あなたへの愛は時を超えて

cyaru

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脱水が先か貧血が先か。それが問題だ。

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隣の奥様の娘様が着用していたというワンピースを手に取ったコレットはブルブルと震えた。

「どうしたんだ?サイズが大きすぎるか?」
「いえ…サイズは多分あうと思いますが…」

ジークハルトは「なるほど」とコレットの持つワンピースを手に取るとコレットの肩口に合わせて当てた。

「よく似合うと思うが、もっと良いのを買ってやるよ。で?多分このワンピースが綿だから驚いてるんだろう?」

コレットはコクリと頷いた。ジークハルトは新品の綿のシャツを無造作に手に取った。まだ梱包をといておらず、値札も付いたままである。

「えぇっと…金。わかる?金。マネー」
「はい。解ります」
「今朝食べたパン。85ミャゥだ」
「ミャゥ?あ、お金の単位?」
「そうだ。で、このシャツは3枚で1200ミャゥだ」
「ヒュッ!!で、では1枚なら400ミャゥ?パン4個?」
「プラスで釣りもあるが、そう言う事だな」

コレットは綿のシャツを手に取り、肌触りを手のひらで確かめる。
仕立てを預かった時とさほどに変わらない滑らかな布地。これがパン4個でお釣りがくるなんて信じられない。

「貸してもらったワンピースは多分5千ミャゥもしない筈だ」
「5千っ?嘘みたい…こんなに上質な布地なのに…」
「えぇっと、多分…このシャツもワンピースも最高級ではないんだ」
「なんですって?これで?‥‥信じられない…」
「驚く事もあると思うが、コレットが思うほどこの部屋にあるもので買えないものはない。もし出かけた先でワンピースを引っ掛けて裂いてしまっても代用品は買える。これは既製品だからな」

「既製品?」

コレットには初めて聞く言葉だった。
仕立て屋は客の体のサイズにあった服を縫製する。仕立て屋で服を買えない者達は布を買って自分で繕うのだ。既に形になった服は誰かが着た服で古着である。

あの日、ディッドが新しいワンピースを買ってやると言ったが、コレットが何番目のオーナーになるかは不明のもので、コレットにとっては新しい服という意味である。
だが、それはディッドが酷い男だから古着しか買えないのではなく、ごく当たり前の事だった。

仕立て屋で仕立てる服は庶民が切り詰めて貯めた金1年分でも買えるかどうかわからない。客は高位貴族で月に4、5着も仕立てれば仕立て屋はお針子を数人抱えてもやっていけるのだ。
それほどまでに貴族と庶民には貧富の差があった。

ディッドの実家が破産したのは身の丈に合わない豪奢な生活を続けたからで、真面目にやっていれば大きく儲ける事は無くても住処がなくなるほどにはならなかったはずだ。


ここには、既に大勢の人のサイズを大まかに3つほどに分けたサイズで縫製した服が売られているのだと言う。自分だけのパターン(型紙)ではなく、大勢の為の1つのパターンで同じものが作られていくというのはコレットには目から鱗だった。

考え込むコレットにジークハルトはまたコレットの髪をくしゃくしゃとさせて頭を撫でると、「外にいるから着替えな」と言い残し部屋から出て行った。

目の荒い麻のワンピースと違って柔らかく、肌が擦れても痛いどころか気持ちいいくらいだ。

――お姫様になった気分だわ――

しかし問題があった。ごわごわする麻と違って綿は柔らかい。
コレットは下着を持っていなかったのだ。勿論着用もしてない。
余りにも風通しがよく、汗も吸う綿のワンピースは胸の形もわかってしまう。

――仕方ないのかな。皆どうしてるんだろう――

洗濯場で見た隣の奥様を思い出してみるが、胸の形は解らなかった気がする。
自分が思うほどではないのかも知れない。
そう思ったコレットは玄関の扉を開けてジークハルトを呼んだ。

「出来ました。参りましょう」
「えっ…」

口元を手で覆い視点がコレットで止まったまま、ジークハルトはピクリとも動かない。

「どうされました?」
「最高かよ…いや、違うな。待て。コレット。それは非常に危険だ」
「何がですか?」
「そ、その‥‥男としては嬉しいんだが出来れば他には遠慮してほしいと言うか…」
「やはりおかしいですか?」
「おかしいと言うか…し、下着はどうした?」
「下着?男性でもないのに下着は付けませんよ?」

ブハッ!!ポトトト…

ジークハルトの口元を覆った指の隙間から赤い飛沫が飛び散った。

「だ、大丈夫ですか?吐血?」
「ただの鼻血だ。気にするな。ちょっと図書院に行く前に下着屋に行こう」
「下着屋?何故です?」
「今朝から俺の体の水分が抜けっ放しだ。このままだと干物ひものになってしまう」



☆●☆〇☆

「いらっしゃいま…せ」

同年代程度の女性店員は、ジークハルトを見ると言葉を詰まらせた。
ここは女性専用の下着販売店である。男性客が来ることはある。あるにはあるが稀である。店員の経験不足かも知れないが大抵は娼婦のような女性を伴った中年男性が多いのだ。

「すまない。金は払うが私はよく判らないので妻に下着を見繕ってくれないか」
「奥様に…失礼ですが用途は…」
「用途っ?!」

ジークハルトは声が裏返ってしまった。

――下着の用途?そんなもの考えた事もなかったぞ――

「お客様?大丈夫で御座いますか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。用途というのはなんだ?」
「それは多様性が御座いますので一概には言えませんが、通常使用するものから魅せ夜の下着、女性ですので月に一度のお勤め時の物まで色々と…」

「すまない。全然わからない。彼女に聞いてやってくれないか。出来れば日常使うものを数枚。きっと遠慮すると思うから値段などは気にしないような売り方をお願いしたい」

「まぁ!そうなんですか?お任せくださいませ!今夜は寝られない物までご用意致しますわ。ではご主人様はこちらの待合室に。奥様は先ず採寸を致しましょうね」

ジークハルトは足がガクガクと震え出した。出来れば「釣りは妻に」と言い残し向かいのカフェで待ちたいくらいだ。それはひとえに「現在ノーパン」であるコレットの現状である。
妻や彼女に下着を着けさせずに外を連れ歩くなどただの変態である。

個室であり、他の客はここにはいないがコレットを採寸する場所を隔てるものはカーテン1枚。くるぶしくらいの高さまでは隙間がある。当然声はごく自然に聞こえてくる。

聞こえるからこそ!その会話にジークハルトは顔面蒼白である。


「では採寸を致しますのでワンピースを脱いでいただけますか?」
「はい」

コレットは下着を着用しないのが「当たり前」の時代の人間である。
なので言われるがままにワンピースをごく普通に脱いだ。


「えっ‥‥」

店員の小さい声がジークハルトの心に突き刺さる。
ジークハルトの羞恥心ゲージは一気に振り切った。

「あ、あの…奥様?普段下着は‥‥」
「付けませんが」

――そうだよな~そうだよな~でも絶対店員には誤解されてる~――

「えぇっと奥様の通常の下着はどんな感じのものでしょう?」
「下着は持っていません」
「えっ…」

部屋にいる店員の目が全てジト目に切り替わった。
勿論店員の視線の先にいるのはジークハルトだ。

――俺がそうしろと言ったんじゃない!!――

ジークハルトは心の中で叫びまくる。


「7万9266ミャゥで御座います」
「お釣り…要りません」
「ありがとうございます」

8万ミャゥを支払ったジークハルト。ちょっとだがチップもつけたのに店員の視線の冷たさと鋭さは一向に和らぐ気配がない。これを世間では針の筵と言うのだ。

「奥様には一対を着用頂いておりますので、残りがこちらに入っております」
「はい‥‥お手間をかけました」
「いいえ。この時期で良かったですわ。冬でしたらご主人様は風通しの良い外でお待ちいただくところでした。オホホホ」

「でしょうね‥‥」

ガックリと肩を落とすジークハルト。
今度は通り縋りの人たちの視線が突き刺さる。

女性に荷物を持たせるわけにはいかないと紙袋を抱えたのは良いのだが、パンパンになった大きな紙袋が2つ。大きく「女性下着専門店セクスィ」の文字とロゴが丸見えである。

女性が下着を着けるのが普通になったのはここ200年ほどの間の事である事を図書院の本でこの後知る事になるジークハルト。

「荷物、持ちますよ?」
「ん?いいんだ。軽いものさ。それより気に入ったのが買えたか?」
「はい、今夜楽しめるように脱がなくても切れ目があるそうです」


ブハッ!!ポトトト…

「ジークハルト様、また鼻血がっ!」
「大丈夫。ちょっとしか想像はしていない」


コレットに悪気はない。店員に言われたままを言っただけだ。
問題は、そういうセクスィな下着が生まれて初めての下着であるため、それが「普通」と信じないように祈るしかない。

――俺、干物になる前に帰りつけるかな――

ジークハルトは脱水の前に貧血を起こしそうになった。
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