで坂道を下っていきます。
緊張してばかりではいられません、何かお話しをしなくては。
私は胸の高鳴りをケントニス様に悟られないよう、わざとらしいくらいに真面目な話をします。
「ケントニス様は、ここからポルトの町を眺めてきれいな町だとおっしゃいました。
それは区画整然として軒が揃っているといった外観の美しさのことかと思います。
でも、ポルトの美しさはそれだけではございません。
ポルトの町は道端に汚物やゴミが捨てられていないのです。
清潔という意味でもきれいな街なのです。
ですから、ポルトの町は真夏でも悪臭がしないのです。」
せっかくケントニス様と二人で歩けるのですから、余り尾篭な話はしたくは有りません。
でも、ポルトをご案内する以上、このお話しは欠かせないと思うのです。
ケントニス様が感想を漏らしたように、ポルトの町はきれいな碁盤の目に区画が整理され、遠目に眺めるととても美しい町並みです。
でも、ポルトの美しさの本質はそこではないのです。
私が住んでいたハンデルスハーフェンの町は道端に汚物が捨てられていて夏になると町全体が非常に臭いました。
ポルトは下水道が完備されており、汚物は地下に流され、道端に捨てることは禁止されています。
また、大手の商会が率先して店先の掃除を行ったことから、商人がそれぞれの店先を掃除するようになり、それが町全体に広がったそうです。
そう、道端に汚物やゴミが落ちていない、非常にきれいな町なのです。
孤児院に保護されている子供達にポルトの付いての感想を聞くと、口を揃えて『臭くないのが嬉しい』と言うくらいですから。
そんな説明をしながら坂道を下りポルトの町中に入りますが、一旦町を通り過ぎ先に港に向かいます。
今ならまだ、船に荷の上げ下ろし作業をしている時間のはずです。
港に着くと大小の多数の船が停泊しており、荷役夫たちが慌ただしく積荷の上げ下ろしをしていました。
夕方と並んで港が最も活気にあふれる時間なのです。
「ポルトの港は凄いな、活気に満ちている。
これだけの船が寄港し、こんなに大量の物資が毎日運ばれていくなんて本当に驚きだ。」
「はい、帝国最大の港町といわれているハンデルスハーフェンでも、こんな数の船は見た事がないです。
ポルトの港は、帝国との交易の他、西の大陸や南の大陸との交易に利用されています。
特に、この大陸で南の大陸と定期的に交易しているのはこの港だけだそうです。」
ポルトの港の活気に驚くケントニス様に、相槌を入れながらポルトの港の説明を加えます。
そして、港を歩いていると波止場に一際大きな二隻の船が見えてきました。
ケントニス様が、「ほーう」と感嘆の声を上げます。
ポルト公爵領が誇る新型船の内の二隻、コンキスタドール号とフリーデン号です。
今日はこの二隻が停泊中のようです。
「手前に有るずんぐりとした船体の大きな船がコンキスタドール号で、現在は西の大陸ノルヌーヴォ王国との定期航路に就航している船です。
もう一方の、スリムな船体の船がフリーデン号で、帝国の港町と交易を行っている船です。
私達がハンデルスハーフェンから来る時もこの船に乗ってきました。
とてもきれいな船で余り揺れないのですよ、それに凄く早いのです。」
コンキスタドール号は元々南の大陸から侵攻してした軍艦だったそうです。鹵獲して商用船に改造したと聞いています。
フリーデン号はこの国で二番目に建造された大型帆船だそうです。
白く塗られたスリムな船体は高速で航行することを念頭に置いたものだそうで、ハンデルスハーフェンからポルトまで五日で到着しました。従来の船では三十日掛かったと言うのですから驚きです。
「両船ともに輸送船なのですが、船速の速さを活かして急ぎのお客様をお乗せする船室が少数用意されています。
貴族の方が乗船しても差し支えないように、とても豪華な船室だということです。」
私が二隻の船について知っていることをお話しするとケントニス様は船を眺めながら呟きました。
「ほう、客室が用意されているのか。
ソフィさんと一緒にこの船で旅が出来たら楽しいだろうね。
いつか、二人で船旅に行ってみたいのものだ。」
ほらまた、そんな思わせぶりなことをおっしゃる……。本気にしてしまいますよ。
ケントニス様の言葉に心が揺れている時のことです。
**********
「なんだい、この船がそんなに気に入ったのかい。良かったら、中を覗いて行くかい?」
聞き覚えの有る声が背中から聞こえました。
振り返るとそこには長身の妙齢の女性が立っていました。
この町を本拠地として大きな商会を営んでいるテーテュス様です。
元は南の大陸を拠点としていたそうですが戦火を逃れてこちらに移られたそうです。
ポルト公爵から造船所の運営も委託されいるそうです。
「テーテュス様、こんにちは。
私は孤児院で保護されているソフィと申します。
ハンデルスハーフェンからこちらに参る時はお世話になりました。」
私が挨拶すると、テーテュス様は私とケントニス様の顔を見てニンマリと笑い、言ったのです。
「おう、その顔には見覚えがあるぞ、ターニャの奴が保護した子供の一人だな。
きれいな顔立ちなので印象に残っていたんだ。
なんだ、今日は逢引か?
そんなおめかしをしているものだから何処の大店のお嬢様かと思ったぞ。
もうそんな育ちの良さそうな男を捕まえたんだ、まだポルトに来て一月やそこらだろ。
よし分かった、特別に船室を貸してやろう。二時間ほど休んでいけばよい。」
目の前のフリーデン号は船の整備を終えて明日の出航に向け荷物を積んでいるところだそうです。
今回もハンデルスハーフェンに穀物を送るのだけど、乗客はなく客室は空いているとのこと。
客室は不意なお客さんが現われても対処できるように、予約のない時でも整えられているそうです。
「シーツは汚してもかまわないけど……。
余り大きな睦声を上げると積荷を運んでいる荷役夫に聞こえるので注意しとくれ。
覗かれても責任は取らんぞ。」
と、テーテュスさんは続けて言うのです。
シーツを汚す?どういうことでしょう?
休憩するといっても、さすがにベッドには寝転がりませんよ。
せっかくの服が皺になってしまいます……。
『睦声』という言葉は初耳です、一体どういう意味なのでしょう?
テーテュスさんの言わんとすることが今一つ理解できず、ケントニス様の意向を伺おうとしたら…。
何故か、ケントニス様は顔を真っ赤にしています。
そして、言いました。
「そ、そうか。
ソフィさん、せっかくテーテュスさんが気を使ってくれたのだ。
お言葉に甘えて少し休憩していかないか?……二時間程。」
ケントニス様と二人きりでお部屋でお話が出来るなんて夢のようです。
もしかしたら、ドキドキで胸が張り裂けちゃうかもしれません……。
でも、……。
「申し訳ございません、ケントニス様。
今日は余り一ヶ所でお時間を取るわけには行かないのです。
二時間もここで休んでいくと他が回れなくなってしまいます。」
私は心底残念に思いながらそう伝えました。
するとケントニス様は、「そ、そうか…」と一言呟き、凄く落ち込んでしまいました。
私よりもガッカリしているように見えるのは気のせいでしょうか。
「なんだ、ちゃっかり優良物件に手を掛けているようなんで、ダメ押ししてやろうとしたのに。
結構身持ちが堅いのだな。
まあいい、船の見学だけしていけば良い、私が案内してやる。
客室も見せてやるぞ、その場で気が変わったら言ってくれ。
私は席を外すから。」
そうおっしゃられるテーテュス様のお言葉に甘えて私達はフリーデン号の中を見学させていただくことになりました。
このフリーデン号、ポルト公爵の下での船乗り育成が追いつかないため、テーテュス様の商会が委託を受けて運用しているそうです。
なんでも、テーテュスさんの指導の下、公爵に雇われた船乗り見習いが運航補助をするそうです。
そんな話を聞きながら船の中を巡る私達、ケントニス様は初めて見る新型船に甚く感心し、熱心に説明を聞いています。
「この船を見るだけでも、我が国と王国の経済格差が広がっていくのがわかる。
早く何とかせねば……。」
時折、そんな呟きを漏らしています。
そして、客室を見学した時のことです。
客室にはとても大きなベッドが備え付けてあって、とても寝心地が良さそうです。
ベッドの他にはソファーとローテーブルが備え付けてあり寛ぐことが出来るようになっています。
「どうだい、気が変わって少し休んでいく気になったかい?」
いえ、時間が押しているのです。何故テーテュス様はここで休憩を取ることを推すのでしょうか?
厚意から言ってくださっているのは分かるのですが……。
私がテーテュス様に丁重にお断りしていると、隣でケントニス様の呟きが聞こえました。
「ターニャちゃんと同じ歳、ターニャちゃんと同じ歳、……」
そう繰り返しています。
それは何かの呪文なのですか……。
**********
テーテュス様の許を辞した後は、市民の台所である港の市場を見て、裕福な商人が良く利用すると言う海鮮料理が美味しいレストランで昼食をとりました。
一昨日、ケントニス様のご案内をすることが決まってから、ステラ院長にお勧めのお店を聞いてきたのです。
ステラ院長はこの町で大店を営んでこられた方です、この町のことは何でもご存知です。
午後は、ポルトの繁華街に戻ってお店の案内です。
ポルトの町は帝国の他、西の大陸とも交易をしているので珍しい産品を置いてある店があります。
極めツケは、やはりテーテュスさんの商会です。
この大陸で唯一南の大陸の産品の小売を行っている店なのですから。
そこで私は一つの石の美しさに見惚れてしまいました。
いえ、欲しい訳ではないのですよ、宝石なんて分不相応な物。
ただ、乳白色の地の中にキラキラと虹色の輝きを持つその幻想的な色彩に見惚れてしまったのです。
オパールという宝石で南の大陸でしか採れない物だそうです。
ため息が出る美しさというのはこういう物なのですね…。
いくつか特色のあるお店を回って、日が傾き始めた頃、私達は再び港に戻ってきました。
港に有る小高い丘のような場所、ここは展望台と呼ばれ町の人の憩いの場となっています。
本当は、大波が襲った際に逃げ遅れた人が緊急で避難する人工の丘だそうです。
海に向かって階段があり、階段に腰掛けて夕日に染まる港を見るのがポルトのお勧めなのだそうです。
私達は市場で暑い夏のお勧め、ポルト名物ジェラートを手に入れ階段に腰掛けて夕日を見ることにしました。
ジェラートというのは、果物の果肉と絞った果汁、それに砂糖とミルクを加えよく混ぜ合わせながら魔法で凍らせた氷菓です。
滑らかな舌触りがとても評判で、ポルトの名物になっています。
暑い夏の夕暮れ、大好きな人と一緒に冷たいジェラートを食べながら夕日に染まる港を眺める。
何と贅沢な時間なのでしょう、スラムにいた時はこんな幸せな時間を過ごす事が出来るなんて思いもしなかった。
改めてターニャちゃんに感謝です。
でも、こんな幸せな時間も、もうすぐ終わりです。
まもなくケントニス様は帝国にお帰りになる時間です。
私が切ない気持ちになったとき、ケントニス様が小さな箱を私の前に差し出しました。
「今日は有り難う、非常に良き時間を過ごす事が出来ました。
ソフィさんと過ごしたこの一日は何物にも代え難い素晴らしい一日でした。
ソフィさんにこれを受け取って欲しい。
本当は指輪を贈りたいのだけど、君はまだ育ち盛り、すぐに身に付けることが出来なくなる。
『黒の使徒』を排除して、私が実権を握ったら必ず迎えに来ます。
その時は、これを指輪に仕立て直しましょう。」
ケントニス様が差し出された箱の中には、先程の大きなオパールのペンダントが入っていました。
乳白色の中に虹色の光がキラキラと輝いています。
これは一体幾らするものなのでしょうか?それよりも、一体いつの間に……。
「ケントニス様、申し訳ございません。
孤児院ではみな平等が原則、私物を持つことは許されていません。
ましてや、そんな高価なものを頂戴する訳にはいかないのです。」
ええ、こんな高価なものを頂戴する訳には参りません。
えっ、指輪?
指輪というと、帝国の王侯貴族の間では婚姻の約束を交わした男性が女性に宝石の指輪を贈る習慣があると聞いた覚えがあります。まさか……。
「良いではないですか。
それは皇太子殿下の決意の表れ、もしあなたが皇太子殿下と生涯を共にありたいと思うのであれば貰っておきなさい。
皇太子殿下の言葉が空手形にならないための担保です。
寝室に置いたら無用心なので院長室の金庫に預かってもらいましょう。」
いつからいたのか、顔を上げると目の前にリタさんとターニャちゃんがいました。
「皇太子殿下、お時間です。そろそろ帰りませんと帝都に着いたら夜になってしまいます。
夜の帝都は何かと物騒です。
それと、先程船の中ではよく我慢しましたね。
あそこで、狼になろうものなら後ろから蹴倒すところでした。」
一体何処で見ていたのでしょうか……。
ケントニス様は非常に気まずそうな表情をしていました。
ええと、これはそういうことだと理解していいのでしょうか……。
結局、はっきりとした言葉をもらえないまま、ケントニス様は慌ただしくお帰りになりました。
こんな小さな女の子の胸をかき乱していくなんて、罪な方です……。
緊張してばかりではいられません、何かお話しをしなくては。
私は胸の高鳴りをケントニス様に悟られないよう、わざとらしいくらいに真面目な話をします。
「ケントニス様は、ここからポルトの町を眺めてきれいな町だとおっしゃいました。
それは区画整然として軒が揃っているといった外観の美しさのことかと思います。
でも、ポルトの美しさはそれだけではございません。
ポルトの町は道端に汚物やゴミが捨てられていないのです。
清潔という意味でもきれいな街なのです。
ですから、ポルトの町は真夏でも悪臭がしないのです。」
せっかくケントニス様と二人で歩けるのですから、余り尾篭な話はしたくは有りません。
でも、ポルトをご案内する以上、このお話しは欠かせないと思うのです。
ケントニス様が感想を漏らしたように、ポルトの町はきれいな碁盤の目に区画が整理され、遠目に眺めるととても美しい町並みです。
でも、ポルトの美しさの本質はそこではないのです。
私が住んでいたハンデルスハーフェンの町は道端に汚物が捨てられていて夏になると町全体が非常に臭いました。
ポルトは下水道が完備されており、汚物は地下に流され、道端に捨てることは禁止されています。
また、大手の商会が率先して店先の掃除を行ったことから、商人がそれぞれの店先を掃除するようになり、それが町全体に広がったそうです。
そう、道端に汚物やゴミが落ちていない、非常にきれいな町なのです。
孤児院に保護されている子供達にポルトの付いての感想を聞くと、口を揃えて『臭くないのが嬉しい』と言うくらいですから。
そんな説明をしながら坂道を下りポルトの町中に入りますが、一旦町を通り過ぎ先に港に向かいます。
今ならまだ、船に荷の上げ下ろし作業をしている時間のはずです。
港に着くと大小の多数の船が停泊しており、荷役夫たちが慌ただしく積荷の上げ下ろしをしていました。
夕方と並んで港が最も活気にあふれる時間なのです。
「ポルトの港は凄いな、活気に満ちている。
これだけの船が寄港し、こんなに大量の物資が毎日運ばれていくなんて本当に驚きだ。」
「はい、帝国最大の港町といわれているハンデルスハーフェンでも、こんな数の船は見た事がないです。
ポルトの港は、帝国との交易の他、西の大陸や南の大陸との交易に利用されています。
特に、この大陸で南の大陸と定期的に交易しているのはこの港だけだそうです。」
ポルトの港の活気に驚くケントニス様に、相槌を入れながらポルトの港の説明を加えます。
そして、港を歩いていると波止場に一際大きな二隻の船が見えてきました。
ケントニス様が、「ほーう」と感嘆の声を上げます。
ポルト公爵領が誇る新型船の内の二隻、コンキスタドール号とフリーデン号です。
今日はこの二隻が停泊中のようです。
「手前に有るずんぐりとした船体の大きな船がコンキスタドール号で、現在は西の大陸ノルヌーヴォ王国との定期航路に就航している船です。
もう一方の、スリムな船体の船がフリーデン号で、帝国の港町と交易を行っている船です。
私達がハンデルスハーフェンから来る時もこの船に乗ってきました。
とてもきれいな船で余り揺れないのですよ、それに凄く早いのです。」
コンキスタドール号は元々南の大陸から侵攻してした軍艦だったそうです。鹵獲して商用船に改造したと聞いています。
フリーデン号はこの国で二番目に建造された大型帆船だそうです。
白く塗られたスリムな船体は高速で航行することを念頭に置いたものだそうで、ハンデルスハーフェンからポルトまで五日で到着しました。従来の船では三十日掛かったと言うのですから驚きです。
「両船ともに輸送船なのですが、船速の速さを活かして急ぎのお客様をお乗せする船室が少数用意されています。
貴族の方が乗船しても差し支えないように、とても豪華な船室だということです。」
私が二隻の船について知っていることをお話しするとケントニス様は船を眺めながら呟きました。
「ほう、客室が用意されているのか。
ソフィさんと一緒にこの船で旅が出来たら楽しいだろうね。
いつか、二人で船旅に行ってみたいのものだ。」
ほらまた、そんな思わせぶりなことをおっしゃる……。本気にしてしまいますよ。
ケントニス様の言葉に心が揺れている時のことです。
**********
「なんだい、この船がそんなに気に入ったのかい。良かったら、中を覗いて行くかい?」
聞き覚えの有る声が背中から聞こえました。
振り返るとそこには長身の妙齢の女性が立っていました。
この町を本拠地として大きな商会を営んでいるテーテュス様です。
元は南の大陸を拠点としていたそうですが戦火を逃れてこちらに移られたそうです。
ポルト公爵から造船所の運営も委託されいるそうです。
「テーテュス様、こんにちは。
私は孤児院で保護されているソフィと申します。
ハンデルスハーフェンからこちらに参る時はお世話になりました。」
私が挨拶すると、テーテュス様は私とケントニス様の顔を見てニンマリと笑い、言ったのです。
「おう、その顔には見覚えがあるぞ、ターニャの奴が保護した子供の一人だな。
きれいな顔立ちなので印象に残っていたんだ。
なんだ、今日は逢引か?
そんなおめかしをしているものだから何処の大店のお嬢様かと思ったぞ。
もうそんな育ちの良さそうな男を捕まえたんだ、まだポルトに来て一月やそこらだろ。
よし分かった、特別に船室を貸してやろう。二時間ほど休んでいけばよい。」
目の前のフリーデン号は船の整備を終えて明日の出航に向け荷物を積んでいるところだそうです。
今回もハンデルスハーフェンに穀物を送るのだけど、乗客はなく客室は空いているとのこと。
客室は不意なお客さんが現われても対処できるように、予約のない時でも整えられているそうです。
「シーツは汚してもかまわないけど……。
余り大きな睦声を上げると積荷を運んでいる荷役夫に聞こえるので注意しとくれ。
覗かれても責任は取らんぞ。」
と、テーテュスさんは続けて言うのです。
シーツを汚す?どういうことでしょう?
休憩するといっても、さすがにベッドには寝転がりませんよ。
せっかくの服が皺になってしまいます……。
『睦声』という言葉は初耳です、一体どういう意味なのでしょう?
テーテュスさんの言わんとすることが今一つ理解できず、ケントニス様の意向を伺おうとしたら…。
何故か、ケントニス様は顔を真っ赤にしています。
そして、言いました。
「そ、そうか。
ソフィさん、せっかくテーテュスさんが気を使ってくれたのだ。
お言葉に甘えて少し休憩していかないか?……二時間程。」
ケントニス様と二人きりでお部屋でお話が出来るなんて夢のようです。
もしかしたら、ドキドキで胸が張り裂けちゃうかもしれません……。
でも、……。
「申し訳ございません、ケントニス様。
今日は余り一ヶ所でお時間を取るわけには行かないのです。
二時間もここで休んでいくと他が回れなくなってしまいます。」
私は心底残念に思いながらそう伝えました。
するとケントニス様は、「そ、そうか…」と一言呟き、凄く落ち込んでしまいました。
私よりもガッカリしているように見えるのは気のせいでしょうか。
「なんだ、ちゃっかり優良物件に手を掛けているようなんで、ダメ押ししてやろうとしたのに。
結構身持ちが堅いのだな。
まあいい、船の見学だけしていけば良い、私が案内してやる。
客室も見せてやるぞ、その場で気が変わったら言ってくれ。
私は席を外すから。」
そうおっしゃられるテーテュス様のお言葉に甘えて私達はフリーデン号の中を見学させていただくことになりました。
このフリーデン号、ポルト公爵の下での船乗り育成が追いつかないため、テーテュス様の商会が委託を受けて運用しているそうです。
なんでも、テーテュスさんの指導の下、公爵に雇われた船乗り見習いが運航補助をするそうです。
そんな話を聞きながら船の中を巡る私達、ケントニス様は初めて見る新型船に甚く感心し、熱心に説明を聞いています。
「この船を見るだけでも、我が国と王国の経済格差が広がっていくのがわかる。
早く何とかせねば……。」
時折、そんな呟きを漏らしています。
そして、客室を見学した時のことです。
客室にはとても大きなベッドが備え付けてあって、とても寝心地が良さそうです。
ベッドの他にはソファーとローテーブルが備え付けてあり寛ぐことが出来るようになっています。
「どうだい、気が変わって少し休んでいく気になったかい?」
いえ、時間が押しているのです。何故テーテュス様はここで休憩を取ることを推すのでしょうか?
厚意から言ってくださっているのは分かるのですが……。
私がテーテュス様に丁重にお断りしていると、隣でケントニス様の呟きが聞こえました。
「ターニャちゃんと同じ歳、ターニャちゃんと同じ歳、……」
そう繰り返しています。
それは何かの呪文なのですか……。
**********
テーテュス様の許を辞した後は、市民の台所である港の市場を見て、裕福な商人が良く利用すると言う海鮮料理が美味しいレストランで昼食をとりました。
一昨日、ケントニス様のご案内をすることが決まってから、ステラ院長にお勧めのお店を聞いてきたのです。
ステラ院長はこの町で大店を営んでこられた方です、この町のことは何でもご存知です。
午後は、ポルトの繁華街に戻ってお店の案内です。
ポルトの町は帝国の他、西の大陸とも交易をしているので珍しい産品を置いてある店があります。
極めツケは、やはりテーテュスさんの商会です。
この大陸で唯一南の大陸の産品の小売を行っている店なのですから。
そこで私は一つの石の美しさに見惚れてしまいました。
いえ、欲しい訳ではないのですよ、宝石なんて分不相応な物。
ただ、乳白色の地の中にキラキラと虹色の輝きを持つその幻想的な色彩に見惚れてしまったのです。
オパールという宝石で南の大陸でしか採れない物だそうです。
ため息が出る美しさというのはこういう物なのですね…。
いくつか特色のあるお店を回って、日が傾き始めた頃、私達は再び港に戻ってきました。
港に有る小高い丘のような場所、ここは展望台と呼ばれ町の人の憩いの場となっています。
本当は、大波が襲った際に逃げ遅れた人が緊急で避難する人工の丘だそうです。
海に向かって階段があり、階段に腰掛けて夕日に染まる港を見るのがポルトのお勧めなのだそうです。
私達は市場で暑い夏のお勧め、ポルト名物ジェラートを手に入れ階段に腰掛けて夕日を見ることにしました。
ジェラートというのは、果物の果肉と絞った果汁、それに砂糖とミルクを加えよく混ぜ合わせながら魔法で凍らせた氷菓です。
滑らかな舌触りがとても評判で、ポルトの名物になっています。
暑い夏の夕暮れ、大好きな人と一緒に冷たいジェラートを食べながら夕日に染まる港を眺める。
何と贅沢な時間なのでしょう、スラムにいた時はこんな幸せな時間を過ごす事が出来るなんて思いもしなかった。
改めてターニャちゃんに感謝です。
でも、こんな幸せな時間も、もうすぐ終わりです。
まもなくケントニス様は帝国にお帰りになる時間です。
私が切ない気持ちになったとき、ケントニス様が小さな箱を私の前に差し出しました。
「今日は有り難う、非常に良き時間を過ごす事が出来ました。
ソフィさんと過ごしたこの一日は何物にも代え難い素晴らしい一日でした。
ソフィさんにこれを受け取って欲しい。
本当は指輪を贈りたいのだけど、君はまだ育ち盛り、すぐに身に付けることが出来なくなる。
『黒の使徒』を排除して、私が実権を握ったら必ず迎えに来ます。
その時は、これを指輪に仕立て直しましょう。」
ケントニス様が差し出された箱の中には、先程の大きなオパールのペンダントが入っていました。
乳白色の中に虹色の光がキラキラと輝いています。
これは一体幾らするものなのでしょうか?それよりも、一体いつの間に……。
「ケントニス様、申し訳ございません。
孤児院ではみな平等が原則、私物を持つことは許されていません。
ましてや、そんな高価なものを頂戴する訳にはいかないのです。」
ええ、こんな高価なものを頂戴する訳には参りません。
えっ、指輪?
指輪というと、帝国の王侯貴族の間では婚姻の約束を交わした男性が女性に宝石の指輪を贈る習慣があると聞いた覚えがあります。まさか……。
「良いではないですか。
それは皇太子殿下の決意の表れ、もしあなたが皇太子殿下と生涯を共にありたいと思うのであれば貰っておきなさい。
皇太子殿下の言葉が空手形にならないための担保です。
寝室に置いたら無用心なので院長室の金庫に預かってもらいましょう。」
いつからいたのか、顔を上げると目の前にリタさんとターニャちゃんがいました。
「皇太子殿下、お時間です。そろそろ帰りませんと帝都に着いたら夜になってしまいます。
夜の帝都は何かと物騒です。
それと、先程船の中ではよく我慢しましたね。
あそこで、狼になろうものなら後ろから蹴倒すところでした。」
一体何処で見ていたのでしょうか……。
ケントニス様は非常に気まずそうな表情をしていました。
ええと、これはそういうことだと理解していいのでしょうか……。
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こんな小さな女の子の胸をかき乱していくなんて、罪な方です……。
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