押しかけ皇女に絆されて

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置き土産を抱きしめて

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 2年生になった慧は、相変わらずの大学生活を過ごしていた。
 服の下に何かしらを仕込んではこっそり(なのは本人だけだが)悦に入り、夜はアイナに散々弄ばれ、週末の夜は紅葉と屋外で散歩を楽しむ。

「ここに来ることを許してくれるなんて、姫里の恋人は随分寛容なんだな。むしろNTR趣味なのか?」と紅葉にとんでもない爆弾を投げ込まれる事はあったけれど、それも含めて概ねエロくて平和な生活だった、と思う。

 それでも、互いにいつかやってくる別れの日を意識しないことは無くて。
 一日を終えベッドに入れば「今日も一緒にいられた」と信じてもいない神に感謝するくらいには、慧もアイナも共に過ごす時間を何よりも大切に思っていた。

『まぁ1年くらいと言っておったし、あやつらの事だから多少時期がずれる可能性はあるじゃろうがな』
「ほんと、もうちょっとまともな宮廷魔法師を雇う気は無いのかよ……どのくらいずれる可能性があるんだ?」
『うっかりはフリデールの国民性……と言うよりクロリクの種族特性じゃから仕方が無いのう!そうじゃな、まぁ精々10年ぽっちでは』
「それ全然ぽっちじゃねぇ」

 ……こんな調子で、実際4月が過ぎても、5月が過ぎてもやってこない迎えとやらに「これは本当に年単位でずれるのかも知れない」なんて慧が淡い期待を抱きだした頃。

「その日」は、突然に、そして実にあっけなく訪れる。


 …………


「ひっ、アイナっ、出る出る出ちゃううぅ!」
「んー?まだじゃよ?」
「うあぁぁぁっ!!出したいっ!しゃせーしたいいぃぃ……!」

 相変わらず貞操具による射精管理は続いていた。
 というより、もはやこれが日常と化してしまって、今やこの金属の蓋を装着していないと股間が軽くて寂しくなるほどである。
 春休み前に前だけで達せられなくなった事実を突きつけられたとは言え、肉体的には健全な男のままなのだ。どうやったって溜まるものは溜まるし、後ろの快感には到底及ばないと分かっていたって射精欲は消え去らない。

 アイナもそれは熟知しているようで、気ままに慧の竿を取りだしては意味も無く寸止めで追い込み限界まで啼かせ、月に1度は虚しさだけが残る漏精を施し、消えない渇望は当然ではあるがすっかり女の子になってしまった乳首や後ろの穴で満たすことしか許さなかった。

 そして今日。梅雨明けが待ち遠しい、今にも泣き出しそうな空模様の日。
 幻影を作ったアイナは「3ヶ月頑張ったし、ご褒美じゃな」と久々にまともな射精を許してくれたのだ。
 ……もちろん後ろの穴を弄られながら、更に限界まで寸止めされた後のご褒美なのは前提であるが。

 身体が揺れる度、ガチャガチャと金属のぶつかる音がする。
「妾の支配で動けぬとはいえ、こういうものを使うのも気分が出るそうじゃから」とまたまたカードをこっそり使って購入した手枷と足枷、腿枷で、慧は後ろ手かつM字開脚の状態で固定されている。
 確かにこの金属音は、拘束されている気分を盛り上げるようだ。紅葉が夜のお散歩で拘束具や鎖を堪能していたのも分かる気がする。

「目や口を塞ぐのも良いらしいのう。次の時は試してみるかの?」
「はぁっ、はぁっ、やだっ……アイナがっ、見えなくなるのも……アイナを呼べなくなるのも、やだぁ……」
「……そうか、そうじゃな。こうやって妾を堪能しながら啼くのがお主は嬉しいのじゃった」
「あいぁ……んむ……」

 アイナの綺麗な指が舌を摘まみ、そのまま口の中を蹂躙する。
 さっきまで慧の役立たずな欲望を扱いていた指に舌を、上顎を擦られ、とぷりと粘った涎が口から溢れ出る。

 自分の我慢汁の味なんて吐き気がするけど、それもアイナが舐めろというなら……やぶさかでは無い。
 必死に舌を動かし、ちゅぅっと吸い付いて触手服に包まれた指を舐めていれば、キラリと何かが光った気がした。

(あ……指輪だ……)

 口内を蹂躙する左手の薬指にあるのは、あの日アイナに送ったガーネットの指輪だ。
『どうにも窮屈な感じがするのう」と言いつつも、アイナは幻影を呼ぶ度この指輪を付けて慧を弄ぶことを好んでいた。
 ……きっとその方が、慧が喜んで反応も良くなるからに違いない。

 案の定、どろりと目を蕩けさせた慧に満足そうに頷きながら、アイナは指を引き抜く。
 そして、慧の涎でぐっしょり濡れた左手をガチガチにいきり立った欲望に、そしてさっきまでちゅこちゅことを慧を扱いていた右手にはたっぷりとローションを絡ませ、すっかり縦に割れてほんのり口を開け、物欲しそうにヒクヒクと蠢く入口にあてがった。
 それだけでもう、慧の頭は次に来る快楽を……そして射精とメスイキ、同時に与えられる絶頂を期待して、早く欲しいと先端を後ろのはしたない口でついばんでしまう。

「……愛い子じゃ。うむ、よう頑張ったしのう、そろそろイキ狂う事にしようぞ」
「あはぁ……あいなしゃまぁ……」
「まったく、相変わらず脳みそが快楽に冒されると様付けになってしまうのう」

 そんなところも愛らしいのじゃ、と緩んだ顔でひとりごちつつ両方の手を動かそうとした、その瞬間。



『アイナ様!!お迎えに上がりましたぞ!!』



 突然、見知らぬ男性の大声が頭に鳴り響いた。


 …………


(え…………!?)

 突然の声に、慧の頭は静止する。
 アイナもまた動きを止めて、目を丸くしている。

(今のは、一体……)

 まとまらない思考を必死で働かせようとするところに、再度『アイナ様あぁぁ!』と男の声が響く。

『アイナ様、ご無事ですか?私です、宮廷魔法師長のアルペルッティです!』
「聞こえておる。妾は元気じゃ、安心せい」
『はぁぁぁ……良かったですうぅぅ!いやぁちょーっとばかし時間軸がずれてしまいまして……おや?幻影を出されて……器が男……?しかもまた随分可愛らしい男の娘……』
「へっ」

 凜とした声でアイナの様子を確認する魔法師長は、確かに優秀なのだろう。
 アイナの亡命先の器が男の娘であるとすぐに看過し……途端に『なんとまた愛らしい……!』と声のトーンを一段あげた。

 幸いにも、ああこれ絶対向こうでデレデレの顔してやがるなおっさん、と独りごちる慧の思考までは読まれていないようだ。

『まさかアイナ様、そちらでは男の娘として過ごされたので?いやぁ素晴らしい出来ですなぁ、私も是非壁になって眺めたい』
「いや、器に先客がおってじゃの。身体に同居させて貰う代わりに、妾が男の娘に仕立ててやったのじゃ」
『何と!先客というのが気になりますが、その辺はこちらに戻られてからおいおい……はぁぁ、しかしその頬を染めたトロ顔といい、綺麗に作られた縦割れアナルといい……ああもう、今すぐそっちに行ってその娘がアイナ様と睦み合う空気を吸いたいですぅ』
「流石に禁忌を犯すのは感心せんのう」

 …………なるほど、サイファとは変態の世界で、フリデール皇国とは男の娘が性癖の国だというのをたった数分で証明しおった、この変態宮廷魔法師長め。

 一方アイナはと言うと、慧を……自分だけの男の娘を絶賛されたのが相当嬉しかったのだろう。魔法師長を諫めつつも、相好が崩れっぱなしである。
 とはいえ流石は皇族である。すっと真剣な顔に戻ると「して、こちらの様子は見えておるのであろう?」と魔法師長に尋ねた。

「今はお楽しみ中での。これが終わるまで待ってはくれぬか」
『そうしたいのは山々ですし何なら最後まで見物させていただきたいのですが』
「おいおっさん、欲望がダダ漏れすぎるだろ」
『ですがアイナ様、異世界への穴はすぐに閉じてしまいます故!』
「ぬぅ、ならばまた開けば良いではないか」

 その位は融通を利かせぬか、と窘めるアイナに、暫く沈黙した魔法師長は『そっ……その……」と非常に言いにくそうに口を開く。

『……実は、半年ほど前からお迎えに上がろうとしていたのですが、どうにも失敗続きで』
「「はい!?」」
『よ、439回目にしてようやくアイナ様にお目にかかれたのです!この機会を逃せば次に繋がるのはいつになることやら』
「ちょ、アイナ!お前宮廷魔法師は有能だって言ってなかったか!!?」
「異世界と繋ぐのじゃぞ、それだけ難しい技術と言う事じゃ!……そういうことにしてやってくれ」
「絶対違うだろそれ!!お前らのうっかりの基準はおかしすぎるわ!!」

 うっかりもそこまで繰り返せばへっぽこだろう!と全力で突っ込むが、残念ながらへっぽこ魔法師長には届かないらしい。何とも悔しい。

 しかし事情が事情だけに、アイナも強くは言えないのだろう。「ちと待て」とへっぽこに声をかけた後、慧の方を向いた。

「アイナ……」

 ……分かっている。
 分かっていても、その言葉は聞きたくないし、そんな寂しそうな顔も見たくない。

「すまぬ。妾はもう帰らねばならぬ」
「……っ」
「1年にわたり、世話になったの。……妾の望みまで叶えてもろうて、本当に何とお主には礼を言えば」
「…………礼なんて、いらない」
「慧……」

 ぱたり、と大粒の涙が頬からこぼれ落ちる。
 さっきまで流していたのは歓喜と悦楽の涙だったというのに、今は……ああ、なんてしょっぱい涙なんだ。

 彼女を困らせたいわけじゃ無い。
 ここでだだをこねたところで、アイナが元の世界に帰ることはきっと止められない。

(でも、だめだ……そんな、もう逢えないだなんて……嫌だっ……!!)

 ごめん、アイナ。
 困らせたくないけど、俺は……私はヘタレでチョロい姫ちゃんな男の娘だから、笑ってさよならなんて大人な対応は出来ない。
 大体この心の中は最初から最後まで筒抜けなんだ、表面だけ取り繕うなんてどうやっても不可能なのだから。

 案の定、アイナは流れ込んできた慧の想いに泣き出しそうな顔をする。

「慧」
「……礼なんて、いらない。だから……また逢いにこい」
「…………」
「このままさよならなんて、嫌だ……もう逢えないなんて、私はっ……!!」

 それ以上の想いは言葉にならず、涙と慟哭となって零れ落ちるのみ。
 そんな慧を見つめていたアイナは……震える声で慧に語りかけた。

「……また逢いたいと、思うてくれるなら」
「当たり前、だろっ……!」
「そうか……そうか、愛い子よ……ならば慧よ、約束しよう。お主が逢いたいと思うならば、妾はいつか必ず」
『うああぁぁアイナ様、もう穴が閉じてしまいますうぅぅ!強制的にこっちに戻しますのでご準備をぉぉ!!』
「ちょ、今良いところなのじゃから少しくらい待たんか、うあぁっ!?いかんもう……ああもう、慧!とにかく何か考えておくから待っておるのじゃあぁぁぁ…………」
「ええええ!待ってくれよ、何この唐突な展開!!?」

 きっとアイナは、ちゃんと言葉で約束をしてくれようとしたのだ。
 自分がアイナにまた逢いたいと願う限り、いつか必ずその願いを叶えると。

「…………何だよ……この中途半端な気持ち、どうすりゃいいんだよおぉぉ!!」

 なのに話の途中でアイナの幻影が光り始め、急速に光の粒となって……
 叫び声と共に、一瞬にして光の粒は散らばって、そのまま宙に溶けて消えてしまって。
 流石の慧もこれには全力で恨み言を叫ぶしかなかったのだった。

 ……けれど、自分達の別れはこれで良かったのかも知れない。
 このくらいツッコミ満載なあっけない終わり方の方がある意味後を引かなくていい、と言うことにしておこう。じゃないともう、頭がどうにかなってしまいそうだ。

「……はぁ、何か……一気に疲れた……」

 暫く呆然と佇んでいた慧の口から、ようやく脱力した声が漏れる。
 そこに感情はこもっていない。

 突然の別れは、感傷も涙も見事に掻っ攫っていった。
 きっとこれから先、寂しさも悲しさもたくさん襲ってくるのは分かっているけれど、今は少しだけ悲しさをアイナが持って行ってくれたことに感謝して(でもあの魔法師長は許さない)とにかくゆっくり休んだ方が良い。
 ……やけに冷静になってしまった頭で慧はそう判断し、まずは身体を流そうとして……とんでもない事に気付いた。

「ちょっと待てよ……こんな、嘘、だろ……?」

 背中を伝う冷や汗が、手首に落ちる。
 そう、手首だ。アイナが手に入れた革の拘束具で後ろ手に戒められているが故に、前に持って来れない手首。

 足は大きく開かれ、足首と太ももの枷を繋がれ、ビーズクッションに埋もれたまま。
 こんなことがあったというのに、溜まった熱を中途半端に放置された息子さんは痛いほどに天を向いて涙を零し続け。

「……おい、なぁアイナ……これ」

 そして、手枷と足枷の鍵は……ベッドの向こうにあるPC用のテーブルの上、キーボードの横に無造作に置かれている。
 ……そう、今の慧にとっては絶望的なほど遠くに。


「嘘だろアイナ、お前せめて拘束くらい解いてから帰りやがれぇぇぇ!!」


 現実を把握し真っ青になった慧の叫び声は、ただ虚しく一人きりの部屋に響くだけだった。


 …………


 それから2時間後。
 ガチャガチャと、鍵を開ける音が深夜のアパートに響く。

「っ、開いた!」
「ひめにゃん、じゃない姫里、大丈夫か!?一体何があった……って……?」
「どうした伊佐木。姫里に何……か…………」

 真夜中に着信があったと思ったら「峰島先輩、助けてください!」と推しからのSOSで。
 聞いたことも無い切羽詰まった声に一瞬にして眠気を飛ばした峰島は、反射的に伊佐木と紅葉に連絡を取り、車をすっ飛ばして慧の棲むアパートへと駆けつけた。

 当然かかっていたドアの鍵は「こんなこともあろうかと思って……持ってきて良かった」と紅葉がお手製のピッキング用具で開けてしまった。
 彼女は時々不思議な方向に有能である。そう、理由なんて聞いてはいけない。
 ドアチェーンをかけて無くて幸いだったが、そもそも不動産屋に連絡した方が良かったんじゃと峰島が尋ねれば「……何となくだけど、呼ばない方がいい気がした」と素っ気ない返事を残して彼女は部屋に入っていく。

 首をかしげながらも紅葉に続いて部屋に足を踏み入れた峰島は、すぐにその理由を理解した。

(ああ、なるほど。女の勘って凄い……なぁ……)

 目の前に広がる光景に、一気に峰島の頭に血が上る。
 それも仕方が無い、彼ら3人の前に広がっていたのは

「峰島先輩っ……て、待ってなんで伊佐木と、っうああぁぁぁ米重さんまでえぇぇぇ!!?」

 ベッドの上に置かれたビーズクッションに埋もれるように、全裸でM字開脚の状態に拘束され、全身をあらゆる体液でドロドロにし、股間の息子さんを臨戦態勢にしたまま真っ赤な顔で泣きながら叫ぶ推しの姿だったのだから。

 その瞳は明らかに先ほどまで快楽で啼いていたのだろう、どろりとした欲情を湛えたままで、双球の向こうに見えるのは、綺麗に縦に割れ縁がふっくら膨らみ咥えるものを求めて赤い粘膜をヒクつかせる入口で。

 …………峰島が覚えているのは、そこまでだ。

「はあ、そんなことだろうと思った……スマホは?ああ、頑張ってヘッドボードから落としたんだ。だめだぞ姫里、自爆対策ならもうちょっと手の届くところに置いておかないと、あとハサミも」
「うあぁ……見ないでぇぇ……こんなの女の子に見られたら死んじゃう……!」
「大丈夫だ、親に見られても死んでいない私がいる」
「うぐぅなんて説得力」

 ともかく鍵を外して服を、と紅葉は二人に指示するため後ろを振り向く。
 そして「……ああ、私がやらないとどうにもならないな」と困った顔で呟きながら、隣で「ひめにゃんの……ひめにゃんの陵辱シーンだなんて……!」と虚ろな声で呟きながら鼻血を出している伊佐木と、あまりにも衝撃的な推しの姿に股間を元気にしたまま意識を失った峰島にため息をついた。

「伊佐木、しっかりしろ。取り敢えずティッシュを鼻に詰めて大人しくしてて」
「ううぅ……ひめにゃんが……」
「峰島先輩……は、取り敢えず転がしておけば良いか。ほら姫里、枷は外した。動けるか?……大丈夫そうだな、なら取り敢えず風呂かな。部屋は私が掃除しておくから、とにかく暖まって」
「あ、ありがとう、米重さん……」

(次は掃除。しかしこれは……)

 拘束具を外した途端股間を隠してよたよたとバスルームに向かう慧を見送り、洗濯物から適当に下着とタオルを見繕って「姫里、ここにタオルと下着置いておくから」と扉の前に置いておく。

 そしてベッドに敷いてあった――お陰でビーズクッションもベッドも汚れてはいなさそうだ――バスタオル数枚を回収した紅葉は、難しい顔をしたまま未だ推しの痴態で夢の中に飛んでいってしまった峰島を叩き起こすのだった。


 …………


「ホント、ごめん……助かった、ありがとう」
「いや、俺は倒れてただけで何も出来なかったから……大体米重さんのお陰だよ」
「気にしなくて良い、私も経験があったから対処できただけだし」
「経験……ちょ、前々から気にはなっていたんだけど、米重さんってエロい経験多すぎね!?」
「伊佐木が純粋すぎるだけじゃないか?」
「ええと……流石にそれは違うと思うな……」

 慧がバスルームから出てくる頃には、部屋は片付き峰島と伊佐木も正気を取り戻していた。
「何も無いんだけど」とコップに麦茶を注ぎ、ポテチの袋を開けて折りたたみ机の周りに車座になる。
「一体何があったんだ」と尋ねかけた峰島を、しかし制したのは米重だった。

「……姫里、嘘はつかないで欲しい。」
「米重さん?」
「誰に、やられたんだ?」
「「!?」」

 どう言うことだ?と慌てふためく男子二人に「まぁ落ち着いて」と言いながらも厳しい表情のまま、紅葉は話し始める。
 セルフボンデージを趣味としている紅葉にとって、鍵の置き場や自爆対策は真っ先に気にする点だ。
 決して容易に手に入らない様に、けれども万が一の時はすぐに対応が出来るようにするのがセルフボンデージの嗜みらしい。
 そんな紅葉の目から見て、発見したときの慧の……正確には慧の拘束の状況はあまりにも不自然だったのだ。

「一言で言うなら、一人で出来ることじゃないんだ」
「一人で、できない……」
「恐らくこれは、姫里が恋人か誰かと拘束プレイを楽しんでいて、何らかの事情で拘束を解かないまま相手がいなくなったのだと思う」
「なっ、それやべーじゃん!」
「そんな……一つ間違えたら姫里は……」
「今回はたまたまスマホが近くにあったから、峰島先輩を呼べた。けど、そうじゃなければ……」

 最悪の自体もあったかも知れない、その言葉に全員がぞっとした顔をする。
 そしてその視線は慧へと集まるのだ。

「……姫里、教えてくれ。一体誰がこんなことをしたんだ?」
「まさか恋人?喧嘩でもしたとか?……脅されてたりとか、しないよな?」
「えっと、その」

(何か思った以上に深刻な話になっちゃったんだけど!どうすんだこれ!?)

 アイナの(というよりへっぽこ魔法師長の)せいで俺大ピンチなんだけどな!と叫ぶも、当然アイナの声は返ってこない。
 ……無意識に寂しそうな顔をしたのを気遣ったのだろう「姫里」と幾分柔らかい声をかけてきたのは紅葉だ。

「米重さん……」
「言いたくないなら、言わなくてもいい。でも本当に危険な状態だったんだ、姫里は」
「…………」
「今回は助かったけど、また同じ事があれば……なぁ、姫里。私達では力になれないか?」
「っ…………!」

(力に……でも、もう、何をしたってアイナは……)

 優しい言葉に、張り詰めていた糸がふっと緩む。
 気がつけば慧の瞳からは、また涙が溢れていた。

(……ああ、彼らなら……話しても信じて貰えるだろうか)

 入学してからの慧の奇行を知る彼らなら。
 そんな奇行すら否定しなかった友人と先輩なら。

 こんな荒唐無稽な、ラノベにするには設定が微妙すぎる1年あまりの出来事を、それをもたらした彼女のことを話してみても良いかもしれない。

「ひぐっ……ひぐっ……」
「姫里……」
「…………彼女は、アイナは……もう、いないんだ……っ……!」

 もう、いない。
 言葉にしてしまえば余計にその事実が心に染みて。

「信じられないかも、しれないけど……ひぐっ…………アイナのこと、聞いて欲しい」

 泣きじゃくりながら、時折言葉を詰まらせながら、慧はあの春の日の出会いから……愛しい皇女様と過ごした日々を彼らに語るのだった。


 …………


 どのくらいの時間が経ったのだろう。
 既に二袋目に突入したポテチも半分以上消費されている中、ようやくこれまでのことを語り終えた慧からはすすり泣く声だけが響いていた。

「……性癖で成り立つ国を持つ異世界…………」
「しかも異世界の皇女さまの転生先は姫里の身体で……宿代として姫里はこれまでずっとエロい事をやってきていたと……」

 やはり荒唐無稽な話に聞こえたのだろう、峰島と伊佐木は「まず理解が追いつかない」とその顔に戸惑いを浮かべていた。

「じゃあ、大学でエロい顔を晒したりしてたのも、その皇女様の命令」
「命令、じゃない……いやその、振り回されてたのは事実だけど…………俺も、楽しんでたから……」
「姫里、念のために聞くけど……嫌々やっていたわけじゃ無いんだな?」
「…………はい」

 それは私も保証するよ、と紅葉が口を挟む。
「詳しくは言えないけど、まぁ私も同志だし、自主的なのかやらされているのかくらいはわかるから」と付け加える彼女に、二人も「米重さんがそう言うなら」「というか米重さんの経験値が高すぎてついて行けない」とちょっと引きつつもその場は収まったようだ。
 まあ異世界なんて流石に驚いたよと紅葉はポテチを齧りつつ「でも、むしろ色々納得がいったかな」と慧に微笑んだ。

「……姫里、私はあんたの話を信じる」
「米重さん……」
「第一、姫里はこんな手の込んだ嘘をつける人間じゃ無い。何でも顔にダダ漏れだし」
「ゔっ」

 初めて慧が衆目の前で盛大にお漏らしを決めているのを見たときには、その恍惚とした顔に紅葉ですら「大胆にも程がある」と呆れ果てたものだった。
 ……ちなみに、その日もディルドを仕込んで講義を受けていた事実は、気にしてはいけない。

 それを指摘すればこちらが面食らうほど動揺して、まさかあれで気付かれてないとでも思っていたのかとむしろ心配になったと紅葉があの頃のことを振り返れば「お願い……忘れさせて……」と慧はその場で悶絶している。

 けれどいつだって、くるくると表情を変えながらだったけれど、慧は幸せそうだったと紅葉はしみじみ語る。
 ずっと一人で楽しむ事に血道を上げていた紅葉ですら、誰かとプレイするのも悪くないと思い始めるくらいには。
 いつか恋人に会ってみたいと何気なく呟いたときの慧の動揺する姿も、恋人が異世界人であれば説明が付く。

 だから、私の中では矛盾がないんだと紅葉は締めくくりかけて何かを思い出したかのように「あ、それに」と付け加えた。

「……それに?」
「あんなパンツにも響かない薄さで、全開お漏らししても膨らみも漏れもしないオムツなんて、地球には存在しないから」
「そっち!!?」
「あれからずっと探してたんだ、だから間違いない」
「まさか探してたのかよ……米重さんの執念はいつもながら凄いと思うわ」

 アイナ、聞いているか。
 お前の世界の技術力は地球の変態に認められたぞ、と思わず慧は呟いてしまう。
 その返事は帰ってこないのに。

 何にせよ、と紅葉は立ち上がり、コップを洗い始める。
 峰島と伊佐木も釣られて後片付けを始めた。
「俺も」と立とうとした慧は「あんなことがあったんだ、しかも……ああまぁいいや、今は休んでろ」と峰島に制される。

「とにかくゆっくり休めよ、姫里。明日は休んでも大丈夫な講義だし、もう3連休にしちゃえ」
「同感。何かあったらいつでも連絡してくれ。話くらいは聞けるし、護衛がいるなら見守る会が出動する」
「ありがとうございます、峰島さん。でも見守る会の皆様はご遠慮したいかな」
「……それに、満足してないままは良くないよ」
「へっ」

 二人は責任持って俺が送り届けるからと峰島達は慧の帰り支度を始める。
 ドアの前で、紅葉はいつものクールな表情のまま「姫里、それ」と慧を指さした。
 途端に「ちょ、米重さん指摘しちゃうの!?」「あー黙って帰ろうとしたのになぁ」と後ろの二人が紅葉を窘める。

「……それ?」

 つられて慧は紅葉の指す先を追う。

 ……そこにあるのは、ゆったりしたパンツを全力で押し上げている慧の息子さんの姿で。
「ほげぇぇぇ!?」と奇声を上げて股間を手で覆う慧に「やっぱり気付いてなかったんだ」と3人は苦笑いを浮かべていた。

「え、あの、そのっこれは」
「いーからいーから、まぁ俺らはさっさと退散するからすっきりしてくれ!俺もお宝画像は目に焼き付けたからこれから存分に使わせて貰うし、それでおあいこって事で」
「おまっ、だから何で俺がオカズになるんだよ伊佐木……」
「うん、すっきりしてゆっくり寝て。今はとにかく休んだ方がいいよ」
「うぅぅ……ごめんね、本当にありがとう米重さん」

 羞恥に染まる慧の前で、バタンと扉が閉まり、はあぁぁ……と慧は大きなため息をついた。

「……とんでもないところを見られちゃったなぁ…………はぁ、来週顔合わせるのが気まずすぎるじゃん……」

 鍵をかけて、電気を消してベッドに飛び込んで……ああ、静寂とはこんな音だったっけと久しぶりの静けさにふと寂しさを覚える。
 よく考えたら、本当に一人暮らしだった時間なんてここに住み始めた最初の数日だけだったじゃないかと思い出せば、余計に寂しさが募って。

「……アイナ」

 ぽつりと呼びかける声に応える、あの優しい声はもういない。

 とにかく息子さんを何とかしようと慧は下履きを脱ぎ捨て、全く萎える気配の無い剛直に手を伸ばす。
 ちゅこちゅこと良いところを擦りながら、けれどこれだけで収まらないことはよく分かっているから、いつものシリコンジェルをたっぷり指に纏わせて……ヒクつく後孔につぷん、と挿入した。

「はぁっ……確か、この辺……んうぅ……」

 目的の場所はすぐに見つかる。
 あまり深く入れずに指を曲げて、膨らんでいる場所。
 何より、アイナがこの身体を使って何度も触れた場所なのだ。もう身体がやり方を覚えている。

(アイナは……いつも、こうやって……)

 とん、とんと軽く押して、小さな波が起きたら、ぐーっと押して。
 そのまま揺らせばどんどん気持ちよさが溜まっていく。

「んあぁ……はぁっ……うぁ…………」

 気持ちいい。
 自然と口から甘くて高い声が漏れて、涎が溢れてくる。
 もっと、もっと先へ、もっと気持ちいいところへ……!

 ぐちゅぐちゅと粘ついた音に、荒い息、時折漏れる甘い喘ぎ声。
 けれどその甘い声がどうしようも無いもどかしさを含んだ物に変わるまで、さほど時間はかからなかった。

(……もっと、もっと欲しい、のに……!)

 ぽろり、とまた一つ涙が零れる。
 それは過ぎた快楽に悶える歓喜ではなく、与えられない寂しさの発露だ。

「何、でぇ……っ!?もっと欲しいのに……足りない……!!」

 辛い。
 気持ちよくなればなるほど、ぐっと身体に力が入って、動きが鈍くなる。
 ようやく上り詰めたところで引きずり下ろされ、また高みを目指しては冷めさせられる、その繰り返し。

(なんで……?どうしてっ……!?)

 渇望に焼き切れかけ、疑問ばかりが頭の中をぐるぐると巡る。
 幾度も虚しい慰みを繰り返して、とうとう慧は何の満足も得られぬまま手を引き抜き……しゃくり上げた。

「……アイナじゃなきゃ、だめなんだ……アイナが触れてくれなきゃ、俺は……」

 そう。
 いつも慧を良くしてくれるのは、確かにこの手だった。
 けれどこの手を動かしてくれるのは、慧がどれだけ我を忘れようとも、そして過ぎた快楽に叫び身体を痙攣させようともお構いなしに、変わらぬペースで慧の好きな刺激を淡々と与えてくれたのは……『アイナ』の手だったのだ。

「アイナ……ひぐっ……やだよ、帰ってきてよ、アイナぁ……!!」

 すすり泣く声はやがて慟哭となり、誰もいない静かな部屋を悲しく彩るのだった。


 …………


 あれから泣き疲れて眠りに落ちて、人生でこれほど寝たことは無いと言えるくらい熟睡して。
 久しぶりにサイファの夢を見て、どこまでも拡がる草原に、目の前ではしゃぐ子供達にアイナへの思いを募らせ、けれどいつもの気持ちいい場面はついぞ訪れず泣きながらアイナを呼んだその声で目を覚ます。

 流石にずっと寝ているわけにはいかないと身体を起こせば、余計に寂しさがこみ上げてくるばかりだ。

「……ったく、俺のカードでどれだけ……散財したんだよ……っ……」

 トイレに立てば姿見が、キッチンに立てばマグカップが、机の引き出しにはジュエリーボックスが……そしてクローゼットにはあのデートの日に身につけた服とウィッグが。
 こんな一人暮らしの狭いアパートなのに、そこかしこにアイナがいた痕跡が静かに佇んでいる。

 ただの、物なのに。
 見るだけで涙が止まらなくなってしまうのは何故なんだろう。

 ひとしきり泣いて、水だけ飲んで、また思い出して泣いて。
 そんな状態でも、身体は渇望と何かしら頼りない感じを訴えてくる。

「……あ」

 ふと見上げたPCの机。
 キーボードの横には、昨日「ご褒美」のためにアイナが外したフラット貞操具がそのまま置かれていた。
 さっきから感じる股間の頼りなさは、このせいだ。

「着けたって……アイナはいないのに……」

 そう独りごちながらも、慧は部品を分解して丁寧に洗浄する。
 シリコンのチューブを交換して、お湯を沸かして部品を全部着けて。
 アイナみたいなうっかりさんじゃないから、鍵はちゃんとテーブルの上だ。

「……消毒液、注文しておかなきゃ」

 冷やしがてら消毒液に浸けて、リングのパーツを手に取る。
 慧が自分で通していたわけでは無いのに、後ろの弄り方と同様、アイナに何度も繰り返された作業をこの手はちゃんと覚えている。

「ぐ……ぅ……」

 慣れたとは言え、痛いものは痛い。
 冷や汗を掻きながら双球を気合いで通し、竿を一旦体内に押し込んで、リングの中に通してしまう。
 いつもながらこの状態は首輪宜しく股間に戒めを施されたような気分になって、うっかり息子さんを元気にしてしまいそうだ。

『うむ、ちょっと赤くなってしもうたが大丈夫そうじゃな』

 どこかからアイナの声が聞こえる。
 そうだった、アイナは玉を通し終えれば必ず丁寧に具合を確かめてくれたなと、一応自分でも確認をする。
『男の娘というのは、やはりちんちんとたまたまがあってこそじゃからな、大事にせねばならぬ』とかなんとか、よく分からない理屈を振りかざしながらこっそり袋の中の玉をくにくに動かして楽しんでいるのもバレバレだったことを、アイナは知っているだろうか。

「ふぅ……んっ…………」

 先端とチューブにたっぷりと潤滑剤をまぶして、すっかり貫かれる味を覚えた鈴口につぷんとチューブを潜り込ませる。
 この逆流するようなぞわぞわした感じですら、慧の息子さんはすぐに元気になってしまって『大きくするでない、押し込めぬではないか』とアイナは苦笑しながら無邪気にも玉をぎゅっと握り込んで無理矢理萎えさせるのだ。
 あんな技、男の痛みを知らないからできるのだと苦々しく思っていたけれど、よく考えればアイナだって同じ痛みを一緒に感じていたのに。

 カチャリ、と小さな音がする。
 こんな小さな鍵一つで、慧の男性としての徴はあっけなくも閉じ込められる。
 その事実にゾクゾクして、早速締め付ける痛みに襲われるのに……それすらアイナが与えてくれるみたいで、真ん中の孔からはつぅ、と透明な液体が糸を引いて床に伝った。

「……大丈夫。だって、アイナがこうやって、教えてくれたんだから」

 ロックボックスに鍵を入れて、ディスクをくるくると回す。
 手を止めれば数秒を開けて、かちっと蓋が閉まる音がした。

「アイナが触れてくれないなら……外に出ている必要なんて、無いんだ」

 ロックボックスの液晶画面に示された残り時間は、29日23時間59分。
『月に一度は外してチューブを取り替えねばならぬからのう』とちょっとだけ意地悪な、けれどどこか興奮した様子でうっそりと微笑むアイナの姿が見えた気がした。


 それから買い出しに出て、ぼんやりとスマホを弄る。
 食欲なんて無いから、取り敢えず水とゼリー飲料だけしこたま買い込んできた。これだけあれば週末は生き延びれるだろう。

「そうだった、消毒薬も買わないと。折角外に出てたのに……まあ通販でいっか」

 ブラウザアプリにブックマークされている、いつもの通販サイトを開く。
 と、何故かそこに表示されたカートには商品がいくつか入っているようだった。

「アイナお前、また何かこっそり買おうとしてただろ……ったく……」

 本当に油断も隙も無い、と独りごちつつお目当ての消毒薬をカートに入れて、一体何が入っているのかと買い物かごをタップする。
 そして……中にあるものを見た瞬間、慧の手がピタリと止まった。

「え、これは……」


 …………


「……ご飯、食べてる?」
「…………食欲無くて」
「そっか」

 日曜の夜。
 いつものように人気の無い道の駅に行けば、ちょうど紅葉も来たところだったのだろう、せっせと街灯の下で準備をしていた。
 振り返り慧の顔を見て開口一番心配そうに尋ねる紅葉に、慧は静かに首を振る。
 そんな慧に「まあ、生きてるならいいよ」とあくまでもそっけなく接してくれる心遣いが、今はありがたい。

「いつもと違う服?……ああ、もしかして」
「うん。あれ、全部触手服だったんだ」
「凄いな、手袋やブーツまで?本当に夢のような服だな」
「ははっ、米重さんらしいや」

 これさ、と慧は羽織っていたジャケットを脱ぐ。
 その身体を覆っているのはキャットスーツとサイハイブーツだ。
 ファスナーが見当たらないからネックエントリーなのだろう、黒のラバースーツは慧の身体をぴっちりと覆い尽くしテカテカと輝いていた。

「これ……通販サイトの買い物かごに入っていたんだ」
「買い物かごに?」
「うん。ラバースーツとブーツと、ドレッシングエイド……あと何だっけ、お手入れ用品一式も……既製品だけどちゃんとしたラバースーツのメーカーが作っているみたいでさ、全部合わせて4万くらい。ついでにアナル用のディルドまで……ったく、俺の財布を何だと思ってんだろうな、アイナは」
「…………」

 乾いた笑いをあげる慧の、その目には光が無い。

 カートに保存されていた商品を見た瞬間、慧はアイナの意図を悟った。
 おそらく彼女は、準備していたのだ。
 いずれ来たる別れの後、すっかりアイナに変えられた身体を一人でも楽しめるように……同じものは与えられなくとも、せめて近いものを、と。
 きっとアイナのことだ、また人が眠っている間に勝手にスマホを弄りまくっていたに違いない。

「馬鹿だよな……こんなの……似てたって、ううん、一緒だったって……」
「姫里……」

 ぱたり。
 アスファルトに落ちるのは、どれだけ泣いても枯れない涙。

「全然違うんだよ……触手服があったって一緒だっての、アイナがいなければ……っ……!」
「…………」
「締め付けも、ぬるぬるも、中も全部気持ちがいいさ!でもっ!!無いんだ、アイナの声が、あの笑顔がっ!!」
「………………そっか」
「分かってる、帰らなきゃいけなかったのだって!あいつは皇女様だから、これから国を背負って立つんだから、俺じゃ引き留められない!」
「……うん」
「けど、だめなんだ。アイナが置いていったものが……アイナが変えてくれた身体が、アイナがいないってずっと訴えてるんだよ……!!」
「姫里」
「……っ!」

 思わず漏れた慟哭を、そっと頭を撫でる温かい掌が包み込む。

「姫里は、良い奴だな」
「米重、さん……」
「そんなに別れたくなかったのに、アイナさんのために手を離せたんだな。……えらいよ、姫里は」
「っ……そんな、俺は、俺はっ……!」

 いいんだよ、姫里。ここには誰もいない。民家だってない。
 だから、全部吐き出して泣いちゃえばいい。

 いつものようにクールな表情で、けれど向けられた眼差しと頭の上の掌が、どこまでも温かくて。

「うっ、ううっ、うわああぁぁぁぁっ……!!」

 ようやく慧は、アイナとの別れを嘆く声を……身を切り裂かれるような悲しみを、吐き出せたのだ。

 …………


「……微炭酸しかなかった」
「だいじょぶ……ありがとう、米重さん……」

 一体どれくらいの間、泣き続けたのだろう。
 ようやくすすり泣きに変わってきた慧の頬に、冷たいペットボトルが当てられた。
 泣きすぎてぼんやりした頭には、キンキンに冷えた炭酸が気持ちいい。

「ごめんね、米重さん。折角のお楽しみなのに」
「気にしなくていい。お楽しみはお互い元気なときにすればいいんだから」

 街灯の下に並んで座り、紅葉もペットボトルを開ける。
 喉を鳴らしラッパ飲みする彼女は相変わらず格好いい。その下に施されている首輪と縄が無ければ、もっと格好いいかも知れない。

「……きっと、逢えるさ」

 ぷは、とボトルを口から離し腕で拭いながら、紅葉はぽつりと呟く。

「私は姫里から聞いた話と、ここや大学で遊んでいる姫里しか知らないけどさ。アイナさんは約束を違える人じゃ無いと思う」
「うん、それは……でも彼女は異世界の人で……しかも皇女様で……」
「けれど向こうには時空を越える術もあるんだろう?まぁ、触手服を着たらトイレに行けませんでしたとか、大分うっかりな感じではあるけどさ……」


『愛い子よ……ならば慧よ、約束しよう。お主が逢いたいと思うならば、妾はいつか必ず』
『とにかく何か考えておくから待っておるのじゃ』


 元の世界に引っ張られる最中、あのドタバタの中で交わした約束が頭をよぎる。

「アイナさんを信じて、待つしか無いんじゃないかな」
「米重さん……」
「どっちにしてもさ、向こうの世界の方が技術的には進んでいてこっちから何か出来そうなことも無いと思うし。それなら、彼女が望んだ姫里でいれば良いんじゃ無いか?」
「アイナが、望んだ俺……」

 それは紅葉の何気ない言葉だった。
 きっと別離の悲しみに暮れる慧の心が少しでも紛れるようにと提案してくれたのだろう。

「もうこんな時間か……姫里、帰っても本当に大丈夫か?」
「あ……うん、大丈夫。ありがとう米重さん」

 片付けをして車に乗り込む紅葉を見送り、慧も家へと向かう。
 そっと触れたラバースーツは、触れた指の重みをその内側へと簡単に伝えて。

「アイナ、違うよ。……やっぱり、アイナと一緒に着る触手服がいい」

 フロントガラスの向こうに赤信号が、ぼんやり滲んで見えた。


 …………


 あれだけ泣いたというのに、それでもまだまだ涙は溢れてくる。
 いつか干物になってしまいそうだなと自嘲しつつ、ようやく空腹を覚えた腹に慧は朝食兼昼食を放り込んでいた。

 無意識のうちにサクランボと小松菜を用意している自分に、また涙する。
 もうアイナのご機嫌を取る必要なんて無いのに、染みついた習性はそう簡単には取れなさそうだ。
 ……取りたいとも思わないけれど。

「……あれ、無い」

 ゲームにログインする気も起きずぼんやりとスマホを眺めていた慧は、ふと机の引き出しを開けて宝石箱を取りだした。
 男性が持つには少々可愛らしいジュエリーボックスには、あの日の指輪が収まっている。
 また涙に暮れると分かっていても、必死でアイナの痕跡を探し続けている自分にため息をつきながら蓋を開けて……慧はあることに気がついた。

「あれ……アイナのは……?」

 無いのだ。
 そこに鎮座するのは乳白色の石が嵌め込まれた指輪だけで、あの深紅色の……アイナの瞳のような美しい色の石の指輪が忽然と消え失せている。

「ええ、どこ置いたんだよアイナ……お前な、高かったんだぞこれ……」

 ブツブツ言いながら心当たりの場所を探すも見つからない。
「ホント、どこに置いたんだ……」と少し焦りを覚え始めた慧は、しかしはたと思い出した。


 確かにこのジュエリーボックスは指輪と一緒に購入したけれど、これまでここにアイナの指輪が収まっているのを自分は見たことがあったか?



(……幻影を出したときには、いつも指に嵌めてたっけ)

 触手服の上から嵌めた指輪を「どうにも締め付けられる感じがするのう……」とぼやきつつも決して外さなかったアイナ。
 大抵慧は途中で意識をすっ飛ばしてしまうから、その後指輪がどこに片付けられているのか……よく考えれば聞いたことも、実際に見たことも無い。

(ずっと、ここに戻しているものだと思っていた。もしかして、違う……?)

 そもそも、あの日はアイナは幻影を出していた。
 いつものように指輪を嵌めたまま、慧を散々可愛がって……突如として発生した別れのイベントですっかり忘れていたけれど、あの別離の瞬間も指輪は確かに左手の薬指にあったのだ。

「もしかして、持って帰ったのか……?」

 確証は無い。
 けれどこの狭い部屋をこれだけ探しても出てこない事実と、あの時の状況を思えば、それが一番しっくりくる。
 地球のものを異世界に持ち込めるのか疑問は湧いたが、よくよく考えれば貞操具の鍵だって世界を渡ったのだ。
 それに、元々サイファでは世界の発展のために異世界のものを召喚する仕組みが出来上がっている。もしかすれば向こうのものに収納されている、あるいは触れているなら無機物は容易に異世界に持ち込めるのかも知れない。

 そっと指輪を取り、薬指に嵌める。
 手をかざせばほんのり水色に光るこの石は、慧のようだとアイナは言っていたっけ。

『無垢に見えて、少し見方を変えれば秘められた色が露わになる。お主にぴったりじゃ』

 人の財布の心配もよそに、無邪気にはしゃぐ皇女様の姿。
 ああ、ぴったりだというならアイナこそ。その幻影ですら美しい瞳には叶わないけれども、あの深い赤は皇女様にこそ相応しい。

「……繋がれたら、いいのに」

 綺麗でも、ただの地球の装飾品だ。そんな力が無いのはよく分かっている。
 それでも願ってしまう。この指輪を通してアイナと一瞬でも良いから繋がりたいと、また逢いたいと。

 ……一体どのくらい願いを込めて指輪を眺めていたのだろう。
 気がつけば既に外はオレンジ色に染まっていて、遠くから家路を急ぐカラスの声が響いていた。

「ま、そう世の中上手くはいかないよな……」

 指輪を外し、コンビニへと向かう。
 今月も散財したのだ、本当は自炊で安くあげたいけれど、毎食作るだけの気力はまだ戻っていない。

 適当なおにぎりとサンドイッチを手に取り、ついでに飲み物を、と扉を開けて手にしたお茶の隣にあるボトルを何気なく見る。
 昨日、紅葉が買ってきたペットボトルの炭酸水だ。微炭酸という名にふさわしく、むしろちょっと気が抜けたような微妙な炭酸水だったっけ。

「……あ」

 ラベルを見て、思い出す。
 二人とんでもない格好のまま街灯の下に並んで座って、前を向いたまま紅葉が言った台詞を。


『信じて待てば良いと思うよ』
『彼女が望んだ姫里でいれば良いんじゃ無いか?』


(アイナが、望んだ俺……)

 その言葉が何故か頭から離れない。
 適当な夕食を終わらせてゴミを纏めて風呂に入っても、何かがずっと心の中に引っかかっている。

「……最初は随分遊ばれたよなぁ……」

 湯船の中でゆらゆらと揺蕩う自分の双球と、その上で慧に被せられた金属の蓋を想い出と共にぼんやり眺める。
 そうだった、アイナは地球人の男の身体にいたくご執心で、特に玉は散々な目に遭わされて……でも今思えば、彼女の望みがそうさせていたのだと理解できる。

 すん、としゃくり上げ、またこみ上げてくる涙を拭おうとしたその時。

「…………そうだよ」

 突如、慧の頭の中で何かが繋がった。

「そうだよ、繋がれなくても、ここに……!」

 ばしゃっと慌てて湯船から上がり、適当に身体を拭いて姿見の前に立つ。
 そこにあるのは、相変わらず冴えない女顔の青年の姿だ。

 この1年で平らだった乳首はぷっくりと膨らみ、ニプレスなしには外に出ることすら叶わない。
 男の象徴は閉じ込められ、今も精を吐き出したいとたらたらと涎を垂らし、その奥にある蕾は慎ましさを忘れ、快楽を貪る性器と化している。

 変わった、身体。アイナによって、変えられた身体。
 否、そうじゃない。この身体を望んだのはアイナだけでは無い。


 アイナの望み、そして、自分の心の奥底にしまい込んでいた望み。
 共に叶えた証は、全てこの身の中に――


「……はは……あははっ……」

 思わず慧の口から笑みがこぼれた。
 それは迷子になってしまっていた己の気持ちの置き所を、ようやく見つけた歓喜の声だ。

 鏡の中のアイナによく似た面立ちに、慧は心の中で静かに誓う。
 確かにアイナは今、ここにはいない。けれどもアイナの望みはここに残ったままだと、言葉に出来ない想いを静かに流れる涙の形で溢れさせながら。

「…………アイナ」

(待つから。信じているから。アイナ、お前が残した置き土産を全部、全部抱えたまま、俺は……私は、再会の日を待ち続ける)

 一糸まとわぬ姿で、慧は無言のままクローゼットのドアを開ける。
 その片隅に大切にしまわれていたのは、ミルクティー色のボブカットのウィッグだった。


 …………


 講義室に一歩足を踏み入れれば、一瞬ざわめきが止まって、次の瞬間どよめきに変わった。

「ちょ、ひめにゃん、じゃなかった姫里っ」
「……ひめにゃんでいいよ、伊佐木」

 すぐに慧だと気付くあたりは、流石「ひめにゃんを見守る会」No2だけのことはある。
 目を丸くして、ついでに鼻を押さえながら――もはや鼻血を出すのが既定路線と言わんばかりに――慧に駆け寄った伊佐木は「一体どうしたんだよ……!」と戸惑いを隠せない様子だった。
 いや実は、と答えようとしたとき、もう一つの影が二人に近づいてくる。

「おはよう、姫里、伊佐木」
「おはよう米重さん」
「お、おはよう……って待って待って!!なんで米重さんは、ひめにゃんを見てそんなに平然としていられるのさ!!」
「…………?何か、あったのか?」
「いやいやありすぎでしょ!!」

 そうか、とかるく伊佐木をいなした紅葉は慧の方に向き直り「凄いな、本当に女の子じゃないか」と表情を変えることなく声をかけた。
 ……けれど、その瞳はどこか安心した様子を浮かべていて。

「私よりずっと女らしく見える……そっか。それがアイナさんが姫里に望んだ事か」
「ああ。アイナも、私も……男の娘になりたかったから」

 紅葉の前に立つのは、シャツワンピースに身を包み、ミルクティ色のボブヘアーに化粧を施した男の娘だった。


 ともかく座ろう、といつもの最後尾に3人並んで座る。
 同級生達の視線と、ひそひそと交わされる言葉がちょっとだけ痛いけれど、アイナがいない痛みに比べれば何と言うことは無い。

「化粧もしてるんだな。というか、姫里意外と器用だな、初めてだろう?」
「う、うん。これまではアイナがしてくれてて……でもほら、私の身体を使ってするからなのかな、何となく手が覚えているみたいでさ」

 でもめちゃくちゃ時間かかったよ、明日からは1時間早く起きないとなぁと笑う慧に伊佐木は隣で「もうだめだ……」と突っ伏している。
 いくら伊佐木でも女装は受け付けないのかなと慧がちょっと心配になれば、それを察したのだろう紅葉が「そっとしておいたらいいよ」と囁いた。

「……やっぱり、気持ち悪いよな」
「逆だ、姫里。あまりに女装が似合いすぎて、そこら辺の女の子より可愛くなっているせいで伊佐木の妄想が暴走しているだけ」
「ほえっ!?」

 思わぬ言葉に目をぱちくりさせれば、講師が入ってくるのが見えたからだろう、声を落として「ちょっと覚悟しておいた方が良いよ」と紅葉はアドバイスを与えるのだった。

「多分、見守る会が大変なことになるから」


 …………


「え、ええと……私、ここにいていいのかな……」
「良いに決まってんじゃーん!へぇ、アイシャドウの色似合ってるね。あ、そのリング可愛い!なに、彼氏が選んだの?」
「紗南、彼氏じゃ無くて彼女だ」
「えーそうなの!?あーでもリップはベージュ系も似合いそう、今度一緒に買いに行こうよ!」
「は、はひっ!?」
「紗南ちゃん、お昼休み終わっちゃうよ-。姫里君……下の名前なんだっけ」
「あ、慧だけど」
「そっかぁ、じゃあ慧ちゃんね!」
「ひえぇ……」

 突然の女装男子の誕生に動揺を隠せない同級生達の中で、真っ先に動いたのは機械工学科の数少ない女の子達だった。
 講義が終わるや否や「ね、姫里君お昼一緒に行こう!紅葉も行くでしょ」と半ば強引に学食へと連れ去られる。

 ついでに少し離れたところには、峰島や伊佐木率いる見守る会の皆様が勢揃いだ。
 もはや影ながら見守る気なんて無いだろうと突っ込みたくなるくらいこちらを穴が開くほど見つめながら「可愛い……」「可愛すぎて昇天しそう」と口々に呟いている。呟きが大きすぎてここまで聞こえてくるのはどうなんだ。
 中には感極まって泣き出す者までいるほどだ。お願いだからこれ以上目立たせないで欲しい。

 そして食べ始めるや否や、二人からは怒濤の質問攻めである。当然のごとく周りも耳をそばだてている。
 流石に本当のことを話すわけにもいかないとオロオロしていれば、紅葉の機転により「姫里には男の娘好きの彼女がいるが、急に海外転勤になり年単位で会えなくなってしまった。寂しさを紛らわすために、思い切って男の娘として日常を過ごすことにした」という見事な設定が出来上がってしまった。
 この設定、ちゃんと忘れないように頭に叩き込んでおかねばと、慧はこっそりスマホでメモを取る。

「でも、急だったからこれしか服も持ってないんだ」と零せば「じゃあさ、講義が終わったら一緒に買いに行こう!」と二人はノリノリだ。
 とくに紗南――織本紗南(おりもと さな)は「やっとおしゃれを語れる友が出来た!!」と大はしゃぎである。

「こんな学科だから仕方ないのは分かってるの!でも女の子少ない上にさあ、雅は色気より食い気だし、紅葉は全然興味が無い上にむっつりスケベだしさ」
「ぶっ!!……ええと、米重さん?」
「紅葉でいい。二人は性癖を知っているから」
「はい!?それでいいの!!?」
「えぇ、でも慧ちゃんだって時々エッチな事してるでしょ?可愛い顔してたもんねぇ」
「ぐふっ、反論できない……」

 じゃあ終わったら講義棟の前に集合ね、と別の講義に向かう紗南と雅を見送り、慧は「はあぁぁぁ……」とその場にしゃがみ込んだ。

「なんか……とんでもないことになってる……」
「いいんじゃないか?紗南も嬉しそうだったし、服だって毎日同じというわけにはいかないだろう?『慧ちゃん』」
「ちょ、米重さんまでその呼び方はやめて……恥ずかしくて死ぬうぅ」
「ふふっ、そうやって照れていると本当に可愛いな、慧は。ああ、私のことも紅葉って呼んで」
「ううぅ……紅葉、さん……」
「及第点かな」

 きっと、これから心ない言葉もかけられると思うから、と紅葉は手を差し出す。
 ただでさえ女性の少ない学科なのだ、先に女性陣を味方に付けておけばきっと慧もここで過ごしやすくなるからと説明する紅葉は、相変わらずイケメンである。

「多分、女子の方が男の娘への抵抗も少ないと思うんだ。実際そうだっただろう?あの二人、最初から興味津々って感じだったし」
「確かに……同じ男だと本能的に嫌悪感を覚える奴もいそうだもんな……」

(……そんなこと、考えもしなかった)

 答えを得たからと言っても、いくら何でも昨日の今日で実行するのは性急すぎたなと慧は少しだけ反省する。
 紅葉の機転が無ければ、確かに学部内で孤立……とまでは行かなくとも、同期とやりにくくなっていたかも知れない。
『まったくお主はどこまでも甘ったるくてチョロいのじゃから』と、アイナがいればきっと半分呆れ顔で笑われたのだろう。

 それでも、意を決して男の娘として生きることを決めた、その決断に迷いは無い。

(なぁアイナ、私には峰島先輩も、伊佐木も……紅葉もいるから。やっぱりヘタレでチョロいまんまだけど、チョロいなりに頑張るよ)

 ふとしんみりした表情を浮かべてしまった慧を優しい眼差しで見つめながら、紅葉は「ほら、次の講義に送れる、急ごう」と慧の手を取るのだった。


 …………


 それからの生活は、順風満帆とまでは言わないが、それでも比較的穏やかだった。
「取り敢えずワードローブを揃えちゃおう!」と女性陣の助けを借りて服や靴、バッグを買い足したお陰で、クローゼットの中は見違えるほど華やかになった。
 毎日朝1時間早起きして悪戦苦闘していた化粧も、紗南によるメイクレッスンのお陰で随分早く仕上げられるようになる。

「おはよう、雅さん」
「おはよう慧ちゃん。あ、それ昨日買ったカーディガン?ふふっ、やっぱり慧ちゃんは可愛い色が似合うねぇ」

 大学に行けば伊佐木や紅葉達とつるみ、放課後は紗南の新作コスメ探しに付き合ったり、食べるのが大好きな雅――白藤雅(しらふじ みやび)の先導でカフェのスイーツを堪能したり、はたまた紅葉に誘われて怪しいグッズのお店にドキドキしながら入ったりと、これまででは考えられないような社交的な生活を送っている。
 というか、紅葉は一人でこんな怪しい雰囲気のSMショップに出入りしているのか。良くこれまで危ない目に遭わなかったなと内心肝が冷えた。

 構内で、そして街中で向けられる視線は明らかに増えた。
 声は完全に男性だから、喋ればどうしたって可愛らしい外見とのギャップが激しいのだろう、大抵は好奇の、ときおり嫌悪の、そして相変わらずたまには欲情の眼差しに、言葉に晒される。
 けれども、男から性的な視線で見られる事への恐怖は以前に比べて随分薄らいでいた。

(……大丈夫、ここにアイナが、いるから)

 左手の薬指には、彼女が選んでくれたリングが光る。
 こんなリング一つでとも思ったけれど、不思議と指輪を嵌めていれば以前のようにギラギラしたものを隠した男に声をかけられることもない。まるで、アイナが守ってくれているみたいだなと慧は思っている。

「あ、ひめにゃんがいた!!」
「おおお、生ひめにゃんだ……!はぁ、今日の推しはまた一段と可愛い……レポートも捗りそう」
「レポートは私を見なくても頑張りなよ……」
「はっ、はいっ!!あ、ひめにゃん、今日のお昼ご飯奢ります!」
「あ、ずりぃ!今日は俺が奢る予定だったのに!!」

 しかし一番変わったのは、彼ら「見守る会」の皆様だろう。
 これまではそっと物陰からバレないように(バレバレだが)見守っていた彼らだが、慧に恋人がいることが発覚し、かつ慧が男の娘として過ごすようになってからは、何故か堂々と見守り、声をかけてくるようになったのである。
 彼ら曰く「正式に恋人の存在が明らかになったお陰で、純粋に推しとして推せるようになった」のだそうだ。全く、彼らの思考回路はどうにも理解が出来ない。

 何にせよ、相変わらず彼らが牽制してくれているお陰で慧の生活は安泰で、しかも推し活とやらでお昼は必ず誰かが奢ってくれる。
 ちなみに峰島により、それ以上の金銭的推し活は禁じられているらしい。その辺は良識的なのだ、あの人は。

「はぁぁ、かわいい系男の娘の姫里とクール系米重さんとの甘々百合デート……もう俺、いつお迎えが来ても良いわ」
「先輩はどこにでも百合の妄想を生やさないで、そろそろ現実を見てください。就活どうなんですか」
「心配するな姫里、俺は最初から大学院志望だ。お前の卒業までじっくりと見届けるからな!」

 ……そう、これさえ無ければ。
「私はアイナ一筋ですから」「百合に興味は無いんだけど」と無表情に一刀両断する二人にもめげないその鋼のメンタルは、もうちょっとまともなところに使って欲しいと思いつつ「紅葉さん、行こっか」と慧はすっかり定番となったSMショップ巡りに繰り出すのだった。


 …………


「んっ、んぁっ、もっと、もっと奥っとんとんしてぇ……」

 自室に響くのは、いくつかのモーター音と、男にしては甘ったるく高い声。
 慧はベッドの上に据え付けたピストンバイブに跨がり、尻が裂けそうな程太く長いものを胎に納めて腰を振っていた。
 その胸にはカップ型のローターがチューブトップで固定されていて、細い触手のようなシリコンが不規則に回転しながらピンと主張している胸の飾りを嬲っている。

 その中心はいつも通り銀色の丸い蓋で押さえつけられ必死に主張し慧に痛みを与えつつ、チューブを押し込まれた穴からたらたらと涙を零している。
 時折電マを当ててやれば、チューブを伝って尿道の奥まで走る振動に射精の気配を覚え、けれど無理矢理離して寸止めに悶えるのがお気に入りだ。

「はぁっ、んあぁぁっ出したい……出したいです、アイナさまぁ……!!」

 まるで、アイナがこの手を使っているかのように、慧は淡々と寸止めを繰り返す。
 そして決して許されない放逸に涙と涎を流し、情けなくアイナへの懇願を呟き続けるのだ。

(これは、今の私には許されないから)

 アイナが異世界に戻り男の娘として生きると決めて以来、同学年のみならず先輩や後輩の女の子達ともつるむことが増えて「ただでさえ少ない女の子を独占してやがる、この変態が」と同じ学部の男子に絡まれることも増えた。
 けれど、その心配は杞憂だと声を大にして言いたい。
 ……そう、恋人がいたって男の本能はいつだって女の子の身体には敏感なはずなのに、今の慧の息子さんはほとんど反応を示さないのだから。

 確かに貞操具は継続的に着けたままだから、大学で不意に射精欲に駆られたり、女の子にうっかり反応させてしまうことが無いとまでは言わない。
 けれども「抱く」という選択肢が自分の中からぽっかりと抜け落ちてしまっていることを、既に慧ははっきりと自覚していた。

 思い描く妄想は、いつだってギリギリまで高められて寸止めされる快楽と、後ろで覚えたメスとしての快楽だけ。
 そして、情けなく子種を垂れ流す惨めな姿。

(ああ、本当に私、メスになっちゃったんだな……)

 また軽くメスイキを決めながら、慧はぼんやりとその事を自覚する。

 初めてメスになったと自覚させられたときは、確かに悦びも覚えていたけれど絶望の方が大きかった。
 けれど今は、メスになってしまったこの身体が愛おしくて仕方が無い。

(だって……このメスの淫らな身体こそが、私達の望んだものだから)

 ちゅぽん、と音を立てて後ろから極太ドリルバイブを引き抜くと、熱に浮かされた表情を浮かべながら慧は震える手で机の引き出しを開ける。
 そこには、ガラスに似た外観の大小様々な棒が整然と並べられていた。

「んっ……今日は、大きいのが、いいな……っ」

 一番大きな……直径は7センチ、長さも20センチはあるだろう、キラキラ光る棒を慧は取りだし、これから与えられる快楽に思わず舌なめずりをする。
 そうしてたっぷりとシリコンジェルをまぶし、急に咥えるものを失いじんじんと寂しさを訴えている後孔にずぶっと突き刺した。

「か……は……っ…………!!」

 十分に拡げた状態を維持し、さらに事前に馴らしてあるとは言え、この大きさを迎えるときはいつも目の前に火花が散ってしまう。
 全ての良いところを容赦なく押しつぶしながら奥の入口を軽くとんとんすれば、それだけで快楽を覚えた身体は入っては行けない場所を綻ばせるのだ。

「あは……せーえき、垂れ流してるぅ……」

 恐らく精嚢をゴリゴリに押しつぶしたせいで、自然とミルキングされてしまったのだろう。また射精をお預けにされた事実に慧はへらりと笑い、絶望と幸福の涙を上と下から垂らし続ける。

 アイナがいなくなった日から、それはそれは慧は努力を重ねてきた。
「お尻はある程度メンテナンスをしないとすぐに締まってくる」という紅葉のアドバイスに従い定期的に拡張は繰り返しているし、精嚢を細めのバイブで押しつぶしてミルキングする方法も覚えた。
 フラット貞操具のチューブ交換日には、必ず尿道もブジーで弄って強烈な快楽に悲鳴まじりの喘ぎ声を上げている。

 けれどあの日以来、慧が満足を得たことは一度たりともない。
 どれだけ激しく抽送を繰り返そうが、直接前立腺を弄ろうが、アイナが与えてくれたあの頭の中に白い波が押し寄せるような絶頂には辿り着けないのだ。

「アイナぁ……与えてよ……はぁっ、あの気持ちいいが欲しい……!」

 届かぬおねだりを譫言のように繰り返しながら、緩い絶頂を繰り返す。
 けれど慧の頭は、この状況すら『妾が帰ってくるまではお預けじゃ』とでも言われていると妄想し、満足できない辛さをあっさりと幸せに変えてしまう。
 こういうときは自分の性癖に感謝するのだ。これもアイナによる管理だと、振り回されているのだと思えば耐えられるから。

「あはぁ……アイナぁ……」

 アイナはたくさんのものをこの部屋に残していった。
 けれども、ほとんどはこの世界に存在しているありふれた物体だ。
 そんな中でこの胎に収まっている物だけが……慧の身体を使って産み出した魔力の塊だけが、アイナの世界の、アイナから成るもの。

 だから慧は、どんなに具合の良いディルドよりも、この塊を好む。
 ――だってほら、こうやって中に挿れているときは、アイナと繋がっているから。

「んがっ……いぐっ…………!!」

 ぐぼっとしてはいけない音がして、先端が奥へと入り込む。
 その瞬間、目の前が真っ白になって、ふわりと身体が浮かんで。

『ほら、せめてもの慰めじゃ。これで満足するのじゃぞ』

 絶頂の最中、優しい皇女様の声が聞こえた気がした。


 …………


「んっ……慧、これ結構効く、なっ……」
「ふぅっ……いや、紅葉さんチャレンジャー過ぎだって、まさか前後に挿れてくるとは」
「塞げる孔は全部塞ぎたくならないか?本当は尿道もやりたいくらいなんだ」
「流石でございます」

 今日は紅葉とお出かけだ。
 アイナとの関係を話して以来「少しでも気が紛れるなら」と紅葉は時々こうやって慧を誘っては、何かしらを仕込んだお出かけに勤しんでいる。
 慧が恐縮すれば「元々一人でやっていたことだから、気にしないで」と言われたけれど、むしろ女子大生が白昼堂々一人でこんなお楽しみをしていた事の方が気になって仕方が無い。SMショップに入り浸っていた件もだけど、本当に今まで良く無事だったなと。

 今日は二人で胸にローターを、股間にバイブを仕込んでのお出かけだ。
 コートが必要な季節じゃないと難しいよな、と案の定ロングコートの下はボディハーネスのみである。
 ピンヒールのサイハイブーツを履いて、いつものように背筋を伸ばしてカツカツと歩く紅葉を見れば、まさかこんな淫らな仕掛けを中に詰め込んでいるとは誰も思うまい。

「ほら、慧も。胸を張った方が怪しまれないよ」
「……それ、昔アイナにも言われた」
「ふふっ、アイナさんはよく分かっているな」

 慧もまた紅葉と同じ服装だが、その袖はポケットに突っ込まれたままだ。
 手はコートの下で後ろ手にぎっちりと拘束されていて、無慈悲に弱いところを甚振ってくる機械に翻弄され、ほんのりと頬を染めながらよたよたと歩いていた。

(ああ、これで首輪でも着けて鎖で牽かれれば)とふと思えば「……首輪を着けて鎖で引きずり回されたくなるな」とちょっと上擦った声で紅葉が呟いて、ああ変態同士考えることは一緒か、とちょっと笑いがこみ上げてくる。

 スーパーのエリアに行けば、いけすの中には珍しくタコがいた。
 ずるり、と音がしそうな程ゆっくりと足を動かす姿は、慧の脳裏にあの触手服の感触を思い起こさせる。
 思わず「はぁっ……」と悩ましいため息をつけば「そんなに良かったんだ」と返されるあたり、紅葉も今慧が何を考えているか分かっているのだろう。

「凄いんだよ、ホントに服の裏地が見えないくらいびっしりと触手が密集していて……それが全部バラバラに動くんだ。しかも太さも長さも自由自在……はぁっ、勝手に……貞操具の隙間から入ってきたり、さ……」
「相当良かったんだな、顔が大変なことになってる」
「う……」
「いいなぁ、憧れるよ、触手服に全身包まれて悶えながらお出かけだなんて。アイナさんが戻ってきたら私も試させて欲しい」
「紅葉さんはほんっと、突き抜けてるよな……うん、アイナに頼んでみる」
「約束だからな」

 特に目的も無くモールの中をぶらつき、フードコートで腹ごしらえと休憩をして、またぶらぶらする。
 ついアイナとのデートを思い出してしんみりするけど、正直感傷に浸れるほど胸と胎からの刺激は優しくない。
 ずっと無視できない刺激に炙られて、脳みそがぐるぐるしてきそうだ。

(……涙、出なくなったな)

 アイナとの別れから1年半が過ぎて、事あるごとにアイナを思い出し涙に暮れることは無くなった。
 今でも一人でいると時々猛烈な寂しさに襲われるけれど、そんなときは紅葉に話を聞いてもらって乗り切っている。
 本当に彼女がいなければ、自分はとうの昔に潰れてしまっていただろう。

(格好いいな……最初からイケメンだとは思っていたけど、本当に……)

 最近はふとしたときに、紅葉が凄く魅力的に見えることが増えた。
 方向性は多少違うけど同じ変態仲間で、自分と違って芯のある凜とした女性。
 いつもクールで無表情だけれど、中身は突き抜けたドマゾで、冷徹そうに見えてふとしたときに優しさが垣間見える、ギャップの塊。

 こんなに魅力的な女性だったんだなと、いつの間にか慧は紅葉を異性として意識するようになっている事に気付かない。
 ……そしてそれに気付かせ諫めるのもまた、紅葉なのだ。

「……慧、それはダメだよ」
「紅葉さん?」

 以前、何が良いのか分からないとアイナと飲んだジンジャーチーズティーパンナコッタ入りを紅葉と飲みながらぼんやり紅葉を眺めていた慧に、視線に気付いた紅葉が真っ直ぐ慧を見つめて突如言い放つ。
 突然の宣言に慧がポカンとした顔で紅葉を見れば、その瞳はどこまでも真剣で……そしてどこか優しくて。

「慧、私はあんたの恋人にはなれない」
「えっと、ちょっと待って一体」
「私は恋人はガチのドSがいいし」
「うんそりゃそうだろうね」
「何より」

 いきなり始まった紅葉の恋人観を語る演説に、慧は戸惑いを隠せない。
 まぁ、言わんとすることは分かる。彼女ほどのドマゾに慧は不釣り合いというか、そもそもこうやって変態行為を楽しむ同志にはなれても彼女が望むようなご主人様には到底なれっこないだろう。

 何を今更と訝しがる慧は、しかし続く紅葉の言葉に思いっきり横っ面を張られたような衝撃を覚えた。

「何より……私は、アイナさんがいない寂しさを埋めるスケープゴートにはなれない」
「…………!」

 そんなつもりは、と言いかけて、けれどその思いは言葉にならない。
 ……だって、心当たりがありすぎるから。

 確かに涙が出ることは減った。
 けれどもアイナに会えない寂しさは、たった1年半ではこれっぽっちも薄れてくれない。

 アイナの痕跡が無くなれば、思い出す機会も減って寂しさもマシになるかと思ったけれど、とてもアイナがこの部屋に残した物を処分する気にはなれなかった。
 そんなことをしたらますますアイナが遠くなってしまいそうで……なにより、慧の身体こそが一番アイナの痕跡を残しているわけで。

 逢いたい、けれど自分には何も出来ない。
 忘れたくない、けれど辛くて忘れたくなる。
 無力感と寂しさがない交ぜになりながら、それでも淡々と日常は流れていって、以前と何も変わらない世界に余計に内に秘めた想いは混沌を極めて。

 そんな中、慧のことを気にかけてくれる紅葉や伊佐木、峰島の存在がどれだけ慧にとって救いとなったか、語るまでも無いだろう。
 恋心とまでは言えないけれど仄かな想いが異性である紅葉に向くのも、ある意味では自然なのかも知れない。

「……ごめん」とうつむき涙ぐむ慧に「責めたいわけじゃないんだ」と紅葉は静かに語りかける。

「まぁその、私はただのアイナさんの代わりとして扱われるのも、良い感じに尊厳を踏みにじられているようで琴線には触れるんだけど」
「待って紅葉さん、そこはもっと自分を大事にしようよ」
「でも、慧はきっとその事に罪悪感を覚えてしまう。そんなことをしてももっと辛くなるだけだ」
「っ……!!」

 慧こそ、自分を大事にして。
 私に向ける想いは、あんたを傷つけてしまう。私達はこれまで通り、ただの変態仲間。それでいいんだ。

 淡々と諭す紅葉の言葉が、優しさが、心に染み入る。

「忘れちゃダメだよ、あんたが本当に求めているのは私じゃ無い」
「ひぐっ、ひぐっ…………」
「……寂しいのは分かるけどさ。アイナさんを信じて待ってあげなよ。それまで私はあんたの側にいるから」
「うええぇん……ひぐっ、ありがとう、くれはしゃん……ひっく……」
「うん。……ほら、ぬるくなっちゃうし飲んでしまいなよ」

(アイナ……ごめん、俺ヘタレだから……でも、ちゃんと待つから……ごめん……)

 ああ、やはり紅葉は格好いい。
 彼女がいるから自分は、時々道を間違えそうになってもこうやってアイナを待てるのだ。

 しゃくり上げる慧を、紅葉はただ静かに見守る。
 そして心の中でそっと、まだ見ぬ異世界の皇女様に呟くのだった。

(私じゃ代わりになれないんだ。だから……早く慧の涙を止めてあげなよ、アイナさん)

 外は木枯らしが舞っている。
 慧の心に荒れ狂う思慕の嵐も、未だ止む気配は無い。

 春が来るには、もう少し時間がかかりそうである。
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