王子妃シャルノーの憂鬱

cyaru

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鉄線はアーチ橋のように

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シャルノーに顔を至近距離まで近づけられた5人は目をぱちくりさせた。

「ひ、妃殿下…あの…」

順番に一番年上のキャシーの頬も両手で押さえ、じっくりと覗き込むシャルノー。

「酷いわ」

<< えっ?人選が?! >>

「違うわよ!人選にわたくしが何かを言えて?そうじゃなくあなた方のお肌よ!」

<< 肌?! >>


チェザーレも酷いものだが、ベルジュを取った彼女たち5人の肌の状態もとても良いとは言えなかった。一番年上のシャシーはシャルノーより年上の24歳だが、白い膨らみを持った吹き出物が髪の生え際から顎、首筋にある。

彼女たちなりに懸命に洗顔をしたりしているのは判るのだが、なんせ腐った水で洗顔をしているのだ。軟水でとろみがあるのではなく、腐ったとろみのある水での洗顔。
これではいくら洗顔をしても綺麗になるはずがない。

その上彼女たちは慢性的な下痢と、生理不順にも悩んでいた。
月のお勤めも酷い生理痛で立っている事もやっとの時もあるという。
これも原因は水。日々の飲料水もだが料理に使う水も腐った水を沸騰させて使うのだ。


やっとこの隊列が滅茶苦茶長い事が役に立つ時がやってきた。
シャルノーはニヤリと笑う。

「あ、あの…妃殿下?」
「あなた達には、運んで来た水を先ず飲んで頂きます」

シャルノーはドリスに言いつけると荷馬車に積み込んだ樽から水を水差しに汲んだ。それをグラスに注ぎ5人にそれぞれ飲んでもらった。

「匂いが…しない?」
「味もないわ!あの草を齧った時のような味がない!」
「とろみもないわ。サラサラしてるっ」
「見て。グラスの底!何も沈んでないっ?!なんで?」
「果実水でもなく酒でもない。…これはいったい…」

「水よ。ただの水」

<< 水っ?! >>

驚くのも無理はない。彼女たちは生まれてこの方サウスノア王国の王都から出た事はないのだ。

臭いがない、濁っていない、味がない、何も浮いていない水は見た事がない。ある程度透き通った水は雨が降れば外に幾つも桶や樽を置いて雨水を溜める。
だが、火山灰が混じった雨はそのままでは当然飲めない。
数日静かに置いておき、沈殿物が浮き上がらないようにそっとすくい上げて、沸騰させて使うのだ。

海の向こう、トテポロ帝国のある大陸よりも遥か向こうの大陸には「砂の土」しかない国もあったり、「雨が降らない」国もあるという。雨が降らない国でも人間は生きている。
泥水のような川とも呼べない川の水を食器ですくい、桶に貯めて長い道のりを家に歩いて家に持ち帰る。それを日々の水として使っていると本には書いてあった。

水がないのはサウスノア王国も同じだが、決定的に違うのはサウスノア王国には大きな「河」がある。雨が降らない国の人間が見れば驚くような大河である。
だが、その大河には生き物は住んでいない。死の水が轟轟と流れているのだ。


水を飲み干してもまだグラスを眺める5人にシャルノーは言った。

「わたくしの付き人になってくださってありがとう。わたくしの宮では先程の水を日々の生活に支給します。多くは重くて無理だろうけど家に持ち帰ってもいいわ。わたくしから心ばかりのお礼よ」

「おっお礼だなんて!!」

キャシーを筆頭に5人はシャルノーの前に跪いた。
そしてさらに深く頭を下げて、シャルノーに詫びた。

「わたくし達は‥‥王宮では…落第点を貰った者なのです。そんなわたくし達を受け入れて下さり心から感謝いたします。身命しんめいしてお仕えする事を誓います」

「落第点?どういう事?」
「は、はい…実は…」


キャシーの話では、シャルノーが嫁ぐ事で水の問題が解決しそうだと国中で騒ぎになっているのだという。だが当然それを快く思わない者ものいる。

第一王子の王子妃と第二王子の王子妃、そしてオリオス伯爵家だ。

身分と言う地位や、ある程度金があれば女性が家の為に嫁ぐのはサウスノア王国もイーストノア王国も同じである。第一王子の王子妃と第二王子の王子妃もそれにたがわず、実家の水を確実に買い上げてもらうために婚姻と言う形で王家と繋がったのだ。

ノア大陸でも「大きな湖は?」と聞かれて1番目、若しくは2番目に名前が出るラージ湖から新鮮な水が荷馬車も使わずに手に入るようになれば商売あがったりなのだ。
ラージ湖からはパイプという管を通して水が供給されるため、天候も関係がない。
ノア大火山の小噴火で隊列が足止めをされる事もないのだ。


5人は王宮で上級侍女をしていたが、「シャルノー派」とも取れる発言をした事で、第一王子の王子妃と第二王子の王子妃から睨まれた。どんなに丁寧な仕事をしても出来が悪いと叱られあっという間に降格になった。

『する事ないでしょう?大好きな王子妃様にお仕えする仕事をあげる』
『立場のない我儘王子の王子妃。さぞや狭い肩身をする事でしょうね。あなた方の素晴らしい見識でもっと広げて差し上げて?』


日頃は啀みいがみ合っている第一王子の王子妃と第二王子の王子妃はここぞとばかりに手を取り合って王宮の中でも20年以上前に廃宮となった場所こそ「王宮」という敷地の中にあるものの、廃墟のような離宮をシャルノーにあてがった。

中央に繋がる小道はあるものの長年手入れをされておらず、火山灰も積もって草木も枯れて廃墟となった離宮のおどろおどろしさを更に演出している。


「そう、そんな素敵な離宮を用意してくださっているのね」
「妃殿下、私達の力が足らず申し訳ございませんっ」
「何を言うの。そういうのはわたくしの夫、チェザーレ殿下の仕事よ。怠慢なのはサウスノア王国の王族の遺伝性なのかしらね?間違ってもあなた方の責任ではないわ。それに離れているなら離れているでこっちにも都合がいい事があるというものよ?なんでも近くにいればいいってものじゃないから。フフフ。それにね?女三人寄ればかしましいというじゃない?ドリスも入れれば6人。つまり倍ね。賑やかなのは良い事よ」

「それ…騒がしいとも言いませんか?」
「騒がしくてもいいの。静まり返っているよりずっといいわ。気は持ちようってね?」

言葉とは裏腹に持っている扇が虹のような弧を描いてるのは気のせいだろうか。
一人くらいはオトボケな天然娘がいるものだ。それがアリッサである。

「あの…扇が曲がってます」

――言っちゃダメ!!――

シャルノーとアリッサ以外がアリッサを視線で咎める。
だが、シャルノーはオホホと笑いながら答えた。

「大丈夫。鉄扇だから逆にすれば元に戻るわ」

――姫様、戻りません――

イーストノア王国から長い旅路を共にしてきた侍女ドリスはコメカミをギューっと指で押した。非公式ではあるがシャルノーの握力は両手とも120キロンと計測された記録がある。
リンゴを素手で握り潰すのに60~70キロンと言われている握力。

見た目の細さに騙されてはいけないのだ。
握力だけではなく、指懸垂までする王女。それがシャルノーなのだから。
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