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4:最後の呼び出し
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ニコニコと微笑む従者さん。
世の中の何よりも微笑の裏ほど怖いものはない。
従軍中に一緒になった兵士の方の言葉を思い出します。
「御心配なく。この事を知っているのはレブハフト辺境の領民とごく一部です」
――それってかなりの人数になるのでは?――
事前の情報で知っているレブハフト辺境領の領民の数は3万8千人。
――全然秘密じゃ無くなってるの?――
ごく一部と付け加えられたという事はごく一部が1割としても足して4万人超え。
それはもう秘密とは言えないのではないか。そう感じます。
「レブハフト辺境領って先の戦でボロボロなんです。焼け野原になっちゃってまして焼き畑か?って思いますよね」
――いえ、思いません――
「油を撒いて火を放たれたのでそのままじゃ作物も植えられないんですよ」
「油を?それは酷いですわね」
「そうなんですよ~。だからコルム公爵家から話が来た時、最初は裕福な伯爵家のご令嬢って事だったのでお恥ずかしい話、資金面では助かったと思ったんです。で…すみません」
「何を謝罪されるのです?」
「調べちゃいましたーッ」
ガバっと座った姿勢のまま、両足の間に思いっきり状態を伏せられます。
垂れた髪の毛が床に付いておられますよ?
「こそこそ調べちゃってすみませんっ!概算で一先ず18億ほどが必要なのでドーンと出して頂けるかなーなんて浅ましい事を皆で考えちゃいまして!ほら、ギリギリですと直ぐには無理じゃないですか?」
「そんな資産は無かったと思いますが」
従者の方は、上に頭を起こすのではなく少し横向きに顔を向けられてちらりとわたくしを見ております。
「そうなんです。領地はそれだけで200億は下らない資産価値でしたが…金融資産や動産は…ほとんどなくてですね。これは…っと思っちゃいましたっ!すみませんっ!すみませんっ!」
ペコペコと水車の杵つきと化してしまった従者さん。
こちらこそ、持っていなくてごめんなさいですわ。
「ですが、その調査の後にずっと昔…えぇっと、数年前の先代奥様が御存命の時に父親が伯爵家に奉公していたという領民が屋敷に来たんです」
――どきっ!――
「その‥‥お嬢様には魔力があると。木に登って竈の灰を蒔いて花をポンポン咲かせるんだと父から聞いたと申しまして」
――わたくしいつの間に花咲じぃじに変化したの――
「貴女しかいません!お願いです。その竈の灰で領地を蘇らせて頂きたいんです」
――灰は撒いたことないんですけど――
「お願いです!爵位なんてどうでもいんです。なんなら旦那様の奥様という立場もこの際どうでもいいんです。立場があれば動きやすいと考えただけの事で、ポンコツいえ、旦那様はこの際どこかに放り投げていいので!お願いです。レブハフト辺境領を!領民を助けて頂けませんか!ファマリー様の性格も知っての浅ましいお願いですので失礼な事は十分に承知しています。でもっ!後がないんです。毎日何人も飢えて死んでいく民を助けてください!」
必死なお願いをされる従者さん。
どうせ何処にも行くところは無かったのですし、魔法が役に立つのなら領地に稲穂が揺れるようになるまで頑張ってみようかな。そう思ったのです。
「廃家?本当にいいんですか?」
窓口担当の文官さんは驚いた表情でわたくしの顔を覗き込んでおられます。
腹ごしらえにと幾つか食べたトゥマトの果汁が頬についているのかしら?
「構いません。両親と兄は既に亡くなっておりますし、この書面通り継承者はわたくしのみ。そして本日満20歳となりましたので、手続きに参りました」
「代理当主を立てられていたのですね。代理ですと領地などもそのままですのでこちらは国の直轄領となり、後日公売で他の貴族の領地となりますが、代金はどうされますか?」
「1割はソード伯爵家の霊廟を管理する資金として貴族院預け。手数料を引いた残りは国庫に寄贈いたします」
「あ、では、手数料は差し引きっと‥‥ここにチェックを入れて頂けますか?」
慣れた書面なのでしょう。
担当の方は抜かりがないように確認をされております。
問題は本人確認で御座いましたが、コルム公爵家のジョージ様の婚約者であった期間が長かった事がここで役に立つなんて。文官の役職となれば高位貴族。わたくしの本人確認がもれなく済まされるのです。
「あれ?ソード伯爵家の…婚約残念だったね」
「いいえ。伯爵家の者が公爵家にと言うお話に無理があったのですわ」
「この方は間違いなくソード伯爵家のファマリー様で?」
「そうだが?」
担当の文官さんは本人確認済みに「✓」と書き込まれます。
項目ごとに順番に確認もしっかりと。細かい担当者さんですと面倒に思いますが一度で済むので助かりますわね。
「爵位も無くなりますが宜しいのですか?」
「構いません。女一人ですもの。いつまでも代理当主に頼っていては領地が廃れるばかり。経営に慣れた他家の管轄となる方が国にとっても、領民にとっても有益となりましょう」
「貴女はどうされるのです?」
「オホホ。幸い従軍経験も御座いますし問題御座いませんわ」
女性のひとり立ちは危険が伴います。しかし辛かった従軍経験、これば令嬢であって令嬢に非ず。そんな扱いをされてしまうのです。そこには公爵家が婚約解消の言い訳に出来なかったようにマナーや所作、教育に問題がある令嬢というレッテルはつき纏う。弊害も御座いますが、逆から見れば平民女性のように逞しく生きていけるという太鼓判でもあるのです。
「では、これで不備は‥‥ありませんね。手続きをしますので少し掛けてお待ちください。最後ですが念のため…受理をしたという書面が発行されればお渡ししたその時点で爵位は失います。次に名前を呼ばれた時、やはり考え直すのであれば「やはり手続きはしない」と仰ってください。書面は破棄します。短い時間ですがよくお考え下さいね」
「判っております。気持ちは変わりませんわ。それよりも人を待たせてありますの。急いで頂けると助かります」
担当の方から次の方に、そしてまた次の方。最後に奥のデスクの方に書面が回っていく様子を静かに眺めます。迷いはありませんが、お父様やお母様、お兄様にお爺様、お婆様の顔が思い浮かびます。
財を食い潰されるよりも、叔父夫婦を認める事になってしまえばソード伯爵家の霊廟に彼らもゆくゆくは埋葬されることになります。それこそ絶対に許せません。
――きっとお父様たちは判ってくださる――
廃家の手続きが終われば、知らずにノコノコやってきた叔父様は家を乗っ取りとして取り調べを受けるでしょう。勿論保証人となったコルム公爵家も追及は逃れられない。
婚姻の届けを受理した神殿にもコルム公爵家の息がかかっているのかも知れません。
私財のほぼないソード伯爵家。婚約が無くなり縁が切れた筈なのに干渉しているコルム公爵家。叔父様はわたくしが荷を持って出て行ったというでしょうけども、仰々しい荷馬車など見た者は皆無。
当主となったわたくしが出した廃家の届け。事の次第を聞こうにもわたくしはレブハフト辺境領に旅立った後。
家の乗っ取りは3段階の降格もしくは爵位没収。そして20年以上の労役が課せられます。可哀想だと仰る方もおられるでしょうけども、他家の財産で贅沢をしようという考えが間違っているのです。処刑ではなく労役。20年も服役すれば反省もして頂けるでしょう。
神殿への対応も国王陛下は見直すかも知れません。
何もしなければそれまでの国だったという事です。
「ソード伯爵家、ファマリー殿」
家名の付いた名を呼ばれるのはこれで最後。
背を伸ばし真っ直ぐに歩いて、わたくしは微笑んで書面を受け取ったのです。
世の中の何よりも微笑の裏ほど怖いものはない。
従軍中に一緒になった兵士の方の言葉を思い出します。
「御心配なく。この事を知っているのはレブハフト辺境の領民とごく一部です」
――それってかなりの人数になるのでは?――
事前の情報で知っているレブハフト辺境領の領民の数は3万8千人。
――全然秘密じゃ無くなってるの?――
ごく一部と付け加えられたという事はごく一部が1割としても足して4万人超え。
それはもう秘密とは言えないのではないか。そう感じます。
「レブハフト辺境領って先の戦でボロボロなんです。焼け野原になっちゃってまして焼き畑か?って思いますよね」
――いえ、思いません――
「油を撒いて火を放たれたのでそのままじゃ作物も植えられないんですよ」
「油を?それは酷いですわね」
「そうなんですよ~。だからコルム公爵家から話が来た時、最初は裕福な伯爵家のご令嬢って事だったのでお恥ずかしい話、資金面では助かったと思ったんです。で…すみません」
「何を謝罪されるのです?」
「調べちゃいましたーッ」
ガバっと座った姿勢のまま、両足の間に思いっきり状態を伏せられます。
垂れた髪の毛が床に付いておられますよ?
「こそこそ調べちゃってすみませんっ!概算で一先ず18億ほどが必要なのでドーンと出して頂けるかなーなんて浅ましい事を皆で考えちゃいまして!ほら、ギリギリですと直ぐには無理じゃないですか?」
「そんな資産は無かったと思いますが」
従者の方は、上に頭を起こすのではなく少し横向きに顔を向けられてちらりとわたくしを見ております。
「そうなんです。領地はそれだけで200億は下らない資産価値でしたが…金融資産や動産は…ほとんどなくてですね。これは…っと思っちゃいましたっ!すみませんっ!すみませんっ!」
ペコペコと水車の杵つきと化してしまった従者さん。
こちらこそ、持っていなくてごめんなさいですわ。
「ですが、その調査の後にずっと昔…えぇっと、数年前の先代奥様が御存命の時に父親が伯爵家に奉公していたという領民が屋敷に来たんです」
――どきっ!――
「その‥‥お嬢様には魔力があると。木に登って竈の灰を蒔いて花をポンポン咲かせるんだと父から聞いたと申しまして」
――わたくしいつの間に花咲じぃじに変化したの――
「貴女しかいません!お願いです。その竈の灰で領地を蘇らせて頂きたいんです」
――灰は撒いたことないんですけど――
「お願いです!爵位なんてどうでもいんです。なんなら旦那様の奥様という立場もこの際どうでもいいんです。立場があれば動きやすいと考えただけの事で、ポンコツいえ、旦那様はこの際どこかに放り投げていいので!お願いです。レブハフト辺境領を!領民を助けて頂けませんか!ファマリー様の性格も知っての浅ましいお願いですので失礼な事は十分に承知しています。でもっ!後がないんです。毎日何人も飢えて死んでいく民を助けてください!」
必死なお願いをされる従者さん。
どうせ何処にも行くところは無かったのですし、魔法が役に立つのなら領地に稲穂が揺れるようになるまで頑張ってみようかな。そう思ったのです。
「廃家?本当にいいんですか?」
窓口担当の文官さんは驚いた表情でわたくしの顔を覗き込んでおられます。
腹ごしらえにと幾つか食べたトゥマトの果汁が頬についているのかしら?
「構いません。両親と兄は既に亡くなっておりますし、この書面通り継承者はわたくしのみ。そして本日満20歳となりましたので、手続きに参りました」
「代理当主を立てられていたのですね。代理ですと領地などもそのままですのでこちらは国の直轄領となり、後日公売で他の貴族の領地となりますが、代金はどうされますか?」
「1割はソード伯爵家の霊廟を管理する資金として貴族院預け。手数料を引いた残りは国庫に寄贈いたします」
「あ、では、手数料は差し引きっと‥‥ここにチェックを入れて頂けますか?」
慣れた書面なのでしょう。
担当の方は抜かりがないように確認をされております。
問題は本人確認で御座いましたが、コルム公爵家のジョージ様の婚約者であった期間が長かった事がここで役に立つなんて。文官の役職となれば高位貴族。わたくしの本人確認がもれなく済まされるのです。
「あれ?ソード伯爵家の…婚約残念だったね」
「いいえ。伯爵家の者が公爵家にと言うお話に無理があったのですわ」
「この方は間違いなくソード伯爵家のファマリー様で?」
「そうだが?」
担当の文官さんは本人確認済みに「✓」と書き込まれます。
項目ごとに順番に確認もしっかりと。細かい担当者さんですと面倒に思いますが一度で済むので助かりますわね。
「爵位も無くなりますが宜しいのですか?」
「構いません。女一人ですもの。いつまでも代理当主に頼っていては領地が廃れるばかり。経営に慣れた他家の管轄となる方が国にとっても、領民にとっても有益となりましょう」
「貴女はどうされるのです?」
「オホホ。幸い従軍経験も御座いますし問題御座いませんわ」
女性のひとり立ちは危険が伴います。しかし辛かった従軍経験、これば令嬢であって令嬢に非ず。そんな扱いをされてしまうのです。そこには公爵家が婚約解消の言い訳に出来なかったようにマナーや所作、教育に問題がある令嬢というレッテルはつき纏う。弊害も御座いますが、逆から見れば平民女性のように逞しく生きていけるという太鼓判でもあるのです。
「では、これで不備は‥‥ありませんね。手続きをしますので少し掛けてお待ちください。最後ですが念のため…受理をしたという書面が発行されればお渡ししたその時点で爵位は失います。次に名前を呼ばれた時、やはり考え直すのであれば「やはり手続きはしない」と仰ってください。書面は破棄します。短い時間ですがよくお考え下さいね」
「判っております。気持ちは変わりませんわ。それよりも人を待たせてありますの。急いで頂けると助かります」
担当の方から次の方に、そしてまた次の方。最後に奥のデスクの方に書面が回っていく様子を静かに眺めます。迷いはありませんが、お父様やお母様、お兄様にお爺様、お婆様の顔が思い浮かびます。
財を食い潰されるよりも、叔父夫婦を認める事になってしまえばソード伯爵家の霊廟に彼らもゆくゆくは埋葬されることになります。それこそ絶対に許せません。
――きっとお父様たちは判ってくださる――
廃家の手続きが終われば、知らずにノコノコやってきた叔父様は家を乗っ取りとして取り調べを受けるでしょう。勿論保証人となったコルム公爵家も追及は逃れられない。
婚姻の届けを受理した神殿にもコルム公爵家の息がかかっているのかも知れません。
私財のほぼないソード伯爵家。婚約が無くなり縁が切れた筈なのに干渉しているコルム公爵家。叔父様はわたくしが荷を持って出て行ったというでしょうけども、仰々しい荷馬車など見た者は皆無。
当主となったわたくしが出した廃家の届け。事の次第を聞こうにもわたくしはレブハフト辺境領に旅立った後。
家の乗っ取りは3段階の降格もしくは爵位没収。そして20年以上の労役が課せられます。可哀想だと仰る方もおられるでしょうけども、他家の財産で贅沢をしようという考えが間違っているのです。処刑ではなく労役。20年も服役すれば反省もして頂けるでしょう。
神殿への対応も国王陛下は見直すかも知れません。
何もしなければそれまでの国だったという事です。
「ソード伯爵家、ファマリー殿」
家名の付いた名を呼ばれるのはこれで最後。
背を伸ばし真っ直ぐに歩いて、わたくしは微笑んで書面を受け取ったのです。
応援ありがとうございます!
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