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後編

心当たりが多すぎる。(他)

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 ――三十分前。

 アーベルは走っていた。お茶会の場所へと戻る為に。いきなり王太子の私室の扉が吹っ飛んだ事には驚きだったが、隙を作る事は出来た。
 きっと母親と祖父は心配している。殴られた頬の部分が地味に痛いが、魔法名を小さく唱えて誤魔化す。母親の目は誤魔化せそうだが、祖父の目は駄目だろう。でも、祖父はああ見えて色々考えていそうだ。今回の、アーベルのも。

 大事に腕に抱えるのは、王太子の私室から借りてきた本――キルシュライト王国詳細図、第三巻。いや、キルシュライト王国の詳細図に用があるわけではない。

「あ……、ローデリヒ殿下。奥様がいらっしゃらな……」

 小柄な侍従服を着た人とすれ違った気がした。だが、アーベルはそれよりも中庭に戻る方を優先する。目的の場所へ近付き、軽く息を整えてから母親と祖父に姿を見せ――ようとして、誰もいなかった。

「しまった……」

 もう探しに行った後だったか。
 入れ違いになるのもいけないので、そのまま自分の席に座った。テーブルの上にかなりの量のお菓子が乗っていたはずだったが、皿の上には何も無い。紅茶もすっかり冷えきっているはず。仕方ないので、待つことにする。

 もし、帰ってきたら道に迷ったと誤魔化そう。誤魔化しきれるかは分からないが。
 息を整え、本に挟まっていた紙を改めて広げる。

 結果的に本は拝借……いや、半ば盗ってきてしまったが、この紙が今回のアーベルの目的だった。

「離宮へ向かう予定日は、父様に聞いていた日と違う……」

 これから訪れるであろう、最悪の未来を捻じ曲げたかった。



 ーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー



「……何をしているんですか?父上」

 目の前の光景にローデリヒは思わず目が細くなった。アリサにアーベルが居なくなったと聞き、慌てて居そうな場所を走り回っていたら、私室の扉の代わりに大きな穴が空いていたのを発見したのである。扉を守っているはずの近衛騎士は二人共倒れ伏していた。

 そして、室内では国王が男に馬乗りになりながら、男の衣服をまさぐっているのである。

 正直、色々と見たくない光景だった。

「ローデリヒか。どうしたんじゃ?」
「いや、それは私の台詞です。一体何を……」

 ローデリヒは話しながら気付いた。国王に馬乗りにされている人物が一体誰であるのかを。

「エーレンフリート、か?」

 顔を真っ青にしているが、キルシュライト王族によくいるローデリヒと同色の長い髪に、琥珀色の瞳。優男そうに見えて、実際のところ気性は荒い方である親戚がそこにはいた。ヴォイルシュ公爵家の末っ子で、ローデリヒと歳が近い。そんな経緯で、親戚の中では一番関わりがある。そして、彼は近衛騎士団長という立場でもあった。

「父上……いくらなんでも、エーレンフリートは節操がないです」
「誤解だよっっ!!」
「そうじゃそうじゃ」

 半分涙目で足と手をバタつかせるエーレンフリートと、それに同意しながら国王は尚もエーレンフリートの服をまさぐる。

「そういえばエーレンフリート。なんでここにおるんじゃ?お主、ローデリヒの部屋の鍵、持っとらんじゃろ?」
「開いてたんですよっ!!取り敢えずどいてください!!」

 のんびりとエーレンフリートに馬乗りになりながら、国王は問い掛ける。バタバタとエーレンフリートはもがいていたが、急に「ああっ!!」と声を上げた。

「そ~いえば陛下っ!!あんた隠し子いますね?!?!隠したって駄目ですから!!」

 何やら確信めいたエーレンフリートの言葉に、国王とローデリヒは目が点になった。

「隠し子?!は?!ワシに隠し子がおるのか?!」
「何驚いているんですか?!オレ見たんですから!!」

 胸ぐらを掴んで揺さぶる国王に、負けじとエーレンフリートは反論する。ローデリヒは半ば呆然としながら、ゆっくりと国王を見た。

「父上……、本当に節操なしですね……」
「違う!!ワシはお前以外の子供など知らん!!」

 首を思いっきり横に振る国王に構わず、ローデリヒはここに来た理由を言った。

「そんなことより」
「そんなことより?!」
「アーベルがいなくなったとアリサから聞いたのですが」

 悲しそうな声をあげた国王にローデリヒは淡々とした声で続ける。その様子に、国王も真面目な顔つきになった。

「父上、何か知っているのですか?」

 ローデリヒはずっと疑っていた。あの幼いながらも聡明な鱗片を見せている――これはローデリヒの親バカ目線からだが――アーベルが、間違えてこの時代に来るのだろうか?と。

 そして、その時を狙って国王が寝室に来たのも、ローデリヒの私室を荒らしていたのも、全てが同一の目的の元、行われているのではないか、と。

「そうじゃなあ……。このタイミングでは幾つかの事が思い浮かぶのじゃが……、どこまで言っていいものか悩むのう……。下手すれば未来が変わってしまうからの。アーベルにどこまでの影響があるのか分からんのじゃ」

 ゆっくりエーレンフリートの上から国王は立ち上がった。そして、珍しく難しそうな表情で腕を組む。
 ローデリヒも同意見だった。アーベルがわざわざ来るという事。そして、それを未来の自分が黙認している事。

 アリサとお腹の子、小さいアーベル、アリサのアルヴォネンでの恨み、この間の襲撃の首謀者がまだ見つかっていないこと、離宮への引越し……、ローデリヒや国王まで含めるとキリがない。そして、アーベル以外の全員が方々に恨みを買うような覚えがあった。それでなくとも、全員が王族。狙われないはずがない。

「……え、ローデリヒ殿下?でも、さっきすれ違ったのは確かに……」

 まるで状況が把握出来ないといったかのように、困惑した声の主にその場の全員が集中する。侍従服を身にまとった小柄な姿。大きな栗色の瞳が印象的な彼女の名を、ローデリヒは呼ぶ。

「ヴァーレリー……?」
「ローデリヒ殿下。奥様がどこにもいらっしゃらないのですが」
「は?!」

 ハッとすぐに我を取り戻したヴァーレリーは、ローデリヒにここに来た訳を即座に話した。ローデリヒは思わず声をあげた。自分がアリサと別れた時から今を大まかに計算する。どう考えても、私室に帰れる時間はある。

 とても嫌な予感がした。

「ローデリヒ。アリサを探してやってくれ。ワシはアーベルの元へ行く。そろそろ戻っている頃じゃろうし」
「……分かりました」

 やはり何か察しているのだろうな、と内心思いながら頷いた。
 国王にしては、ここ最近では珍しいくらいの真剣さだった。何か予感めいたものはローデリヒも時々感じるが、国王も同じらしい。百発百中で嫌な予感が当たると言われているが、アーベルに時空属性が現れているので、もしかしたら先祖に時空属性持ちがいて、ローデリヒ達にも少しは影響しているのかもしれなかった。

 自分の私室で、機密事項が山ほどある部屋の見張りをヴァーレリーとエーレンフリートに任せ、ローデリヒは退出する。

 アリサを探す為に使い魔との視界を繋げて――、心臓が一瞬止まった。

 側頭部を複雑に結い上げ、派手なワインレッドのドレスを着た女が妖艶に微笑んでいる。何より目がいくのは赤い口紅が塗られた口元だった。

 何故、この女が使い魔の視界に入るような場所いるのか。

 見た目は二十代だが、その実ローデリヒが幼い頃より容姿が変わっていない女である。気位の高い女で、元々の出身の家もそれなりに身分の高い家であった。昔ならば下賜先は幾らでもあったというのに、王妃という地位にこだわり続け、今でも後宮に居座っている。もはや主であった。

 そしてローデリヒは、このハイデマリーがものすごく苦手であった。まず己の父親の側室は全員苦手ではあるのだが。

 そのまま夜会に出れそうな格好をした女が座るテーブルには何人もの側室達が並んでいて、その一番下座にローデリヒが探している人物は座っていた。

「何故だ?!」

 その姿を確認するなり、思わず大きな声が出た。ヴァーレリーにちょっかいを掛けた後にローデリヒについてきたイーヴォが、思わず肩を揺らしてびっくりする程には。

 何やらハイデマリーが言って、アリサがティーカップを持ち上げる。ローデリヒはギョッと目を剥いた。そのティーカップには何が入っているのか、もしくは何が塗られているか分からない。

 慌てて止めようと、ローデリヒが使い魔と入れ替わるように転移しようとして――、使い魔に止められた。どうやら、アリサには目的があるらしいから止めろと使い魔から思考が伝わってくる。が、そんなことよりも、アリサがティーカップに口を付けようとしている方を止めるのが重要だ。

「おい、ロー!アリサを止めろ!!」

 ローデリヒが声を出すのと、使い魔がアリサのティーカップ目掛けて飛び込むのはほぼ同時だった。焦りで思わず声に出してしまったが、幸いにも周囲にはイーヴォしかいない。

 アリサが集まりのようなものから上手く抜け、後宮の廊下を侍女と共に歩いているのを確認しつつ、国王の執務室の前へと来る。やっとその後ろ姿を使い魔越しではなく、目視できて立ち止まった。

「ローちゃんさっきはありがと~!!ちなみにさ?この事はローデリヒ様に内緒にしてくれないかな?!」

 使い魔を抱き上げ、呑気な声を出している己の妻に頭が痛くなりながら、ローデリヒは腕を組んだ。

「何を内緒にするんだ?」
「ひぃっ?!」

 声を掛けると、アリサはまるで幽霊でも見たかのような恐怖の表情でおそるおそる振り向いた。
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