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第一部 宰相家の居候

【キヴェカスSide】トニ&マーリン夫妻の転機

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 そもそも王都の〝カフェ・キヴェカス〟は、周辺レストランや商会に卸す予定の乳製品の中で、形が悪かったり、消費期限直前の物をさばくために、義姉上あねうえが片手間に始めたようなものだった。

 それが長兄――先代キヴェカス伯爵ヨーンが、イデオン公爵家の賓客であるとされている少女をカフェに連れてきてよりこちら、事態が一変してしまった。

「店舗で働く方の制服なんかは、ありますか?乳製品の包装紙やティーマット、カップやソーサーの備品なんかは、どこかと契約されていらっしゃいますか?新商品の開発なんかに、ご興味は⁉」

 少女はそう、長兄に迫ったらしい。

 アイスクリームとチーズケーキを満面の笑みで頬張る少女と、最初は到底同一人物とは思えなかった。

「委託販売手数料を取るとか、納税の一部を免除して貰うとか、このお店の軒先を貸し出すアドバンテージはあって良いと思うんですけど、まずはぜひ、同じイデオン公爵領内の他領の方々と、それぞれの商品の良さを生かしつつ、手を取り合ってみるのはどうかと……」

 だがその後、今提携しているケスキサーリ領の卵以外に、バーレント領、ハルヴァラ領、オルセン領、ユルハ領、リリアート領の商品も交えて、カフェを運営出来ないかとの話になった時には、妻ともどもしばらく言葉が出なかった。

「まったくヤンネの奴も、あれほどのアイデアを出せるお嬢さんを侮辱するとは……やはり王都の学園なんぞに行かせるべきではなかったのか……」

 伯爵家本家の血筋と言う事で、色々な女性が寄ってくるのは、特に王都で暮らす中では、私にも分からなくはない。
 そのうえ、複数の裁判をこなすうちに、それ以上に様々な女性を目にしたのだろうし、三男と言う事もあって、長兄もクドクドと結婚の話をしなかったのも、更に災いしていたのかも知れない。

 かつてキヴェカス領を救った、誰よりも頭の切れる甥っ子は、王都で法律の専門家と呼ばれるまでに自己を研鑽する過程で、女性観だけが、いつの間にやら手が付けられない程に歪んでいた。

 しかも、ただ、豊富なアイデアを持つ少女と言うだけではなく、国の賓客であり、公爵閣下の賓客でもある少女を侮辱したのだと聞けば、正直、私も妻も、王都の店を閉めて領地に引き上げる事を覚悟した程である。

「とりあえず『無理に友好を深めるつもりはないから、イデオン公爵領全体の事を考えて、自らの職務に邁進してくれ』との言葉を引き出せただけでも、僥倖と言わねばなるまいよ」

 長兄の言葉に、私も大きく頷いた。
 と言うか、真顔で長兄にそんな事が言える、あの子何歳いくつだ?

 そんな中で、領主様の容態が良くなく、本家が慌しいケスキサーリの代理として、王都公爵邸でのガーデンパーティーへの出席を、現領主より依頼された。

 何でもカフェで採用出来そうか、ぜひ見たり食べたりして、意見が欲しいと言う事らしい。
 卵料理に関しては、良ければケスキサーリにも伝えて欲しいと。

 これはすぐに、あの少女が、カフェで話していた案を実行に移したんだと分かった。

「トニさんとマーリンさんのお眼鏡に適った商品は、そのまま特許権取得コースになりますので、宜しくお願いしますねー」

 …そして笑顔で甥を地獄へ蹴落としている。
 
 まったく、どこをどうしたらアレが、ただ公爵閣下の寵を受け、公爵夫人の地位を媚びて狙う、有象無象に見えるんだ。

「……いっそ、今日提供されているお品、全てカフェに置いてみます?」
「……マ、マーリン?」

 そして、妻も静かに怒っていた。

 と言うか、カフェで働く女性従業員全員の目が、甥にこの上なく冷ややかだった。

「そんなくらいで大人げない」

 なんてことを言った、とある従業員の恋人は、即日別れを告げられたらしい。

「貴方の甥でなかったら、出入り禁止ですわよ」

「……なんか、色々すまん」

 領地で農業一筋の長兄や、彼の長男次男では、生活環境が違い過ぎて、末っ子の矯正は困難なようにも思える。
 恐らくは、王都在住である自分の役割になってくるのだろうと、察した妻の、それが譲歩だった。

 さすがに、ほどほどにしてやりたいと、若干の同情を内心でしながら公爵邸の庭に足を踏み入れた訳なのだが、ハッキリ言ってそこで、私も言葉を失ってしまった。

 ウェルカムドリンク代わりの、ユルハ領のシーベリーとウチの牛乳を使ったジュースに始まり、パーティー会場の方は、シーベリーをそのままアレンジしたリースやスワッグ、木の器を使っての灯りのアレンジなど、そのままカフェにも置けそうな飾りつけが、テーブルの至る所にされている。

 気に入った飾りがあれば、持って帰って下さい――などと、少女は無邪気に微笑わらう。

 料理テーブルの方には、卵と牛乳と砂糖を使った「プリン」と呼ばれるお菓子や、ヨーグルトのシーベリーソースがけ、エッカランタ領のスヴァレーフを使った「ポテトチップス」と呼ばれる軽食、リリアート領の繊細なガラスボウルの中に、オルセン領の赤白それぞれのワインを満たして、数種類のフルーツを浮かべてある「フルーツワイン」に、お酒が飲めない者や子供のための、その葡萄ジュース版。卵だけを使って、見た事もないサイズにまで膨らませた「オムレツ」、仮想ハーグルンドのお肉を見立ててのシーベリーソースがけなどなど……。

 甥へのでなく、本気でカフェに置いてみたいメニューが複数そこにあった。

 シーベリージュースの配合やフルーツワインの名称など、いったん仮になっている物もあるそうだが、それもこれからその辺りは共に話し合いを――と言う姿勢には、賛成だ。

 木綿を使ってのパッチワークキルトで作られたコースターや、木綿から作られた厚めの紙の表面に花びらが散るコースターなんかは、確かにカフェで使えそうと、隣で妻が頷いている。

 感想や改善希望点を書いて欲しいと渡された紙も木綿由来の物で、いずれ羊皮紙よりも安価に流通出来るようになれば、メニュー表や注文を取る紙など、これも使い道はある気がした。

 更に、まだコレは内緒ですよ……と、木綿生地や紙を使っての新たなブランド設立を考えていて、その第一弾として、フェリクス・ヘルマンが経営する店舗の従業員によるデザインコンペを開いて、そこで〝カフェ・キヴェカス〟の制服を王都在住民の投票によって決める計画があると、レイナ嬢は私と妻にだけ打ち明けてくれた。

 ヘルマン氏が直接手掛けると、高位貴族向け高額商品となってしまうため、あくまで「監修」として、従業員がデザイン含め一連を手掛ける事で、下位貴族や王都在住の富裕層平民を狙うつもりのようだった。

 もちろん、お二方も審査員ですよ…と、彼女は笑う。

 しかも「監修」と言う立ち位置でヘルマン氏が関わる事も初めての試みのため、第一弾となるカフェの制服は、実質生地代と輸送費のみに近い値段となる予定だと言う。

 確かデザイン次第で検討すると答えた筈だったが、もはや拒否権のないところまで、話が進んでいた。

 それでいてメニューにしろ制服にしろ「現在いまのカフェの雰囲気を損ねない」配慮が、徹底して貫かれている。

 義姉上が手掛けた外観も内装も、少しも損なわれる事がないようにと――彼女は我々キヴェカスの従業員の想いを、ちゃんと汲み取ってくれている。

 私と妻は遠慮なく〝カフェに合う物〟を選べば良いのだと、ここに来た事で気持ちもスッキリした。

 レイナ嬢、何度かボードリエ伯爵令嬢と、チーズケーキとアイスクリームを食べに来てくれているらしいが、今度はハルヴァラ伯爵令息を連れて、食べに行きますねと笑う。

 余程気に入ってくれたらしい。

 長兄から、一連の騒動のお詫びに、彼女の飲食費は永年無料と指示されてはいたが…店長としても、そこは賛同しましょう、兄上。
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