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第二章 大罪人として
9.甘酸っぱい口づけ
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俺の決意の言葉に鷺の獣人の女性は押し黙る。
驚愕し、言葉を失っているのだ。ただただ翼をはためかせて宙に揺れている。
「聞こえたか?
俺をここから出してくれ。
代わりにこの命を―――」
『何度も言わずとも聞こえている!』
女性が声を張って俺の言葉を遮った。
聞こえてはいたが、理解ができない。そう思っているのだろう。その鬱屈したジレンマが怒声へと向かうのはある意味当然だ。
『なぜだ?貴様は死ぬのが怖くないのか?
自分の身がかわいくないのか?』
そう問われたことに、俺は少し安堵する。
人間とは相容れない仲となっているこの獣人の女性が、人間と同じ価値感覚を持っていることがなんとなく嬉しい。
「そりゃあ、死ぬのは嫌だし怖い。
でもこのまま何もしなくても死ぬんだったら、せめて大切な人達だけでも救いたい。」
実際に死ぬのは怖いと俺も思っている。
普通の人からしたら、あの世のこと自体未知のことだ。
その未知の恐怖というのが一番怖い所なのだろうと思う。
だけど、前世の記憶を持ったまま、転生時のことも覚えている俺としては、死んだらまた女神と会ったあの空間に行くだけということも分かっている。
だから俺の場合の死の恐怖。
それは実は死んだ時、輪転機に挟まった時、めちゃくちゃ痛かった事だ。
よくある『死ぬかと思った』という痛みに対する最恐の言葉通り、痛過ぎて死んだ。
その痛覚的な恐怖もあるし、今度死んだら地獄行きかもしれない。
召喚したタフムーラスみたいに終わりのない苦しみを永遠に続けなければいけない、そんなのももちろん嫌すぎる。
そんなことが俺の死の恐怖だ。言われてみると普通よりも死の恐怖は少ないかもしれない。
知ってるから。
死んだらどうなるか、知っているから。
死んだら天国・地獄・生まれ変わりなんかの選択を迫られて・・・・それで終わり。
・・・・・・・・・それで終わり?
・・・・・それで?
・・・・それで全部忘れて失ってやり直し。
・・・それってもう―――
・・・もう誰とも会えない?
生まれ変わったりしたら、全ての事、全ての人の事を忘れてしまう?
みんな?大切だと思っている人全て?
女神もネロもリンゼロッテもマーカラもまあ、ペルペトゥアも?大切じゃないけどブラフの事も?ロドルフおねえも?
大切な人も思い出も全て消え去って無になってしまう。
二度と、二度と取り戻せない今・・・・。
何を今さら気づいているんだろう。
何で気づけてなかったんだろう。
前世の時には微塵にも感じていなかったこと。
大切だと思えるモノがたくさんあって、それと共に在ったことが幸せで。
それが生きるというやつなのか。
それを全て失うことが死ぬというやつなのか。
今さらながら死ぬという事を強く意識した。
急に背筋が凍り、恐怖が悍ましく、纏わりつくようにジワリジワリと、身体の自由を支配していく。
頭が自分のものではないかのように、何も考えられなくなっていく。
『だが、今のお前の顔は自分が死にたくないといっているぞ?』
いつの間にか鷺の獣人の女性の事を忘れ、自分に囚われていた俺。どれくらい己の世界に入っていてしまっただろうか。
女性の声に意識を解放して、現実を見る。
自分の腕を見るとプツプツと鳥肌が立っていた。
「・・・そうだ。俺は自殺志願者でもないし、マゾヒストでもない。死にたくは、ない。」
この僅かな時間でしかないのに。
助けられる対価に命を差し出すといった直後と今では、俺の中で心象が全く変わってしまった。
こんなにすぐ出る疑問と結論を今まで意識したことがなかったことに自分自身を嫌いになるが、だが今は自己嫌悪に陥ってる場合じゃない。
「俺は死にたくない。
でも、それ以上に大切な人たちが俺のために死ぬのはもっと嫌だ。
だから、だから俺は、俺の命を懸ける。
ありきたりな言葉だけど、それが俺の道理だ。」
俺は言葉を発した後、歯を強く食いしばる。
自分が今、口にしたこと。それを噛みしめるように。
心が死の恐怖に揺らがないように。
『・・・・・』
しばらく沈黙し、宙に揺れていた鷺の獣人の女性が口を開く。
『・・・・わかった、いいだろう。
貴様の命を対価に、手助けをしよう。
貴様の命は私が欲しい時に差し出せ。その時までは貴様に預けておく。』
実際にはそんなこともないのだろうが、鷺の獣人の女性は俺の心の底まで見通したような目で俺を見る。
憎悪でも嘲笑でもない、俺の言葉をしっかりと受け止めた真っすぐな目だ。
「・・・・ありがとう。」
事が全てうまく運んだら、直ちに命をもらう。ということではないと俺は勝手に解釈した。
少しは猶予をくれるのだろうか。あれだけ恨まれているんだ。慈悲があるだけありがたい。
そう思って俺が礼を言った瞬間に、女性は窓ガラス越しの俺に背を向ける。
『・・・・エスト。』
女性がなにかぼそりと呟く。
「えっ?・・・なんてっ?」
脈絡のない言葉に意味が分からなかった俺は聞き返す。
『私の名はエストだ!』
エストと名乗った女性が恥じらいを隠すように声を上げる。
まさかここで名前を教えてくれるなど思っていなかったから俺はびっくり。
どんな表情で言ったのか見てみたかったが、残念ながら俺にそれは見えなかった。
そして、俺に背を向けていたエストは翼を煽り、『トリカゴ』から距離を取ってから振り返る。
彼女の表情は、その時にはすでに平常運転だ。
『今から壁を破壊する。気を付けていろ。』
「ええっ?!
そう言われても動けないんだけど!?」
『先祖返り!』
俺の返答を全く聞いていないエストは何かを叫ぶ。
彼女の右足の甲が膨れ上がり、一風変わった履物は耐え切れずに破れた。
指が伸び、さらにその先に鋭い鉤爪が剥き出しなる。
エストの足先が、まさに鷺、鳥類のそれに瞬く間に変化した。
そして純白の翼を大きく広げ、深呼吸と共に大きく羽ばたかせる。そして。
「マジでぇ!!!?」
俺の眼に映ったのは、翼で加速し、もうスピードで突っ込んでくるエスト。
両手を頭上に伸ばし、空気抵抗を減らして右足を突き出している。
「飛び蹴りィィィ――――!!?」
誰もが知るあの、仮面の特撮スターの、あのスペシャルなキックだ。
俺の眼には特殊効果エフェクトも入ってるようにも見える。
BOKAAAAAN!!
必要以上の爆発音を上げて石の壁が吹っ飛び、白煙が舞い散る。うん、なんかまさに特撮。
「ありがとう、ライダー!!」
なんか思わず、助けられた子供な気分になってついつい言ってしまったセリフ。
言わずにはいられない。
「ライダー?何の話だ?」
鳥音話での会話をやめ、実際の声色で話すエスト。
少し訝し気な表情のまま盛大に舞っている白煙を抜け、俺に近づいてくる。
その足元にひび割れた宝玉が乱雑に転がっていた。
魔法封じの宝玉だ。
「おお!?これさえ壊れていれば!」
俺はすぐさま魔法の事を考えて、目の前にマジックウインドウを立ち上げる。
▶Tahmurath
▶Capture in the chain
を選択する。
「おらよっと!」
俺の掛け声に合わせて円形の黒い歪みからタフムーラスの鎖が出現し、俺の両手を吊るす鎖に巻き付く。
この鎖は結構頑丈で、俺のSTR : MAXの力でも引き千切れなかった。なんかすごい金属みたいだ。
そんな説明紛いなことを思いつつ、意識で鎖を操作する。
タフムーラスの鎖はこの世のものではない。
いとも簡単に俺を吊るしている鎖を巻き千切る。
「なるほど、なかなかやるものだな。」
それを見たエストが薄っすらと笑みを浮かべて素直に関心する。右足はすでに人の足に戻っていて、その足だけ裸足だ。もう片方は生成りの麻布を巻き付けた靴下という感じのもので覆っている。
「ども。
まあ、魔法はこれしか使えないんだけどね。今は召喚もできないし・・・。
エストもすごいね。しかし、履物が破れてしまったけど。なんかスマン。」
俺はそう返しながら、残っている手枷を動かして手首の状態を確かめる。
ずっと吊られっぱなしだったから変な感じがしてたが、なんともなさそうだ。
ふと目線を戻し、エストを見る。
あれ、なんだか顔が紅潮してる。目線を合わせようとしたら、逸らされた。
「どうした?」
何か悪いことをしたかと確認のつもりで俺は尋ねた。
エストは顔を背けたまま、チラッと一瞬だけ俺を見る。
「い、いや何でもない。いきなり呼び捨てにされて、ちょっと動揺しただけだ。
ま、まあお前の命は私のものだ。だが、私の事を呼び捨てにするくらいはゆ、許そう。
履物に関しては貴様を踏むから問題ない。」
「?・・・なんだそれ。ははっ。」
どうやら俺が呼び捨てにしたのが、結構な攻撃力だったらしい。
恥じらいたっぷりで動揺しているのを見ると、怒りとか恐怖に囚われていた俺がなんだかバカみたいだ。ちょっと笑ってしまった。
それにしても俺に対する憎悪はもちろんあるのだろうが、それ以外の感情も持っていてくれそうでなんだか嬉しい。
もっとも、俺の命が手のひらにあると思っているからか、憎悪の方も支配欲とか征服欲になってきているような気もしなくもないのだが。
なんで踏まれるんだ、俺?
「さて、この後だが・・・・」
「俺を抱えて飛べるか?」
気を取り直したエストの言葉を俺が遮る。
「もちろん、雑作もないことだ。その魔法の鎖で私と貴様を繋げばいい。」
「おっ、さすがだ。話が早い。」
身体の自由が利くようになったからとはいえ、馬鹿正直に螺旋階段を下りるのは無謀だ。
きっとすでに壁を破壊した爆発音で衛兵たちが駆け上がって来ているだろう。
俺はすぐさまエストの前に立ち、背を向ける。身長差があるから俺が膝を曲げて少し屈む。
そしてタフムーラスの鎖を展開する。
「痛くするなよ。ちょっとでも痛かったら、殺すからな。」
なんか怖い声が聞こえたが、無視無視。
タフムーラスの鎖が俺の意図した通りに絡まっていく。
俺とエストの太もも同士を縛り、同じく胴、そして腕。
まさにスカイダイビングのタンデム飛行みたいな感じの結び方だ。
俺とエストがお互い前を向いたまま、ぴったりとくっついている。
「おお!いい感じ。」
むにゅ。
「むにゅ?」
思った以上の安定感に驚いた俺は首を少し後ろにのけ反った。
そしたら、なんだか擬音が聞こえた気がした。
さらに擬音とともに柔らかい感触と生暖かい体温。俺の方は上半身裸だから、それをしっかりと感じる。
そういえばエストは上半身には、生成りの麻みたいな布を胸当てにして巻いているだけだ。
当然下着もつけていないはずだ。
その辺のいわゆる文化レベルは低い。
薄い麻布越しに感じる彼女の胸の柔らかさ。
俺は思わず口元を綻ばせてしまう。思わぬラッキーだ。
「今、変なことを考えただろう?やはり今すぐ殺す!」
「顔も見えてないのに、何で分かったのかなあ!?
それに殺される理由ないでしょ!痛くなかったでしょ!気持ちよかっただけでしょ!俺が!」
突如、俺の鳩尾に激痛が走る。
「うおぅ・・・」
見事にボディブローを食らったらしい。
あまりの痛みに、俺はエストごと少し屈む。
するとその瞬間に、鎖に身体が引っ張られて俺の身体が浮き上がる。
その後、俺の身体は頬が引っ張られるぐらいの風圧を受けて、『トリカゴ』に空いた穴から飛び出す。
「「「待て!罪人め!!」」」
ちょうどそのタイミングで、爆発音を聞いて駆け付けた衛兵が牢に入り込んできていた。
ギリギリのタイミングだったが、辛くもうまく逃げ果せたらしい。
俺は目だけで振り返ると、呆然と立ち尽くす衛兵の姿が遠目に見える。
「あっぶねぇ・・・ぎりぎりだったよ・・・・。
それにしても――――」
朝日を浴びて純白がさらに光輝く壮大な翼。
風を大きく取り込んで誇らしげに広がり、羽ばたく。
冷たい朝の空気が少し痛いけど、頬を切る風の感覚はまた心地よい。
そして、翼がはためき、上昇するときに感じる全身を突き抜ける重力と、逆に滑空して緩やかに滑り落ちるときの無重力感。
足が地面に接地していないのもまた、浮いているということを意識させられてしまう。
眼下に広がる、朝露に輝くルグザンガンド王都の景観が鮮烈に俺の眼に映る。
スカイダイビングなんかやったとはないし、遊園地の恐怖系アトラクションは正直あまり好きではないのだけど、この人生初体験は高揚感が半端ない。感動が押し寄せてくる。
「俺、今空を飛んでいる――――!!!
すげえ、すげえよ!エスト――――!!」
俺は感じた感動のまま、思いっきり叫ぶ。
「あははは!飛べない人間は不自由なものだな!憐憫の情をもよおしてしまうな!」
「難しい言葉使ってんじゃないよ!でもこれは本当にすごい!翼があるって最高だ!!!」
俺の感動に当てられて、エストも声を張る。
「このまま降下して、先の建物に奇襲を仕掛けて離脱する!
貴様が自力で脱出したと知れば、混乱に乗じて見張られている貴様の仲間もうまく退避できるだろう。」
「仲間の事も考えていてくれるなんて、さすがだ!文句なし!」
「仲間の事を思うなど当然だ!
我らは親愛の情が深いのだ!これからは・・・それくらい知っておけ!」
エストが翼を畳み、急降下する。
全身にものすごい風圧とマイナスGが掛かる。
「俺のタマが!タマが浮いてる!むしろ上に飛んで行ってしまう!
なんですかこの感覚――――!!」
「愚蒙な事を言うな!こっちが恥ずかしくなる!!」
興奮し、感情だだ漏れだった俺の独り言にツッコミを入れてくれるエストに、俺は顔が綻ぶ。
そして俺はマジックウインドウを開いて、タフムーラスの鎖を展開する。
今回は鎖の先にオプションを選択。
もちろん鎖の先につけるものといえば!
棘のついた鉄球だ!
「おら、いけえ!モーニングスター!!」
『トリカゴ』の階下の建物ギリギリまで降下した所で、俺の周りに小さな黒い淀みが多数出現。
そこから瘴気を纏ったモーニングスターが射出される。
遥か上空から降下した勢いも合わさって、ものすごいスピードと威力を纏ってモーニングスターが建物の屋根や壁を襲う。
当たる一撃一撃が木材の屋根や石造りの壁をその周り諸共いとも容易く破壊する。
さらに俺たちはそのまま滑空して、次々とその大きい建物を容赦なく壊していく。
突然に屋根を破壊されまくって、中の衛兵の慌てふためく姿がすごい。
「あれ!?これって!?
俺とエストって無敵じゃないのこれぇ!?」
誰も手を出せない空からの奇襲攻撃。タフムーラスの鎖は10メートルくらいしか伸びないから、離れた安全圏からの攻撃とはあまり言えないが、弓矢とかでは比にならないほどの攻撃力。
ちょっとした軍隊くらい楽にやっつけられそう。
「あそこだ!あそこの木の陰を見ろ!」
俺よりも先の視界が広いエストが先を指し示す。
その先には何事かと『トリカゴ』に駆け付けたリンゼロッテと執事の姿があった。結構近くに潜伏していたみたいだ。
しかし、困った。
今地上に降りて、リンゼロッテに接触しているわけにはいかない。
話しているうちに、態勢を立て直した衛兵に囲まれてしまうだろう。
俺は飛んで逃げられるが、リンゼロッテたちは無理だ。逃げきれない。
「リンゼロッテ!逃げろ!!」
一瞬だけリンゼロッテたちの近くを飛翔した瞬間に声を張り上げ、手で払うようにしてジェスチャーを送る。
滑空しているスピードも結構なものだから、本当に一瞬だ。
旋回してまた『トリカゴ』の建物を襲う。俺たちが囮になって、敵を引きつける。そんな意味を込めてだ。
「今のでわかったかな・・・・。」
「どうだろうな、ただ貴様が無事脱出しているのを見せれたのは大きいと思うぞ。」
少し不安だった俺のすぐ耳元に聞こえる声が肯定してくれる。少し小気味いい。
「さあ!屋根に弓部隊が出てきたぞ!ぬかるなよ!!」
すぐさま、気を引き締められる声が飛ぶ。
「もちろんだ!綺麗な翼を傷つけさせやしない!!」
「翼を褒めるなどと!!この漁色家め!!」
「なんで貶されてる雰囲気―――!?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから俺とエストは王国騎士団に甚大に被害を与え、逃げ去った。
今回に関しては、目撃者も多数いたことになるし、俺が犯人ということも疑いようがなくなってしまっただろう。
そもそも、王様殺しを言われるがままに自白しているから、疑いようもないのだろうけども。
いつか無実を証明できるのだろうか。
そんなことを考えていたらエストはそのまま北の方に飛行して、王都とドンタナの町の間の林の中に降り立った。
王都はもう雪はほとんどなかったが、この辺りはまだ雪が多く残っている。
木の緑は所々見えてはいるが、地面には薄い雪が地表を覆っている。
「色々ありがとう。本当に助かった。」
二人を繋いでいたタフムーラスの鎖を全て解除し、俺は素直にエストに礼を言う。
「ふん、勘違いするな。私が貴様を助けたわけではない。私のモノをただ守っただけに過ぎない。」
「あららら、支配欲が高じて俺はついにモノになっちゃったよ・・・・。」
ちょっと鼻息が漏れ、苦笑する俺。
「何か言ったか?」「いいえ何にも。」
エストの言葉に呆れて、俺はとりあえず軽く悪態をついた。
「それより、舌を出せ。」
「えっ?舌?」
「そうだ。べーっと出せ。」
いきなり指示してくるエスト。
俺はわけわからず舌を目いっぱい口から出す。
「ほえへ?(それで?)」
間抜けな顔をしている俺をエストがニヤけて笑う。
なんだ?変顔させて馬鹿にしたいのか?それならもっとキモいのもできるのだが・・・。
「我は風の精霊の御名を借りて汝と絶舌の盟約を交わす。
それにより汝キチクの命は我エストのみぞ預かる。
その盟約を違えし時、汝は言を紡ぐこと能わず。
受け入れよ、その名を。名はラ・トゥール」
なんだかよくわからない言葉を言って、エストが俺に顔を近づけてくる。
エストの方が背が低いから、少し上目遣いになってる。
そのエストは自分も舌を出し、さらに俺の顔に近づいてくる。
近い、近い!
初恋そっくりな女性の顔が俺の目の前!
あっという間に、そして一気に、俺の心臓の鼓動は連撃を刻む。
当然ながら、俺の顔は真っ赤になっているだろう。自分でも火照っているのがわかるくらいだ。
そして。
エストの舌が俺の飛び出た舌と触れる。
「――――!」
あまりの突然と驚きで、瞬きも出来ずに目を開けたまま、瞳孔が収縮する。
身体は硬直し、手足の感覚がない。
頭の中も真っ白になっている俺をよそに、エストはさらに舌を動かす。
俺の舌に自分の舌で、何やら書いているようだった。
俺の舌にエストの柔らかい舌が何度も触れて刺激する。
目の前の顔は、あの本当に本当に好きで好きで堪らなかった人と同じ顔。
絵に描いたように綺麗な二重。
長い睫毛は瞳に色っぽい影を落とし、笑うと白目が見えなくなってしまうほど、その瞳は大きくて青緑の輝きが眼の全てを覆う。
柔らかそうなもち肌は意識をしっかり持っていないと、つい触ってしまいそうになる。
そしてグロスを塗っているわけでもないのに、桃色に鮮やかに輝いて光を湛える唇。
その唇から伸びる可愛らしく動く舌が、なんと俺の舌に触れている。
こんな、こんなことがあっていいのだろうか。
全く目も合わせてくれなかったあの人と同じ顔で。
拙い感情の全てを捧げていたあの頃。
何十年も経って、転生もして、やっと報われた、この行き場の失ったいたこの恋心。
胸を締め付ける沢山の辛い思い出と、嬉しかった、楽しかった、溢れ出た全ての感情が。
そして舌と舌の触れ合いが、俺の理性を断ち切る。
「これで契約は成った・・・・。」
事を終えたエストが舌を離す。
一拍着いたのか、軽い笑顔を浮かべて、動かずに俺の目の前にいる。
「好きだ!!」
燃え上がる感情をそのままに、俺はエストの肩を掴む。
そして、驚いた顔の彼女の唇を・・・・・・奪った。
触れるだけのキス。
ふにっとした柔らかい感触。
心臓が口から飛び出てしまいそうなくらい、激しく高鳴る鼓動。
「勘違いするなぁ!!こっ、これはただの契約だぁ!!この色欲魔がぁぁぁ!」
白い、すらりとしたエストの腕が俺に伸びてくる。
その軌道は俺の首の後ろに回るのではない。
猛スピードで動くその握りしめた拳が行きつく先は、惚けきった俺の頬だった。
「ブッファァァ!!!!」
女性とは思えないその腕力に、断末魔を上げて俺は激しくブッサイクに吹っ飛んだ。
近くの木に激突し、思いっきり雪の噴煙を上げる。
「ポー・・・」
そんな擬音を自分で言ってしまうくらい、全力でぶっ飛ばされてもまだ、まだ俺の心は冷め止まない。完全に惚けてしまっている。
今、思うことはただ一つ。
全くもってベタなんだけど、それでもキスを奪い取ったからには言わなければいけない。
初恋の女性、もとい、初恋の女性そっくり人との初めてのキスは、
やっぱり甘酸っぱくて、そして血の味がした――――
カオスゲージ
〔Law and Order +++[63]++++++ Chaos〕
驚愕し、言葉を失っているのだ。ただただ翼をはためかせて宙に揺れている。
「聞こえたか?
俺をここから出してくれ。
代わりにこの命を―――」
『何度も言わずとも聞こえている!』
女性が声を張って俺の言葉を遮った。
聞こえてはいたが、理解ができない。そう思っているのだろう。その鬱屈したジレンマが怒声へと向かうのはある意味当然だ。
『なぜだ?貴様は死ぬのが怖くないのか?
自分の身がかわいくないのか?』
そう問われたことに、俺は少し安堵する。
人間とは相容れない仲となっているこの獣人の女性が、人間と同じ価値感覚を持っていることがなんとなく嬉しい。
「そりゃあ、死ぬのは嫌だし怖い。
でもこのまま何もしなくても死ぬんだったら、せめて大切な人達だけでも救いたい。」
実際に死ぬのは怖いと俺も思っている。
普通の人からしたら、あの世のこと自体未知のことだ。
その未知の恐怖というのが一番怖い所なのだろうと思う。
だけど、前世の記憶を持ったまま、転生時のことも覚えている俺としては、死んだらまた女神と会ったあの空間に行くだけということも分かっている。
だから俺の場合の死の恐怖。
それは実は死んだ時、輪転機に挟まった時、めちゃくちゃ痛かった事だ。
よくある『死ぬかと思った』という痛みに対する最恐の言葉通り、痛過ぎて死んだ。
その痛覚的な恐怖もあるし、今度死んだら地獄行きかもしれない。
召喚したタフムーラスみたいに終わりのない苦しみを永遠に続けなければいけない、そんなのももちろん嫌すぎる。
そんなことが俺の死の恐怖だ。言われてみると普通よりも死の恐怖は少ないかもしれない。
知ってるから。
死んだらどうなるか、知っているから。
死んだら天国・地獄・生まれ変わりなんかの選択を迫られて・・・・それで終わり。
・・・・・・・・・それで終わり?
・・・・・それで?
・・・・それで全部忘れて失ってやり直し。
・・・それってもう―――
・・・もう誰とも会えない?
生まれ変わったりしたら、全ての事、全ての人の事を忘れてしまう?
みんな?大切だと思っている人全て?
女神もネロもリンゼロッテもマーカラもまあ、ペルペトゥアも?大切じゃないけどブラフの事も?ロドルフおねえも?
大切な人も思い出も全て消え去って無になってしまう。
二度と、二度と取り戻せない今・・・・。
何を今さら気づいているんだろう。
何で気づけてなかったんだろう。
前世の時には微塵にも感じていなかったこと。
大切だと思えるモノがたくさんあって、それと共に在ったことが幸せで。
それが生きるというやつなのか。
それを全て失うことが死ぬというやつなのか。
今さらながら死ぬという事を強く意識した。
急に背筋が凍り、恐怖が悍ましく、纏わりつくようにジワリジワリと、身体の自由を支配していく。
頭が自分のものではないかのように、何も考えられなくなっていく。
『だが、今のお前の顔は自分が死にたくないといっているぞ?』
いつの間にか鷺の獣人の女性の事を忘れ、自分に囚われていた俺。どれくらい己の世界に入っていてしまっただろうか。
女性の声に意識を解放して、現実を見る。
自分の腕を見るとプツプツと鳥肌が立っていた。
「・・・そうだ。俺は自殺志願者でもないし、マゾヒストでもない。死にたくは、ない。」
この僅かな時間でしかないのに。
助けられる対価に命を差し出すといった直後と今では、俺の中で心象が全く変わってしまった。
こんなにすぐ出る疑問と結論を今まで意識したことがなかったことに自分自身を嫌いになるが、だが今は自己嫌悪に陥ってる場合じゃない。
「俺は死にたくない。
でも、それ以上に大切な人たちが俺のために死ぬのはもっと嫌だ。
だから、だから俺は、俺の命を懸ける。
ありきたりな言葉だけど、それが俺の道理だ。」
俺は言葉を発した後、歯を強く食いしばる。
自分が今、口にしたこと。それを噛みしめるように。
心が死の恐怖に揺らがないように。
『・・・・・』
しばらく沈黙し、宙に揺れていた鷺の獣人の女性が口を開く。
『・・・・わかった、いいだろう。
貴様の命を対価に、手助けをしよう。
貴様の命は私が欲しい時に差し出せ。その時までは貴様に預けておく。』
実際にはそんなこともないのだろうが、鷺の獣人の女性は俺の心の底まで見通したような目で俺を見る。
憎悪でも嘲笑でもない、俺の言葉をしっかりと受け止めた真っすぐな目だ。
「・・・・ありがとう。」
事が全てうまく運んだら、直ちに命をもらう。ということではないと俺は勝手に解釈した。
少しは猶予をくれるのだろうか。あれだけ恨まれているんだ。慈悲があるだけありがたい。
そう思って俺が礼を言った瞬間に、女性は窓ガラス越しの俺に背を向ける。
『・・・・エスト。』
女性がなにかぼそりと呟く。
「えっ?・・・なんてっ?」
脈絡のない言葉に意味が分からなかった俺は聞き返す。
『私の名はエストだ!』
エストと名乗った女性が恥じらいを隠すように声を上げる。
まさかここで名前を教えてくれるなど思っていなかったから俺はびっくり。
どんな表情で言ったのか見てみたかったが、残念ながら俺にそれは見えなかった。
そして、俺に背を向けていたエストは翼を煽り、『トリカゴ』から距離を取ってから振り返る。
彼女の表情は、その時にはすでに平常運転だ。
『今から壁を破壊する。気を付けていろ。』
「ええっ?!
そう言われても動けないんだけど!?」
『先祖返り!』
俺の返答を全く聞いていないエストは何かを叫ぶ。
彼女の右足の甲が膨れ上がり、一風変わった履物は耐え切れずに破れた。
指が伸び、さらにその先に鋭い鉤爪が剥き出しなる。
エストの足先が、まさに鷺、鳥類のそれに瞬く間に変化した。
そして純白の翼を大きく広げ、深呼吸と共に大きく羽ばたかせる。そして。
「マジでぇ!!!?」
俺の眼に映ったのは、翼で加速し、もうスピードで突っ込んでくるエスト。
両手を頭上に伸ばし、空気抵抗を減らして右足を突き出している。
「飛び蹴りィィィ――――!!?」
誰もが知るあの、仮面の特撮スターの、あのスペシャルなキックだ。
俺の眼には特殊効果エフェクトも入ってるようにも見える。
BOKAAAAAN!!
必要以上の爆発音を上げて石の壁が吹っ飛び、白煙が舞い散る。うん、なんかまさに特撮。
「ありがとう、ライダー!!」
なんか思わず、助けられた子供な気分になってついつい言ってしまったセリフ。
言わずにはいられない。
「ライダー?何の話だ?」
鳥音話での会話をやめ、実際の声色で話すエスト。
少し訝し気な表情のまま盛大に舞っている白煙を抜け、俺に近づいてくる。
その足元にひび割れた宝玉が乱雑に転がっていた。
魔法封じの宝玉だ。
「おお!?これさえ壊れていれば!」
俺はすぐさま魔法の事を考えて、目の前にマジックウインドウを立ち上げる。
▶Tahmurath
▶Capture in the chain
を選択する。
「おらよっと!」
俺の掛け声に合わせて円形の黒い歪みからタフムーラスの鎖が出現し、俺の両手を吊るす鎖に巻き付く。
この鎖は結構頑丈で、俺のSTR : MAXの力でも引き千切れなかった。なんかすごい金属みたいだ。
そんな説明紛いなことを思いつつ、意識で鎖を操作する。
タフムーラスの鎖はこの世のものではない。
いとも簡単に俺を吊るしている鎖を巻き千切る。
「なるほど、なかなかやるものだな。」
それを見たエストが薄っすらと笑みを浮かべて素直に関心する。右足はすでに人の足に戻っていて、その足だけ裸足だ。もう片方は生成りの麻布を巻き付けた靴下という感じのもので覆っている。
「ども。
まあ、魔法はこれしか使えないんだけどね。今は召喚もできないし・・・。
エストもすごいね。しかし、履物が破れてしまったけど。なんかスマン。」
俺はそう返しながら、残っている手枷を動かして手首の状態を確かめる。
ずっと吊られっぱなしだったから変な感じがしてたが、なんともなさそうだ。
ふと目線を戻し、エストを見る。
あれ、なんだか顔が紅潮してる。目線を合わせようとしたら、逸らされた。
「どうした?」
何か悪いことをしたかと確認のつもりで俺は尋ねた。
エストは顔を背けたまま、チラッと一瞬だけ俺を見る。
「い、いや何でもない。いきなり呼び捨てにされて、ちょっと動揺しただけだ。
ま、まあお前の命は私のものだ。だが、私の事を呼び捨てにするくらいはゆ、許そう。
履物に関しては貴様を踏むから問題ない。」
「?・・・なんだそれ。ははっ。」
どうやら俺が呼び捨てにしたのが、結構な攻撃力だったらしい。
恥じらいたっぷりで動揺しているのを見ると、怒りとか恐怖に囚われていた俺がなんだかバカみたいだ。ちょっと笑ってしまった。
それにしても俺に対する憎悪はもちろんあるのだろうが、それ以外の感情も持っていてくれそうでなんだか嬉しい。
もっとも、俺の命が手のひらにあると思っているからか、憎悪の方も支配欲とか征服欲になってきているような気もしなくもないのだが。
なんで踏まれるんだ、俺?
「さて、この後だが・・・・」
「俺を抱えて飛べるか?」
気を取り直したエストの言葉を俺が遮る。
「もちろん、雑作もないことだ。その魔法の鎖で私と貴様を繋げばいい。」
「おっ、さすがだ。話が早い。」
身体の自由が利くようになったからとはいえ、馬鹿正直に螺旋階段を下りるのは無謀だ。
きっとすでに壁を破壊した爆発音で衛兵たちが駆け上がって来ているだろう。
俺はすぐさまエストの前に立ち、背を向ける。身長差があるから俺が膝を曲げて少し屈む。
そしてタフムーラスの鎖を展開する。
「痛くするなよ。ちょっとでも痛かったら、殺すからな。」
なんか怖い声が聞こえたが、無視無視。
タフムーラスの鎖が俺の意図した通りに絡まっていく。
俺とエストの太もも同士を縛り、同じく胴、そして腕。
まさにスカイダイビングのタンデム飛行みたいな感じの結び方だ。
俺とエストがお互い前を向いたまま、ぴったりとくっついている。
「おお!いい感じ。」
むにゅ。
「むにゅ?」
思った以上の安定感に驚いた俺は首を少し後ろにのけ反った。
そしたら、なんだか擬音が聞こえた気がした。
さらに擬音とともに柔らかい感触と生暖かい体温。俺の方は上半身裸だから、それをしっかりと感じる。
そういえばエストは上半身には、生成りの麻みたいな布を胸当てにして巻いているだけだ。
当然下着もつけていないはずだ。
その辺のいわゆる文化レベルは低い。
薄い麻布越しに感じる彼女の胸の柔らかさ。
俺は思わず口元を綻ばせてしまう。思わぬラッキーだ。
「今、変なことを考えただろう?やはり今すぐ殺す!」
「顔も見えてないのに、何で分かったのかなあ!?
それに殺される理由ないでしょ!痛くなかったでしょ!気持ちよかっただけでしょ!俺が!」
突如、俺の鳩尾に激痛が走る。
「うおぅ・・・」
見事にボディブローを食らったらしい。
あまりの痛みに、俺はエストごと少し屈む。
するとその瞬間に、鎖に身体が引っ張られて俺の身体が浮き上がる。
その後、俺の身体は頬が引っ張られるぐらいの風圧を受けて、『トリカゴ』に空いた穴から飛び出す。
「「「待て!罪人め!!」」」
ちょうどそのタイミングで、爆発音を聞いて駆け付けた衛兵が牢に入り込んできていた。
ギリギリのタイミングだったが、辛くもうまく逃げ果せたらしい。
俺は目だけで振り返ると、呆然と立ち尽くす衛兵の姿が遠目に見える。
「あっぶねぇ・・・ぎりぎりだったよ・・・・。
それにしても――――」
朝日を浴びて純白がさらに光輝く壮大な翼。
風を大きく取り込んで誇らしげに広がり、羽ばたく。
冷たい朝の空気が少し痛いけど、頬を切る風の感覚はまた心地よい。
そして、翼がはためき、上昇するときに感じる全身を突き抜ける重力と、逆に滑空して緩やかに滑り落ちるときの無重力感。
足が地面に接地していないのもまた、浮いているということを意識させられてしまう。
眼下に広がる、朝露に輝くルグザンガンド王都の景観が鮮烈に俺の眼に映る。
スカイダイビングなんかやったとはないし、遊園地の恐怖系アトラクションは正直あまり好きではないのだけど、この人生初体験は高揚感が半端ない。感動が押し寄せてくる。
「俺、今空を飛んでいる――――!!!
すげえ、すげえよ!エスト――――!!」
俺は感じた感動のまま、思いっきり叫ぶ。
「あははは!飛べない人間は不自由なものだな!憐憫の情をもよおしてしまうな!」
「難しい言葉使ってんじゃないよ!でもこれは本当にすごい!翼があるって最高だ!!!」
俺の感動に当てられて、エストも声を張る。
「このまま降下して、先の建物に奇襲を仕掛けて離脱する!
貴様が自力で脱出したと知れば、混乱に乗じて見張られている貴様の仲間もうまく退避できるだろう。」
「仲間の事も考えていてくれるなんて、さすがだ!文句なし!」
「仲間の事を思うなど当然だ!
我らは親愛の情が深いのだ!これからは・・・それくらい知っておけ!」
エストが翼を畳み、急降下する。
全身にものすごい風圧とマイナスGが掛かる。
「俺のタマが!タマが浮いてる!むしろ上に飛んで行ってしまう!
なんですかこの感覚――――!!」
「愚蒙な事を言うな!こっちが恥ずかしくなる!!」
興奮し、感情だだ漏れだった俺の独り言にツッコミを入れてくれるエストに、俺は顔が綻ぶ。
そして俺はマジックウインドウを開いて、タフムーラスの鎖を展開する。
今回は鎖の先にオプションを選択。
もちろん鎖の先につけるものといえば!
棘のついた鉄球だ!
「おら、いけえ!モーニングスター!!」
『トリカゴ』の階下の建物ギリギリまで降下した所で、俺の周りに小さな黒い淀みが多数出現。
そこから瘴気を纏ったモーニングスターが射出される。
遥か上空から降下した勢いも合わさって、ものすごいスピードと威力を纏ってモーニングスターが建物の屋根や壁を襲う。
当たる一撃一撃が木材の屋根や石造りの壁をその周り諸共いとも容易く破壊する。
さらに俺たちはそのまま滑空して、次々とその大きい建物を容赦なく壊していく。
突然に屋根を破壊されまくって、中の衛兵の慌てふためく姿がすごい。
「あれ!?これって!?
俺とエストって無敵じゃないのこれぇ!?」
誰も手を出せない空からの奇襲攻撃。タフムーラスの鎖は10メートルくらいしか伸びないから、離れた安全圏からの攻撃とはあまり言えないが、弓矢とかでは比にならないほどの攻撃力。
ちょっとした軍隊くらい楽にやっつけられそう。
「あそこだ!あそこの木の陰を見ろ!」
俺よりも先の視界が広いエストが先を指し示す。
その先には何事かと『トリカゴ』に駆け付けたリンゼロッテと執事の姿があった。結構近くに潜伏していたみたいだ。
しかし、困った。
今地上に降りて、リンゼロッテに接触しているわけにはいかない。
話しているうちに、態勢を立て直した衛兵に囲まれてしまうだろう。
俺は飛んで逃げられるが、リンゼロッテたちは無理だ。逃げきれない。
「リンゼロッテ!逃げろ!!」
一瞬だけリンゼロッテたちの近くを飛翔した瞬間に声を張り上げ、手で払うようにしてジェスチャーを送る。
滑空しているスピードも結構なものだから、本当に一瞬だ。
旋回してまた『トリカゴ』の建物を襲う。俺たちが囮になって、敵を引きつける。そんな意味を込めてだ。
「今のでわかったかな・・・・。」
「どうだろうな、ただ貴様が無事脱出しているのを見せれたのは大きいと思うぞ。」
少し不安だった俺のすぐ耳元に聞こえる声が肯定してくれる。少し小気味いい。
「さあ!屋根に弓部隊が出てきたぞ!ぬかるなよ!!」
すぐさま、気を引き締められる声が飛ぶ。
「もちろんだ!綺麗な翼を傷つけさせやしない!!」
「翼を褒めるなどと!!この漁色家め!!」
「なんで貶されてる雰囲気―――!?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから俺とエストは王国騎士団に甚大に被害を与え、逃げ去った。
今回に関しては、目撃者も多数いたことになるし、俺が犯人ということも疑いようがなくなってしまっただろう。
そもそも、王様殺しを言われるがままに自白しているから、疑いようもないのだろうけども。
いつか無実を証明できるのだろうか。
そんなことを考えていたらエストはそのまま北の方に飛行して、王都とドンタナの町の間の林の中に降り立った。
王都はもう雪はほとんどなかったが、この辺りはまだ雪が多く残っている。
木の緑は所々見えてはいるが、地面には薄い雪が地表を覆っている。
「色々ありがとう。本当に助かった。」
二人を繋いでいたタフムーラスの鎖を全て解除し、俺は素直にエストに礼を言う。
「ふん、勘違いするな。私が貴様を助けたわけではない。私のモノをただ守っただけに過ぎない。」
「あららら、支配欲が高じて俺はついにモノになっちゃったよ・・・・。」
ちょっと鼻息が漏れ、苦笑する俺。
「何か言ったか?」「いいえ何にも。」
エストの言葉に呆れて、俺はとりあえず軽く悪態をついた。
「それより、舌を出せ。」
「えっ?舌?」
「そうだ。べーっと出せ。」
いきなり指示してくるエスト。
俺はわけわからず舌を目いっぱい口から出す。
「ほえへ?(それで?)」
間抜けな顔をしている俺をエストがニヤけて笑う。
なんだ?変顔させて馬鹿にしたいのか?それならもっとキモいのもできるのだが・・・。
「我は風の精霊の御名を借りて汝と絶舌の盟約を交わす。
それにより汝キチクの命は我エストのみぞ預かる。
その盟約を違えし時、汝は言を紡ぐこと能わず。
受け入れよ、その名を。名はラ・トゥール」
なんだかよくわからない言葉を言って、エストが俺に顔を近づけてくる。
エストの方が背が低いから、少し上目遣いになってる。
そのエストは自分も舌を出し、さらに俺の顔に近づいてくる。
近い、近い!
初恋そっくりな女性の顔が俺の目の前!
あっという間に、そして一気に、俺の心臓の鼓動は連撃を刻む。
当然ながら、俺の顔は真っ赤になっているだろう。自分でも火照っているのがわかるくらいだ。
そして。
エストの舌が俺の飛び出た舌と触れる。
「――――!」
あまりの突然と驚きで、瞬きも出来ずに目を開けたまま、瞳孔が収縮する。
身体は硬直し、手足の感覚がない。
頭の中も真っ白になっている俺をよそに、エストはさらに舌を動かす。
俺の舌に自分の舌で、何やら書いているようだった。
俺の舌にエストの柔らかい舌が何度も触れて刺激する。
目の前の顔は、あの本当に本当に好きで好きで堪らなかった人と同じ顔。
絵に描いたように綺麗な二重。
長い睫毛は瞳に色っぽい影を落とし、笑うと白目が見えなくなってしまうほど、その瞳は大きくて青緑の輝きが眼の全てを覆う。
柔らかそうなもち肌は意識をしっかり持っていないと、つい触ってしまいそうになる。
そしてグロスを塗っているわけでもないのに、桃色に鮮やかに輝いて光を湛える唇。
その唇から伸びる可愛らしく動く舌が、なんと俺の舌に触れている。
こんな、こんなことがあっていいのだろうか。
全く目も合わせてくれなかったあの人と同じ顔で。
拙い感情の全てを捧げていたあの頃。
何十年も経って、転生もして、やっと報われた、この行き場の失ったいたこの恋心。
胸を締め付ける沢山の辛い思い出と、嬉しかった、楽しかった、溢れ出た全ての感情が。
そして舌と舌の触れ合いが、俺の理性を断ち切る。
「これで契約は成った・・・・。」
事を終えたエストが舌を離す。
一拍着いたのか、軽い笑顔を浮かべて、動かずに俺の目の前にいる。
「好きだ!!」
燃え上がる感情をそのままに、俺はエストの肩を掴む。
そして、驚いた顔の彼女の唇を・・・・・・奪った。
触れるだけのキス。
ふにっとした柔らかい感触。
心臓が口から飛び出てしまいそうなくらい、激しく高鳴る鼓動。
「勘違いするなぁ!!こっ、これはただの契約だぁ!!この色欲魔がぁぁぁ!」
白い、すらりとしたエストの腕が俺に伸びてくる。
その軌道は俺の首の後ろに回るのではない。
猛スピードで動くその握りしめた拳が行きつく先は、惚けきった俺の頬だった。
「ブッファァァ!!!!」
女性とは思えないその腕力に、断末魔を上げて俺は激しくブッサイクに吹っ飛んだ。
近くの木に激突し、思いっきり雪の噴煙を上げる。
「ポー・・・」
そんな擬音を自分で言ってしまうくらい、全力でぶっ飛ばされてもまだ、まだ俺の心は冷め止まない。完全に惚けてしまっている。
今、思うことはただ一つ。
全くもってベタなんだけど、それでもキスを奪い取ったからには言わなければいけない。
初恋の女性、もとい、初恋の女性そっくり人との初めてのキスは、
やっぱり甘酸っぱくて、そして血の味がした――――
カオスゲージ
〔Law and Order +++[63]++++++ Chaos〕
応援ありがとうございます!
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