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第7章 生者と死者を巡る受難と解放の物語

64: 生き埋め無理心中「愛の連鎖」

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 蘭府警部補が、門戸の内懐へ、どのようにして潜り込んだのかは判らない。
 しかし彼は、門戸から相当な信頼を勝ち取ったようだ。
 もしかすると指尻女史がサジェストしたように、蘭府警部補は門戸に対してネクロフィリアの導師としての立場を獲得したのだろうか。
 いずれにしても門戸は、己の内面が容易に相手に知れてしまう危険性のある映像作品用シナリオを、蘭府警部補に読ませているのだ。
 そしてその蘭府警部補は、この2作目のシナリオを読んで、「これだ」と直感したという。
 シナリオのタイトルは「生き埋め無理心中『愛の連鎖』」。
 『生き埋め無理心中』までは、いかにも門戸の発想といった感じだが、後半の『愛の連鎖』は門戸らしいとは思えなかった。
 門戸ほど、人間の情愛を現す『愛』という言葉が似合わない男はいないからだ。
 だが逆に、その言葉を使ったこのシナリオの内容が、蘭府警部補の心に引っかかったのだろう。

 このシナリオのコピーを、蘭府警部補は我々6係に流してくれていた。
 丑虎巡査部長は、これを一目読むなり、「未来からやって来た自分が、過去の自分の手助けをするというSF風セックスファンタジーに仕立ててはありますが、この基になる話は、絶対、実話ですね。ただ、今の所、門戸が被害者だったのか、加害者だったのかは判りませんが、、。調べてみる価値は充分あるだろうと思います。きっと何か門戸に関して、それなりの隠された過去の事実が出てきますよ。もしかしてそれが門戸攻略の突破口になるかも知れません。」と言った。
 プロファィリングを専門とする丑虎巡査部長が、ただシナリオを一読しただけで、これは実話だと言い切った事には驚いたが、あの蘭府警部補も、何かがあると判断したのだから、このシナリオはダブルで「刑事のカン」に突き当たった物件という事になる。
 実は、かく言う私も、このシナリオに登場する「恵子さん」は、実在の人物、いや何かの事件の被害者だろうと考えていた。


 恵子さんが僕の目の前で縛られ、芋虫のように転がされていた。
 僕の同級生達は、恵子さんの事を、ケイとかケイちゃんと呼ぶが、僕は恵子さんをそんな風に呼べない。
 それが、たとえ心の中であってもだ。
 だって、恵子さんは、僕にとって、とても大事な「美しい」人だからだ。 
 でも、今日の恵子さんは、ちょっと違った。
 それは恵子さんの口に銜えさせたれた、赤くて大きな堅いゴムボールの様なもののせいだ。
 その赤いボールは、両端にしっかりした幅広の革のベルトが取り付けてあり、恵子さんの綺麗な顔をきつく横断している。
 その為に、恵子さんの顔が、歪んで見えるのだ。
 それでも恵子さんは、綺麗だった。

 いや僕は、そんな恵子さんに、いつもとは違った美しさを感じていたぐらいだ。
 僕は、その赤いボールの事を知っていた。
 それは大人達が読む雑誌などで時々出てくる「イヤらしい」事をする時の道具だって事を、、。
 確かそいつは、大人の玩具で「ボールギャグ」とか言ったはずだ。
 でも目の前の恵子さんの顔に巻き付いている「ギャグ」は、凄い迫力だった。
 まるで「恵子さんの顔を、むしり取って」いるように見えるんだから。

 恵子さんは、薄暗いプレハブ小屋の中で半身を起こし、ヌラヌラと光った目で僕の方を見た。
 声は出そうとしない。
 声を出すことは、今まで既に何度も試してみて、今はもうすっかり諦めているのだろう。
 それでも、不自然に押し広げられた唇と、赤いゴムボールの接点辺りは、唾液で濡れていた。
 僕は自分の指で、それをすくい取って舐めたらどんな味がするだろうと一瞬考えて、それから直ぐに、その不埒な考えをぬぐい去った。
 何と言っても恵子さんは、僕にとって(大切な人)なんだから、その人を汚すような事は、たとえ想像の中ででも、やってはいけないことなんだ。
 それよりも今、僕がやらなければいけないことは、僕たちが置かれている状況をちゃんと理解することだった。

 恵子さんの目の異様な輝きは、恵子さんが何かに取り憑かれているか、熱によってボーっとなった意識の状態から来るものだと思った。
 僕は、自分が高熱で寝込んだ時の事を思い出しながらそう推理した。
 でも、恵子さんは病気なんかじゃない。
 だって、病気の恵子さんを、こんな人気のない汚れ放題のプレハブ小屋の中に縛り上げ投げ込んでおく人間が居るものか、、。
 もしそうだとしたら、そんな事をやった奴は、とんでもない人間だ。
 第一、病気ぐらいなら、いくらぼんやりした頭でも、僕の事がわかる筈だった。
 そりゃ、確かに僕は、クラスの中でも目立たない人間だけど、もう、同じクラスになって半年はたっているし、恵子さんとは偶然となりの席になった事もあるし、恵子さんの方から喋りかけてくれた事もあるぐらいなんだ。

 それなのに半身を、芸をするオットセイのように持ち上げた恵子さんは、ただただ驚いて怯えているばかりで、僕に反応しようとしない。
 それに、恵子さんのヌラヌラした目の光は、一体何なんだろう?
 そうか!きっと麻酔か麻薬みたいなものを打たれているんだ!
 僕は何故か、そう理解した。
(自慢じゃないが、僕はたくさんの小説を読んでいる。こういった状態についての知識では、僕のような年頃では、僕は物知りの部類に入る筈だ。)
 勿論、僕が本物の麻酔や麻薬の事を詳しく知っている訳ではない。
 ただ恵子さんの状況を説明するには、そんな風にしか考えられないという事だった。

「どうだ気に入ったか?この三日間、俺がやりたかった事は全てやったが、今日が最後の仕上げというわけさ。心配するな、お前の為に、最後まではやっちゃいない。なんせ、(恵子さん)だからな。」
 僕の背後からいきなり声が、ふり降りて来た。
 何故、今までそいつがいる事に、気付かなかったんだろう。
 その男は、プレハブ小屋の片隅に置かれたスチール製の事務机の上に、仁王立ちになって突っ立っていた。
 一瞬、黒人なのかと思った。
 黒人の男が全裸で立っているように見えたのだ。
 しかしそれは違った、全身が奇妙な黒光りをしている。

 ゴムだ。
 男は黒い身体にぴったりしたゴムの膜を身に付けているのだ。
 それは男の顔まで覆っている。
「変わった服だね。それは未来の服なの?」
「未来だって?この前、教えてやっただろうが。コイツは俺の趣味だよ。お前なら判るだろうが?」
 男は股間の勃起した部分を自分の手で撫であげた。
 僕は不思議な事に、そのピカピカとした棒状の隆起の表面を舐めてみたいと少しだけ思った。
 とにかくゴムがあまりにフィットしている為に、本当に「黒い」裸姿のように見える。

「時間がもうあまりない。協力してくれるな?」
 ゴム男はそういって事務机から飛び降りて、こちらに近づいて来た。
 僕の背後にいる恵子さんの身体に、より激しいおびえが走った気配を感じた。
 だが意外な事に、僕には恐怖も恵子さんを守ろうという感覚も沸き上がって来なかった。
 勿論、男が言ったように、協力しようなども絶対に思わなかったが、、。
 とにかく僕は、木偶人形のように成り行きを見守るだけの存在だった。
 思考力や判断力が奇妙に痺れてしまっている。
 もしかすると、僕も恵子さんと同じで、何かそういった精神に働きかけてくる薬を飲まされているのかも知れない。
 そういえば、僕がどうしてこの場所にいるのか、それがどうしても思い出せないのだ。

 ゴム男は、ただ突っ立ているだけの僕の側を通り抜けると、恵子さんの側にしゃがみこんで、彼女の両脚を縛っているロープを解き始めた。
 恵子さんは、いやいやを表すように身体のくねらしをしたが、激しく抵抗しているようには見えなかった。
 普段の勝ち気な恵子さんからは、想像もつかない反応だった。
 いやそれとも、薬を打たれた状況の中では、あんな仕草でも精一杯の反抗なのかも知れない。
 第一、僕自身が誰に戒められているわけでもないのに、身動き一つ出来ないのだから。
 そんな僕に比べれば、恵子さんは、薬の影響下でも、もの凄い精神力を発揮しているのかも知れない。

 ゴム男は恵子さんの側に転がしてあった大きなボストンバックから、大型犬を繋ぐような首輪とチェーンを取り出してきて、それを恵子さんの首に巻き付け始めた。
 ゴム男の、つやつや光る背中に何処か見覚えがあった。
 背中の縦一本中央に、ファスナーのようなラインが見える。
 たぶん、あのゴムの服を、着たり脱いだりするのは、そのファスナーを使うんだろうな。と、僕はあまりにも場違いな事を、ぼんやり考えていた。


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