あなたへの愛は時を超えて

cyaru

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最愛を失った男①

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ディッドだけでなく、周りにいた者は落雷の衝撃に身を伏せた。

雷に興奮した馬は体を大きく揺さぶる。
ガタンと音がしたのは馬の手綱を引いた御者の1人が立てた音だった。

「大丈夫かっ!」

飛び降りるかのように跳ねた御者は「轢いてしまった」と青ざめた顔で馬のわきに駆け寄ってくる。しかし。

「あれ?…おかしいな…」


ブルルブルルと鼻息の荒い馬の腹を撫でながら、その足元を見るも何もなかった。
何度も首を傾げたのは御者だけではない。雨の降る街中で繰り広げられた歌劇の一場面のような「上手くいけば」ハッピーエンドな場面に誰もがコレットとディッドを見ていたのだ。

確かにディッドがコレットの頬を張った。
そしてその反動でコレットは馬車道に転んでしまった。
そこまでは誰もが同じ共通の認識を持っていた。

だが、そこにあるのは雨が打ち付ける石畳だけで、人どころかネズミすらいなかった。

頬を打ってしまったが、直ぐに差し出した手をディッドは伸ばしたまま動けなかった。眩い光と轟音の中、ディッドが目を閉じ、次に開けた時にはコレットは消えていた。

「コレット?」

ザーザーと雨の音の中、御者がまだ御者台に乗り込む音がして程なく馬車が動き始めた。
過ぎ去った後にあったのは石畳に打ち付ける雨だけ。

――夢だったのか?――

明け方まで激しく腰を振り続けたディッドは寝不足で本来なら見るはずのないものを見てしまったのだろうかと考えたが、その考えは直ぐに打ち消すに至った。
何故なら、ディッドの手にはコレットに渡そうとして受け取って貰えなかった届けるはずの仕立物がずぶ濡れで握られていたからだ。

勢いがついて通りの向こう側まで転んでしまったのか。
いいや、それはない。だがそれならば何故ここにコレットがいない?
考えが纏まらなくなったディッドは雨の中、家に向かって走り出した。



バタン!と大きな音を立てて扉を開けると目の前のテーブルの上には食事をしたままの食器があった。兄嫁がディッドを見て「あら、珍しい」と声をかけた。

その声にディッドの母親が目を輝かせた。
ここ暫くディッドが家に帰って来る時は「給料」を持ってくる時だけだからだ。
その日だけは良いものが食べられる。

「母上…コレットは?」

震える声でディッドが問えば、「今日は市場は休みだから仕立て屋に納品に行ったんじゃないか」と奥から兄の声がした。数歩部屋の中に入れば起きたままでそのままになった乱れたシーツ。
昨日着ていたのだろうと思われる衣類が隅に脱ぎ散らかされている隣で父と兄はチェスをしている。

「もう直ぐ帰るんじゃない?早く帰ってここを片付けてもらわないと散らかって仕方ないわ」

呆れたような母の声が耳を突き抜けていく。

「なら帰る前に食器を片付けたらどうなんだ」

ディッドが言葉を発せば、「それはコレットの仕事だ」と兄嫁の声。
続いて「いい加減にしてほしい」と言いながら洗濯物も片付けて行けばいいのにと聞こえる。

――貴方の家族は散々反対をしておいて好き放題――

コレットの声が聞こえた気がして部屋を見渡すも姿はなかった。
ディッドは力なく椅子を引き、腰を下ろし、髪を掻きむしって頭を抱えた。

混乱する頭の中はディッドに都合の良い事だけが取り出されていく。


勤務は夜勤だ。
――それまでにはコレットは帰って来る――

浮気の現場は見られていない。
――だから転んだと思ったけれど姿がなかったのだ――

偶々、コレットの荷物を拾っただけだ。

ジンジンと今になって打たれた頬が傷みだす。
それすらも気のせいだと思い込んだ。


しかし、コレットが家に帰って来ることはなかった。
夜勤に出向き、翌朝家に戻ったディッドが見たのは食い散らかされた食材で汚れたテーブルと、雨が降っていなければ火事になっていたのではないかと思われる竈。

「お帰り。珍しいのね」

背中に声を受けて振り返れば母がいた。「コレットは」と問えばディッドが出勤した後も帰ってこないと言う。


「やっぱり平民の娘はダメね。結婚して2年だったかしら?まだ子供の1人も作らないなんて…私達に遠慮する事なんてないのにねぇ。平民の石女なんか下女しか使い道がないわね」

「何を言ってるんだ…母上…」

「掃除と洗濯、不味いけど食べられる料理だけが取り柄だったのにねぇ‥はぁ~家を空けるなんてとんでもない娘だわ。帰ってきたらどうやって仕置きをしてやろうかしらね」

「コレットは俺の妻だ!下女なんかじゃないっ」


声を荒げたディッドの背をバンと叩いて兄が椅子に腰かけた。

「へぇ?お前がそれを言うのか?金だけ、しかも月に10万だったか。家賃だけで12万なのにわかっていて家に金を入れてなかったんだろ?知ってんだぜ?お前が娼館の阿婆擦れに入れ込んでいたことくらい。この1年半で3人目いや4人目だったか?黙っててやったんだから感謝しろよ」

「何を言ってるんだ!そもそもここは俺とコレットだけが住むはずだった家だ!4人分の8万が上乗せになっただけだろうが!」

「だとしてもぉ~。ディッド君だって下女以下の扱いしてたじゃない。全部を任せて自分は好き放題。良い嫁見つけたわよね?今時いないわよ。嫁って肩書だけで奴隷以下の扱いされても従う子なんてそうそういないわよ」

「違う…違う違う違うっ!そんなつもりじゃ――」

否定をするディッドだが、兄と父の言葉はそれまでのディッドの行いが彼らの「常」である事を認識させた。


「ま、そのうち帰ってくるさ。で?お前金は?金持って帰って来たんだろう?」
「どうでもいいが、腹が減って仕方がない。給料日なんだろう?外食でもするか」

両親も兄夫婦もディッドを見る目は冷ややかだった。
誰一人としてコレットが一晩帰ってこなかった事を心配する者はいない。
心配以前に、帰ってこなかった事で食事が出来なかった、シーツが昨日と同じだった、部屋が散らかっていると文句ばかりで、ディッドの事すら「金を持ってくる人」にしか考えていなかった。

「出ていけっ!」

ディッドの目は怒りで充血し真っ赤になっていた。
ディッドは父親の後ろ衿を掴みあげた。
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