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妻を愛している夫と夫を気にする妻(10)

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 時折、エルシーの楽しそうな声が微かに聞こえてくる。それがうるさいとは思わない。

 この国は、居心地がいい。人柄も穏やかな人間が多いように感じる。
 キシュアス王国にいたときとは違うとわかっていながらも、それでも変に探ってしまう。

 イグナーツと婚姻関係を結んで、四か月が経った。例え、形だけの妻であったとしても、この居場所を失いたくないとさえ思う。

 二度と、キシュアス王国にいたときのような、あんな生活には戻りたくない。今のキシュアス王国であれば大丈夫だろうとは思いつつも、幼い頃から植え付けられた気持ちは、どこか心を蝕んでいる。

 アルヴィドと再会してほっと安心したところもあるが、彼が時折見せた冷たい眼差しに、身体の底は震えていた。ああやって、一国を背負うような責任ある立場となれば、人は変わってしまうのだろうか。

 離宮にいたときのささやかな楽しみが、他の者に隠れてアルヴィドと会うことだった。

 彼だけは、オネルヴァを一人の人間として扱ってくれた。だが、彼と会っていたのが他の者に知られると、厳しい折檻を受けたのも事実。
 アルヴィドには会いたかったが、会いたくないという思いもあった。アルヴィドはその気持ちを知っていたのだろうか。

 カップを戻すと、寝椅子に深く身体を沈めた。
 目を閉じる。

 だが、なぜかイグナーツの戸惑うような困った表情が、瞼の裏に張りついているように見えた。

 夜会の時間が迫り、オネルヴァはまたドレスを着替える。

 昼間はエルシーとお揃いの淡いラベンダー色のドレスであったが、夜会となれば人工的に魔力によって作られた灯りが煌々と輝く世界である。それに映えるようなドレスが望ましい。

 昼間に着たドレスとは全く雰囲気の異なるミッドナイトブルーのドレスである。
 何段にもレースが重ねられたディアード状のスカート部分には、花のコサージュがたっぷりと縫い付けられている。

 派手ではないかとオネルヴァは心配していたが、淡い同系色の小さな花であるため、思っていたほどではなかった。

「お母さま……。きれいです」

 エルシーがうっとりとしている。

「エルシーも、お父さまとお母さまが一緒に踊っているところを見たかったです」

 屈託無い笑顔でそう言われてしまうと、なぜか羞恥に包まれる。

「できるだけ早く帰ってくる」

 イグナーツがエルシーに言葉をかけると、エルシーはむぅと頬を膨らませる。

「エルシーも、早く大人になりたいです」
「よい子で待っていてくださいね」

 オネルヴァもエルシーの頭をぽふっと撫でた。

「お父さま、お母さま。いってらっしゃいませ」

 エルシーに見送られて馬車に乗り込むと、緊張のためかじっとしていられない衝動に駆られた。落ち着かないのだ。

 向かい側に座っているイグナーツは、腕を組んで目を閉じている。
 話しかけてはいけないような気がした。だが、そんな彼は、目を閉じながらもゆっくりと口を開く。

「落ち着かないのか?」
「あっ……」

 片目だけ開けたイグナーツは、ふっと鼻で笑う。

「こちらに来るか? それとも俺がそちらにいこうか?」
「あっ、あの……」

 答えられずにいると、イグナーツは立ち上がってオネルヴァの隣へと場所を移動する。さりげなく、腰に手が回される。

「そんなに緊張していては、疲れてしまうだろう。俺も気乗りしないところはあるが、まぁ……。あまり、難しく考えるな」
「は、はい……」

 夜会に出るのが緊張しているわけではない。彼と二人きりで、そのような場に出るのに気持ちが焦っているのだ。

 いつも間にはエルシーがいる。
 エルシーが、オネルヴァとイグナーツの仲を取り持ってくれていると言っても、過言ではなかった。

「昼間の雰囲気とは異なるし、君にも嫌な思いをさせるかもしれない」

 彼のその言葉が、ずしりと心に突き刺さった。


*~*~収穫の月二十五日~*~*

『きょうは アーシュラおうじょさまのたんじょうびパーティーでした
 おとうさまは いつもはおしごとなのに きょうはパーティーにさんかしました

 だからエルシーも はじめてパーティーにいきました
 おともだちが たくさんできました
 おともだちのなまえは ジョザイア、ダスティン、アリシア、ブリジットです

 おかあさまのおにいさまにもあいました
 アルおにいさまです

 アルおにいさまは おかあさまのことがすきです
 エルシーも おかあさまのことがすきです

 だから アルおにいさまのこともすきになりました』
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