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第一部 宰相家の居候
【宰相Side】エドヴァルドの渇望(前)
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
今、城内にいる旧オーグレーン城時代に勤めていた使用人の中に、箱と文書を持ち主から預けられて、今までずっと手元に置いていた側仕えの男性なり女性なりがいる筈――。
ゲルトナーからナシオに伝えられたレイナの伝言は、確かに私の意表を突いた。
その「誰か」が、今回の私の訪問と滞在中の世話を申し付けられた時に、初めて箱と文書の存在を王家に明かしたのかも知れない。その「誰か」の思惑と、王家の思惑とがそもそも乖離している可能性すらあるから、まずは『悪意と自覚のない内通者』を探した方が良い――と、更に彼女は言付けてきた。
冷静になって考えれば、その通りだとは思う。
だが書物を一読して怒りに震えていた私には、咄嗟に浮かんで来なかった可能性だった。
「聞いたな、フィト?とりあえず空箱だけ元に戻せ。あとは交代で、その箱の様子を見に来る者を見張っておくしかないだろうが、頼めるか」
「もちろんです。確かに承りました、お館様」
部屋の片隅で打ち合わせを始めた、ナシオ以外の護衛たちを横目に、私は知らず己の拳を握りしめていた。
まるで私の怒りを宥めようとするかのように、新たな可能性を彼女は差し出してきた。
彼女は決して、意味のない追従をしない。
聞けば必ず自分の中で一度考えた言葉を返してくる。
恐らく今回は、彼女の言った言葉が正しい。
そう遠くない内に「内通者」は見つかるだろう。
――この書物の処分は、レイナに委ねよう。
自分が今、オーグレーン家の問題、過去からの感情に振り回されているからこそ、私自身はこの書物を手放すべきだと、この時決めた。
燃やそうが、王家との交渉に使おうが、彼女ならきっと使いどころを間違えない。
ただ…この最後の、下衆としか言いようがない1ページを読んだ時に、彼女はこの男の血が私の中にも流れている事に、嫌悪感を抱いたりはしないだろうか。
彼女はそんな女性ではない筈だと、これまでの言動から思いはすれど、拭いきれない不安もある。
冷徹、鉄壁などと言われた男が、いい笑いものだ。
「……え、明日?」
その時、恐らくはゲルトナーから伝えられた言葉にナシオ自身が驚いたようで、私の意識も必然的にそちらへと引き戻された。
「お館様。お嬢さんも明日、午後らしいんですが、王妃殿下からラハデ公爵邸に招かれていると……」
「何?」
私が招かれた時点で、レイナがエヴェリーナ妃あるいはラハデ公爵と繋ぎをとったのだろうとは分かっていたが、まさか同日の内に招待を受けているとは思わなかった。
しかも時間をずらしているところに、招待者側の良からぬ思惑が感じ取れる。
「と言ってもこちらは招待された側、時間を同じくして貰えないかと言える立場にはない。無駄に時間稼ぎをして午後まで居座ると言うのも論外だしな。書物の受け渡しが容易になったと思うより他なさそうだな」
「……分かりました。では書物の受け渡しに関してのみ、ゲルトナーと打ち合わせをします」
「ああ、そうしてくれ」
いっそ、ラハデ公爵邸からの帰りに誘拐された事にでもして、二人で姿を消してやりたいくらいだが、今のままでは聖女マナの引き取り先も、私のオーグレーン家の相続権放棄も、何もかもが中途半端で、王宮側が〝転移扉〟を自主的に稼働させない限りは、アンジェスに戻りようがない。
明日、エヴェリーナ妃の出方次第で、少しでも光明が見えると良いのだが。
* * *
「ようこそ、イデオン宰相様。先日はゆっくりとお話しさせて頂く時間もありませんでしたし、この日を楽しみにしておりましたわ」
さすが大国ギーレンで正妃を輩出する公爵家。
イデオン公爵家の敷地よりも一回り広く、大きく、案内されたガゼボ自体も、4人で円卓を囲んでも尚、余裕があるように感じられた。
「本日のお招き感謝する、エヴェリーナ妃。使用人の教育も行き届いているし、この庭も良く手入れされている。とても居心地の良い空間だ。我が邸宅でも取り入れさせたいと思う箇所がそこかしこだ」
正確には、主催はエヴェリーナ妃だが、邸宅の主は、現在はラハデ公爵だ。
だがここは彼女の実家には違いないので、私は当たり障りなく、邸宅そのものを誉めそやしておいた。
「そう仰って頂けると、ここで働く者たちも一層のやりがいを感じるのではないかしら」
ほほ…と軽く微笑うエヴェリーナ妃の会話も、完全に社交慣れした者のそれだ。
どうぞおかけになって?と言われた私も、遠慮なく彼女の向かいに腰を下ろした。
「そうそう。後でちゃんと、コニー様とお二人での時間はお取りしますから、先に私からの話をさせて頂いてもよろしくて?」
「!それ…は……」
「あら。お二人とも、今更血の繋がりを否定される事もなさいませんでしょう?さすがに王宮では出来ない話だと思って、今日はコニー様もお呼びしましたのよ?泣いて互いの無事を確かめ合われるも良し、互いに罵り合われるも良しですわ。私には私の用があってお招きしておりますから、その辺りはあまりお気になさらないで」
私とコニー第二夫人の髪と瞳を見比べながら、嫣然と微笑うエヴェリーナ妃の方が、役者は上だ。
動揺して声を震わせているコニー第二夫人をチラと見やりつつ、私は溜息を吐き出した。
最期、心を壊していたと言う実母の事を思えば、この女性ももしかすると、心身ともにあまり強くはないのかも知れない。
いずれにせよ、エヴェリーナ妃との話を済ませてしまわない事には、何も始まらない。
「お気遣い有難く承ります、エヴェリーナ妃。それで、ご用とは――」
視線をコニー第二夫人から戻した私を横目に、エヴェリーナ妃は隣に座る実弟・ラハデ公爵に視線を投げた。
単純な茶会であれば、男性が混ざる事はほぼないと言って良いのだから、むしろこれは親しい者の集まり――サロン形式と言った方が正しい気はするが、普段そんな集まりの主催も参加もしない私が、どうこう言えた義理でもないので、とりあえず黙って成り行きを窺う。
エヴェリーナ妃の視線を受けたラハデ公爵が片手を上げると、ガゼボからやや離れて控えていた執事らしき男性が、恭しく何かを彼に差し出していた。
受け取った彼は、そのままそれをテーブルの上に置くと、私の方へと押しやってきた。
「イデオン宰相様は、それをご存知かしら?…ああ、どうぞお手に取ってご覧になって?」
意味ありげに微笑むエヴェリーナ妃の姿に、嫌な予感を覚える。
――紙面。
無料の紙面配布を行って、王家を追い込む「噂」を広める。
つい最近、そんな報告を聞かされた気がするのだが。
「……っ」
私は恐る恐る紙面を手に取り、8頁の中にまとめられた内容をざっと斜め読みしたところで――思わずテーブルに突っ伏してしまいそうになった。
「レイナ……っ」
この時点まで、私は「噂」の詳細を知らなかったのだ。
いや、確かに以前チラリと「王命で意に沿わない婚約を強要されたオーグレーン家の継承者は、元いたアンジェス国で保護していた少女と、手に手をとって駆け落ちした――なんて醜聞を、ギーレン国内にわざと流して帰ろう」的な事は言っていた。
言っていたがしかし、誰がこんな、劇場の演目さながらに脚色された物語になると思うんだ!
「それを持って来たのは、現在ベクレル伯爵家に滞在していると言う、ユングベリ商会とやらの次期会長だったんだが」
私の呟きを耳にしたラハデ公爵の目が、半目になっている。
「……どうやら貴方とも深い関わりがあるようだ」
「否定は無意味と言うのは理解しているが、公に認めるつもりはない。一文字違えば、それはもう別物だ。オーグレーン家の血筋は絶えた――この公的見解は、今更覆らないし、覆すつもりもない。これは単なる庶民の娯楽だ。そうは思わないか、ラハデ公爵?」
「いや、しかし――」
「公爵」
苦い表情のラハデ公爵に、私はせいぜい意味ありげに微笑っておいた。
「この場合『駆け落ちの予定はあるのか?』と聞いて貰わない事には、私としては答えようがない。この紙面はあくまで小説の新刊の宣伝――娯楽だ。娯楽の延長でなら、お答えを差し上げる事は出来る」
「あら、じゃあちなみに、お答えを聞かせて貰う事は出来るのかしら?」
答えに窮したラハデ公爵の代わりに、いかにも興味深いと言った表情のエヴェリーナ妃が、会話に加わる。
「――お察し願いたい」
敢えてどうとでも取れる言い方で、私は微笑っておいた。
今、城内にいる旧オーグレーン城時代に勤めていた使用人の中に、箱と文書を持ち主から預けられて、今までずっと手元に置いていた側仕えの男性なり女性なりがいる筈――。
ゲルトナーからナシオに伝えられたレイナの伝言は、確かに私の意表を突いた。
その「誰か」が、今回の私の訪問と滞在中の世話を申し付けられた時に、初めて箱と文書の存在を王家に明かしたのかも知れない。その「誰か」の思惑と、王家の思惑とがそもそも乖離している可能性すらあるから、まずは『悪意と自覚のない内通者』を探した方が良い――と、更に彼女は言付けてきた。
冷静になって考えれば、その通りだとは思う。
だが書物を一読して怒りに震えていた私には、咄嗟に浮かんで来なかった可能性だった。
「聞いたな、フィト?とりあえず空箱だけ元に戻せ。あとは交代で、その箱の様子を見に来る者を見張っておくしかないだろうが、頼めるか」
「もちろんです。確かに承りました、お館様」
部屋の片隅で打ち合わせを始めた、ナシオ以外の護衛たちを横目に、私は知らず己の拳を握りしめていた。
まるで私の怒りを宥めようとするかのように、新たな可能性を彼女は差し出してきた。
彼女は決して、意味のない追従をしない。
聞けば必ず自分の中で一度考えた言葉を返してくる。
恐らく今回は、彼女の言った言葉が正しい。
そう遠くない内に「内通者」は見つかるだろう。
――この書物の処分は、レイナに委ねよう。
自分が今、オーグレーン家の問題、過去からの感情に振り回されているからこそ、私自身はこの書物を手放すべきだと、この時決めた。
燃やそうが、王家との交渉に使おうが、彼女ならきっと使いどころを間違えない。
ただ…この最後の、下衆としか言いようがない1ページを読んだ時に、彼女はこの男の血が私の中にも流れている事に、嫌悪感を抱いたりはしないだろうか。
彼女はそんな女性ではない筈だと、これまでの言動から思いはすれど、拭いきれない不安もある。
冷徹、鉄壁などと言われた男が、いい笑いものだ。
「……え、明日?」
その時、恐らくはゲルトナーから伝えられた言葉にナシオ自身が驚いたようで、私の意識も必然的にそちらへと引き戻された。
「お館様。お嬢さんも明日、午後らしいんですが、王妃殿下からラハデ公爵邸に招かれていると……」
「何?」
私が招かれた時点で、レイナがエヴェリーナ妃あるいはラハデ公爵と繋ぎをとったのだろうとは分かっていたが、まさか同日の内に招待を受けているとは思わなかった。
しかも時間をずらしているところに、招待者側の良からぬ思惑が感じ取れる。
「と言ってもこちらは招待された側、時間を同じくして貰えないかと言える立場にはない。無駄に時間稼ぎをして午後まで居座ると言うのも論外だしな。書物の受け渡しが容易になったと思うより他なさそうだな」
「……分かりました。では書物の受け渡しに関してのみ、ゲルトナーと打ち合わせをします」
「ああ、そうしてくれ」
いっそ、ラハデ公爵邸からの帰りに誘拐された事にでもして、二人で姿を消してやりたいくらいだが、今のままでは聖女マナの引き取り先も、私のオーグレーン家の相続権放棄も、何もかもが中途半端で、王宮側が〝転移扉〟を自主的に稼働させない限りは、アンジェスに戻りようがない。
明日、エヴェリーナ妃の出方次第で、少しでも光明が見えると良いのだが。
* * *
「ようこそ、イデオン宰相様。先日はゆっくりとお話しさせて頂く時間もありませんでしたし、この日を楽しみにしておりましたわ」
さすが大国ギーレンで正妃を輩出する公爵家。
イデオン公爵家の敷地よりも一回り広く、大きく、案内されたガゼボ自体も、4人で円卓を囲んでも尚、余裕があるように感じられた。
「本日のお招き感謝する、エヴェリーナ妃。使用人の教育も行き届いているし、この庭も良く手入れされている。とても居心地の良い空間だ。我が邸宅でも取り入れさせたいと思う箇所がそこかしこだ」
正確には、主催はエヴェリーナ妃だが、邸宅の主は、現在はラハデ公爵だ。
だがここは彼女の実家には違いないので、私は当たり障りなく、邸宅そのものを誉めそやしておいた。
「そう仰って頂けると、ここで働く者たちも一層のやりがいを感じるのではないかしら」
ほほ…と軽く微笑うエヴェリーナ妃の会話も、完全に社交慣れした者のそれだ。
どうぞおかけになって?と言われた私も、遠慮なく彼女の向かいに腰を下ろした。
「そうそう。後でちゃんと、コニー様とお二人での時間はお取りしますから、先に私からの話をさせて頂いてもよろしくて?」
「!それ…は……」
「あら。お二人とも、今更血の繋がりを否定される事もなさいませんでしょう?さすがに王宮では出来ない話だと思って、今日はコニー様もお呼びしましたのよ?泣いて互いの無事を確かめ合われるも良し、互いに罵り合われるも良しですわ。私には私の用があってお招きしておりますから、その辺りはあまりお気になさらないで」
私とコニー第二夫人の髪と瞳を見比べながら、嫣然と微笑うエヴェリーナ妃の方が、役者は上だ。
動揺して声を震わせているコニー第二夫人をチラと見やりつつ、私は溜息を吐き出した。
最期、心を壊していたと言う実母の事を思えば、この女性ももしかすると、心身ともにあまり強くはないのかも知れない。
いずれにせよ、エヴェリーナ妃との話を済ませてしまわない事には、何も始まらない。
「お気遣い有難く承ります、エヴェリーナ妃。それで、ご用とは――」
視線をコニー第二夫人から戻した私を横目に、エヴェリーナ妃は隣に座る実弟・ラハデ公爵に視線を投げた。
単純な茶会であれば、男性が混ざる事はほぼないと言って良いのだから、むしろこれは親しい者の集まり――サロン形式と言った方が正しい気はするが、普段そんな集まりの主催も参加もしない私が、どうこう言えた義理でもないので、とりあえず黙って成り行きを窺う。
エヴェリーナ妃の視線を受けたラハデ公爵が片手を上げると、ガゼボからやや離れて控えていた執事らしき男性が、恭しく何かを彼に差し出していた。
受け取った彼は、そのままそれをテーブルの上に置くと、私の方へと押しやってきた。
「イデオン宰相様は、それをご存知かしら?…ああ、どうぞお手に取ってご覧になって?」
意味ありげに微笑むエヴェリーナ妃の姿に、嫌な予感を覚える。
――紙面。
無料の紙面配布を行って、王家を追い込む「噂」を広める。
つい最近、そんな報告を聞かされた気がするのだが。
「……っ」
私は恐る恐る紙面を手に取り、8頁の中にまとめられた内容をざっと斜め読みしたところで――思わずテーブルに突っ伏してしまいそうになった。
「レイナ……っ」
この時点まで、私は「噂」の詳細を知らなかったのだ。
いや、確かに以前チラリと「王命で意に沿わない婚約を強要されたオーグレーン家の継承者は、元いたアンジェス国で保護していた少女と、手に手をとって駆け落ちした――なんて醜聞を、ギーレン国内にわざと流して帰ろう」的な事は言っていた。
言っていたがしかし、誰がこんな、劇場の演目さながらに脚色された物語になると思うんだ!
「それを持って来たのは、現在ベクレル伯爵家に滞在していると言う、ユングベリ商会とやらの次期会長だったんだが」
私の呟きを耳にしたラハデ公爵の目が、半目になっている。
「……どうやら貴方とも深い関わりがあるようだ」
「否定は無意味と言うのは理解しているが、公に認めるつもりはない。一文字違えば、それはもう別物だ。オーグレーン家の血筋は絶えた――この公的見解は、今更覆らないし、覆すつもりもない。これは単なる庶民の娯楽だ。そうは思わないか、ラハデ公爵?」
「いや、しかし――」
「公爵」
苦い表情のラハデ公爵に、私はせいぜい意味ありげに微笑っておいた。
「この場合『駆け落ちの予定はあるのか?』と聞いて貰わない事には、私としては答えようがない。この紙面はあくまで小説の新刊の宣伝――娯楽だ。娯楽の延長でなら、お答えを差し上げる事は出来る」
「あら、じゃあちなみに、お答えを聞かせて貰う事は出来るのかしら?」
答えに窮したラハデ公爵の代わりに、いかにも興味深いと言った表情のエヴェリーナ妃が、会話に加わる。
「――お察し願いたい」
敢えてどうとでも取れる言い方で、私は微笑っておいた。
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