この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお

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前編

仮面夫婦の、始まり?(過去)

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 キルシュライト王国王太子、ローデリヒ・アロイス・キルシュライトから縁談が来たのは、誰にとっても予想外だった。

 それだけではない。ローデリヒ・アロイス・キルシュライトはわざわざ外交官を通して、私に縁談を持ち掛けてきた。
 向こうから望んできた縁談の上、外交官は私の能力を知らない。おまけに堂々と隠すことなく、ローデリヒ・アロイス・キルシュライトは公の場で私を指名してきたらしい。

 だから、キルシュライトとアルヴォネンの貴族両方にその事実が知られてしまうことになる。

 私の元々の地位は、アルヴォネン王国に五つある公爵家の令嬢。大元を辿ると王族の血が入っている。
 身分的な問題はクリアしていた。

 それにキルシュライト王国から、この縁談が決まった際の利点として、一部輸出品の関税率引き下げ等を提案されれば、もう外交官達は目の色を変えてアルヴォネン国王に奏上した。

 絶対にこの縁談は進めるべきだと。

 利点の多い話に貴族はこぞって賛成した。むしろ反対する訳がなかった。ふしだらな女だろうが、国の為になれば万々歳。

 ほぼ一生出てこないような修道院に行くよりも、遥かに良い話だろう。人々は皆そう言った。

 私の能力を知る一部の人は勿論反対した。だが、反対すればするだけ知らない者の反発は強くなる。

 私の能力は貴重らしい。だが、悪用される可能性がある。だから迂闊に公表すれば、どうなるか未知数。私を連れて歩いていたおじ様は、間違いなく傾国の女に誑かされたと言われるだろう。

 キルシュライトの王太子も中々引き下がらなかった。噂は本当だから、と偽りを述べても「結婚前の火遊び位構わん」と一蹴する。元々おじ様が連れ回せる程、私が健康体である事は知られているので、どうにも手の打ちようがない。

 正直な所、隣国の問題のある公爵令嬢を娶るためだけに提示した条件としては破格の対価だった。
 ルーカスもティーナも何故そこまで、と驚く程だったのである。

 ついには病気になった事にでもしようか、と考え始めた辺りで、私の両親までもがこの縁談に賛成したのである。

 流石に実の親が賛同したとなっては、おじ様も面と向かってあまり反対は出来なくなってしまった。おじ様にずっと連れ回されて、ルーカスの婚約者に内定していた時期もあったけれど、親権は実の両親が持っている。

 ルーカスもティーナも渋々諦めるしかなかった。私も諦めた。
 元々キルシュライト王国の方がアルヴォネン王国よりも、国土も人口も技術も少し進んでいる。手を組まないという選択肢の方こそが、国益を損なうようなものだった。


 そんな一連の事があって、私のキルシュライト王国への嫁入りが決まったのである。
 もう完全に修道院に行けるものだと思っていた私の落ち込みぶりは、それはそれは大きかった。

 やっと離れられる王城。やっと抜け出せる社交界。そう思っていたのに。
 十六歳の成人を目前にして、厭世的になってしまった私は、国を変えても永遠に縛られ続ける事が決まってしまった。

 一度会ったきりのキルシュライトの王太子は、少年から青年に変わろうとしている時期だった。
 十七歳。
 出会った時は、まだまだ幼い顔立ちだったのに、それは少し抜けていて、身長もだいぶ伸びていた。

 月光のような金髪に、海色の瞳の美貌の王太子。まるでお伽噺の王子様をそのまま体現した姿。絶対に女が近寄って来ないはずがない。

 どうしてわざわざ私を?と思わずにはいられなかった。

 結婚式の前日、その疑問をそのまま聞いたのだ。
 すると彼は、表情を変えずに正直に言った。

「あの日見た可哀想な令嬢がずっと頭から離れられなかったからだ」――と。

 同情なんていらなかった。
 哀れみなんていらなかった。
 それならば、修道院にそのまま行かせてくれれば良かったのだ。

 この結婚は必ず破綻する。

 貴族令嬢としての役割なんて到底担えそうにない私が、政略結婚なんて重荷を背負い続ける事が出来るとは思えない。

 なぜなら私は――、

 私の成人を待って、キルシュライト王城の教会で結婚式は執り行われた。両国の重鎮達が集まった。水面下で様々な思惑が蠢いているようだった。一部、私に筒抜けではあったけれど。

 それを耳にしながら、私は結婚誓約書に自分の名前を記入する。
 私の手が小刻みに震えて、文字が歪んでいた。

 流石に結婚初夜は避けられないと理解していたので、つい数刻前に夫になった人と一緒のベッドに入る。そしてタイミングは今しかない、と切り出した。

「私、貴族令嬢としての義務は果たせないと思います。……王太子妃としての義務も」

 案の定、海色の瞳を少しだけ見開いた夫だったが、眉間に皺を寄せて「何故だ?」と問うてくる。

「その……、男の人が怖いのです。だから、貴方を楽しませるような技術も持っていませんし、王太子妃としての公務は致しますので、後継の件は側室を後宮に入れていただきたいのです」

 相当な事を言っているのは分かっている。だけれど、私にとっては死活問題だった。
 しばしの間だけ、彼は何やら考え込む素振りを見せていたが、分かったと頷く。

「……だが、結婚初夜だけは何とかならないだろうか?流石に侍女に結婚翌日から不仲と思われるのは避けたい」
「大丈夫です。流石に私も今夜は覚悟しています」
「そうか」

 ギュッと私は両手の拳を握った。
 すぐ隣にいる人の整った顔が近付いてくる。骨張った手が頬に触れた瞬間、私は正面から裏拳打ちを夫にしていた。

「ぐっ?!」

 勢いよくベッドの下に背中から落ちる夫を見て、私はハッと我に返る。

 いくらなんでも王太子に裏拳は不味い。不味すぎる。

「え、ちょ、ご、ごめんなさい!!ごめんなさい!!勝手に手が……!!」

 夫の鼻を押さえていた手の隙間から、血っぽい赤い液体が見えたけど、魔法を使ったみたいですぐに元通りの姿を取り戻す。

「……やめておくか?」

 やや勢いを削がれたらしい彼が提案してきたが、初夜は大事なので続行を希望した。

 結果的に無事に初夜は過ごせた。
 ……夫になったばかりの王太子を、ボコボコにしてしまったけれど。

 それからはもう、完全に仮面夫婦と言ってもいい程の冷め具合だった。

 夫となった人には正直に私の能力について話してもいたが、二人共寝をするだけで、私の能力を使う機会すらなかった。
 王太子妃の公務もほぼ無かったので、手持ち無沙汰になったくらいだった。

 初夜はあんな有り様だし、結婚からある程度時間が経てば夫は側室を迎え入れて、そちらの方で共寝をするのだろう、と勝手に解釈していた。

 アーベルを身ごもったと知るまでは。

 正直、夫はかなり驚いていたが、素直に喜んでくれた。

 それから少し経って、王城の敷地内に邸を建てたという報告をされて、すぐにそちらの方へと移った。
 どうやら前々から作ってはいたらしい。私の能力が発動しないように結界と塀付きで。

 新しい邸は小さくて住みやすかった。侍女は勿論、騎士すら女の人。それも人があまり多くない。

 思っていたよりずっと、息のしやすい場所だった。

 アーベルが生まれて、父親として育児を手伝いながら親バカぶりを発揮する夫に対して、可愛い息子に対して、穏やかに過ぎる日々に対して、私は罪悪感すら感じていた。

 無知だったとは言え、私が間接的に殺してしまった13人。そしてその家族64人の将来は帰ってこない。

 元凶の私が平和に過ごしていていいのだろうか?という後ろめたさがずっと残っている。

 夫も、わざわざ私みたいな曰く付きを選ばなくても、もっと他に良い令嬢はいたはずなのに。

 せめて、男性に対して恐怖心を抱く前だったら、少しは関係性は違っていたのだろうか?
 と考えて、いつも自嘲していた。

 私のした事を、私自身が忘れていいはずがない、って。


 二度目に子供が出来るような事をしたのは、夫が北国の方へ遠征に行く前日。

 激励会でお酒を飲んで、多分夫はいつもより酔っていたのだろうと思う。抱かせてくれ、と頼み込んでくるような人ではなかったし、言われたのですら初めてだった。

 側室もいないし、一応妻なのだからとそのまま頷いて――ボッコボコにしてしまった。

 きっと彼は私が最初にアッパーをキメた辺りから、酔いは覚めてた筈だ。
 最後までよく完遂出来たとずっと思っている。

 そのまま夫が北国に遠征に出掛けて、一ヶ月。
 ずっと気がかりだったが、明日の朝帰ってくるだろう、という頃に自分の下腹にうっすらと現れた紋章を見て、思わず息をのんだ。

 アーベルがお腹の中にいた時と同じ現象。
 二度目ともなれば、すぐに自分が妊娠していると分かった。思わず口元が緩む。

 アーベルも小さくて、ぷくぷくとしていて、思わずギュッと抱き締めたくなる。
 自分のお腹を痛めて産んだ子供だ。可愛くない訳が無い。

 まだまだこれからお腹の中で大きくなる予定の子供は、どんな見た目をしているのだろうか。性別はどちらだろうか。

 下腹をそっと撫でると、じんわりとそこにいるはずの子供の温もりが伝わってくる気がした。

 きっと夫はかなり驚くだろうけど、喜んでくれるはず。
 アーベルと接している姿を見ていると、沢山可愛がってくれそう。

 夫婦仲は相変わらず進歩はないけれど、子供に対する愛情は疑っていない。
 侍女のゼルマには妊娠した事を伝えて、明日の朝帰ってくる予定の夫には、自分の口から言うつもりだった。

 言うつもりだったのに。

 夫が帰ってきた物音が聞こえて、私は逸る気持ちを抑えきれずに階段を降りる。彼はジギスムントと何やら話し込んでいるらしく、私の存在にまだ気付いていないようだった。

 階段の中腹。手摺りに手を乗せるようにして降りていた途端、いきなり顔から血の気が引いた。視界が回転する。
 手摺りを掴もうとした手は、するりと滑った。

 段々と近付いてくる地面に、思わず腹部を庇うように腕を交差させる。

 驚いたように海色の瞳を見開いた彼と目が合った瞬間、

 私の頭に衝撃が走った。
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